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家族との時間と勉強の優先順位
- 家族との時間と自分の勉強の優先順位について考えています。家族との大切な時間や貴重な機会でも、私は自分の学業を優先しています。
- 家族からは部屋にこもっているという苦情がありますが、私の優先順位はどうしても自分の勉強に向いてしまいます。
- 親友からの誘いも断ることが多く、寂しがられることもありますが、私は自分のしたいことを制御せずに、勉強を優先するべきなのか悩んでいます。
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あなたが本当に賢い人であれば,バランスは考えて行動すべきだと思います。 親であれば,あなたのことを理解しようとしてなんとか合わせてくれるでしょうけど,すでに兄妹は不快感を示し,友人も心が離れそうになっているようです。 今は失っても良いと思っている人間関係かも知れませんが,生きていく為には最低限度の社会性を持たなくてはどんなに優れた人でも日本で生きて行くのは難しくなります。勉強したいといっても,それを活かす未来を構築できなければ,勉強は一人エッチと変わらない行為となってしまいます(酷すぎますかね)。 要するに自分が楽しいということと,それを未来に繋げることは同時並行して進めていく必要があり,そのためには社会性や人間性も自ら育てていかなければならないということです。 もちろんあなたに全くそれが無いとは思いませんし,今丁度極端に自分をおいて見ている実験中の所だと思います。おそらく振れ幅の関係でしばらくすると人恋しくなったり,親が亡くなったときにもっと話せば良かった。優しくしておけば良かったと後悔などをして,成長していくものだと思います。 自分のしたいことをする為に,今はある意味で周囲が合わせてくれている状態の部分もあります。例えば金銭面や環境面なども含めてね。今後は自分でコーディネートしていくために自分でいろいろとやっていかないといけないので,人に接しないといけませんし,そのためには付き合いや暫く勉強ができない時間すらでてきます。それでも本来したいこととする環境を作るためにみんな努力しますしやりたくないこともします。 言わば当たり前に世の中の人がしてきたことを,あなたは実感を持って気が付いて来ているとも言えます。ただあなたが今極端なだけです。 今はどちらでも良いと思います。ただそれでは限界があると言うことだけ将来に備えて知っておくのも大事ですね。
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- qwe2010
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私は、人の気持ちを優先して、行動することは多いです。 それが、自分の気持ちのための利益になるからです。 自分の気持ちを一番優先していては、周りの人は楽しくないです。 周りの人が楽しいから、自分も楽しめるのです。 学校の勉強も大事と思いますが、生きて生活していくには、人との付き合いも大事です。 人との付き合い方も知っておかないと、仕事でも、結婚して夫婦の関係もうまく築いていけません。 子供との付き合い方も必要でしょう。 いろんなことの経験、知識として大事です。
>折角の休暇で帰省したのに、自室に閉じ困って、両親や兄妹、 それに地元の友人知人との交流をしないことの是非をお聞きしたい。 (質問の背景と感想) ・ごめん勉強したいので、と断ることも多々 ⇒高校生の大学受験勉強でもあるまいし、この姿勢、少し変ですね。 少なくとも大学生の言うセリフではないと思います。 ・優先順位で勉強が優っているんです ⇒折角帰省したのですから、両親や兄妹、それに地元の友人知人との交流を 優先すべきです。 疑問を持たれるようでしたら、大学の先生に質問されたら如何ですか。 一般論を知りたくて質問致しました。 (私の意見をまとめます) 一般論でいえば、帰省した場合、両親や兄妹、それに地元の友人知人との交流を優先すべきです。 ご両親が「あなたは家族よりも自分のしたいことを優先している」と考えられているのは確かでしょう。兄妹さんからの「苦情」も当然です。 結局、何か欠けているかと言えば、思いやりです。大学の休暇は、豊かな人間性を涵養するためにあると思います。 折角、休暇に帰省したのに、両親や兄妹、それに地元の友人知人との交流を楽しめないというのは、何か大きな間違いをしているものと、大事なものが欠落していると、私は思います。 人間は、学問だけすればいいものではありません。それ以前に豊かな人間性を身に付けることです。頭は良いけど患者の前では優れた医療ができない医師がいますが、それと同じようなことです。 お兄さんから愛される弟、妹さんから愛されるお兄ちゃんになったら、いかがですか。 折角帰省してまで、自室に閉じこもって、両親や兄妹のことをないがしろにするのは、やはり大きな変で、問題です。語弊を覚悟していえば、異常だとおもいます。 私の国立大学生時代の帰省時、高校時代の友人と遊び、父親、兄貴などと良く話したものです。80数年生きてきた男
- eroero4649
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その優先している学業が、なんのための学業かですね。とりたい資格があるとか、行きたい学校があってそこにはもっと勉強しないといけないとか、あるいは何かの研究に没頭しているとか、そういうのがあるなら悪いことでもないと思います。 もし、特にこれといった理由もないけれど、太っている人が常に何かを口に入れていないと不安みたいな感じでなんとなく机に向かっているなら、学生の今のうちは特に困らないけれど社会人になったら困るということになるかもしれませんね。 その場合は、パチンコを何より優先している人とあまり変わらないからです。パチンコってのは世の中ではくだらないこととされていて、勉強は素晴らしいこととされているので同列にされることはまずないですが、結局何かに特に目的もなく没頭することで心の平安を得ているということならばその本質については同じだからです。 だからその勉強が「なんのための勉強なのか」ですね。とはいえ、「私は特に何か結果を求めて勉強している訳ではない。自分の知がどこまで高まるか、あの山の頂きの向こうを見たいだけなのだ」となってしまうともうそれは一番崇高なレベルになってしまうので「人付き合いなどという煩わしいことに囚われず、どうぞ行けるところまで行ってください」というしかなくなるのですが・笑。