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キリスト教ではニート・引きこもりは歓迎されざる者で

キリスト教ではニート・引きこもりは歓迎されざる者ですか?僕はニートです。聖書の記述に働きたくない者は食べるなと書いていると聞きました。教えに反している人間が教会に行ってもなんにもならないですか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.6

>キリスト教ではニート・引きこもりは歓迎されざる者ですか? そのようなことはありません。 >聖書の記述に働きたくない者は食べるなと書いていると聞きました。 良く引用される言葉ですが多くは誤用されています。 聖書の真意は別にあります。 >教えに反している人間が教会に行ってもなんにもならないですか? そのようなことはありません。 教会の本来の目的はキリスト教を広めることです。 教えに反しているような人であっても救い上げてキリスト教を信じる人に変えていきます。 いわゆる布教と呼ばれるキリスト教特有の活動です。 キリスト教の教えに反する異教徒を改宗させてきました。 16世紀半ばにザビルが日本へ来たのもこれが目的でした。 教会にせよ仏教寺院にせよ宗教と呼ばれるものは悩み苦しんでいる人を救うことが究極の目的というか存在価値です。 悩み苦しんでいる人を救う方法が異なっているだけです。 キリスト教教会の考え方の一端をご紹介します。 参考 神の時 - 中部学院大学 http://www.chubu-gu.ac.jp/about/christianity/chapelhour/talk/2010/1... 抜粋 この聖書の神は、時折、こういうことをなさるのです。 その人にとって無駄とも思えるような時間をすごさせることを、神は平気でなさるのです。 驚くべきことですが神にとっては十年間の引きこもりなんて何でもないことなのです。 あの信仰の父とよばれたアブラハムが神に必要とされたのは七十五歳になってからです。 イスラエル人をエジプトから導き出したモーセは八十歳になってからです。 そして、パウロは、十年の引きこもり。 ここから分かることは、神には、その人に相応しい時期を考えておられるということです。 だから、クサることはないのです。 たとえ今は、自分が輝いて世に出ることができなかったとしても焦ることはないのです。 神には、その人に相応しい時を備えていてくださるからです。 焦らず、その場所でしっかりとやるべきことをする。 その先に、神は壮大な人生を備えていてくださるかもしれないのです。 肝心なことは、その時が来たら、この神に応えて生きるということです。ここに、私たちに人生が生かされる道があるのです。

その他の回答 (5)

回答No.5

パウロの手紙の一説ですね。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.4

キリスト教会には、 ヴォランティアでアナタ様の 才能を活かす機会がある筈ですので、 そこで活躍していれば、アナタ様は 《働かざる者》にはならない筈です。 人間の働きには、 多種多様な面がありますので、 ニート、引きこもりでも 何らかの役に立つ筈です。 [アナタ様のお宅では、家族関係に 〈難が有るということはないでしょうか。 アナタ様は自身が「引きこも」ることで、 家庭内の歪んだ状況を表現しているのかも しれませんよ。その自覚はないでしょうが~~~〉] CiaoCiao.

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.3

「ニート、ひきこもり」 …そんなのは現代の概念です。 古代に成立したキリスト教には有ろう筈がありません。 「教えに反してる人間」 …「反してる」なんて誰が判断するのでしょうか。 教えを知らぬ者が教会に行かずして判断できる事ではありません。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 無神論者のように、キリスト教の教えに従う気が「全然ない」なら、協会に行ってもなんにもならないと思いますよ。  でも、質問者さんの場合はそうではなさそう。ガチガチの無神論者やイスラム徒だったりしたら、キリスト教の「教会に行ってみようか」というような発想は出てこないでしょうから。  牧師・神父様の説教を聞いて働く気になるかもしれないのですから、行ってみるのはいいことなんじゃないでしょうか?なにせ、キリスト教の神様は全知であり、全能ですから、働く気を沸き立たせてくださるかもしれません。

  • stss08n
  • ベストアンサー率16% (454/2762)
回答No.1

協会は”誰でも”来るもの拒まずですから。

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