祖母の末期肺がん、余命半年とされるも状態は安定中。

このQ&Aのポイント
  • 祖母78歳が末期の肺ガンで余命半年と宣告を受けたが、状態は安定しており、普通に生活を送っている。
  • 祖母は食事や日常生活を普通に行い、痛みが増した時には痛み止めを服用している。
  • 家族は緩和ケアへの入院を検討しているが、医師からはまだ看取りの時期ではないと言われている。
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祖母78歳が末期の肺ガンで余命半年と宣告を受けたの

祖母78歳が末期の肺ガンで余命半年と宣告を受けたのが今年の春前でした。 その時期に抗ガン剤治療もやめています。 その後は治療もせず、胸水も抜かないでいる状況です。 現在、余命期間を過ぎたところですが 著しい変化や、死が迫っている感じは見受けられません。 ほとんどベッドの上ですが 普通に三食食事を取り、自分で歩いてトイレへ行き(間に合わず漏らすことはあり)、テレビを見たり、縫い物、書き物、読書など普通に過ごしています。 最近になり痛みが増したのか 痛み止めを処方してもらい、 服用して痛みは楽になっているようです。 しかし、胸の苦しさとか痛みで夜中に寝れずに朝を迎える事があると、本人は言ってました。 心配かけまいと?本当はもっと痛いのではないかな?と思うのですが、祖母はどれほど辛いかは言いません。 緩和ケアへ入院を家族で検討して 医師に相談に行きましたら 今の感じでは、まだ看取りの時期ではないですよ?との事でした。 もっと弱ってから入院でいいのでは?との事。 でもやはり死は近づいているのですよね。。 現在は余命期間を過ぎましたが やはりあと数ヶ月でしょうか。 ここから、どんどん病状が変化していくものでしょうか? 経験者の方などの体験談をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kia1and2
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回答No.3

私70歳、肺ガンで余命10ヶ月と宣言されましたが、来年1月で3年目になります。治療は、放射線治療で背骨が破壊したので、骨を強くする点滴だけ。それに緩和ケアでの痛み止めです。 症状は1年半前の3月は、4月まで持たないと言われ、息をするだけがやっと、で2時間毎に激痛でモルヒネを使用していました。5月から少しづつ元気になってきましたが、と言っても、通常生活からはほど遠い程度。この2週間は吐き気がかなりあります。夜も眠れない日が多いです。   最期は病院では逝きたくなく、自分のベッドでです。

uretemasuyo
質問者

お礼

とても参考になるお話ありがとうございました。 最近になり分かりましたが、本人は処方されている薬をこっそり捨てていて。。全く飲んでないようです。さらに心配が増えてしまいました( ; ; )

その他の回答 (4)

回答No.5

大変お辛い状況ですね。 まず、胸水の貯留は多臓器を強く圧迫するため、早急な対処が必要となります。また、胸水は、癌以上に余命に直結するともいわれています。 現状、胸水の貯留(腹水も含む)、末期癌の状態であれば、漢方と温熱シートの併用治療が大変効果が高いと言われています。 私の上司も、末期癌で腹水、胸水が発症していましたが、漢方と温熱シートの併用治療で随分状態がよくなりました。 参考になると思います。 http://sooda.jp/qa/482351 大変お辛い状況と思いますががんばってくださいね。

  • tkdesu85
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回答No.4

余命に関しては誰にも分りません。医師が宣告したとしてもそれが絶対ではありませんからね。 現段階で使っている痛み止めに関しては、肝臓に大きな負担を与える為、長期の服用で肝機能が低下した結果、血液中のタンパク量が減少を起し、さらに胸水の貯留が進む可能性もあります。また、腹水や浮腫などが発症する可能性もあります。痛み止めなどは、その場しのぎでごまかしごまかしなので、痛いとは思いますが、できるだけ使わないでよいときは避けられたほうが良いと思います。 また、胸水については、漢方薬と温熱の併用療法が良いとよく聞きます。 漢方と温熱の併用治療は、身体にかかる負担も少なく、患者の、体力、免疫、栄養状態を高め、結果、患者様が持たれている自然治癒力を高め、胸水、癌、様々な不快症状に働きかける治療法と言われています。 他サイトですが、参考になると思います。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10151868630 大変お辛い状況と思いますが、頑張ってくださいね。 お大事にされてください。

noname#249423
noname#249423
回答No.2

お医者さんは余命期間を短く言う傾向にあると思いますよ。医者が頑張って(余命宣告よりも)長生きをさせてあげられたって感じにするために。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10491/32992)
回答No.1

余命どのくらいってのは、あくまで経験則に基づく統計的傾向に過ぎません。半年といわれてショックで気力を失い1ヶ月くらいで亡くなってしまう人もいれば、医者も匙を投げた末期がんがコメディを見まくって笑いまくったら治ってしまったという話も稀ながら存在するのががんという病気なのです。 確実にいえることは、お婆ちゃんの全身の細胞は78年前の設計のものになる年代物なわけですが、がん細胞も同じく78年前の設計を元にした年代物なんですね。つまりなんというか失礼ながら、がん細胞もヨボヨボなのです。ヨボヨボだから、若い人ほどにぐんぐんと広まらないというのもあります。 抗がん剤治療をやめたら元気になってきたというのは、抗がん剤というのはなんというかじゅうたん爆撃みたいなものでね、がん細胞もそうじゃない細胞もお構いなしにぜんぶやっつけちゃおうみたいなものなのです。だから相応に体へのダメージも大きいんですね。体にダメージがあったとしても、がんの侵攻を食い止めようというものなのです。お婆ちゃんは、抗がん剤をやめてみたらがんもヨボヨボだったので副作用の負担が減ったのがむしろ吉と出たと考えるべきでしょう。 とはいえ、これから寒くなって病気の高齢者にはキツい季節となります。私の親戚も、病院に入院して空調の効いた室内にいたにも関わらず2月に気温が急に下がったら肺炎を起こして亡くなってしまいました。ほんの数日前までは饒舌に喋っていたのにね。部屋の中の温度はそんなに変わらなくても、外気の影響があるんだなーと思いました。 なるべく精のつくものを食べて体力をつけるということになるでしょうね。運動をやっていたような人だと体力があるぶん、かなりキワになるまで元気に過ごせて最後の瞬間にパッタリと電池が切れるというケースが多いようです。

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