末期ガンの告知-72歳の父が余命4カ月-悩んでいます

このQ&Aのポイント
  • 72歳の父が末期ガンと診断され、余命は4カ月です。告知をするべきか悩んでいます。
  • 父は長くても4カ月の余命を宣告されました。現在は隠居生活を送り、母との関係も悪い状況です。
  • 痛みを抱えながら生活している父には、緩和ケアが必要ですが、順番待ちが多くて入ることが難しい状況です。告知をするかどうか迷っています。
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末期ガンの告知

72歳の父が長くても余命4カ月です。 告知すべきか悩んでます。 今は隠居で仲が悪い母と暮らし、ここ1ヶ月は歩くと足に痛みがあり、オムツをして、食欲も減りました。 財産は無いので、相続などなく、会いたい人も叔母くらいだと思います。 本人は腫瘍の存在は知り、手術して帰れると思っています。 緩和ケアに入らないと、母が面倒を看るのは大変だと思うのですが、緩和ケアは順番待ちが多く入らないとききます。 それなら、緩和ケアに入れることが決まったら告知したいのですが、それは無理ですよね? 家ではテレビを見てるだけの父です。 告知をされたかた方、されなかった方、後悔してませんか? また自分なら父と同じような状態でされたいと思いますか?

noname#233711
noname#233711

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • YUKKER
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回答No.4

先日も質問なさってた方かな、こんにちは。 ご心配で心苦しいでしょうけれども、 お父様の残された時間も少ないですから、 あまり長く悩んではいられませんね。 >緩和ケアに入れることが決まったら告知したいのですが、それは無理ですよね? 少なくとも、わたしの父が選んだ病院では無理です。 お父様が行かれる予定の病院に確認してください。 >告知をされたかた方、されなかった方、後悔してませんか? わたしの父は最初に発見された時、大腸ガンのステージIIIでした。 自分のことは自分でやらないと気が済まない性格で、 自分から余命を聞いていましたし、余命が2年と言われても 怯むことなく今後の治療方針もすべて自分で選択していました。 まず手術をして、取りきれない分を抗がん剤で抑える という治療を6年近く続けていました。 通院も毎回一人で行ってましたし、余命より遥かに長生きして 医師から自分が担当している患者の中でも模範生だと褒められ 抗がん剤の副作用で苦しみながらも楽しんで治療を受けている様子でした。 そういう性格なので、もしも病態や余命を知らされなかったら、 父は医者を信用せず病院を変えていたでしょう。 何でも正直に話してくれる先生だからこそ、 自分の病態を知っているからこそ、ガンと、病院とお付き合いができました。 質問者さんのお父様の場合、知っていた方が安心するのか、 知っていると不安になってしまうのか、 それはわたしでは分かりかねます。お子さんの目から見ていかがですか。 ただ、病院か自宅かの舵は自分で取りたいと思いますよ。 >また自分なら父と同じような状態でされたいと思いますか? わたしも告知はしてほしいです。 知っていれば、その日までにやっておきたいことができます。 入院は嫌ですね。自宅がいいです。 病院で中身のない生活を送って死ぬより、 自分の部屋で、自分の家のニオイに包まれて、 自分が愛した道具や景色の中で死にたいです。 家族に迷惑をかけることがあってもです。 死ぬときぐらい自分のことだけ考えて死にたいです。 さすがに自分を看取ってくれる家族が揉めたり体調を崩したり 高齢のお婆さんだったら病院を考えるかもしれません。

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  • MIKI-PAPA
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回答No.6

私は、2度も種類の違う「肺癌」を経験しましたが、2回とも、う~んこれは「悪性の肺癌」だと告知されました。(私のプロフィールを参考に) そして、どれ位もてますか?と聞いたら、「そりぁ判らん」「神様では無いので」ワッハッハと言われました。実に立派な主治医の先生です。 2回目の「腺癌」が転移性脳腫瘍を起こし「ガンマナイフ治療」を3回受けましたが効果が芳しく無く、「脳神経外科」で開頭手術を受けましたが、「呼吸器外科」と、「脳神経外科」の病棟が違うのに、主治医の先生は2回も見舞いに来て下さり、心から感謝しております。 看護婦さんに聞いたら、通常はあり得ないこととの事でした。 今こうしてPCで投稿出来るのも、与えられた寿命に余裕があるからこそで、終活の日々を送る事が出来ます。 是非「チャンス」をみて「告知」をして差し上げるべきだと思います。

noname#215107
noname#215107
回答No.5

治療しないにしても、痛み止めの処方や、がんに直接関係ない部分の治療は必要となってきます。 私の場合、告知しないで本人に気づかせないことはほぼ不可能だと思ったのです。

noname#215107
noname#215107
回答No.3

治療をせずに緩和ケアを受けるにしても、抗がん剤による延命治療するにしても、治療方針が決まった時点で告知せざるを得なくなるでしょう。 告知せずに治療を続けるのは無理があります。 私の母の場合、告知しました。抗がん剤治療をしても数か月延命できる程度だったので、生活に支障の出る積極的な治療を本人は希望しませんでした。

noname#233711
質問者

お礼

書きそびれましたが、治療は一切出来ないのです。 緩和ケアに入りたいと言ってくれるかも判りません。 自暴自棄になって、治療を一切拒否し、自宅で治療となると、母は耐えられないと思います。 それなら自暴自棄にならぬように、告知しない方が良いのか、、、。 抗がん剤の選択が欲しかったです。

  • kia1and2
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回答No.2

70歳ですが、68歳のときに肺ガン告知され、10ヶ月の余命と宣言されました。亭主には、一桁数字だと可哀想なので一応二桁数字を本人にと。 子供もちゃんと一人前に育ち、孫とも遊ぶことができたので、まあ、10ヶ月もあれば十分かと、意外と平気。残り人生を悔いないように、病院のベッドで管だらけになるのではなく、自宅の自分のベッドで、最後を迎えたいと。それで、緩和ケア(PAIN CLINIC)へと。 最初は本人と身近な介護者との面接です。このときは、これまでにすべての検査をしたものを持参です。それで、なぜ痛むのかを説明です。このときに、ステージ1から5の段階のどのあたりかも。そのステージ毎の使用鎮痛剤の説明。私はステージ4から5に移るあたりだと。何も治療しないと決めた患者でも、回復した人もおれば、反対に絶対に病気に勝つ意思で、地獄に行くような厳しい治療をされた人でも、その治療の酷さには勝てず、末期を迎えずに亡くなる患者も多くいると。 痛みの種類や度合いを介護者は冷静に見つめ、チェック用紙に。それをもとに適当な痛みを緩和させる薬剤と量を処方するで、病人を連れてくる必要はなしと。 10ヶ月の余命で、まだ自分の足で歩けるということで、最後の孫も連れての家族旅行。体に負担のないように1週間同じホテルで。その旅行から戻って1ヶ月ほどすると、みるみるうちに劣れていき、歩行もできなくなり、昨年の3月ごろにはもう4月はもたない、激痛でステージ5の末期のモルフィネ系の点滴開始。サロンパスみたいに貼るモルフィネは、まったく効き目なしで、嘔吐と下痢が激しくなっただけです。 それでも、3月を越し4月を迎えることに。孫娘二人は毎日、私の横で昼寝。下宿していた娘さんは、夜は、私のベッドの端で手を繋ぎながら寝てくれました。息子・娘も交代で毎晩泊まり。食物は一切受け付けず、点滴だけ。 それで、4月も乗り越え、5月になると、物が食べれるように。そして、ベッドの上に痛みと格闘しながらも、座れるようにも。下宿していた子が5月末でイギリスに留学で、車椅子を持って来てくれました。来年、帰ってくるから、この車椅子で、散歩ができますように、って。涙ボロボロこぼしてその子はイギリスへ出発。多分、もう2度と会えないと生き別れ。 8月には、自分の足でたって、トイレにもシャワーを浴びることも。車椅子を使って、朝のだれも客がいないショッピング・センターを眺めにいったりも。今までの外出は検査のための外出で、救急車でCTスキャンとか、ガン専門医の検診だけだったのに。 そして12月のCTスキャンでは肺の潰瘍が直径45ミリあったのが19x11ミリで深さが10ミリを割る縮小と。背骨と腰の骨のガンは拡大なし。 そして、先月のCTスキャンでは、背骨と腰のガンは発見できず、肺のガンは動きなしで、ガンの閉じ込め化になったと診察で、これからはただ様子をみるだけで、鎮痛剤の処方はアスピリンだけに。 病院にいれば、寂しさで昨年の3月で死んでいたと思います。 これから、何日か何ヶ月か何年かの余命かはわからないですが、生きている限り、私を応援してくださった数多くの人々と、家族と、神様に感謝しながら人生も楽しみたいと実践しています。 ガンの中でも、生存率が一番厳しい肺ガンとはっきり告知されて満足しています。

noname#228784
noname#228784
回答No.1

難しいですね。 患者であるお父様の性格次第ですから…。 手術終了後に「切り取った腫瘍を検査してみたら、やっぱり悪性でした」と告げて  同時に 対処法について、あらかじめ調べておいた良い可能性を提示するのも方法ですが… やっぱり全ては、患者であるお父様の性格次第ですね。 私の祖父は数年前に大腸癌で倒れました。 その時は、全て告知しました。 癌を作れるだけの体力があるという証明に、 若いころから病院に全く縁なく生きてこられた元気な祖父だったので、 精神的なショックは相当なもので、温厚な性格が怒りやすくなったなど 支える祖母もそれなりに大変だったようです。 しかし祖父自身は、知らないよりは知っている方が良いと思っていたそうです。 私の祖父の場合は、悪性の腫瘍が腸壁と血管、ギリギリの位置とサイズだったため 何とか血流に乗る(確実に体内のあらゆる場所へ癌細胞が散る)前に手術で取り除けました。 それでも再発(転移)の可能性はあった(=転移しないとは言い切れない状態)ので、 しばらくは精神状態がピリピリしていたようです。 しかし今、手術から5年以上経ち、定期検査も良好で 祖父は大分落ち着きを取り戻してきました。 ここからは余談ですが、 以前、テレビで見た番組を照会します。 URLは紹介サイトなのであらすじしか書かれていませんが、 とても興味深い内容だった事を覚えています。 当時、まだ再発を恐れてピリピリしていた祖父に 「新しい対処方法が増えたという事がわかれば、気持ちが楽になるだろうか」と そっと伝えた事もあります。 http://www.tbs.co.jp/yumetobi-plus/backnumber/20131110.html この番組では、久留米大学の伊東恭悟さんが取り上げられていますが 検索では「がんワクチン」と入力すると、様々な情報が出てきます。 テレビで見ていた時点の情報では ・癌細胞に適応するワクチンを作り、  患者に注射する事で、免疫療法的な効果を発揮させて癌を治す。 ・患者によって癌細胞の種類が違うため、ワクチンはオーダーメイドとなる。 ・このため現状では、費用の点で難しい治療である。 (番組としては研究者にも焦点を当てているので、「オーダーメイドワクチンとなるので研究費用が多くかかる。そのため、大学側が研究費用の助成をしなかった」という面も説明してました。) ・治療としてはとても画期的な方法だが、  まだ全ての患者に対応できる段階ではない。研究の余地がある。 ・2013年の段階では、放射線治療などで体力が落ちすぎた患者には効果が及びにくい事がわかっている。(=ワクチンなので、患者本人の体力で治す部分があるため) ・テレビでは具体例として、  余命半年の患者が治ったケースなど、数例が紹介されていた。 何かの参考になりましたら幸いです。

noname#233711
質問者

お礼

書きそびれましたが、治療は一切出来ないのです。 治療が出来れば告知も出来るのですが。 新しい治療方もいろいろ余裕がないので、試せないかと。 早く癌が怖くない病気になってもらいたいです。

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