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憲法公布日と文化の日(明治節)
今日、11月3日は文化の日ですね。 昔もこの日は国民の祝日で”天長節”とか”明治節”といわれていました。 でも戦後の11月3日は憲法が公布された、五月三日と連動して公布の日から六カ月の新憲法の施行日ですね。 質問: 五月三日の新憲法の公布はこの11月3日を読んでの、日程決定だったのでしょうか? 五月三日に新憲法が公布されたという事情や、理由をご存じでしょうか?
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GHQの占領政策で、11月3日の明治節に合わせて憲法を公布したのです。日本に帝国憲法を廃し、米国が作った新憲法を公布させることで「日本は米国に完全に負けた」という印象付けをしたのです。その日として明治節を選び、日本に屈辱を与えたのです。 5月3日は、その半年後に当たります。憲法記念日を目立たせ、逆に天長節を文化の人改めることで、米軍による占領政策の足跡を隠したのです。戦勝国が敗戦国の憲法を偏向することは、当時既に国際法違反だったからです。 形の上では帝国憲法を新憲法に改正したという手続きを踏んでいますが、事実上は米国による制定でした。改正手続きを踏んだのも、上と同じく国際法違反を隠すためです。
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当時の内閣法制局長官であった入江俊郎が記した経緯が書かれています。
お礼
ありがとうございました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/憲法記念日_(日本)によって、当時の内閣法制局長官であった入江俊郎が記した経緯を読みました。一月一日やその他の一月の日でもよかろうし、四月一日やその他の四月の日でもよかろうと思うと、最初に十一月三日があったと読み取れなくもありませんね。 まぁ説得力に欠けるきらいはありますね。 ありがとうございました。
- maiko04
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法律の施行は公布から6ヶ月になっていますから、 11/3が決定したら自動的に5/3になります。
お礼
そういうことだから施行日が所謂明治節になる十一月三日となる、五月三日に公布したいきさつを聞いているのです。 アクセスありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 回答No.3にはそのお礼欄コメントに記したような不満足なところがありますが、No.2のprincelilac の、このご回答はまことに納得させてくれました。 ありがとうございました。