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川端 & 三島由紀夫 関係
有識者様! 教えてくださいませ。 ご両者さん 似ていますか? 自殺の理由がわかりません (1)ノーベル賞は実は細雪の方と聞きましたが・・・
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別に似ていないでしょう。小説を一本ずつ選んで読んでみたらわかりますよ。 文章がうまい、といえば両方うまいけど、川端には瞬間的名人芸がある。三島は構成的な型のうまさがあるというところです。明らかに相容れません。 また、川端は決して大団円とか落ちとか、最後をきれいにまとめることはしない。というかそういうことをするのがみっともないと考えていた節がありますが、三島は病的に結末を気にした。ここに決定的な差があります。 雪国は結局どうなったの? いろいろ謎をかけられながら濃密なことが語られていますが、かれらのこれからの人生は、その答えなんかないんです。 一方、憂国をしたらきっちり腹切って死ななければだめなんです。飯能の宇宙人は嘘だと判明しないと困るんです。オルガスムスという音楽は最後に高らかにならないと形にならないんです。 だから豊穣の海なんていうものはあのまま、いったいこの存在は何だったろうと思わせたまま天人が五衰していく方向性で途切れればいい終わり方だったのに、あれをやらかしたあと、自分の自決日まで最後に書いた。 はっきりいって三島というのは小説技術的に巧妙だけど未熟だったと思いますね。 ドナルド・キーンの本を良く読んでいればわかるんですが、この三島はノーベル賞候補にはずっとなっていたんです。そのノーベル賞専攻の場にキーン自身もいたので選考経緯も知っています。で、ヨーロッパ人からみたらラディカルな作家だと見えたんですね。 コトバを替えると左翼的な、コミュニスト系統なんじゃないかとみられたんです。これは別に言いがかりではなく、戦後の作家のかなりの比率が共産党に走りましたから、目のつけどころとしておかしいとは思えません。安倍公房が昭和30年代ぐらいには東欧を旅行しいかにすばらしい発展がなされているかなんかを報告もしていますし。アメリカでは赤狩りが始まり、戦争に負けた国がどちらに行くか皆不審感をもって見ていた時代です。 で、受賞を逸したときにドナルドキーンが三島本人にそう言ったんですね。君左翼じゃないかと思われてるよ、と。 で、三島は別に右翼でもなかったんだけど、決してそうではないと外国人にもわかるようにしたいと思ってそういう行動をしだしたのです。映画に出て切腹したり、自分の軍隊を持ち天皇制こそ理想だと語りだしたりしたのはすべてポーズで、外国人から見て国粋日本人だとみられるような演技なんです。 小説には常にちゃんとした結末がないといけないという妄想に駆られている作家は、結末として自分の切腹を置くことを考えたわけです。 そういうくだらない、屁の役にもたたないことが自殺の理由です。形がまとまらないと満足できないという病気です。 谷崎は誰が考えても三島なんかに比べたら上の作家です。川端より上かもしれないんですけど、残念ながらノーベル賞を議論しているさなかに死んでしまったんです。それで、残り物から選び出さなければならないということになったんです。 ノーベル賞にもトレンドというものがあって、ずっと白人作家ばかり文学賞を受賞していた歴史がおかしいんじゃないか、とノーベル賞委員じゃなく周辺からいわれていたわけです。で、アジアからだれか受賞させたらどうかということになったとき、そもそも中国語とか日本語に堪能な文学者が希少だったんです。ということはコトバをしらない選考委員は判断の基準がなく、ある程度翻訳があるものを対象にいれ、その言葉を熟知している人間が選考委員に加わる必要があるというスイッチがなされたのです。当時サイデンステッカーなんかはある程度高齢だったのでキーンなんかに声がかかるわけです。 とはいえ西脇順三郎となると日本人でも味わうとか親しむというところで弱みがあります。すでに死んだ谷崎は惜しいとして、残っているのは川端と三島と言うことになります。年齢で考えたら三島はまだ数十年は生きそうだけど川端はうっかりすると谷崎の二の舞になるから、川端にしておこう、といううごきになったんですね。 この話も三島は聞いて知ったわけです。で当人が思うのは、価値としては自分のほうが上なんだけど、年功序列であちらにいったんだ、というあきらめかたで、「ち、あのブドウは酸っぱいや」なんです。 そうなると、いままで以上に右翼的行動をして国際的に話題になりたいという、訳の分からない欲望に駆られていったんです。 全く小さい人間だとしかいいようが有りません。
お礼
お詳しい内容に深謝いたします。 有難うございます。