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自己探求していた日本人

夏目漱石も自己探求をしていたそうです。 ヤフーの質問でバイオニア56さんという方の質問でも、シュリー・ラマナ・マハルシというインドの方が自己を探究しておられたそうです。 【質問】 日本の方で漱石以外に自己探求しておられた方がほかにおられるでしょうか?

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回答No.2

 ▲ (人麻呂:万葉集 巻三・235番歌) ~~~~~~~  http://infux03.inf.edu.yamaguchi-u.ac.jp/~manyou/ver2_2/manyou_kekka2.php?kekka=03/0235    天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首   皇者   神二四座者  天雲之  雷之上尓  廬為<流鴨>   大君は 神にしませば 天雲の雷(いかづち)の上に廬(いほ)りせるかも  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《いかづち山にあそぶすがたは まさに神であるゆえ 雷の上の仮庵にあることか。そうかもね》と言っているのだと思います。  すなわち 人びとの常識は おほきみが神であるということであり いまそれにふさわしい光景でもある。けれども 人間が神であるだろうか。まぁ 言い慣わしているところとしては そうかもね。――とうたう人麻呂は 人びとの中にあって まさに自己を探究している。と捉えます。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。 さすがbragelonne さんですね。 たいへん参考になりました。 そういう観点から私も探してみます。 実は私も、ここ40年ほどSelf-Realization Fellowshipという団体で勉強精進しているもんでしたので。

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その他の回答 (2)

noname#260418
noname#260418
回答No.3

戸籍を登録するようになったばかりの 時代に「自己」という「存在」を 根本的に認識できていたのか 謎です。 とてもスビリチュアルな話ですが。 医学者の森田正馬氏でしょうか?

krya1998
質問者

お礼

はいスピリチュアルなことでした。 ありがとうございました。 森田正馬氏については改めて勉強してみます。

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回答No.1

明治時代は、西欧各国とともに、国民国家の時代。 西欧はナポレオン戦争をきっかけに各国は国民国家を作った。 それまでは国家と言っても、一般の民衆にとっては雲の上の出来事で、自分は関係ないと思っていた。 各国は国境線を取ったり、取られたりしていたが、一般民衆は自分がどこの国に属しているか、なんて無関心。 自分の国とか、国王が誰だか、そんなことは知らなかった。 今のようにテレビがあるわけではないし、新聞があるわけでもない。 だから、当時の国王は全国を旅して自分が国王だと言うことを宣伝して回らねばならなかった。 つまり、農民や商人・職人はいたけど、国民がいない。 ところがフランス革命で、ナポレオン軍はヨーロッパで初めて「徴兵制」を敷いた。 各国の軍隊はたいてい「傭兵」だった。 ところが「傭兵」は死んだら元も子もないから、戦うふりをするけれども、死を賭して戦うことはしない。 それに反し、ナポレオン軍は「国民」というものを作為して、革命を守れ、と叫んで各国軍隊と戦い、連戦連勝、向かうところ敵なしだった。 そのために各国はナポレオンに対抗して、「国民」を作り、逆に反攻攻勢に出てナポレオン軍を打ち破った。 こうしてナポレオン戦争をきっかけに、各国は「徴兵制」を敷き、国民の神話を作り始めた。 そして持ち出されたのが、国家の伝統、神話のたぐい。 「国民」など、それまでいなかったけど、国家の伝統と神話を作ることによって、「国民」を作為して行った。 こうして「国家」と「国民」の一体化、不可分という神話が作られ、国民国家が作られた。 日本の場合も、明治の国民国家と軍国主義を作るために、学校教育を通じて、古事記・日本書紀の日本の創世神話が教え込まれ、万葉集・源氏物語など、それまで貴族が読んでいたにすぎない古典を、我が国の文学の伝統と言って、押し入れから引き出してきて、国民に教えた。 なぜ、国民を作為しなければならなかったかと言えば、戦争をするためです。 戦争をするためには生命の価値よりも、大きい価値があることを人に教え込まねばならない。 それが「国家」という神話であり、「国民」という神話であり、「自己」という神話だった。 漱石は国民作家と言われる。 なぜ、そういわれるかと言えば、自己が存在すると言ったからだ。 自己なんて存在しない、ただのフィクションであり、そんなものは明治以前に存在しない、西欧の「国民国家」が作為したものに過ぎなかったが、漱石は英国に留学して、最新の言葉「自己」というものを日本に持ち帰って、日本が国民国家・近代国家を作り上げるうえで必要不可欠な観念として、自己があることをその文学作品で追及した。 明治時代には「自己の確立、自我の確立」がスローガンのように叫ばれた。 ところがその国民国家が、第二次大戦と共に消滅し、終焉した。 その結果「国民」も「自己」も消滅した。 もともと戦争をやるために作為されたものに過ぎなかったので、戦争に敗れれば、要らなくなる。 今の日本には「国民」なんていない、私利私欲で自分の利益になることを追求し、他人を手段としか考えない人間ばっかりだ。 「国民」なんて、オリンピックの時しか、人々は意識しない。 戦争に敗れると、「自己を確立せよ!」というスローガンも、誰も叫ぶ人はいなくなった。 「自己」なんていう言葉を聞くと、アナクロニズムにしか聞こえない。 その「自己」って、どこにあるの? 体のどこにもない。 「自己」はただの言葉、自分と他人を区別するための「符丁」とか、記号に過ぎない。 だから「自己」なるものがどこかに実体的に存在するわけではない、 自己は形がない、色がない、匂いがない、味もしない、見えない。 だから、ただの言葉。 そのただの言葉を「自己探究」したからと言って、何かが見つかるわけではない。 そもそも「自己」というのは国民国家の作為した、フィクションに過ぎないからです。 そして国民国家が終焉した今、そんな言葉は今や、骨董品に過ぎません。 夏目漱石も、今や骨董品。 たぶん、あなたには明治時代に対するノスタルジアがあるんでしょう。 だからそんな質問をしている。 ああ、古い、古い、いかにも78歳のジジイの言いそうなこと。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。

krya1998
質問者

補足

本当に古代かどうか存じませんが、古代ヒンドゥの哲理の中での人の意識本体は神であるという事を勉強精進して40年になります。まだひよっこですが。 近代国民意識との関連での自我性を表皮的現象の一つと見ています。 アクセス有難う。

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