• ベストアンサー

日本人って仏教徒だよね?

qwe2010の回答

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2153/10922)
回答No.7

法事で、お寺にお金を持っていく人は、日本人全員の何%か知っていて、こんな質問をしているのでしょうか? 10%もいないでしょうね。 それなのに、あたかも、日本人全員が仏教徒なんて? (数時間の法事で数万~円払うのはその人が信者だから以外ありえません) あなたがたてた、仮説ですね。 少ない情報でたてた仮説のようで、間違っていますよ。

関連するQ&A

  • 仏教徒はキリスト教徒ユダヤ教徒とどう付き合うべき?

    宗教戦争に仏教徒は、基本的に外野で無関係ですが、キリスト、ユダヤ連合に加担すれば、イスラム教徒の報復を受けることを今回、学びました。仏教徒の日本人が進むべき道を宗教にお詳しい方、是非ご教授ください。

  • 日本における仏教の将来は?

    縁あってカトリックの洗礼を受けていますが、仏教はじめ宗教全般にも親近感を感じている者です。 本日、私は、ある仏教団体の主催する講演会に行ってきました。大変面白く、ためになりましたが、周りを見渡すと、お坊さんを除いた一般の観衆の中では、50代の私でさえ、若く感じられた方で、かなり年配のいかにも「仏教徒」という感じの方ばかりで、若い人の姿はほとんどみかけませんでした。 仏教には、今若い一般信徒はあまりいないのでしょうか? (仏教には、キリスト教の「洗礼」のように入信の儀式がなく、「仏教徒」かどうかの定義は難しいと思いますが、一体、日頃からお寺に出入りされているような、真の「仏教徒」はどの位おられるのでしょうか?) そして、その年齢構成はやはり老>若なのでしょうか? 一般のお寺は、葬式以外に、信徒、具体的には檀家とどのようにおつきあいをし、お寺への誘致活動を行っているのでしょうか? (キリスト教のように、毎日曜日のミサ・礼拝などの定期的イベントを持っているようには見えないのですが、どのような信徒(檀家)特に若者を対象とした活動を行っているのでしょうか?)  「創価学会」、「立正佼成会」、「真如苑」などの仏教系の新宗教と比べても、組織的活動が希薄で、葬式の世話などだけでは、今後、信徒(檀家)も増えず、先細りだと思うのですが、仏教界は危機意識を持っていないのでしょうか? 尚、このサイトにも「宗教」関係の質問をする適当なカテがなく、せいぜい近いのは「哲学」か「その他カルチャー」位しかないのは、日本で如何に宗教が軽んじられ、うさんくさがられているかの証明のような気がします。宗教は人間の生き方を考え、心の浄化を助けるためになくてはならないものだと思います。歴史上「宗教」を「錦の御旗」に掲げて世界侵略を進めたり、今でも宗教・民族間の戦争が絶えないのは、全く本末転倒なことだと思いますが、近年は「宗教」の名を騙って世の中に危害をもたらすカルト団体も後を絶たず、宗教が人を惑わす危険なもの、というだけの印象しか与えていないのは誠に残念なことだと思います。 一体、仏教はこのような現代にあって、社会のニーズにあまり応えることのできない弱小宗教なのでしょうか? 僧職におありの方、我こそは「仏教徒」と任じておられる方、葬式しかつきあいのない一般の皆さん、他宗教の信者の方、宗教に懐疑的な方など、広くご意見をお願いします。

  • 私は仏教徒ですか?

    自分では仏教徒のつもりはありませんが、家に仏壇がありますし、いただきますもします。 世界に宗教を持たない人はいるのでしょうか?

  • 攻撃的仏教徒ってどう思います?

    最近教えてgooの哲学のカテゴリーをのぞくようになったのですが、攻撃的仏教徒の多さにびっくりしています。 経典を読んだり、参考書を読んだりしてたくさん勉強なさったんでしょう。でも仏教徒として、他人のあら捜しではなく、自分の煩悩をみつめ、ここに書き込みをして自らの知識を誇り、優越感にひたる自分を見つめるのが先ではなかろうか、とふと思います。 もちろん相手のことを考え慈悲に満ちた回答をなさっているかたも多いです。 一方で悟ってもいないのに、あたかも悟った人のように、真理をその手にしているように説教するかたも見受けられるように思います。 皆様、よくみかける攻撃的仏教徒についていかに思われますか? 「敵を愛する」ってのが根本教義の一つなのに、なんで長々と宗教戦争やったんだ、というキリスト教とかもそうで、宗教の攻撃性、排他性みたいなのは人間の愚かさの一つですかね? ちなみに私は仏教徒でもキリスト教徒でもありません。

  • 仏教徒と宗教戦争、テロ

    世界各地でイスラム教徒対キリスト教徒やユダヤ教徒の紛争が起きています。 イスラム教徒が自爆テロをしたというニュースも頻繁に聞きます。 仏教徒の宗教対立とかテロって聞いたことがない気がするのですが、世界史上はどうなのでしょうか? 日本でも一向一揆などはありますが、あれは宗教同士の対立ではなくて、宗教対為政者ですよね。 そうではなく、仏教徒対他宗教の対立や紛争はある(あった)のでしょうか? もちろん、現在の宗教対立には政治や領土などの問題も絡んではいますが、私には「政治的な利益」と同じくらいかそれ以上にそれぞれの「信仰」ということに重きをおいて戦っているように思えます。 そのような「信仰のため」に仏教徒が行った戦争はあったのでしょうか? 世界史はほとんど勉強したことがないので、詳しい方教えてください。

  • にわか仏教徒

    義理の父が亡くなるまで、仏壇のない家でした。 結婚式は教会、お正月は神社に初詣、お寺に行くのはお彼岸だけ、という家でした。 しかし、義理の父が亡くなってから、仏事に明け暮れるようになりました。 お墓を新しく購入しましたので、今までは何の縁もゆかりもないお寺ですし、宗派です。 大事な人を亡くした義理の母の心のうちを考えれば、当然のこととも思えますが、毎日お線香をあげる生活に、違和感を感じます。 正直な話、私は仏壇が苦手です。 菊の花も苦手です。 仏様にお供え物を上げるときの、あの小さい食器も苦手です。 お線香の匂いも、苦手です。 お寺も、苦手です。 お経を上げてもらうと、ありがたい気もしますが、基本的には苦手です。 当の義理の母も、仏壇の前に座っていると気がめいる、と言って、リビングに義理の父の写真を飾って、そちらにもお茶をあげています。 大切な人の死を受け入れ、乗り越えていく為には、宗教や、色々な行事が必要なのはわかるのですが、今まで宗教と無縁だったせいか、どうしても違和感を感じずにはいられません。 リビングや、食卓に、亡くなった大事な人の写真を飾り、好きなお花を飾り、好きだった食べ物をあげるのでは、やはり亡くなった人は浮かばれないのでしょうか? 宗教的な意味合いではなく、節目節目で、親しい人やゆかりのある方で、故人を偲ぶお食事会を開いたりするのではダメなのでしょうか? 義理の仲だからそんな事が言えるのだ、と言われそうで、身近な人には私の本心は言えません。 私のようなにわか仏教徒の方、また、小さい頃から仏事に慣れ親しんでいる方、仏教以外の宗教を信仰していらっしゃる方、いろいろな方からご意見うかがいたいと思っています。 よろしくお願いします。

  • 日本宗教の実態に驚いた。

    日本宗教の実態に驚いた。 まずは下記の数値を見て頂きたい。 日本の宗教人口の現状は古代仏教の総信者より新興宗教の総信者の方がすでに100万人ほど上回っている。 そして日本で1番信者が多い宗派はすでに浄土真宗より創価学会の方が400万人も上回って創価学会が飛び抜けて多い。 日本の家にはお墓があるが古代仏教と新興宗教を合わせても6749万人しか宗教を信仰していない。 あとはキリスト教徒とイスラム教徒だが、日本のキリスト教徒信者は多くて300万人である。イスラム教徒は多くても20万人で合わせて320万人を足したとして7069万人。 日本の総人口は1億2800万人なのに7069万人しかいない。 宗派がない人口は5731万人いる。 5731万人はお墓もないのだろうか? 無宗教という人もいるが死んだら家のお墓に入り戒名を貰い埋葬されるはず。 5731万人は子供としても子供は親の宗派に自動的にカウントされるのでこの5731万人は死んでもお墓を作らないのだろうか? この人たちは何なんでしょう。 古代仏教 3310万人(宗派別1位 浄土真宗 700万人) 新興宗教 3439万人 (宗派別1位 創価学会 1100万人) (宗派別2位 幸福の科学 880万人)

  • 仏教徒、キリスト教徒、中国地方のある新興宗教の信者の方に質問したい。

    その宗教の教えがすばらしい、もしくは信者にすばらしい方がいるということでその宗教に関心を持つ人が現れる。よくあることかと思います。 関心を持った人はよく知りたいと思い、信者の方にさまざまな質問をします。 教えについて質問している間は何の問題もありません。 お釈迦様がどのようなことを言ったか、イエス様がなんと言ったかを上機嫌で説明してくださることでしょう。 問題は、信者の方のことを知りたいと思ったときです。 こちらの質問は、その教えの解釈の仕方や信者の考え方でおかしく見えて仕方のないものを信者の人たちはどう考えているか、という、相手には自分達への非難ととられることだったりします。 また、本当に天国なんて信じているのか、といった、信者にとっては野暮でうんざりするような質問になることもあります。 まず、中国地方の新興宗教(トラウマがあるので実名を挙げるのは気が進みません。心当たりのある方はお答えください)の方、より詳しく知ろうとして「あなた達のここはおかしいですね、あなたはどう思いますか、」といった質問をするのは迷惑でしょうか? 仏教徒とキリスト教徒の方、あなた方もすばらしい教えをたくさん知っているだけに関心をもたれることも多いかと思います。 しかし質問するとき、信者の考えを知るための質問はしても大丈夫でしょうか?すでに考えるのをやめて信じきっている人間にとって、考え疑う者の質問はうっとおしいものになるでしょう。どの程度まで我慢してもらえるものでしょうか? それまで自分に寛容だった人の顔が質問を聴いた瞬間に突然曇る。これは、何の信者でもない人間にとってはかなりの恐怖です。

  • 異教徒が仏教の法事で読経しないのをどう思いますか?

    日本人は無宗教だとよく耳にします。 無宗教というより、神仏習合に見るように、こだわらない、のかな? それが良い時もあれば悪い時もあるように思いますが、 一般的な、結婚式は教会で、初詣は神社に、葬式は寺でという日本人から見て、 異教徒が仏教の法事で読経しないというのはどういう風に映るのでしょうか? *例えばクリスチャンは、仏教の法事に参列はします。 お焼香もしますし、合掌もします(中にはしない人もいるようですが)。 けれども、真言宗のように一族が声をそろえて読経する際に、そこまではしません。 宗教に詳しい方の意見を求める質問ではありません。 あくまで一般的な日本人から見ての意見を募りたいのでアンケートとしました。

  • 仏教の法要について(日本と他の仏教国は違う?)

    人が亡くなると、通夜、葬儀、 四十九日、初盆、 一周忌、三回忌・・・・と法要が行われますが、 一周忌以降の法要の意味は?と常々疑問がありました。 もちろん、法事は身内が集まって故人を偲ぶ場、コミニケーションの場としてはいいでしょうし、 故人を偲ぶ心、先祖を思う感謝する心は大切にしたいとは考えますが、 故人と最も血の繋がりのある方が高齢で病気や障害を抱えると、結局その子供たちが大変な思いをして、遠方から同伴して来たり、故人との繋がりの濃い人は皆亡くなっている・・という様子をみると、そもそも、四十九日以降「宗教行事として」「法事を行う」「僧侶を招いてお経を唱えて頂く」という事が必要なのか?と思うのです。 そんな折、知人から「日本以外の仏教国では、法事を行うのは四十九日まで。それ以降一周忌、3回忌・・と法要を行うのは日本だけの事で、それは日本の仏教界、お寺の都合。」と聞きました。 本当のところ、実際はどうなのでしょう?  どうぞご教示よろしくお願いいたします。