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イスラム教の神とキリスト教の神は同じではないのか?

宗教のことは何も知れないのですが、歴史的にも同じ宗教から出てきていると聞いたことがあります。同じ神のもとに生きているのならなぜ争うのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu2
  • ベストアンサー率35% (271/774)
回答No.5

同じだから争う、ということもあります。 事実、キリスト教内でも、カトリックとプロテスタントは 血みどろの戦争を30年も続けました。 争うのは、考え方が違うからではありません。 信者が減るからです。 信者が減ると、経済的にも貧しくなるし、権力も 弱くなります。 同じ宗教だから、ゼロサムゲームみたいに、こっちが 得すれあ、あっちが損する、という関係になるのです。 だから争うのです。 プロテスタントの登場で、信者を減らしたカトリックは 新たな信者を求めて外国に布教します。 これが大航海時代です。 だから西洋以外のキリスト教はカトリックが多いのです。 戦国時代に来日したイエズス会もカトリックでした。 このように、宗教にとって信者の多寡は最も大切な 問題なのです。

kaitara1
質問者

お礼

やはり神をそっちのけでお金のことになっているのでしょうか。

その他の回答 (4)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10494/33001)
回答No.4

おっしゃる通りです。一神教というのは「この世には唯一絶対の神が存在し、それ以外はすべてニセモンだ」とするものなのです。 ですから、一神教の宗教であるユダヤ教がヤハウェと呼んでいるお方、キリスト教がゴッドと呼んでいるお方、イスラム教がアッラーと呼んでいるお方は全て同じお方になります。 なぜ同じ神様を信仰しているのに争うのかというと、成立の仕方がそれぞれに違うからです。 元々ユダヤ教が今のイスラエルの辺りにあり、そのユダヤ教のラビ(教師)だったイエスという人が全く新しい教えをしました。それは何かというと「愛」だったのです。 それまでのユダヤ教では、神というのは恐ろしい存在でした。その象徴が自分のいうことを聞かずに堕落したソドムとゴモラという町をメテオストームで焼き尽くしたことです。世界を水没させたこともあり、そんときはノアという人に「お前、俺のお気に入りだからお前だけは助けてやんよ」と教えました。とにかくユダヤ教にとっては神様というのは「いうことを聞かないと皆殺しにする怖ろしい存在」でもあったのです。 そこにイエスは「違うんだよ。神様ってお前たちのことを愛しているんだよ」と教えて回ったのです。この画期的な教えは大ブームを起こしましたがそれが返って危険視されてイエスはそのユダヤ教によって処刑されてしまいました。イエスはあくまでユダヤ教の教えの中で愛を説いたのですが、イエスの死後にパウロという弟子が「イエスは救世主(メシア・あるいはキリスト)だったのだ!」と言い出してキリスト教が誕生しました。 イスラム教は、メッカという町でムハンマドというおっさんがお祈りを捧げていたらそこに大天使ガブリエルがやってきて「おめでとう。君が預言者だ。神様の教えを説きなさい」といわれたことで始まりました。 ムハンマドが他の預言者と違うのは、他の預言者はみな割と純粋に宗教家だったのに対して、ムハンマドは予言者であると共に政治的リーダーであり軍事的リーダーでもあったことです。ここらへんはアジア人の我々にはちょっと理解しがたいところですが、こういうキャラクターが中東あたりでは心を掴むらしく、その教えは中東を中心に広く広がりました。 なので、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も旧約聖書は経典として使っています。ただキリスト教においては新約聖書が最も重要な経典であり、イスラム教においてはコーランが最も重要な経典なのです。ユダヤ教はイエスもムハンマドも「自称預言者」ということで、相手にしていません。 宗教というのは、内部で解釈を巡って争うほうがむしろ憎悪が増すという特徴がありますね。近親憎悪というか、やっぱり家族同士で揉めるほうが根深いじゃないですか。 キリスト教はカトリックとプロテスタントでごく最近までお互い強く憎しみあっていました。そもそもプロテスタントとは「抵抗する」という意味のプロテストからきていますし、そのプロテスタントが何に対して抵抗していたのかというと、それはカトリックに対してでした。カトリックとプロテスタントの和解は、なんとヨハネ・パウロ二世になるまで行われませんでした。しかし日本人から見ると平和と融和の人であるヨハネ・パウロ二世は原理主義的なカトリック信者にとっては裏切り者以外の何物でなく、この人ほど暗殺未遂事件が多かった教皇もなかなかいなかったと思います。 イスラム教も、シーア派とスンニ派が対立しているという話は有名ですね。ユダヤ教も分母が少ないので表立った対立はあまりありませんが、イエスの時代にはパリサイ派とサドカイ派に分かれての対立がありました。仏教も、一神教に近い日蓮宗は日蓮正宗と創価学会が骨肉の争いをしています。

kaitara1
質問者

お礼

争っていられるのは神に背を向けているからかと思います。

  • fumuslover
  • ベストアンサー率25% (1031/4001)
回答No.3

元は同じと言われていますよね。 アッラーとエホバでしたっけ?

kaitara1
質問者

お礼

争っているのはお金のためかとも思います。

回答No.2

実際のオリジナル書物は一緒です。 しかしそれをどう捕らえるかにより話が変わってきて、最終的には聖書とクラン等になり、更に読む人の解釈によって更に変わっていく。結果神の姿と信じる内容は宗教によって変わってしまいました。 大本が一緒なのにこんなに争うのは本当におかしいですよね。

kaitara1
質問者

お礼

本や解釈の前に神そのものに対する信頼のようなものがあるのではないでしょうか。いつの間にか神に背を向けて人間があたかも神になったような状況なのかなと思います。

noname#255857
noname#255857
回答No.1

人間が愚かだからです。 宗教とは得てして愚かな人間のせいでダメな存在になります。

kaitara1
質問者

お礼

愚かだとしても神を信じているのですね。

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