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日本社会の病いを突き抜けて未来社会へ

 たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであると。  この展望と処方箋を添削しつつ完成させてください。そういう問いです。

みんなの回答

noname#219206
noname#219206
回答No.2

何かこれで決まりだというふうに捉えるよりも ここはこう そこはそうというふうに 個々の課題を捉えてその議論を固めつつすすんで行ったほうがよくはないか。こう考えるのですが。」←一問多答で 質問者が どの回答を正解だと見分けれるの? 自分の理解出来る範囲しか正解答に ならないのだから 本当の事を書いたとて それを選ぶかどうかは判らない・・ ならば 質問者の理解出来る範囲に留めた回答をするしか無いのが こういったサイトの欠点・・

bragelonne
質問者

補足

 意味を成しません。  そのように俯瞰しても何の意義も出て来ません。

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noname#219149
noname#219149
回答No.1

イエスが あなたの この質問文の様に 言ってたら キリスト教って 出来てたのだろーか?・・ あなたは こういった事をイエスが言った場合 イエスを信じて ついて行く事が出来ますか? 俺なら 神自身が そう言っても ついて行かない・・

bragelonne
質問者

お礼

 そうですね。ここは 社会力学――世間のシガラミ論――に集中していますし 経験思想として論じています。  そういう意味では 神の問題を出されても にわかに これこれこうですよというふうには答え難いですね。  ご回答をありがとうございます。  そうですね。  文章の全体観について論評するのもいいでしょうが 個々の主題や問題についてもご自身の見解を述べていただくとよいのではないか。  趣旨説明を分割してもいいでしょうし 何なら解体するかたちで批判を加えてくださってもよいと思います。    何かこれで決まりだというふうに捉えるよりも ここはこう そこはそうというふうに 個々の課題を捉えてその議論を固めつつすすんで行ったほうがよくはないか。こう考えるのですが。

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     たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであると。  この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

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     同じ出で立ちで問います。  たぶん 内向的な精神分析の説くところについて考え方や捉え方を変えるという作業が 第一歩であるのではないか。ムイシキもエスもまたジガも要らないということ。  1. 《抑圧》?  この世の中においてわたしは 意識していず気づかなかったけれど 自分の気持ちや意志をも抑えてしまっていた。自分で自分を抑圧してしまっていた。のだ。  という事態に落ち入っていたなら それは 特に日本社会では クウキないし社会通念としてのジョウシキあるいはつまり世間の眼によって わが心も気持ちも萎縮し さらには自分からその積極的な自己表現というものを知らないうちに抑えてしまっていた。ととらえ返すことが大事ではないか。  2. 相互抑圧の雪合戦  社会において世間の眼の飛び交うこの社会力学上の磁場の中で わたしは いつしか・人は慎み深い態度がよいと思ったからなのか ともかくどういうわけなのか わたしはわたしの存在に対してあたかも自分で金縛りをかけていた。周りの人びともそうしているようなのだし みなと一緒にそのあと今度はときどき現われる出る杭を打ち そうして互いに足の引っ張り合いに むしろ無意識のうちに 興じていた。  言いかえると この相互萎縮合戦にだれもが参加しているように見える。  3. 相互萎縮合戦に背を向ける場合  このクウキの振動合戦に参加しないのは わたしのように それでもそれは 脱人間的な幽霊と顔無しとゾンビの世間ゲームでしかないと見る場合である。  世間ゲームは ただちにやめろ 目をさませと言う場合である。  3-1. ただしそう言いたいのに言えずじまいの場合は  言いたい気持ちはあるが どうしても意志行為として実を結ばない場合 そのときには やがて世間の眼は 引きこもりとでもレッテルを貼り だいじょうぶだよ 専門医がいるから 診てもらって来なさいと言われて そのときから半ば除け者とされる。  4. この相互萎縮合戦をさらに助長する精神分析  この世間ゲームなる事態について そのように社会的なチカラ関係から来るとは見ずに どこまでも内面へと入って行くのが 精神分析が繰り出す《抑圧と無意識》という概念であるのではないか。  いっさい 必要ないわけです。  心の内面がすこやかにはたらくところをそこに病いがあると言うのですから その引きこもり状態が昂じて来るのは 火を見るより明らかである。  抑圧をうながすチカラは 外にある。磁場である。  5. 《あぁ アース役はつらいよ》の大合唱  社会力学上のチカラ関係に原因があるとするなら それは ガミガミ電波であるに決まっている。  だからたとえば全国的に 《あぁ アース役はつらいよ》と大合唱すればよい。  自分が自分で自分をヨクアツしてるって? 外のものが中にあるって? あぁ それを言っちゃあ おしめぇよ。ガミガミ役のガミガミ役のためのガミガミ役による世の中の秩序作業でしかない。あーぁ けっこう毛だらけネコ灰だらけ・・・と大合唱すればよい。  6. みなさん ガミガミ電波には気をつけましょう。  またその電波を発する前に・その一秒前に それはただの八つ当たりであって 意識の排泄に相当するという事実に注意を向けましょう。  あるいは その意識の排泄を 一手に引き受ける人間がいます。すべてを受け留め ごみ処理工場のごとくはたらきます。あとは酸素か何かが出て来るだけですから 安心してまかせることが出来ます。  いますでにかなり重症である場合 それは必ずいつかどんでん返しで一気によくなりますから。たぶん いまの《患者》さんの半数は そのように内面に革命が起こるはずです。大船に乗った気持ちで 養生して行くことが出来ます。  7. どんでん返し  つまりそれというのも いままでガミガミ電波の排泄をおこなって来た人びとが ほんとうに反省し 人間(現実)が変わるときが来ると考えられます。天地がひっくり返るほど それらの人たちは心を入れ替え 前史から後史へと 一気に突入して行くと思われます。  今までの生き方は――社会力学のあり方は―― 人間の自然本性に反していたと考えられます。したがって 自然本性そのものの内から逆襲が始まるはずです。必ずその出直しのときが来ると思われます。  8. 何もしないたたかい。  何もしないでよいはずです。  おそらく もし病いの道をたどって来ていたなら その道を必ずしも引き返すというのではなく むしろ同じ道を前へとあゆみ その道を――その病いのトンネルを――突き抜けて明るい場に出るというシナリオになるかと考えられます。  わが心は 大海である。波風はただうわべをかする心理の動きであるに過ぎないと。  この展望と処方箋を完成させてください。そういう問いです。

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     ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。  昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:  1. きわめて話し下手である。  2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。  3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。  4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。  5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。  6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。  7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。  いまは  8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。  9. 相手の粗さがしを考えている。  10. 道は相手がゆづるものと思っている。  11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。  12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。  13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・  原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。  14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。  15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。  16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。  17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。  このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。  18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。  19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。  20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。  21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。  22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。  23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。  おまけ:  24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?  25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?  26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか?  27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか?  とことん自由で建設的なご批判をどうぞお寄せください。

  • 日本人は なぜあほうとばかとが多いのか?

     ばか丸出しのわたくしから見てもそうであり 目立つ場合に極論したらということです。(ほかの国の人びととは特には比べていません)。  これを あらためて問います。  昔の日本人を思い描いてみるに こうだったのではないか:  1. きわめて話し下手である。  2. 知らない人とは容易に口を利くことをしないし できない。  3. そのくせ 人のことをよく見ている。見知らぬ人が困っているのを見たら むしろ何のためらいも無く声をかける。  4. 向こうから人が歩いてくれば道をゆづる。お年寄りには席をゆづる。  5. 報酬が決まりより多く支払われると 突き返す。決まりとは違うという意味らしかったが 怪訝な顔をして 突き返す。  6. こちらが勘違いしたりほんとうに間違えたりしたとき こちらがあやまると いいえこちらこそ気がつきませんでと応え返す。  7. (1)(2)より:外国人に話しかけられても 何も言えない。あほうとばかとを掛け合わせたように ただしにこにこ顔で だまっている。ただし困っている様子をみたら 自分がパニクったごとくその人のために何とかしてやろうと奔走する。  いまは  8. ぺらぺらべらべら しゃべり過ぎる。ところが中身にとぼしい。  9. 相手の粗さがしを考えている。  10. 道は相手がゆづるものと思っている。  11. かっこうをつければ人は 自分にしたがうものと思っている。  12. とにもかくにも あほうとばかとを掛け合わせたごとくに中身のないことをしゃべりまくって 人を手なづけようとする。  13. ・・・(みなさんのご意見を)・・・  原因について マクロとミクロとそのおまけとをたたき台に述べます。  14. 言わずと知れた《アマテラス公民主導 ‐ スサノヲ市民従属》なる連関制として社会が築かれてしまったから。  15. この《 A ‐ S 》連関制のもとで やっと本来の主役で主導するはずのスサノヲ市民圏に主権があるとうたわれるようになったけれど アマテラス公民圏による主導体制はいまだにつづいている。その昔は このアマテラス公民には 無謬性が付与されていたわけです。神聖にして侵すべからずに近い感覚で 公務員はあやまつわけがないというけっきょく神話が世の中を覆っていました。  16. 要するにスサノヲ市民は 阿呆だと思われていた。その長い歴史の影響で おんぶにだっこの甘え癖がついてしまった。これが マクロの観点から見たあほうとばかの製造過程である。  17. 人と人との関係においては それが特にすでに組織の中にあっては つねに何らかの上下の関係が 権威や権力や権限をともなってでもあるいは伴なわないかたちででも 出来て来る。  このようにまなざしを上からそそぐ側と下にあってそそがれる側とに ふたりの人間は分かれるのがふつうである。  18. ならばすでにそのまま人間と人間の関係は ときとしてガミガミ役とアース役とに分かれる。ガミガミ役はところ構わずアース役に対して 自分の意識を排泄するというのが ガミガミの中身を成す。  19. アース役がこのゴミを受けて処理せねばならない。このゴミ処理に失敗すると 精神衛生上よくないことが起こる。  20. けれども 感受性のするどくて懐の深い人間に限って このアース役をいつのまにか引き受けている。  21. ただしアース役になる人間も 別の人間に対しては ガミガミ役に回ることも考えられる。よって世界は意識の排泄なる社会廃棄物とその未処理によって ガミガミ電磁波による感染列島と化す。  22. この《ガミガミ役 ‐ アース役》連関は むろん言わずと知れた《 A - S 》連関制の擬似形態なのである。これが ミクロの問題である。  23. 引きこもり役までをわれわれの社会は製造してしまった。《アース役はつらいよ》という大合唱を始めてもよいくらいだ。  おまけ:  24. ところが ここまで来ても誰も――愚痴のほかは――何も言わないししない。あほうとばかばかりが目立つ。どうしたことか?  25. 世の中にこの《 A - S 連関制》のむなしさをちゃんと知っており それでも さらに世の中の無常をさとって この連関制は変わらないと決め込んだ存在が何人かいて その人びとのもとに このひと言で《死》というべきあほばか状態を保とうとする勢力がいるのではないか?  26. というのは 所謂る陰謀説で どうも実際はそうではなく そのような無常観としての《さとり》が 観念となって・つまりは幽霊のごとくに 世の中を飛び交いまた歩きまわっているのだろうか?  27. このインフルエンザに人びとは感染してしまっているのか? だとしても ただそれだけではないのか? この認識の瞬間に 悪夢は消えたのではないか。  とことん自由で建設的なご批判をお寄せください。賛成票をもどうぞ。

  • 観念の運河を 《空気》なるゴンドラはきょうもゆく

     玄関を一歩出ると そこは 運河である。  人びとの いや われわれの頭の中に深く穿たれた観念の水路網。  まづは ゴンドラを誂えなければならない。  船をうまくあやつれないと 通行はむつかしい。見えざる交通法規。  ゴンドラは 何を載せているか? いや ゴンドラが 何で出来ているか?  クウキですって? いやでも吸わざるを得ない空気のことですか?  ええっ?  クウキで出来たそれぞれの船。  ところが その船の材料であるクウキは 一人ひとりがあつらえるのではなく すでに千年二千年も昔から仕立て上げられて来たお古である。  お古のお仕着せ これが われらが運河の通行手形であり うるわしきゴンドラである。     *  では このクウキは 何で出来ているか?  思うに マクロとして アマテラス公民の無謬性〔なる神話としてのクウキ〕であり ミクロとして 上司のガミガミ電波であり いづれからも ややもすると 《意識の排泄》が交じって出ている。  《主権者たるスサノヲ市民 ‐ 公僕たるアマテラス公民》という二階建てから成る社会が 国家という社会形態の構造として 逆立ちしてしまった。一階よりお二階さんのほうがえらい。それが アマテラス公民の無謬性なる神話であり そういうクウキとしてゴンドラをかたちづくっている。  官僚や政治家は 間違いを侵さないというお仕着せの船であり 実際にかれらが犯した間違いを知っていても これを口に出してはいけないというのが 通行手形の中身である。〔ここのところ この神話は 崩れて来ただろうか?〕  この逆立ちした《アマテラス‐スサノヲ》連関制のもと その上下関係に似せて形作られているのが 《上司‐部下》の関係である。  しばしば送られてくるガミガミ電波は やみくもに発する意識の排泄をともないながら その観念の運河としては・そこを通行せずばなるまいという部下のあたまの中には けっきょくみづからがアース役となって この電波を受け止めざるを得ないことになる。  スルーすることも出来なくないが そうすると このミクロの・ミニ《観念の運河》は いつまで経っても 同じ絵柄しか写しださない。  まじめな人は アース役となって受けとめ 少しでも運河の水をきれいにしようと努める。  あるいは問題は ガミガミ役にかんしてその自分ひとりの昇進のためや地位の保守のためではなく その電波を会社のためという心つもりで発信するときである。  会社がつぶれたら 元も子もないというところから――いかに人間であることを守り人格をとうとぶ人であっても―― その電波の命ずる仕事を引き受けなければならないと考える。そういうゴンドラの歌もある。  一般に 資本主義の問題である。  かくて 観念の運河を クウキなるゴンドラは今日もゆく。    *  現代の哲学を つのります。  

  • 自分の世界と社会の基準

    はじめまして、もみじ2号といいます。 自分独自の考えと社会の基準をどう折り合いをつけたらいいのか困っています。 自分の世界だけに固執してると、人と話が合わなくなったり、どんどん自分が古い人間になってくと思います。一方、社会の出来事にどう対処するかや常識だけに固執してると、本音を抑えたり建前ばかりが前面に出て、疲れちゃうと思います。だから、意識的に何かしないと考え方や行動がどんどん偏っていく気がします。 人とコミュニケーションをもっと上手くとったり、世間に対する考えをもったりするには、どうしたら良いでしょう?多くの人の意見を聞く、いろんな体験をする、という方法はあるのですが、どういう人の意見、あるいはどういう体験が、適切でしょうか?また、意見や体験以外に、どんな方法がありますか? 自分と社会との折合いのつけ方、あるいはこの話に関するアドバイスがほしいです。 どうかよろしくお願いします。