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御師が廃止された理由はボッタクリのせい?

江戸時代には、お伊勢参りが大ブームで、 御師はその案内役でしたが、明治になると御師は廃止されました。 よいものなら存続していたであろうと思います。 廃止されたということは、なにか問題があったのでしょうか? もしかして、庶民はつけない裃をつけて幻惑したり、あとでオプション料金がいろいろ積みあがって高い請求がきたり、ボッタクリだったとかかな。

noname#226098
noname#226098
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  • oska2
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回答No.1

>御師はその案内役でしたが、明治になると御師は廃止されました。 その通りで、明治4年に「御師廃止令」がでて約800人の御師が失業しました。 >よいものなら存続していたであろうと思います。 庶民にとっては、参拝に関して全てを行ってくれる御師は便利なシステムでした。 今で言う、旅行会社兼先達ですからね。 >廃止されたということは、なにか問題があったのでしょうか? 天皇中心の国家を目指す明治政府では「国家神道」の関係で不都合があります。 国家・天皇制に関しては、良い制度ではありません。 「天皇=天照の子孫=現人神」ですから、国家が管理する神道。特に神宮(伊勢神宮)を神聖化するには御師の存在は害になります。 御師は、神宮のお札を販売したり暦を(全国各地で)販売しますからね。 宗教統制が、不可能になります。 >もしかして、庶民はつけない裃をつけて幻惑したり、あとでオプション料金がいろいろ積みあがって高い請求がきたり、ボッタクリだったとかかな。 庶民は、喜んでいたのです。 今の旅行会社と先達が、御師ですからね。 交通手段・宿・参拝方法(儀礼)など、全てを任せる事が出来るのです。 先に書いた通り、約800件もの御師が存在していました。 ぼったくりなんかをすれば、一気に信用を失い「ご先祖様に申し訳ない事態」に陥ります。 御師は、代々世襲制なんです。 あくまで、明治政府の政策の結果です。

noname#226098
質問者

お礼

ご回答をありがとうございます。 もともとが造営費用などまかなうためだとか、武士ではないのに武士みたいな恰好をしたりして、御師というのは、相当にウサンクサイなー、相当に胡散臭いと感じているのです。

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  • kifimi
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回答No.2

質問者さんが御師をうさんくさいと感じるのは、お伊勢参りのブームが来て御師が全盛期だった時代のイメージを持っているからかもしれませんね。 お伊勢参りブームが来る前の伊勢神宮は、結構ひどい有様だった時代が長く続いていました。まあ、鎌倉時代以降は皇室の力も衰え始めていますし、都から伊勢に派遣される斎宮も途絶えて久しく、皇室ゆかりの神宮と言っても、だいぶほったらかしにされていたわけです。 神宮の神職はそれを何とかしないと、式年遷宮の費用もまかなえませんから、必死で「顧客獲得」に奔走するわけです。御師の存在も、その一つです。 言ってみれば、本来のパトロンからの寄付がほとんどないので、頑張って新規顧客を自力開拓するべく、「公認旅行代理店&添乗員」として御師を各地に派遣。それがヒットして、お伊勢参りが大ブームに。 ところが明治になって、政府が国家神道プロジェクトの一環として伊勢神宮を直接管理することになって、そうなると、「公認旅行代理店」=御師の存在は政府にとっては邪魔でしかないわけです。 要は、明治政府が伊勢神宮を支配下に置くために、何百年も世襲で続く既得権益(=御師)を排除したかった、ということです。 江戸時代のお伊勢参りは、一生に一度、というようなものですから、40年くらい前の海外旅行のように、思い切って大枚はたいて、ということをした人も少なくないでしょう。お伊勢参りの旅人は、大枚をはたいたとしてもボッタクリではなく、費用相当分の豪華な接待を受けていたようですよ。 なお、伊勢神宮の御師は下級神官という位置づけですが、江戸時代、神職は武士階級と同等の扱いをされています。ですので、御師が武士のような服装をしていても、不思議はないでしょう。

noname#226098
質問者

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ご回答をありがとうございます。

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