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哲学や思想についての批判は 生け捕りにせねばならぬ

 ・・・のでしょうか?  文章や論理を批判しても なかなか効かない。  文章の全体を受け留めて その全体をあたかも人格ないし存在として捉えて その姿をこそ生け捕りにしないと 相手は容易に話をすり抜けて行く。  あるいはつまり 文体の問題なのでしょうか?  文体にあたかも魂振りをあたえるかのごとく接して 相手はその文体ごと あたかも踊り始めるように持って行く。  批判とは 何ぞや?

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noname#211048
noname#211048
回答No.4

子羊のようなうさぎに変えたけれど 覚えてらっしゃるかな。一応前のアイコンは川と空、動物とはげ山。 こんばんは。ひとつ疑問に思って来ました。 「生け捕り」はフェアなたましいとたましいとの交換、という意味で「生け捕るよ、同時に君に僕を生け捕らせるよ」ということでしょうか。わざと言葉を悪くしているのなら それなら いいのですが、 気になるのは、生け捕ったところで 囚人として匿われ、化学反応をおこすどころか生き抜く為に堅くなになるだけ・・にならないかが心配です。経験になる、ということを遠ざけてしまわないか、ということです。読み間違いをしていなければ、どうお考えでしょうか。 言葉の節、有り難うございます。勉強になります。 英語が単調になるなんて、大丈夫です。そういえば、わたしの父親は終戦年生まれで、前にぶらじゅろんぬさんのプロフィールをみたところ、おとしが近かったはず。(風邪気味なので、うつさないようにも、早めに寝ないとな。)

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 一応前のアイコンは川と空、動物とはげ山。  ☆ なるほど。動物が合っていた。里の風景ですね。ひょっとして ご自分で描かれた?  ★ 子羊のようなうさぎに変えたけれど  ☆ わたしは しょっちゅうアイコンを変えています。基本的には 季節に合わせてです。  うさぎのような子羊。これは 絵ではなく ぬいぐるみですかね。  ★ 気になるのは、生け捕ったところで 囚人として匿われ、化学反応をおこすどころか生き抜く為に堅くなになるだけ・・にならないかが心配です。経験になる、ということを遠ざけてしまわないか、ということです。  ☆ そういったきわどく 見方によってはあくどいやり方に通じる押し相撲だと言わねばならないでしょうね。今回の《批判》についての仮説は。  そもそも この場合は 出発点が きわどくギリギリのところまで来てしまっています。  ☆☆ 批判とは何ぞや?  ☆ なのですが すでに  ☆☆ 文章や論理を批判しても なかなか効かない。  ☆ という地点にまで来てしまった場合です。    ☆☆ 文章の全体を受け留めて その全体をあたかも人格ないし存在として捉えて その姿をこそ生け捕りにしないと 相手は容易に話をすり抜けて行く。  ☆ 《人格ないし存在》を持ち出したのは むろん基本としては おっしゃるように:  ★ 「生け捕り」はフェアなたましいとたましいとの交換、という意味で「生け捕るよ、同時に君に僕を生け捕らせるよ」ということでしょうか。  ☆ という人間どうしの対話といった行き方に戻るのがよいかと思ったところからです。  そうは言っても・だとしても すでにあからさまに結局《おまえを 話し合いに臨む今の姿勢なら 存在をまるごと生け捕りにしてしまうぞ》と言うところまで来てしまっています。けんか腰ですね。  さすが これは修正しようということで:  ☆☆ あるいはつまり 文体の問題なのでしょうか?  ☆ と 《文体》のほうへ目を逸らせようとしています。ずるいと言うより あくどいですね。    ただし 考えるにそのあと:  ☆☆ 文体にあたかも魂振りをあたえるかのごとく接して 相手はその文体ごと あたかも踊り始めるように持って行く。  ☆ と表現するような内容が 《生け捕り》には ともかくやっと哲学的現実のひとつの姿としてともなわれている。と確認した格好です。  1. 思想のみづみづしさや すこやかさが息づいているというためには 心がすでに癒されやわらがしめられていること(つまり 世間と和解している また 自分自身と和解していること)が 大事だと考えます。  2. 論理のととのえられた姿だけでは足りない。  3. そこで――おそらく昔むかしの人たちもそうしたように―― 和解としては《魂鎮め》をおこなう。  4. これは文字通りたましいを《鎮める》のですが・つまり静まり澄んだ心になるということですが そのためにはまづ《魂振り》をおこないます。眠っているたましいを まづ振るい起こさねばならない場合があると思います。  5. 哲学も 《生きること・よく生きること そして ともに生きること》をその根幹とするなら 対話において この魂振りをふくまざるを得ない場合があるのではないか?    6. 相手も――質疑応答をそっちのけにして――こちらに向かってののしり悪態をつくまでになって来たなら そしてそのとき そこまでふところ深く飛び込んで来たと もし見たとするなら こちらも相手のふところ深くに入って行くことが 必要な場合がある。  7. そういう場合の対話のあり方・批判の仕方・〔おっしゃるように〕人間として互いに互いを活かし合うそのあり方――これを問おうとした問いです。    でも 《化学反応》はなかなか起きませんね。わたしの思い上がりであるかも分からない。  いまの若い人は 英語や外国語に囲まれていて馴染みがあるぶん ことさら努力しないかたちで積極的ですね。  お父さんが わたしよりひとつ年上だとか。いろんな経験体験を聞けるでしょう。    ふとんを被って寝ていると汗をかくし はねのけると寒い。中途半端な気候ですね。お大事に。

その他の回答 (3)

回答No.3

 もちろん批判ですけど、何か?批評する気なんか全くありません。ワンパターンな皮肉なお礼と、直情的に頭にきて、すぐその後に嫌な質問をするのは、いつも通りですね。ああ疲れる。  という思いを、波風立たないように、保留するのはやめてみました。

bragelonne
質問者

お礼

 ささやかな《魂ふり》になったようですね。よかった。  ご回答をありがとうございます。  小林秀雄は たいしたことを言っていませんよ。  こんどのご回答で 《生け捕り》にして差し上げましょう。

回答No.2

 やはり批判なんですかね!?ダメ出しの感じでしょうか?批判と批評は違う気がしますが、広辞苑ではあえて調べていません。  また小林秀雄の言葉ですが、「批評とはまず相手を尊敬する事である。」  尊敬できる人の題材を取り上げたらどうでしょうか?

bragelonne
質問者

お礼

 ★ やはり批判なんですかね!?  ☆ というご回答は 《批判》なんでしょうか どうなんでしょう?  ご回答をありがとうございます。

noname#211048
noname#211048
回答No.1

両方あってこそだとおもいます。 踊って 躍りかたを覚えて書き留めて、理論立てて考えて よりよい踊り を発見したり、新しきを見付けて、法則(節々の動き~とか)だとか、それをまたダンスに取り入れたり ・・・ たとえば とり入れられるものでないなら どの音楽を選出するか(このクラブハウスに足りないスパイスはなにか だとか)の判断材料として活用する とか) 踊らないひとであれば、舞妓さんをやとる。 >文体の問題なのでしょうか。 返答になっているか わからないですが、英語と日本語では 頭の動かしかたが変わるというし、そういうことでしょうか。 日本語でわからないことが、英語ではわかったり。英語が喋れるようになりたい

bragelonne
質問者

お礼

 めづらしい絵ですね。右と左に立っているのは 動物に見えます。あとは 分かりにくいですね。  すてゅ2580さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。    踊りには:  ★ どの音楽を選出するか  ☆ これも ありましたね。    ★ 英語が喋れるようになりたい  ☆ よくも(論理的になる)わるくも(単層になる) 一本調子になるかと思っています。  日本語は 文が 重層(二層)構造をしていると考えています。  もっとも 英文の場合でも 単層の文とそしてその話し手(書き手)であるわれとの関係で 重層になるかも分かりません。  英文で きびしい表現をしていつつ 話し手としての顔は やさしい表情をたたえているといった重層構造になれるかも分かりません。  舞妓さんは 職業としてあること自体が わたしは嫌いです。日本舞踊をやればよい。  あと 文体という問題は むつかしいですね。奥が深いと思います。

bragelonne
質問者

補足

 お礼欄をおぎないます。  ★ 両方あってこそだとおもいます。  ☆ 論理の追究の問題と文体ないし表現者としての存在どうしの関係の問題 両方あってこそでしょうね。  書き忘れてしまいました。

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