伊勢物語のかきつばたの話しについて

このQ&Aのポイント
  • 伊勢物語のかきつばたの話しについて
  • 伊勢物語に出てくる青年たちが旅をする途中で見た「かきつばた」とは何か。彼らの行動の理由や恋についての思いについて考察してみる。
  • 伊勢物語のかきつばたの話しでは、青年たちの旅の中での出来事や彼らの心情が描かれています。彼らの行動や感情について理解するためには、物語性や文脈を考慮する必要があります。
回答を見る
  • ベストアンサー

伊勢物語のかきつばたの話しについて

伊勢物語に出てくる青年たちが都を出て旅をする途中で見た「かきつばた」で歌をつくる話がありますよね。 あれで主人公の青年(歌が上手い人)が、都で身分の高い女性との恋にやぶれて、そのことについて周りからとやかく言われるのが嫌なのと都生活に疲れていたという理由で旅に出ますよね。 それなのに、都に残してきた恋人を思って切ない(やぶれたのだから既に恋人じゃないのでは?)だとか、途中で出会った知り合いの僧にその人への手紙を託したり(別れたのならそう言う行為は相手にとって迷惑では?さらに噂にされるのが嫌で都を出てきたのに、そういうことをすると意味ないのでは?)となんだか彼の行動がよく分かりません。 その後もずっと恋人と言っていますが、彼は失恋したんですよね? ここでいう恋人とは付き合いのある男女、という意味でなく、思いを寄せている人という意味なのでしょうか。

  • hp-7
  • お礼率93% (142/152)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kifimi
  • ベストアンサー率72% (425/586)
回答No.3

『伊勢物語』第9段、東下りのエピソードですね。 「男」がなぜ東国へ旅に出たのか、その理由は、「京にありわびて」(第7段)、「京や住み憂かりけむ」(第8段)、「身をえうなきものに思ひなして」(第9段)としか書かれていません。 では、なぜ、都に居づらくなり、「身をえうなきものに思ひなし」たのかというと、第3~6段のエピソードが前提にあるわけです。 第3~6段のエピソードは、ご承知の通り、在原業平がモデルとされる「男」と、天皇の后として入内する前の「二条の后」=藤原高子の恋のお話です。高子は単に身分が高い女性というだけでなく、天皇の后になることが内定していました。つまり、手を出してはならない、禁断の恋です。 第5段「関守」では、男は彼女の許に何度か通っていたとありますし、第6段「芥川」では、男は彼女を家から連れ出しています。禁断の恋でしたが、片思いではなく両思いだったと言えます。 ですが、高子の親兄弟は彼女を帝の后にするつもりですから、二人の仲を引き裂くわけです(第4~6段)。 >都に残してきた恋人を思って切ない(やぶれたのだから既に恋人じゃないのでは?) 恋に破れて、とは言っても、男は彼女にフラれたわけではなく、女の親兄弟によって無理矢理引き裂かれた、と考えればよいでしょう。 「恋人」は「恋しい相手」の意味ですから、現代語でも、両思いでも片思いでも使います。(ただし現代語としては、両思いの場合に使うことが多いでしょう) 両思いの恋人であっても、周囲公認の関係とか、物理的に交際が可能な関係ばかりとは限りません。思い合っていても、訳あって会うことすら叶わない関係も存在します。 ここでは、もはや現実的な交際(逢瀬)は不可能、かといってただ男の一方的な片思いというわけでもない、訳あって引き裂かれた「愛しい人」、という感じで理解すれば良いのでは。 「そのことについて周りからとやかく言われるのが嫌なのと都生活に疲れていた」というのは、こうした状況からの推測できる解釈です。 高子の入内は、彼女の一族の命運を左右する政略結婚であり、彼女と「男」との恋愛沙汰は大きなスキャンダルでした。『伊勢物語』にも描かれてしまうくらいですから、二人の関係が完全に身内だけの秘密で他人に知られなかったということはないでしょう。 「男」が敵に回した相手は、天皇の姻戚であり、政界の中枢にいる一族です。「男」も貴族の端くれで、宮廷の一員です。このスキャンダルが知れたら、当然、公私どちらでも周囲の目が厳しくなるでしょう。肩身も狭くなるでしょう。 これだけのことがあれば、都にいるのは辛くなって、事情を知る人が誰も居ないような遠い場所に行きたくなるよね……というわけです。 彼女との関係で言えば、もう二度と会えないであろう彼女がいる都に住み続けるのは、余計に辛い……という理由も想像できます。いっそ遠く離れて、彼女のことを忘れようと思ったかもしれません。 >途中で出会った知り合いの僧にその人への手紙を託したり(別れたのならそう言う行為は相手にとって迷惑では?さらに噂にされるのが嫌で都を出てきたのに、そういうことをすると意味ないのでは?) 彼女が迷惑するかどうかは、わかりません。確かに、手紙のことが周囲に知れたら、またスキャンダルになりますから、そういう意味では「迷惑」をかけるかもしれません。ただ、もし、彼女も男と別れさせられたのが不本意で、まだ男のことを思っているのであれば、内心では嬉しいかもしれません。 男が「修行者」に言づてを依頼したのは、その修行者を信頼してのことでしょう。個人的に言づてを頼むのですし、修行者も「男」の事情は多少なりとも知っているでしょう。彼女に手紙を渡すとしても、なるべく表立たない形で、でしょう。 そもそも、「相手の迷惑」というのならば、入内が内定している彼女の許に通うこと自体、してはならなかったのです。彼女の立場を考えれば、最初からあきらめるべきだった。 でも、禁断の恋とはわかっていても、あきらめられない。 ここで描かれる恋は、そういう恋なのです。 「男」の行動が理解できるかどうかは、個人的な恋愛観の違いもあるかと思います。 どういういきさつにせよ、もう別れたのに未練たっぷりで男らしくない!と思うかもしれませんが、悲恋だと考えれば、理解できなくはないと思います。 ざっくり言えば、二人の恋愛は身分違い+政界を巻き込むスキャンダル。彼女の親兄弟は、彼女をいつの間にか引っ越しさせたり、彼女の住まいに見張りを付けたり、男が彼女を連れ出しても奪い返したりして、二人の仲を引き裂いた。男は別れの辛さと肩身の狭さで都を離れたけれども、彼女のことが忘れられない。かといって、正攻法で彼女に思いを伝えることもできない(現代で言えば、彼女はスマホもパソコンも取り上げられていて、家の電話や郵便は親の検閲で門前払い状態)中、旅先で偶然、知り合いに出会った。その知り合いなら彼女に会えるだろうと、彼女へのラブレターを託した。……という感じですかね。

hp-7
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなってすみません。 伊勢物語は今回初めて読んで、それも俵万智さんの現代語訳版でした。 本当に恥ずかしいですが、最初読んだときはこの話が一人の男の話だと気付かず、それどころか、これに出てくる人みんな似たようなタイプの女性を好きになるなあなんて考えていました(^^;) こういう読解力のなさと無知であまり内容が理解できなかったのですが、その後、漫画版や原文の方を読んだりして、これが一人の男の話しであり、彼の言う恋人との関係や展開がそう単純じゃないことに気づきました。 そして、この質問に対しての回答も見て、ようやく理解できたと思います。 正直、主人公の男の恋模様はあまり好きなものではありませんが(価値観的に)、数多く登場する歌がよくて、今まで詩や和歌には興味がありませんでしたが、今回伊勢物語を読んでみてもっといろんな歌を知りたいと思ったところです。

その他の回答 (2)

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 1番回答者、補足です。  「失恋」というのは、「自分が恋している相手から、自分を恋しいと思ってもらえない」のがハッキリすることが「失恋」です。  「相手を恋しいと思う、自分の気持ち(恋心)」を失ったことではありませんので、失恋しても、相手が自分の恋人であることは変わりません。

hp-7
質問者

お礼

確かに失恋しても相手への未練がある、なんてのはよく聞きますよね。 言葉の解釈も訂正してくださってありがとうございます。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.1

 「恋人」というのは、今も昔も「恋しく思う相手」のことです。 > 彼は失恋したんですよね?  「恋人」という言葉には、「相思相愛」、最近の言葉で「両思い」、の意味は含まれていませんので、昔の歌謡曲の文句(題名?)にあった「別れても好きな人」は立派に「恋人」です。もちろん、「好きだ」と思っている側の人にとっての「恋人」です。  「相思相愛」の関係を示したければ、「恋人同士」という言葉がありますので、そちらを使っていたでしょうね。  余談ですが、愛と恋の違いの説明に、「愛は相手のことを考える」、「恋は自分のことしか考えない」というのがあったと思います。  恋しいから手紙を書く。相手がそれを受け取ってどう感じるかは考えない。それが「恋」なのでしょう。

hp-7
質問者

お礼

回答ありがとうございます。お礼が遅くなってしまいすみません。 なるほど、恋人「同士」ですか。確かにそうですよね。 愛と恋の違い、とても興味深いです。 確か、恋は独りでも出来るけど、愛は互いがないと成り立たない、みたいな言葉をどこかで聞いたことがあります。どこで聞いたかは忘れてしまいましたが。

関連するQ&A

  • 伊勢物語の一段の内容について

    伊勢物語の一段の内容について質問です。 男が女の人に歌を送る場面ですが、男は自分が着ていた狩衣の裾を切って歌を書いていますよね? どうして裾なんでしょうか…?紙は持ってなかったんでしょうか。その行動の意味する事とは何ですか?(>_<) そして、男は狩りに来ていたのに筆や墨は持ち歩いていたのでしょうか? お分かりになる方がいましたら、ぜひ!教えて下さい

  • 本意(ほい)にはあらで

    伊勢物語、かきつばたの段で、それを本意にはあらで志深かりける人、とあるのですが、どういう意味ですか。結婚する気はないけど深く思った人ということでしょうか。

  • 伊勢正三さんは、すごい人

    伊勢正三さんの曲は、超名曲揃いですよね。 ・あの唄はもう唄わないのですか ・なごり雪 ・22才の別れ ・君と歩いた青春 ・雨の物語 ・海岸通 また、かぐや姫や風は、とても難しいコードを使うと良く聞きます。 伊勢正三さんは、すごい人なのでしょうか? また、ほかに大好きな曲があれば教えてください。 (南こうせつさんも好きです。)

  • 伊勢物語「芥川」に関する疑問

    伊勢物語の芥川に ゆくさき多く、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓・やなぐひを負ひて戸口に居り。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。 という部分がありますよね。 この鬼っどこから入ってきたんですか?男は入り口で見張っていたんですよね。てことは女は密室に居たわけですよね?鬼は何処から・・・。 それからもうひとつ、このさらわれた女は、男におぶられながら「あれは露ですか?」とかって訊ねるでしょ?これが歌の伏線だって言うのはわかるんですけれど、でもさらわれた女が悠長に「露が・・・」なんて言ってる場合なんでしょうか? この二つの点が疑問です。 いろいろとサイトを覗いてみましたが、現代語訳自体が意味不明すぎます(笑)。 これって教科書に載っているらしいのすが、・・・こんなことならきちんと授業を受けておくんでした・・・(笑)

  • 古典について答えてください。伊勢物語 『東下り』

    本文 行き行きて、駿河の国にいたりぬ。 宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つたかえでは茂り、物心ぼそく、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。 「かかる道は(1)いかでかいまする」 と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、(2)文書きてつく。 A駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり 富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。 B時知らぬ山は富士の嶺いつとてか 鹿の子まだらに雪の降るらん その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらんほどして、なりは塩尻のやうになんありける。 なほゆきゆきて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。 その河のほとりに群れゐて思ひやれば、 (3)限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、 渡守、「はや舟に乗れ、(4)日も暮れぬ」と言ふに、乗りて渡らむとするに、 みな人ものわびしくて、京に思ふ人(5)なきにしもあらず。 さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、 水の上に遊びつつ魚を食ふ。 京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。 渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、 (6)名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと とよめりければ、(7)舟こぞりて泣きにけり。 1、 本文中の(1)の『いかでかいまする』のいみとしてあてはまるものを、次の中から一つ選んでください。 1、どのようにしてみつけられたのか 2、なぜいらっしゃるのか 3、いつからいらっしゃるのか 4、なんとかしていらっしゃってください 2、 (2)の『文』の意味を応えてください。 3、 Aのうたについて『夢』と反対の意味を持つ言葉を、歌の中から抜き出してください。

  • 伊勢物語 寝ぬる夜 にビックリ!

    【原文】 むかし、男ありけり。いとまめにじちようにて、あだなる心なかりけり。深草の帝になむ仕うまつりける。心あやまりやしたりけむ、親王(みこ)たちのつかひたまひける人をあひいへりけり。さて、 寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめばいやはかなにもなりまさるかな となむよみてやりける。さる歌のきたなげさよ。 【現代語訳】 昔、男がいた。たいへん誠実で真面目で、軽薄な心はなかった。男は深草の帝(仁明天皇)にお仕えしていた。心に迷いが生じたのであろうか。親王たちがご寵愛していた方と通じ合った。そして、 一夜をお過ごしした夜の夢がはかないので、家に戻ってもう一度まどろんだが、はかなさがさらに大きくなってしまったことよ。 と詠み送った。その歌の、なんときたならしいことよ。 http://ise.kaisetsuvoice.com/103.html  より引用 男って在原業平ですよね? 親王とは親王宣下された人のことですね。 仁明天皇の皇子は 第一皇子:道康親王(文徳天皇)(827-858) 第二皇子:宗康親王(828-868) 第三皇子:時康親王(光孝天皇)(830-887) 第四皇子:人康親王(831-872) 第八皇子:成康親王(836-853) 第五皇子:本康親王(?-901) 第七皇子:常康親王(?-869) 第六皇子:国康親王(?-898) らがいます。 嵯峨天皇や桓武天皇の皇子も含めるのかもしれません。 ここでいう「親王たち」とは具体的には誰のことでしょうか? また「親王たちが寵愛していた方」とは誰のことでしょうか? 「寵愛する」というのは男女の仲になるということでしょうか? それにしても「親王たちが寵愛する」って? 平安時代はひとりの女を複数の親王が共有するのは当たり前だったんでしょうか? いやー、伊勢物語って読めば読むほどわからないです。

  • 『伊勢物語』の「初冠」の解釈について

    『伊勢物語』の「初冠」にある「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに 」を返歌とする解釈は可能でしょうか? 今まで返歌と考えていましたが、いろいろな文献だと、男が詠んだ和歌が源融の和歌の風情同じであると感じたとなっています。 しかし、男を業平とすると時代としては律令制で、国司として赴任した人の娘だったり、斎女の可能性もあるわけです。 また男の「おいつき」という様子も「大人ぶる」や「すぐに」、「荒っぽく」などと意味が分かれています。 また、「ついで」以降は後人注という説や男の心中、語り手という説もあるため、女はらからの返歌説もあっても悪くはないと思います。「ついで」以降の主語も判定は難しく女はらからの可能性もあります。 このように多様な読みができる古文は後世の価値観によって現在まで解釈を変えて詠まれていて当然だと思います。 そのためにも返歌説は全くなしということは言えないと思います。 その点で多くのご意見を賜りたいと思います。 ご多忙ではございますがご返答いただけますようお願いいたします。 また、根拠が濃厚な情報がネットにございましたらURLを付けていただけたらと思います。 宜しくお願い致します。

  • 江戸時代の旅人

    江戸時代の人はどのくらい旅をしていたのでしょうか? 先祖の墓参りの旅はあったでしょうし、お伊勢詣りなどが有名ですが、どのくらい移動の自由に制約があったのでしょうか。 身分によって旅が禁じられていたりしたのでしょうか。 松尾芭蕉のような旅人は結構いたのでしょうか。

  • 下妻物語のサントラについて・・・

    深田恭子主演の『下妻物語』の途中でかかる、洋楽の女性シンガーの曲について教えて欲しいのですが・・・ (分かりづらくてごめんなさい!) イチコが失恋して川辺で泣いているシーンからモモコが刺繍をしているシーンで流れている可愛い声の曲です。 映画中で二度ぐらい流れていたような・・・・ たぶん洋楽の女性シンガーだと思うのですが、知っている人がいれば、歌手名・曲名を教えてください!お願いします!

  • 『源氏物語』の注釈

     室町時代成立の源氏物語の注釈書である『河海抄』についての質問です。 「夕顔巻」にある一文「汗もしとどになりて、われかのけしきなり。」の「われかのけしき」に対して『河海抄』は、   夢たにも何ともみえす見ゆれともわれかもまどふことのしけきに万葉   として、『万葉集』にこの歌があるかのように書いてあります。  また、その後に、   案之此哥詞不叶古今我か人かと身をたとる世に此哥の心歟 とあります。江戸時代の注釈書『湖月抄』でも同じようなことが書かれてあるんですが・・・。  質問はふたつあります。  (1)『万葉集』にこの歌はある、という感じで書いてありますが、載っていませんでした。私の探し方が悪いのでしょうか? もし、この歌を知ってらっしゃる方がおられましたら、出所等教えていただけると嬉しいです。  (2)小学生みたいで恥ずかしいのですが・・・。 歌ではなく、その後の一文の意味が今ひとつ判らないので(汗)。教えて下さい・・・。そもそも読み下し文が甚だ怪しくて。  一応は考えてるんですけども。 「これ考ふるにこの歌のことばに叶はざるか。古今”我か人かと身をたとる世に”この歌の心か(よ)。《この歌を考えてみると”われかも”という歌の言葉の意味では『源氏』での意味とは違うのではないか。『古今』にある”我か人かと身をたとる世に”の歌の意味の方が相応しいか。》」  「歟」を疑問ととるか詠嘆と取るかでまた違うんですが。私の訳が思いっきり違っている可能性の方が高く(泣)。ご教授お願いいたします!!