- 締切済み
善はたくさん体系がある(宗教多元って?)
もし、善が一つであったり、善の価値の体系が一つだったら世界に一つしか宗教しかないですけど。実際はたくさん宗教があります。 真善美は体系はいろいろあるということでしょうか? 殺人や窃盗はしてはいけないような共通的なことはあるにせよ、科学のように一つの答えにたどり着かないのでしょうか?
- その他(学問・教育)
- 回答数4
- ありがとう数2
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- trytobe
- ベストアンサー率36% (3457/9591)
「人が平穏に過ごせる」という目標が1つでも、その実現方法は1つとは限らないから、でしょう。 科学でも、同じ結論を導くのに、複数の検証方法がありますし。数学でも答えは1つでも、その導き方は複数の解法がありますし。
- JS_Lover
- ベストアンサー率12% (8/63)
何に価値を求めるか、そういう事でしょう。 因みに、真善美は価値哲学としてはおかしいのです。 真偽は主観によって、その考え方のベースによって変わる。 その主観は法則(科学などの)と言ってもいい。 真実そのものには一銭の価値もない。(正の価値も負の価値もない) 言ってしまえば「火」や「水」のようなものです。巧く使うか失敗するかで 益になるか害になるかという結果を生じます。 善の価値そのものについて、考えてみましょう。 因みに、ここの常連質問者の回答はアタマのネジが外れているので何の参考にもなりませんがw
- catpow
- ベストアンサー率24% (620/2527)
>>真善美は体系はいろいろあるということでしょうか? まあ、現実問題として、同じことをやっても、それが善になるときもあれば、悪になるときもある。 素晴らしい歌声のプロの歌手が、コンサート会場とか、街の広場で歌えば、みんなが歌を楽しんで「善」となる。 でも、国会で重要な問題を話し合っていて、国民の多くが、TV中継を真剣に見ているとき、その歌手が国会で歌い出せば、それは「悪」になる。 ドイツの暗号を解読したことを秘密にしたくて、ドイツが空襲を行うことを知っていても、ターゲットとなる市民に何も知らせず、彼らを見殺しにしてしまうのは、小さくみれば「悪」だけど、最終的に戦争に勝利するって意味では、「善」と判断されるかもしれない。 同じような意味で、米国が日本へ原爆投下したことについても、善という人もいるだろうし、悪だという人もいる。 >>科学のように一つの答えにたどり着かないのでしょうか? 「総論賛成・各論反対」っていうことではないでしょうか? 「みんな幸福を追求している。幸せになりたい!」 っていう総論は、どの宗教でも、賛成するでしょう。 でも、もう一歩踏み込んで具体的な話になれば「幸せは、私の宗教の教えを守ることが必要だ」「この教えを守ることが天国の扉に通じる」って話となり、それぞれの宗教の見解に差が生まれてきます。 イスラム教では、複数の女性と結婚することを認めています。でも、現代の日本はもとより、多くの国で、この重婚は違法であり、「悪」だとされます。 でも、イスラム教の発足当時、彼らは戦いが多く、未亡人が多数出たのです。複数の女性との結婚は、そんな未亡人を救うための慈善活動的な意味がありました。 豚肉がダメだとか、お酒がダメってのも、当時の衛生環境でブタ肉を食べるのが危なかったとか、お酒を作る技術が未熟で、お酒が危険な飲み物であったなど、その地域・時代においては、「正しい教え」であったけど、近代になったら、そんな教え、ルールはちょっとおかしいと感じますよね。 かえって、その教えを守ることが「悪」だとみなされることもあるでしょう。 ですので、ものごとの善悪・価値観の根本は、宗教が決めているのですが、地域性・時代性があって、ある地域では「善」でも、別の地域では「悪」になるし、時代の流れでも「善」だったものが「悪」になる。 そして、宗教の教えは、地域性・時代性に対応しての微調整、修正を行わないことが多く、時代と合わなくなるし、さらにそれぞれの宗教間での差が対立の元になる。 元々、「あの世」からこの地上を良くするために、イエスやマホメットなどが、「神の使途」として地上に送られてきました。 それぞれの教祖は、神の声に従って、この地上を良くしたいと願っていたのですけど、弟子たちは、名誉欲とか、政治権力、経済界などと通じることで曲がった道に入ることも多かったと思えます。 自分の勢力圏を拡大するために、他宗教の信者や同じ宗教の別派を皆殺しにしたことも歴史を見ればありますね。 彼らは、皆殺しが「善」だと思って殺人をやっていたかもしれません。 そういう意味で、この混乱した宗教をすっきりさせ、全ての世界宗教を統合し、宇宙時代に合わせた宗教を地球に広めようとして、大川隆法総裁は、「幸福の科学」を作られたのです。 質問者さんが思うように、科学の世界みたいに、「価値観の統一」を宗教において行い、ISのような狂信宗教を滅ぼし、「宗教戦争」が無い世界にしたいものですね。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
人の生きる上での唯一の価値基準は、人生を通算した精神的な充足量の最大化に寄与するか否かだけだ。 「善悪」自体、自己中心的に陥りがちな認識を、社会性のタガにはめるために派生した必要悪に過ぎない。 深まる認識が、現象をより原理的に把握したり、また、組織化に於ける個体間相互作用を経験的に編成したりして、体系化(>世界観)する上で、経験の基底(移入)であると同時に意志として認識上に展開される衝動も、不可分に体系性(>価値観)を帯びてくる。 その中で、未だ認識化されない原理に基づく現象の経験的先入化による、あるいは組織化の分業に於ける相対的な環境の違いに基づく認識の違和の他律的原理化による、体系への編入(常識)は、そこに於ける衝動及びその原動力たる進化の展開が認識されぬ以上、自我(衝動充足)以外の先験的価値領域を形成する。 そこに於て、進化(反エントロピー=生~充足)方向現象に於ける自己中心的認識の補完を善と呼べば、それに反する被淘汰(正エントロピー=死~非充足)方向のそれを悪と呼びうる。 その、短絡的利己の社会システム的(認識外)矯正としての、善-悪寄生体系は、より高まる認識に於て、内なる物理=自己の認識システムの存在原理(~不確定性)としての把握と、外なる物理=社会システムの自己の生命の延長としての把握による、全衝動の自己の生(反エントロピー)への集束によって、認識体系に吸収され、即ち全環境(宇宙)の自己としての理解と、全行動の(生産)の利己としての把握に到達する事により、その「意志による生=生存自体による充足」は、最高認識に基づく最大生存に於ける完全充足、即ち最大充足を実現する。 それこそ、現象の如何を問わず、一切の認識=全ての宇宙の、究極の理想であり、善悪の概念は、飽くまで妥協的修正(他律的常識)であって、善は過程として善(生産)であっても、本質として悪(非認識=非充足)に属するのだ。
関連するQ&A
- これは世界共通善では?
マザーテレサは最近評判が悪いですが、分かり易い例えとして、マザーテレサのように「自分の人生を捨て、私欲を捨て、他人の為に尽くす行為」は時代を超え、民族を超えた世界に共通する世界共通善だと思いますがいかかでしょうか。 これこそ最高善、絶対的善だと思います。皆さんのご意見をお願いします。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 科学と宗教をどう結びつけるか?
科学全盛の時代ですが 科学は様々な可能性を開く一方 核兵器やコンピューターのストップ、戦争等では 悪い可能性もどんどん開いてしまいます 昔は宗教が人々を纏めていたのでしょうけど 今は宗教自体が何千と在って まとまらない 宗教対立も起こります そういう中で哲学はどの様な役割を持ち 実際何が出来るのか? 倫理なき科学とバラバラになった宗教を人間にとって 調和した価値あるものにする為にはどうするか? 不条理から人を救うには何が出来るか 分かれば教えてください。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 世界から宗教がらみの殺人をなくすための政策は?
宗教を統一する方法を質問しましたが納得できる答えがありませんでした。 世界には宗教が原因となっている戦争やテロにより毎日のように犠牲者が出ています。 殺人などの犠牲がでない対策を教えてください。
- ベストアンサー
- ニュース・時事問題
- これは絶対善と言えないだろうか
「我々日本人にとって最も大切なものは国民の命であろう。この最も大切なものを守ることは絶対的に正しいことである。最も大切な国民の命を守ることは絶対的に正しい事である。つまり絶対的に正しい事、絶対善は国民の命を守ること、つまり種族(民族)保存のことである、これは世界の各民族にも共通するから普遍性もある」 これは論理的に正しいであろうか。 また「ウイルスから虫、植物、犬や人間まで、ありとあらゆる生物が何億年もの間、命を賭けてやってきたことは何か、それは子孫を残すことである、これはいわゆる種族保存である。ゆえに、この大自然の、大宇宙の意志というのは、命を賭けて種族を保存せよと言う事である。この大宇宙の意志を絶対的に正しい(絶対善)と言わずに何を正しいと言うのだろうか。ゆえに絶対善とは種族保存のことである」 これらの考えから“絶対善、つまり絶対的に正しいことは種族保存であるとなった。これらは間違いであろうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 人間6割悪4割善
人間の6割は誰も見ていないと悪さをするといいます。 4割は誰も見ていなくても悪さはしないといいます。 科学的データです。(善悪二元論?) この事から一見悪そうな人も善だったり、善良な市民だと思えた人が悪だったりします。 たいてい悪の側の人間は、人をいじめたり排除したり、陰口、悪口が好きです。そのわりに社会的にはまっとうな人間に思わせてきますから見抜くのは難しいです。 宗教やっている人が善かといえばそうではなく、やっている人も集めれば6割悪、4割善でしょう。 しかしなんで悪が宗教やってるのかよくわからないです。教えてください。 また悪同士で友人、恋人関係を築いているわけですが、私には友情や愛といった感覚があるのか分からないです。どうやって結びついているのか・・・。 私自身、このデータにたどりつくまで、6割悪だと気づかずに人と付き合い、傷つき、損してきました。 これからは4割の方々とだけ付き合いって行こうと思っています。 これは何も悪を排除する事にはなっていないです。だって悪は6割もいて悪同士で結束しているんですから。 私は今まで悪と関わらないって事は悪を排除している事につながり、悪が善に転化するのを妨げてるんじゃないかって思っていました。 ですが最近は悪が善に転化することってないのではって思い始めています。 つまり人間は生まれたときから気質的に善と悪にわかれているのだと・・・。 まあ、ここまではデータは出ていないのですけれどね。 私のいってる事がほぼ真実に近いとしても、社会って6割悪だから、この考えは猛反対を受けて抹消されるとは思っています。
- ベストアンサー
- 友達・仲間関係
- 宗教の違う者同士で仲良くなれますか?
哲学コーナーに質問しようと思ったのですが、社会学的な見地から実現可能か知りたく、こちらに投稿させていただきました。 よろしくお願い致します。 今ある、多国籍国家の共生社会を見ていると、相手を理解するというよりも、お互いに不干渉を心がけているだけのように感じます。 例えば、キリスト教・イスラム教・仏教などを心から信仰している者同士で相手を理解しながら、結婚や家族、親友など本当の意味で親しい間柄になれるものでしょうか? なお、私自身は、今の科学が最も自然の摂理を上手に説明していると信じていますのでこれを宗教の一種と考えています。また、各国の若者と話す時も、科学を基本にしている人が多く宗教が大きな対立になったこともない(話した数が少ないのでサンプリングとしては不適当)のですが、それはある意味で、科学という共通の宗教を信じているからだと思っています。 逆に、共通ではない宗教(or敵対する宗教?)を信じている者同士でお互いの宗教も含めて理解し合い親しい間柄になれるのでしょうか?
- 締切済み
- その他(社会問題・時事)