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モデル、構造そのものを扱って議論するとは
過去に似たような質問をしていると思います。御容赦ください。 論理学などの文脈で、 自然数N、実数Rの構造は一階述語論理では特徴付けれない 書かれているのをモデル論側からの視点としてよくみるのですが、このモデル、構造というものをどうやって直接議論して扱うのでしょうか(つまり完全に間違い、勘違いと思うのですが、形式体系で扱うことができないのがモデル、構造と思ってしまっているのです、なのでどうやって厳密に扱うのがわからないのです)。 というより言語上で特徴付けれないのになぜ、同型でないモデルが複数あるとわかるのでしょうか? これは絶対的に、形式体系では自然数の構造が決まらないということではなく、 形式体系における相対性、つまりある形式言語上では特徴付けられる(一意に決まる)が、ある言語上では一意に決まらないということを言っているのでしょうか。 モデルというものを扱うことは、なにか心の中の自然数そのもの、実数そのもの、集合そのもの全体を参照する必要のあることに感じ、怪しいものと見えてしまいます。 実際にはそうではなく、形式体系と同じレベルの厳密さをもってモデルについても議論ができるはずだとは思うのですが、その具体的方法がわからず、ずっと勘違いをこじらせてしまっています(つまりモデルを使った議論は心の中の対象に訴えるような哲学的で怪しいものといった誤解がとけません...)。 この方面に明るい方、お暇でしたらご教授お願いします。助けてください。
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- sunabo
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「フレーゲ・デデキント・ペアノを読む」にこうありました。 --引用-- p24 1行目 同型を除いてただ一つに定まることが証明される場合には、範疇的(categorical)と呼び習わせてきた。 p24 7行目 1階述語論理で形式化された体系では、範疇性は成り立たない。 --引用終わり-- とすると、 一階述語論理で形式化された体系では、同型を除いてただ一つに定まることが証明されない です。 本に丸投げします。もうご存知でしたらすみません。 わかると思って回答し始めましたが、結局わからず申し訳ありませんでした。
- sunabo
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まことに申し訳ありません。 no5の回答の訴えてみますは誤りです。 no.5の回答でM={Φ}としました。 でももしかして、{Φ}=Φではないでしょうか? 空集合の性質 ・どんなものであれ、空集合に元として含まれることはない。 空集合を含む集合Mは空集合という元(=要素)を含んでいます。 この性質を集合Mは持ちません。 ・空集合の部分集合は空集合自身のみである。 集合M={Φ}の部分集合は{}を取った記号ですからΦです。 Φ⊆{Φ}です。 この性質を集合M は持ちます。 空集合は元(=要素)か、集合かわかりません。 含む と 部分集合である は区別しなければなりませんが、 わかりません。 正則公理です。 正則公理 空でない集合は必ず自分自身と交わらない要素を持つ ∀A(A≠Φ→∃x∈A∀t∈A(¬(t∈x))) 集合Aが空でない ならば xがあって集合Aに含まれて、集合Aに含まれるtはxに含まれない xをΦに、AをMに置き換えます。 集合MがΦでない ならば Φがあって集合Mに含まれて、集合Mに含まれるtはΦに含まれない。 Φに含まれない要素tが必要です。 でも ΦにはΦしか含まれません。 空でない集合MにはΦでない要素が含まれることになります。 1が思いつきます。 とすると、もうわかりません。 しかしながら、 私は、怪しいといいません。 私は、怪しくないといいません。 私にはわかりません。 重ねて謝罪いいたいます。 no5の回答の訴えてみますは誤りです。 申し訳ありませんでした。 参考urlに空集合公理と正則公理があります。
- sunabo
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数学で構造そのもの、モデルそのものを考えるとはの回答no.1の 参照資料 数理論理学 講義ノート(2013年度版)の P19の下から6行目に --引用します-- 1.Mは空でない集合である --引用終わり-- とあります。 空でない集合には空集合が含まれます。 Mに空集合が含まれます。 空集合を含むMはMの対象領域で、MはΓのモデルです。 空集合はモデルと関係があります。 モデルを使っての議論は心の中の空集合に訴えるものです。 訴えてみます。 ストラクチャーMの対象領域M={Φ} 言語L=(0;+;=) 言語Lの閉論理式の集合Γ={0=0} 言語Lに対応するストラクチャ-M=(M;Φ;∪;=) 解釈evalM(0)=Φ 解釈evalM(0+0)=(evalM(0))∪(evalM(0)) evalM(0)=evalM(0)のとき真理値evalM(0=0)=T 私は演算 s' = s∪{s}の再帰使用が納得いかないので 自然数Nの構成はできません。 モデル論側からの視点で 自然数N、実数Rの構造は一階述語論理では特徴付けれない についてはわかりません。 最後に申し訳ありませんがno.4の回答で1があるとしましたが、 私の心の中にある1と質問者様の心の中にある1が おなじだという確信がありません。
- sunabo
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空集合はあります。 空集合があると、数学ができます。 以前質問者様は 内容がなくても、数学ができるのでしょうか? と問われています。 私は直接には答えられません。 ですが、 内容を空集合におきかえます。 空集合がなくても、数学ができるのでしょうか? という問になります。 これなら答えられます。 空集合がないと、数学ができません。 >自然数そのもの、実数そのもの、集合そのもの全体 その自然数そのもの、0からはじまってませんよね? なぜなら、1+2=3という式が モデルの正式な立場、記述についての解答no.6で出てきましたから。 もしかすると、 空集合があるか、ないか、 質問者様は決めかねておられるのではないでしょうか? 空集合がないと、数学ができません。 空集合があると、数学ができます。 空集合があります。 あと、1があります。 それと、演算 s' = s∪{s}は心の中にもうあります。 モデルの正式な立場、記述についての解答no.3で出てきましたから。 s'とsと{s}のうち、sは空集合、{s}は1。 なら、s'は2です。 もし、空集合がないと、 s'が2なら{s}は1 sに入れるものがありません。 空集合はもうさかのぼれない何かです。 現実にはそんな何かはありません。 心の中に、空集合があります。 以下の私の理解は怪しいのでご注意ください。 演算 s' = s∪{s}が再帰的に使えることを認めますと、再帰し続けられます。 無限大まで再帰しつづけられます。 どこか途中からはじめても、さかのぼって、空集合まで行きます。 以上です。私は数学に詳しくありません。
- sunabo
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。いさだくでん読らか右は文のこ 私は、質問者様が、上の文字列を読めたと思います。 読み方の説明はあらかじめできません。説明の説明が必要になるからです。 1つの読み方で読めたとき、読み方が正しい読み方の可能性があります。 読み方が1つだけだと決めることはできません。 2つ以上の読み方で読めたときは、どれが正しい読み方かわかりません。 どれも正しくて、どれも正しくないかもしれません。 読めなかったときは、読めなかったのか、読み方がわからなかったのかわかりません。 あらかじめの説明もあります。 ・日本語のが読める ・終端の記号。 ・先端から順に次の文字を見る ・助詞はを見たら単語を区切る ・モニタが平面で横書き 上記の話は、モデルと関係ありません。 no.1の回答も、言語の恣意性もモデルと関係ありません。 でも、 上記の話は、「モデルを使った議論は心の中の対象に訴えるような哲学的で怪しいもの」 と関係あります。 あるとすると、 「心の中の対象に訴えるような哲学的で怪しいもの」 と関係あるということです。 {x| x≠x} 読めましたか? {}集合 x| エックスについての x≠x 自分自身と同じでないような要素の つまり{x| x≠x}は空集合でΦです。 ∃X∀x¬(x∈X) 空集合の公理が読めましたか? ある集合Xが存在して、任意の要素xに対し、xはXの要素でない。 つまりXは{x| x≠x}で空集合でΦです。 私は、質問者様の心の中に私の心の中と同じ空集合があると確信しています。 数学の文字列は抽象してあるので、同じことが心の中にあるように強制します。 でも、どこまでも抽象して、絶対の強制をすることはできません。 無定義語までです。 強制の理由はたぶん抽象ですが、正確にはわかりません。 強制されると嫌な感じがします。とくに理由がわからないとさらに嫌な感じがします。 私は意図的に、読めましたか?と書いて嫌さを強調しています。 嫌な感じを認めてから、嫌な感じはおいておいて、 もしくは、嫌な感じを逆に快感にして、さらにそれをおいておいて、 モデルの正式な立場、記述についての、stomachmanさんの回答を no.2,3,4,5,6,7をもう一度読んでいただくことを提案いたします。 質問者様はもうすでにモデルについて理解していたことがわかると思います。 私は過去に似たような質問をしていることを御容赦いたしません。
むかし読んだ本なのですが、例えば自然数を発生させるペアノ公理系を満たす集合は、実は一意には定まらない、という話を読んだ事があります。 一意には定まらないとしても、ペアノ公理系は一階述語論理で書けますから、(不定解みたいな)それら不定の集合全体も、やはり一階述語論理で記述できる訳です。さらにペアノ公理系を満たす集合が一意に定まらないという事は、それらの集合はペアノ公理系で決まる構造以外のものも余剰に含み、ペアノ公理系を満たすだけの集合より大きい事になります。 従って普通にやっている事は、それら不定の集合全部の共通分を考え、ペアノ公理系を満たす集合系の最小集合で考えているんだ、という話でした。 「自然数N、実数Rの構造は一階述語論理では特徴付けれない」とは、こういう事ではないのかなぁ~?、と想像しました。
- sunabo
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質問者様の疑問は数学より、記号論のほうが近いと考えます。 私は、数学にも、記号論にも明るくありません。 キーワードは言語の恣意性だと思います。 >どうやって直接議論して扱うか? 紙に字や図を書いたり、声に出して言ったりして議論して扱います。 頭の外に出します。 >言語上で特徴付けられないのは? 名前は何でもいいです。赤くて手に乗るくらいの丸い食べられる木の実でもいいし、りんごでもいいし、appleでもいいです。どうやってもアレをこの名前で言ったらコレだ。 頭の外になると、名前とアレとコレをきっちり決められません。 言語の恣意性のためです。 でも紙に書いたり言ったり頭の外に出さないとどうしようもないです。 でも、意外なことにとアレとってと言ってみると通じます。(もちろん通じなかったりします。) >怪しいものといった誤解は? 理由の1つ目は、 どこにあるのか確信はありませんがおそらく、みんなの頭の中にある、言語の恣意性のためです。 モデルや数学の中にはないんじゃないでしょうか?(質問を質問で返してごめんなさいでも、質問者様のほうが詳しいと思います。) 2つ目は、 記号は意味=方向へ送り返されて、別の記号に行き、 そこでもまた別の意味=方向へ送り返されてどんどん果てしがありません。 3つ目は それでも、結局は了解するに違いないと確信があります。 確信がなければ問いません。 問わなければ見えません。 見えなければありません。 でも実際、質問者様は問うておられます。 ・言語の恣意性でググルこと。 ・参考URL文化記号論Iを読んでみること を提案します。