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江戸時代の結婚について
江戸時代 身分の高い人達は何歳くらいで結婚していたのでしょうか? 女性の場合の結婚と妊娠の年齢 男性の場合の結婚の年齢 を教えてください あと嫁いで行く場合 嫁いで行ったあと自分の家族に会う事はできますか?(両方身分の高い家に生まれてきた場合) 身分の高い家に生まれてきた場合 子供が親に会いたい時に自由にあう事はできますか? 身分の高い家に生まれてきた場合兄弟と自由に遊んだりする事はできますか?
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- oska2
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>江戸時代 身分の高い人達は何歳くらいで結婚していたのでしょうか? 江戸時代初期の不安定な状況では、他に回答がある様に「政略結婚」です。 ですから、年齢に関係なく「いいなずけ」として「両家の都合で+年齢に関係なく結婚」しています。 この質問の場合、江戸時代が政治的に安定した頃を考えているとすれば・・・。 当時は、15歳で元服します。つまり、大人として認められる年齢ですね。 江戸時代の平均寿命は、45歳です。 大奥では、30歳になると(役職に付かない)女性は引退。吉原でも、30歳で引退。 跡継ぎを得る為には、15歳から30歳となりますよね。 平均すると、男は20歳前後。女性は、17歳前後で結婚します。 >嫁いで行く場合、嫁いで行ったあと自分の家族に会う事はできますか? 当時は、「家に嫁ぐ」事が結婚です。 身分が高ければ、本人の自由な意思で「実家に帰る」事は出来ません。 但し、冠婚葬祭とかお墓参りという名目で帰省はしていた様です。 >身分の高い家に生まれてきた場合 子供が親に会いたい時に自由にあう事はできますか? 15歳までは「子供」ですから、自由に会う事が出来ます。 元服を終えると、その「家のしきたり」によって変わります。 >身分の高い家に生まれてきた場合兄弟と自由に遊んだりする事はできますか? こちらも、「家のしきたり」によって変わります。
>江戸時代 身分の高い人達は何歳くらいで結婚していたのでしょうか? 当時身分が高いというと大名クラスということになるかと思います。 このクラスになりますと、いくつになったからどうのではなく、生まれて無事育つのが分かると直ちに結婚相手が決められました。 いわば政略結婚そのものです。 大名間で最も身分が高い徳川家の例として下記のような事例があります。 徳川 家斉の娘の例です。 茂姫(篤姫):3歳で婚約、同時に婚約相手とともに養育された。 16歳の時に婚儀をあげた。 淑姫:誕生の翌年縁組し4歳のときに結納したが相手が早逝したため婚約は破棄された。 11歳の時に他の大名家の息子と婚儀をあげました。 相手の男性は7歳でした。 峰姫:4歳のときに婚約し14歳のときに婚儀をあげた。 婚約が決まると相手も幼いので、相手の家で一緒に養育されれるのが普通でした。 だれが養母となるかも権力闘争が絡みますので、簡単には決まりません。 実際の養育そのものは担当者がいました。 生母との面会も同じように権力闘争が絡みますので、簡単にはいきませんでした。 男性の場合もほぼ同じです。 妊娠は身体の成熟次第ということになります。 ということで、身分が高くなればなるほど本人の意志や事情が入り込む余地がありません。 幼くしてそのような境遇下で育ちますので、当人は不思議ともなんとも思わなかったでしょう。 江戸時代の場合面倒なのが身分が高いほど、いわゆる側室が沢山いました。 正室は江戸屋敷にいましたが、参勤交代で戻る国元にもお国の方と呼ばれる奥さんがいました。 更に側室を持っていました(婚儀などありません) 生まれた子供の養育は養育係が決められますので、現在のように親に育てられて兄弟がどうのこうのという感覚持ち合わせていませんでした。 まして他家に幼くして嫁にいけば、それきっりとなります。 大名家といいますのはあくまでも当主すなわちお殿様との親子関係で家そのものが継承される決まりとなっていました。 お殿様の子供が途絶えるとその場で藩そのものが廃絶されてしまいます。 いわゆるお家断絶です。 御家来衆は失業して路頭に迷うことになります。 子供に恵まれなかったり、殿様が幼かったして死亡した場合には臨終直前に養子を迎えました(末期養子) 死んでも養子が決まるまでは、幕府へ死亡届けを出しませんでした。 つまり、藩士とその家族の生活が懸かっていますのでなにがなんでも子供を作ってもらわないと困ります。 いわば江戸時代の上流階級といいますのは、子作り担当のようなものでした。 人権など完全に無視されていました。 現在の感覚に近いのは武士としては中流以下の千石未満の旗本階級でしょう。 経済的には貧窮していましたので、むしろ町人の豪商の方が遥かに豊かでした。 婚礼も賑やかに行われていました。 こちらの方がいろいろ比較するのには適当かと思います。
- あずき なな(@azuki-7)
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まぁ 家の都合とか色々あるので一概には言えませんが 基本的に身分の高い男は15歳前後ですね 徳川秀忠の三女 珠姫は3歳で加賀 前田利常に嫁いでます 千姫だって秀頼に嫁いだときは7歳とかそれぐらいです 一応武将の姫は12歳になると髪結いと言う儀式をおこなって それをもって成人とみなされたので 子作りはそれ以降にしたようです 身分の高い家だと乳母が普通に居たので 養育は乳母とか守役がおこないました よほどの事情がなければ別に母親とも会えましたけどね 兄弟と自由に遊んだりはできたと思います 一応領地を与えられてよその土地に行くまでは同じ城で暮らしてるわけだし
- tzd78886
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男性は元服したら、女性は16から20の間で結婚する人が大半でした。もちろん男性の場合はそれなりの収入があることが前提で、部屋住みの次男以下や見習いの職人では難しいです。身分の高い家であっても特に遠隔地に住んでいない限り年賀などであいさつに行くのは普通でした。当時の人は「自由に」とはいかなかったですが。兄弟は後継ぎとそれ以下では扱いに大きな違いがあり、後継ぎだけは別格でした。
歴史を知らないのですが、 徳川家康が結婚した相手は16歳だった記憶が あります。 自由があったかまでは分かりません。