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長篠城外設楽が原の戦い前夜

天正3年5月の長篠の合戦前夜、勝頼本陣(医王寺)での軍議にて勝頼が連合軍との決戦を渋る武田家重臣連に対し、「鉄砲がそんなに怖いのか。」と言い放ち信玄以来の歴戦の猛者が、「明日は御前にて狂い死に致す。」と憤り馬防柵への突撃が決定されたという話は本当ですか?

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回答No.3

作り話です そもそも長篠の戦いで織田軍による鉄砲の一斉射撃はありませんでした 前日設楽が原は大雨で地面はぬかるみ当日も雨が降ったり止んだりで鉄砲は使いにくかったのです (信長が鉄砲を改良して雨でも使えるようにしたのはこれがきっかけだったわけですから、鉄砲の一斉射撃がなかったのは事実でしょう) もちろん 全く鉄砲を使わなかったわけではありません 信長は常時鉄砲隊は組織していたので長篠にも従軍はさせていたでしょう 事実 馬場美濃守は信長の鉄砲を避けるために正面からではなく わざと迂回して側面から突っ込んでいます

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  • eroero4649
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回答No.2

おそらくその話は後世の作り話だと思います。というのも、まず勝頼が「織田軍は鉄砲をいっぱい持っている」という情報を知っていたというのが不自然ですね。第二次世界大戦レベルの時代になっても、敵の部隊編成まで正確に知るのは不可能です。おそらく当時は合戦になるまでは錆防止の意味も含めて鉄砲は普段は袋などに入っていたはずです。少なくとも野ざらしにしていたということはないはずです。だとしたら、武田軍の忍者が偵察したとしても、武器の詳細までは確認することは不可能なはずです。 またその話の矛盾点ももうひとつあります。実は武田軍で戦死した主だった武将のほとんどは、退却の最中に戦死しているのです。織田軍の追撃に遭って逃れきれずに討ち取られているケースが多いです。実際、合戦で討死する場合のほとんどは追撃戦によって討ち取られるケースが多いのです。 ただし、決戦に及ぶことに家臣団、主に信玄以来の老臣から反対の声があがっていたのは間違いないと思います。彼らは単純に兵数と状況から決戦には不利だと考えて反対をしました。 ではなぜ勝頼は決戦に出たのかについては歴史の永遠の謎のひとつですし、諸説ありますが私はその原因の一つとして「そもそも勝頼自身が決戦を望んでいた」というのがあったと思いますね。当時の織田vs武田の状況は武田側のじり貧で、じわじわと浸食される状況でした。そこで勝頼としては乾坤一擲の一発勝負に出ることで逆転を狙っていたというのはあったと思います。勝頼は難攻不落で知られ父信玄も落とせなかった高天神城を攻略したりしていたので、自分自身の野戦指揮能力には自信を持っていたと思います。

  • ithi
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回答No.1

nobunaga1560 さん、こんばんは。 似たようなことはあったと思います。 というより、重臣たちは織田・徳川軍に比べて、味方が圧倒的に少ないことを感じ取っていました。とりわけ譜代の重臣たちは討ち死にするくらい活躍しましたが、親類衆といわれる穴山などは早々に戦線離脱を図ったようです。これは軍律違反ですね。 長篠の戦 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

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