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梅に鶯の物語り

「 (鶯)鶯の留守に情けない梅が、事もあろうにあの夜ガラスに宿を借すとは。 (梅)昔聞き馴れた鶯の鳴き声、落ち葉になったのでもー聞くことはできません。 (鶯)梅と鶯は離れられない縁なのに、他人の心に迷って慣れていくんだろうね。    こーなったのはいったい誰のせいか。 (梅)暫しの慰めに夜ガラスに心迷い、あとは心悔やんで泣くのはなんと情けないことか。    そーなったのはいったい誰のせいか。 」 さて質問ですが梅に鶯の物語り、哲学的に解釈するとどーなりますか。  

専門家の回答 ( 1 )

回答No.2

こんにちは。 読ませていただきました。 率直に、おもしろいなぁ。 >事もあろうにあの夜ガラスに宿を借すとは。 これがどうも事の発端のようですね。 夜カラスですねぇ。 「月夜烏は火に祟る」と言われ、夜のカラスの鳴き声が火災の前兆とされる俗信もあった。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9 という俗信もあったということですから、何かの禍が起こる前兆としてカラスが登場したのであって、カラスそのものが災いであったというわけではなさそうです。 梅と鶯の物語ということでいえば、梅と鶯は対のもので、ともに季節を告げるものでもあるわけですね。 しかし、ここに夜カラスが登場したことで、季節を告げることが出来なくなった、つまり、季節が止まってしまった→時間が止まった→死が訪れたと考えることもできるかもしれません。 カラスは死を予告する存在でもあり、 >「古来、カラスは霊魂を運ぶ霊鳥とされていた。「烏鳴きが悪いと人が死ぬ」という伝承があり、カラスが騒いだり異様な声で鳴くとその近所に死人があると信じられた」 とするならば、梅の死、または梅と鶯の関係の破たんとしての死が訪れたということかもしれません。 しかし、どうもすっきりしないのは、 >暫しの慰めに夜ガラスに心迷い、 というところです。 どうもこの梅は、 >昔聞き馴れた鶯の鳴き声、落ち葉になったのでもー聞くことはできません。 というように、人生の終盤を迎えているようで、死を告げる夜のカラスを受け入れたにもかかわらず、どうも後悔している。 ここがすっきりしないところです。 どうも梅は、死ぬに死にきれず、死を受け入れられずにいるという印象です。 確かに、 >「視力が高い、見分ける知能もあるということから「炯眼・慧眼」とされ、神話や伝承において斥候や走駆や密偵や偵察の役目を持つ位置付け」 であることから、狡猾で、誰かをだましたりするずるがしこい印象があり、このようなダークな側面を見て、梅は後悔しているようですが、そうなのかなぁと。 鶯のことが恋しいのかなぁ。 「これも定めと想いを決めて、桜のように散れぬ梅の悲しさ」。 こんなとこでしょうか…。 おそまつ。

吉田 修(@osamucom0409) プロフィール

産業カウンセラー(日本産業カウンセラー協会) 吉田修(株式会社Dream・Giver) ■ご質問者・みなさまへ■ コーチング最新メソッドを使い、自分でできる、気持ちの切り替え方法をご提案しま...

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