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3代将軍徳川家光30万人の大軍を率いて上洛。

ネットでは「寛永11年(1634)7月、家光は30万人(30万7千人説もあり)の大軍を率いて上洛」という記事を散見しますが、30万というのはホントですか。 1延べ人数ですか。であれば、どんな計算ですか。 2実際に京の町へ入ったのは何人くらいですか。 3そもそも30万という数字の根拠は何ですか。ヨイショしたのですか。大げさに書くのは当たり前ですか。 一応、徳川実記を読んでみたのですが、30万を見つけることはできませんでした。 よろしくお願いします。

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回答No.1

これは土井利勝が言った ものの例えです 家光は「10万人を引き連れて上洛する」と言った すると利勝は「上洛の供は30万になさい」と進言 家光が「それでは江戸が空っぽになる  留守中に謀反でも起こされたらどうする?」と言うと利勝は 「だからこそ30万なのです 兵と言う兵を根こそぎ連れて行けば謀反も起こせません」と 家光はその言葉に「さすがは知恵者の利勝よ」といたく感心したそうです まぁ30万は大げさでしょうが 相当数は連れて行ったんじゃないでしょうか?

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そういうことですか!! よく分かりました。 一件落着です。

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