西ベルリンの人たちの仕事とは?

このQ&Aのポイント
  • 西ベルリンの人たちはどのような仕事をしていたのでしょうか?
  • 西ベルリンという西ドイツの飛び地には、どのような仕事があったのか気になります。
  • 西ベルリンの人たちは東ドイツや内部の仕事に従事していたのでしょうか?
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西ベルリンの人たちの仕事

西ドイツの飛び地となっていた西ベルリンですが、西ベルリンの人たちは仕事はどうしていたのでしょうか 大学で学んだときは西ベルリンを出て東ドイツで仕事している人や、東ベルリンにまで行く人もいたが、単純に西ベルリンから東ベルリンというわけにも行かず行き(帰りだったかな?)は迂回しないといけなかった・・・ということを言われたのは覚えています。 西ベルリンの人たちは東ドイツ、もしくは内部の仕事をしていたのでしょうか。 あとその授業のとき、今では観光客はユーロを使用するが、ドイツ地元では今でもドイツマルクが使われていて、価格表にもユーロ表記とマルク表記がある。とその証拠画像も見せられて、その時はへぇーとしか思わなかったのですが、ドイツマルクは発行されていないのにそれほど深く地域に根付いているのでしょうか

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回答No.1

>西ドイツの飛び地となっていた西ベルリンですが これは、誤りですね。 西ベルリンは、西ドイツの領土ではありませんよ。 米英仏の3ヵ国占領地域です。西ドイツ政府は、全く関与していません。 1972年の米英仏ソによる4ヵ国協定でも 「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の領土でなく、またドイツ連邦共和国(東ドイツ)でもない」との合意があります。 >西ベルリンですが、西ベルリンの人たちは仕事はどうしていたのでしょうか 西ベルリンで勤務していた人もいますし、西ドイツ各地で仕事をしていた人もいました、 >西ベルリンの人たちは東ドイツ、もしくは内部の仕事をしていたのでしょうか。 西ベルリンの人が、東ベルリン・東ドイツで仕事をしていた事は(表向き)ありません。 西ベルリン勤務でない人は、飛行機・高速道路・地下鉄で西ドイツに移動していました。 どれも、東ドイツの人は利用出来ません。 >ドイツ地元では今でもドイツマルクが使われていて ドイツ中央銀行は、旧ドイツマルクの流通を原則認めていないはずです。 「原則」と言うからには、「例外」がありますよね。 実は、実は・・・。 ドイツ政府は「旧ドイツマルクのユーロへの交換期限設定をしていない」のですね。 ですから、今でも旧ドイツマルクが実質的に利用出来ます。 ドイツ人は「頑固」ですから、今でも大量のマルクが市場に残っています。 5年前の資料では「132億マルク=約67億5000万ユーロ=約6500億円」ものマルクがドイツ国内で流通しています。 まだまだ、ユーロの信用が低いのでしようね。 そもそも、経済規模が異なる国々の通貨を統一する事が失敗です。 この点を、頑固なドイツ人はマルクが安全!と考えています。^^;

abc0
質問者

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