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イスラム教で女性劣位を起源にした論拠について

イスラム教ついて調べています。なぜ女性は経典で低く規定されてしまったのでしょうか。女性の地位が経典「コーラン」「ハディース」で述べられていることはわかりります。ただ、それを根拠とする理由が歴史的な理由という曖昧な論拠しかなく、宗教哲学・法哲学にみてその経典の起源がなんなのかを知りたいです。 よろしければ直近の研究論文資料や参考文献をご教示いただけると助かります。

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回答No.1

>宗教哲学・法哲学にみてその経典の起源がなんなのかを知りたいです。 イスラム社会というのは近代法よりもイスラム法(シャリーア)が優先されます。 イスラム法(シャリーア)というのはイメージとして、中核にコーランがありその周辺にマホメットの言行録であるハディースがありその周辺にイスラム法(シャリーア)があります。 イスラム法はアッラーを信じる者はいかに生きていいくべきかという観点から作られていて日常の箸の上げ下ろしのようなことまで細か規定されています。 この三者が一体になって運営されているのがイスラム社会です。 イスラム法に疑念があればハディースに立ち返りそれで解決がつかなければコーランに立ち返ります。 マホメットが生存中はコーランに疑義があっても問い質すことができました。 マホメット亡き後はこれができなくなりこの探求を行うウラマー(イスラム法学者)とされる知識人が生まれました。 イスラムでは聖俗の区別がありませんのでウラマーも聖職者ではなく一般の志井の人です。 現在はこのウラマーによる解釈が地域や国家で異なっています。 個々の聖典が独立して運用されることはありません。 つまり準拠する経典の起源のようなものはありません。 ISのような過激派は過激派なりに解釈して自分達の社会を運営しています。 過激派を除いて女性が社会で行動する際に最も規制が多く厳しいのがサウジアラビアです。 インドネシアやトルコは近代法も取り入れていて女性に対する規制は余りありません。 イランは元々ペルシャ人で人種も異なることもあり独自の解釈をしています。 イスラエルにもイスラム教徒が生活していますが特段女性蔑視の習慣は残っていません。 シナイ半島には現在でもヴェドインと呼ばれる放牧人が暮らしています。 イスラム教徒ですが古代からの血族主義が色濃く残っています。 これに対してマホメット自身がアラブ人の商人であったことが大きく影響しています。 つまりなぜかというのは経典によるものではなく各集団ごとの独特の文化が影響しています。 文化が影響していることは各国や地域の歴史が大きく影響しています。 イスラムだからということだけではかたずかないのがイスラム社会です。 >よろしければ直近の研究論文資料や参考文献をご教示いただけると助かります。 イスラーム生誕 井筒俊彦著 人文書院出版 というのがあります。 同じ著者でコーランを読む 岩波現代文庫がありますが修辞学に基づいて書かれていて多少読みにくいかと思います。 ただイスラム社会でコーランが持つ意味を理解する助けにはなります。

ligerliger226
質問者

お礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。 また、参考文献も活用させて頂きます。

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