• 締切済み

言葉で 心が傷つくか? まさか。

suiennの回答

  • suienn
  • ベストアンサー率32% (131/403)
回答No.4

あります。 人は感情の動物と言われます。 相手が何気なしに言ったことでも、聴く人によっては傷つくことがあります。 心は複雑なものです。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ あります。  ☆ はい。ご持論をじゅうにぶんに展開してください。  ★ 人は感情の動物と言われます。  ☆ 理性をそなえた動物であるとも言われます。  ★ 相手が何気なしに言ったことでも、聴く人によっては傷つくことがあります。  ☆ それは むしろ自分の心にやましいところや 恥づべき部分があったので それゆえなのではないのですか?  《人によって》とは 自分のあやまちや弱点・欠点にもとづき なおその欠落を埋めようという心がけをもって その傷のことをなお意識する。――のでは?  つまり 《言葉によって》ではなく その言葉が醸し出した意味合いをめぐって そこに自分の知っている自分自身の弱点だと思っている部分を思い起こし それについて恥ぢつつ悔いつつ なおわが心が傷ついた。――のではないですか?  ★ 心は複雑なものです。  ☆ でも それが傷つくのは けっきょくおのれのあやまちによってであって 相手が何を言おうと その言葉そのものによって 心が落ち込むということは ないはずです。ちがいましょうか?

関連するQ&A

  • 他人の言葉で 自分の心が傷つくか?

     1. あり得ないのではないだろうか。  2. あらためて問います。  というのは 他人の心の状態を――ミラーニューロン現象のように――わが身に帯びて しかもその相手の人生ないし思想を見守るがごとく〔主観的にですが〕引き受けるというとき じつはその相手と同じような心の傷を引き継いだ状態になることはあると考えられるからです。  3. 《すべての人に対して――こちらはまったく自由人であるとき それと同時に――それぞれ相手の人と同じようになる》ことはあり得るからです。その相手の問題をともに〔ただしむろん主観的にだけです〕解決する方向にわが身を置くということ。  4. そのような場合 わが身もわが心もあたかも傷ついたような状態になる。ことはあり得る。  けれども 相手が述べたイツハリの言葉はむろんのこと真実を伝える言葉であっても その言葉でこちらが傷つくということはあり得ない。  ――この命題を提出し 成否・当否を問います。    *  5. おのれのやましさ〔なる心とその行為〕によるよりほかに 自分の心が落としめられたり傷ついたりすることは あり得ないと考えられる。マチガイを侵さないのに どうして心が沈むのか。  6. この質疑応答の場でも やり取りの中で 相手の言葉づかいが原因で傷つき ついに退会したといった議論が聞かれます。  おのれの心のやましさによるのでないなら どうして傷つくことがあるだろうか。  7. 情況が自分にとって必ずしも良くはないときにさらにその思いを必要以上に噛みしめねばならなくさせるような酷い言葉やののしりの言葉などを聞けば まづひとはおどろく。    8. しかも きよらかなおそれをつねに持つひとは ひとたびはおのれの身の振る舞いについて返り見ることをおこなう。心に――その心なる海のおもてに――波風が立ちそのような一時的・心理的なゆらめきさえを覚える。  9. けれども 心がやましくなければ 心が傷つくなどということは あり得ない。  せいぜい 相手がまだ人間における心の深さに気づかずその高みにも到っていないことをおもんぱかり 何とか助けにでもなれないものかと心をいためるのみである。  10. もし傷ついて去って行ったとするなら それは そのひと自身のあやまちであるしかない。おのれの心にやましいところがあったからである。  11. 精神が傷つくことはあり得ない。  心なる海の上に波風が立つのみ。  深く傷つくのは 自業自得のみ。

  • 他人の言葉で 心が傷つくか?

     あり得ないのではないだろうか。  おのれのやましさ〔なる行為〕によるよりほかに 心が落としめられたり傷ついたりすることは あり得ないと考えられる。マチガイを侵さないのに どうして心が沈むのか。  この質疑応答の場でも やり取りの中で 相手の言葉づかいが元で傷つき ついに退会したといった議論が聞かれます。  おのれの心のやましさによるのでないなら どうして傷つくことがあるだろうか。  情況が自分にとって必ずしも良くはないときにさらにその思いを必要以上に噛みしめねばならなくさせるような酷い言葉やののしりの言葉などを聞けば まづひとはおどろく。しかも きよらかなおそれをつねに持つひとは ひとたびはおのれの身の振る舞いについて返り見ることをおこなう。心に――その心なる海のおもてに――波風が立ちそのような一時的・心理的なゆらめきさえを覚える。  けれども 心にやましくなければ 心が傷つくなどということは あり得ない。  せいぜい 相手がまだ人間における心の深さに気づかずその高みにも到っていないことをおもんぱかり 何とか助けにでもなれないものかと心をいためるのみである。  もし傷ついて去って行ったとするなら それは そのひとのあやまちであるしかない。おのれの心にやましいところがあったからである。  精神が傷つくことはあり得ない。  心なる海の上に波風が立つのみ。  成否・当否を問います。どうでしょう。

  • ささいな言葉に負けない強い心が欲しい。

    後ろからジワジワ襲いかかってくる抑うつ状態を蹴り飛ばしてやろうと、今、いろんな人の手と心をかりて、生きやすい生き方を探しているものです。 人間だから、そう簡単には変われませんがね、でも少しだけ楽に生きたくて。 人のさりげない言葉を受け不安やそうじゃないよぉ~ってなる時、どのように切り替えのスイッチを入れればよいのでしょうか?相手にちゃんと心を伝えながらも自分が苦しくならない方法はありますでしょうか?そんな方法はなし?やり方が解らなくて困ってます。 自分の心の弱さ、幼さをズバリ指摘された時、抵抗せずに心に入れる方法しりませんか? ひとつひとつ意識してみると解らない事だらけで焦ります… そもそも、人に聞いて解ることではないのかも?っと思いつつ聞いてる自分が変…なんだろう私? あたま混乱中で質問しててごめんなさい。

  • 母のきつい言葉に心が折れてしまいました

    私は、言葉を常日頃から大切に使うように心がけています。 母から、言葉にトゲを持つ言葉を頂きますと、どうしていいかわからず、まずその場に居られなくなり、逃げます、そして、こちらから心を開き、「いつも有り難うございます。」と言っても無視をされ、今度はトゲトゲした行動をおこされます。耐えきれず、すがる思いで本を読んだり、お経をあげたり、膝を抱えて暗いところで心を閉ざして泣きます。 家族、私の場合は実の母ですけれども、彼女の言葉で心が折れてしまった時は、自分自身を守るのに精一杯ですけれども、心を開く努力は続けなければと思いますけれども、それは時が解決してくれるものなのでしょうか。 よろしくお願いいたします。有り難うございます。

  • こころは 果たして存在するか

     ハートやヘルツやカール( coeur < cor )は 偶然 音が一致しているみたいなのですが 果たして《こころ》はあるのか? こころとは 一体何ぞや? を問います。  たとえば イヌの嗅覚が発達しているとかコウモリが高感度のセンサーを持っているとかいうとき  これらの感覚も大きくは 《こころ》に入ると思われます。  その感覚の器官は 言ってみれば《身》ですが そこで知覚した内容はすでに《感じ》として心をかたちづくります。  感じが認識されれば 《獲物がいた! 探しているものが見つかった!》という概念内容になります。イヌやコウモリ(かはぼり=川守?)が言葉を使っているとは思いませんが 行動のための情報を得ているのでしょう。  盲導犬が 危険を察知して停止することは 大きく心にかかわる方向へ向かっていると考えるのですが では犬は そこで《考える》か? 何かを考えるか? その人間に停止信号をつたえて あとは 危険をよけ それが去って行くのを見守っているだけか?  コウモリは センサーで獲物を見つけたなら あとはそれへと向かうという行動をするのみか? 考えることは無いか? あるのか?  ところがここでわたしが――分からないながら――わざわざ《こころ》論を始めたのは わたしは 《動物のこころは 身における感覚器官のはたらきの問題に還元される》と思うその内容を あろうことか 人間にも当てはめて見ようと思っている妄想があるからです。その思いが くすぶっているからです。  イヌが飼い主にかわいがられて 嬉しがったりするときにも それは 身における感覚器官のはたらきでありその延長であるという見方です。それを 人間の心にも当てはめようというコンタンが ちょっぴりあるからです。  ぎゃくに言うと 親しい人の死はかなしい。心がゆさぶられえぐり取られるようにさえ思う。  ところが 《かなしい》というのは 何ごともしかねる(つまり 出来ない)思いだと言っているのであって つまり:   いむ(忌む) > いまいまし(忌みたい気持ちだ)   をく(招く) > をかし(情がかよって招き寄せたい気になる)   ゆく(行く) > ゆかし(行って寄り添いたい気持ちだ。床しい)   かぬ(漢字なし) > かなし(何も出来かねる思いだ。哀・悲)  というように表現しているのであって これらの《こころ》はほとんどみな じつは《身》とそのウゴキ(行動)にかかわる内容を言っている。身にかかわる中身のことしか言っていない。  《忌み》とは その場やものが神々しかったりあるい逆にシカバネのごとく汚かったりするとき触れがたいとか触れたくないとかという気持ちを表わしている。触れるか触れないかの身のウゴキの問題なのである。  これらの身の振る舞いを表わすコトが 《こころ》の問題であると考えられる側面がある。おそらくこれはつねにあると思われる。  わらふ(笑う)にしても ゑむ(笑む)にしても 顔の表面における変化を言っている。ゑくぼ(笑窪)とも言うように 顔がほころび頬にくぼみが生じることを言っている。わらふは 顔がくぼむだけではなく 割れるのである。  (-ふ はこの場合 反復や継続の相か。あるいは 割り合ふの約で 顔の筋肉相互の相か。ゑぐる(抉る)やわく・わかれ(分く・別れ)とも言うように どうも子音の / w / が ひとつのモノの分割・分裂の相を指し示しているようなのです)。    昨今では クオリアといったことも言われて来ていますが:  ○ こころは あるか?   ○ 《こころ》とは 何ぞや?  お考えをどうぞ。

  • 引きずるほど心に残る、別れの言葉・感謝の言葉

    恋愛してて、その相手と別れになったとき、 相手から受けた言葉で、その人を引きずるほど後悔させられた言葉があったとしたら、それはどんな内容ですか? 例えば、 別れを決意して、別れてしまった後に貰った手紙やメールなどで 自分がいかに    悪かったか、    小さい人間だったか、    自分本位だったか、    どんなにその相手に思われていたのか、    どんなに相手の存在が大きかったか、 とか、 感動するほどの感謝の気持ちが書かれた文章で忘れられないものなど、 何でも構いませんので教えてください。 自分の心を磨く為に多くの意見が聞きたいのでどうか、よろしくお願いします。

  • 怒ると言葉が出なくなってしまう・・・この性格を直したい

    私は怒ったりして感情が高ぶってしまうと 言葉を発せなくなってしまいます。 考えがまとまらなくなるというのもあるのですが、 そういう状態でしゃべろうとすると涙が出てしまうため、 話すに話せなくなってしまうのです。 そういう状態のとき、自分の思いを伝えられず、 いわば相手のことを「無視」してしまう状態になって しまうので、話し合ったりして解決策を見出す、という こともできず、物別れになってしまうこともしばしばです。 それによって壊れてしまった人間関係も数多くあります。 上記のような状態になっているとき、心の中では 怒っている理由を言いたいけど言えずに悶々としている自分がいます。 こんなことをしても、相手を訳もわからず不快にさせるだけだし、 自分にも何のプラスにならないし、後で自己嫌悪に陥ると言うことが わかっているのに。でも言葉を出せなくて。 怒ったとき、きちんと自分の考えを言える人がうらやましいです。 私もせめて、怒ったときに人を不快にさせることがないような対応ができるように なりたいです。 どうすれば克服できるのでしょうか。

  • 言っていることは正しいけどまるで心に響かない言葉

    タイトルのとおりですが 相手の言っていることは正しい、間違っていないんだけども まるで心に響かない言葉を教えてください。 私の場合たくさんありますが ・職場でタバコ吸う人の「お前何サボってる」 ・挫折を知らない人の「落ち込むなよ、次があるさ」 とかこんな感じですね。

  • 「心が折れる」という言葉について

     「心が折れる」とは苦難や逆境などがきっかけとなり,その人を支えていた強い精神力が,あっという間になくなってしまうこと、を言いますが、この言葉は通常の国語辞典には掲載されておらず、gooの新語辞典で掲載されているのが分かりました。  この言葉、いつ頃から使われるようになったのか、あるいは誰が使い始めたのか、あるいは語源など、ご存じの方、お教え下さい。よろしくお願い致します。

  • 汚い・醜いことばと思うのは?

    言霊という言葉があるように、言葉は大切なものだと 心から思うようになりました。 操ることばが 適切でなかったり、きたなかったりすると誤解されたり、人を傷つけてしまうことを身をもって経験してきました。人間関係がうまくいくためには、やはり言葉が大切だと思います。 美しい、やさしい言葉で会話をしたいと思い、本を読んだりしていますが、なかなか身につかず、苦労しています。 そこで、質問なのですが、「こういう言葉は使わないようにしている。」といった、言葉があったら教えていただけませんか? 例えば、私は「やつ」「あいつ」は汚いから、「でも~」「だって~」につづく言葉は、言い訳や責任の擦りつけだから言わないでおこうと思うことにしています。 よろしく お願いします。