エネルギーと性質についての考察

このQ&Aのポイント
  • エネルギーとは、目に見えない普遍的な法則に則った存在であり、その性質によって引力や斥力、波のような性質を持ちます。
  • 引力は物質の秩序や天体の形成に不可欠であり、エネルギーの持つ性質が同時にエネルギーに態を与え、存在を保つことができます。
  • 性質は法則に則って現れ、エネルギーに影響を与え、その性質も変化し続けます。酸素原子の存在性を参考にすることができます。
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この文章が解る方 誰かいませんか?

 もしエネルギーに、性質と言う普遍的な法則に則った、目に見えないものが存在していなければ、エネルギーは無秩序な、カオスにもならないと言っていいでしょう。 この文章 私が考えたのですが 分かる人があまりいないんです。誰か分かりませんか?  そのエネルギーによる引力や斥力や電磁波のような波としての性質が織り成したのが私達の知る宇宙です(⇒量子力学) 特にこの引力はエントロピーを維持しあるいは減少させます。  もしこの引力がなければ物質は秩序をなし得ませんし、天体も形をなし得ないでしょう。  そしてそのエネルギーの持つ性質が 同時にそのエネルギーに態を与えているのです 性質がフィードバックをしてその存在を更に在らしめているのです(→亀の存在性 動物の存在性 進化論 例えば食べるという性質が体を維持する 見るという性質が交通事故を避ける等 因果) 場の中で。 でなければ存在を保つことはできません。  性質は法則に則ってエネルギーに現れ、その性質がそのエネルギーに態を与えます。「酸素原子の存在性」を参考にされてください。(性質も変化し続けます) どうか考察されたし。酷い非難はご遠慮下さい。

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  • Nakay702
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回答No.5

「お礼コメント」をありがとうございました。 >存在(者)の質と量 性質とエネルギー・物質に関しての足掛かり、前提になる文章です。 ⇒なるほど、(「小異」はあるかも知れませんが)一言で言えば存在論ですね。一部理解できたように思うところはあります。以下に率直な感想を述べます。 (1)神の本体論的証明にも似て、ある種の「堂々巡り」があるのではないか。つまり、前提と論証と結論がごっちゃになっているように見える。例えば、前提したことを理由づけの説明に「再利用」している。「なぜ彼が好きなの?」に対して、「好きだから好きなんだよ」と答えるのに似ている。それはそれで「意味はある」でしょうが、少なくとも論証にはなっていない。 (2)古今東西、このような存在論的思索や苦悩を吐露した哲人や文学者は少なくない。たとえば、ニーチェ然り、ウナムーノ然り。その文言に共通する傾向は、主観性、神秘性、情緒不安定、「生の悲劇的感情」、永遠への憧憬、ペシミズムなどである。 (3)したがって、その説くところは、感動的ではあるが、説得的ではない。共感を呼ぶところもあるが、全面的な賛同を呼ぶところは多くない。 (4)ただ、人間的には魅力があり、己に対して正直、あらゆる疑問に対して誠実な対応をする、何事も真摯に考える、手抜きをしない…などの点で、つまり、その心的態度に対しては、多いに共感するものがある。 >私は性質とエネルギーの二元論に立っておりますので、簡単に言うと質、量二元論と言う事になります。 ⇒細部は別として、「二元論」には基本的に同感です。そもそも、大宇宙・自然界の原理がそうなっていると思います。すなわち、「二項対立の原理」です。人間のな「自己中心的特殊規定」による切り取り方の問題は別として、ともかく次のような「宇宙的実体」は、我々の意識に先行して存在したに違いない。 A.素粒子 (1)素粒子は、大きく分けてフェルミ粒子とボーズ粒子とに分かれる。フェルミ粒子は、素粒子の「本体要素」で、ボーズ粒子は、いわば「本体に作用する媒介素」である。 (2)フェルミ粒子は、クオーク(重粒子)とレプトン(軽粒子)とに分かる。同じように、ボーズ粒子も、ゲージ粒子(粒子媒介素)とヒッグス粒子(質量素)とに分かれる(と私は考える)。 (3)ゲージ粒子には、その力が無限遠まで働くものと、粒子内のみで作用するものに分けられる。 (4)さらに前者は、電磁気力を媒介する光子(フォトン)と重力を媒介する重力子(グラヴィトン)に分かれ、後者は強い力を媒介するグルーオンと弱い力を媒介するウィークボゾンとに分かれる。 B.物質的存在の元 宇宙の原理的把握や物性の根本的解析は、このような「二項対立の原理」が1つの基本となるでしょう。(なお、中国の大極図は、このことを見事に表わしていると思います。) さて、何らかの理由で一つのエネルギー形態が別の形態に移るとき、ある種の「かけら」を放出しながらエネルギー順位のより低い別の形態に移る場合と、電荷などが違うだけの「双子」が対になって生成される場合とがあります。前者の例としては、電子と陽子が衝突した場合にニュートリノを放出して中性子ができる場合などがあり、後者の例としては、二個のフォトン同士が衝突するとクオークと反クオークの対ができることなどがあげられます。「ゆらぎ」→「パリティの非保存」の結果、反クオーク(反物質のもと)が消滅して、その結果クオークのみの「偏分布」となり、今我々はクオーク(物質)の世界に住んでいます。実験的に「圧力をかけて」反物質を作ることができますが、一瞬にして崩壊してしまいます。二個のフォトンからクオークと反クオークの対ができる例は「対生成」と言われるものですが、今見たとおりこの対は通常、生成の一瞬後には「対消滅」してしまいます。常に、「自然状態」もしくは「手を離した状態」に戻ろうとする仕組みによるのだろうと思います。 このように、「宇宙的ゆらぎ」→「パリティの非保存」→反クオークの全消失→クオーク(物質のもと)のみの「偏分布」→物質の生成→我々の存在へとつながってきた、とするのが現代科学の教えるところです。 C.物質と精神 物質と精神の関係をどう見るかについては幾つか説がありますね。お互い基本的には同じ「二元論」の立場でも、その中味はかなり違うように思います。 yuniko99様のお説(解釈に独断があるかも知れませんが、どうぞ悪しからず): (1)心の側に原理を求め、物質的な存在に関しては、それを知覚内容に還元したり、あるいは精神の発現形態として性格づけたりする考え方=「観念論」。 (2)物的過程と心的過程とは互に独立であって、対応しあうだけ=「並行説」。 以上を要約的に関連させれば、お説は、「観念論的並行説」に近いように感じます。 私の場合: (1)心的過程は自然の進化のある段階で、それまでのものとは別の原理と法則性とをもった新しいものとして出現した=「創発説」。 (2)心身は因果的に関係しあう、その有様を物理・生理・心理学的な知識を適用して説明をつけようとする=「相互作用説」。 以上を要約的に関連させれば、私見は、「創発性相互作用説」とでも言える考え方です。 お互いに共通の「二元論」ですが、その内的差異を挙げれば、上記のようになると思います。以上、長くなりましたが、再伸まで。

yuniko99
質問者

お礼

これはどうも ご丁寧に。ありがとうございます。 前半は私の文章の有り様とその姿勢について、 中盤は理論物理学とその証明として実験で大体確かめられた内容の様ですね 勉強になります。 後半は哲学の諸説 特に精神をどう説明するか と言う事でしょうか。 そうですね、僕のサイトを読んでもらえば早いのですが、他の方にも分かる様に この文章は僕のサイトのごく一部です。しかし重要な部分です。 分かり易く書くならば 今まで属性としてしか語られなかった「性質」と呼ばれるものが 実はエネルギー・物質とは独立した法則に従って現れるものだったと言う事 そしてそれは(性質は)精神の元だったと言う事。 つまりエネルギーはエネルギー保存則に則って如何様にも変化します。互換可能なものであり 変わり得る何ものにでもなる。 それと独立して性質は真理に従って現れ 真理を具現するものである、いや性質を見て 我々は真理を憶測しているに過ぎない。現実に性質が真理を表している。 その「性質」が脳の様々な現象、微弱な電磁力、伝達物質、ホルモン、脳漿、脳波等々の現象に付随してそれらが持つ様々な性質が反応して精神現象が起きている。 何故なら精神現象の様々な記憶や概念、思考やコミュニケーションを可能とする数多の情報を持つものは この宇宙広しといえども 性質 以外に見当たらないからであります。 つまり精神は性質で出来ているのでありまして、我々自我も精神の一部でありますから 性質で出来ている。我々の正体は性質だったのであります。 私の存在(者)の定義は「存在(者)とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・物質である」ですから。 この存在者の持つ(個性ある)性質が我々自我の正体だったのです。 私は人間とは精神を指すと考えています。肉体は動物です。 取り敢えずここまでと言うことで。 どうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (16)

noname#210533
noname#210533
回答No.17

もう終わったご質問だけど、つい書いちゃいました。 御許し下さい。マヂ、もう寝ないと・・・眠い。 中毒ですね、私。 どうも「物質は実在する」という観念に雁字搦めに なっていて、それを全ての基礎に置いておられるように 感じます。 究極の所、絶対的な物質、つまり空間の一領域を排他的に 占有する「絶対的な存在」などというものは、ない。 と考えているのは私だけではありません。 原爆は、何故原爆なのか? あれ程の途方もないエネルギーはどこから来るのか? どうも、原子力エネルギー、という詩的な言葉で 括られてしまい、実際それがどの位のエネルギーなのか、 そのボリューム感覚が欠如しているように見えるんです。 化学反応で得られるパワーだって、たった49cc、 ヤクルトのビン半分の燃焼室容量で、体重70kgの 人間を乗せて自重80kg、合計150kgの物体を 時速70kmで走らせることが出来るエネルギーを 産み出すんです。 ヤクルトのビンと、150kgの バイクでも何でもいいですから、見比べて感じてみて 下さい。 大戦時に広島に落された旧式原爆でさえ、ウラニウムの 1/1000位の質量が「物質であることから解き放たれて」 開放されて、都市一つを吹き飛ばしてしまったのです。 ご自分の街が見渡せる小高い丘の上で、この話を思い出して 下さい。 広島に落されたリトルボーイに搭載されたウラン235は 重さにして50kg、実際に核分裂反応を連鎖的に起こすことが 出来たのは、その中の精々1kg程度だったと推測されています。 ウラン235は鉄の7倍近い重さがある物質です。 僅か1Lパックの牛乳と同じサイズで、体重50kg以上の 女の人と同じ重さがある、考えて見て下さい。 地面に固定されたようにびくともしない牛乳パック。 その内の、1kg、です。 たった20cc程度の体積・・・おちょこ一杯分・・・ しかないウラン235が、その重さのうち、たったの 1/1000程度として、0.02cc、もう耳かき一杯分位、かな? たったそれっぼっちのウラン235が全質量をエネルギーに 換えられると、十万人単位で暮らしている都市が、まるまる 無くなってしまうんです。 その、途方もないスケールを、まずは感じて見て下さい。 吹き飛ばされたのではなく、エネルギーに質量が変換されて 取り出された破壊、なのです。 その上で考えて見て下さい。 例え1/1000と言えども、質量が完全に消失してエネルギーに 変換できる、ということは、質量自体が実はエネルギーの 一形態に過ぎない、ということを意味します。 そして、物質というものが絶対な「時空間的存在」では 無い、ということは、時空間そのものも絶対的に「在る」 訳ではない、ということになります。 例えですが、沢山の役者がそれぞれ異なる役を演じて一つの 舞台を構成している。 何世代もその芝居は受け継がれ、役者は皆死んでしまい、 また新たな役者がその芝居を演じる。 時にはアクシデントで役を入れ変わらせることもあるし、 芝居その物の舞台や設定を変えることもある。 実際に存在している、と言えるのは、その台本だけ。 この世界の実相も、案外そのような「確かに存在すると 思っているものなど全て存在していない。」というのが 本当の処であろうと考えています。 私の夢想では無くて、実際に様々なテクノロジーを産み、 それが絵空事ではない事を証明し続けて来た科学の、 普通の推論として、です。 あなたが縛られている存在、とか関係性、という言葉が 貴方の中でどのような宇宙観を形成しているのかは、 何となく想像が付きます。 なので、一旦それを脇に置いて於いて、それらが前提と しているあなたなりの「事実・真実」を全て否定して 全部一つの物の一面に過ぎない、という視点で再構築 してみることを提案します。 手で触れるこれが、実在しないだと? 今迄何十人かの人に話してみましたが、真に受けて 訊いてくれた人は僅かでした。 実感的に理解するのは困難です。 私だって、そんな馬鹿なという感覚は持っているんですから。 でも、それは間違いなく、事実です。 モノが無い。 だから時空が無い。 ということは永遠と言う観念も、あなたがいう所の ただの「関係性」の一要素に過ぎない。 そのように深く考えていくと、人によっては 発狂しそうになる人もいるようですが、あなたが 漠然と『性質』という観念(本来は観念じゃないけど)で 一括りにしているものが、実は全て存在するモノは 絶対的に存在しているのであり、それを疑うことは 夢想に過ぎない、と感じてしまうことを否定することにこそ、 事実が指し示す、本当のこの世界の姿=実相を、 垣間見る手掛かりがある。 時間まで絶対的なものではないなら、因果律も否定されて しまいます。 でも、アインシュタインの相対論も、この因果律が 崩れる場合がある可能性を導き出してしまった、のかも 知れません。 言葉足らずで勉強不足で済みませんが、この話を数学的に 記述していける科学者たちを、心から羨ましいと思います。 頭の出来が違う・・・ 私に理解できるのは、残念ながら今の所、その輪郭や 朧げなイメージだけですが・・・。 突き詰めて考えていくと、性質とか存在性とか、明確に 定義しない言葉でイメージのモンタージュをしていくと 実相から離れて行ってしまうのです。 福笑いの様に、です。 非常に真剣に考え続けられるご質問者さんの事。 思考に対して誠実だと感じます。 ただ、回答に度々揶揄や中傷が入るのは、それぞれの パーツ、目や鼻や口、そして顔全体の輪郭を簡単な 手触りだけで決めつけてしまい、福笑いした結果、 口の代わりに目が、耳の代わりに鼻が、とんでもない バランスで並んでしまった福笑いを見せられて、 この美しい美女の顔を見よ、と書きこまれるから ツッコまれるのだと、思うんです。 今一度、ていねいに一つ一つの言葉や概念、知識を 「本来の意味合いで」捉えなおして並べ直して みると、見違えるように明確なロジックに書き換える ことが出来ると思います。 拘らずに、昨日まで固く信じていたことにさえ、 今日は疑いの目を向けて再検証できる柔軟性を 持てるなら、少しづつでも人々に伝わる思考を、 まとめて行けるのだと、私は思います。 さすがにもうダメです。 おやすみなさい。

yuniko99
質問者

お礼

「存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・物質である」 このエネルギーとは物質を含めて質量もエネルギーに変換し得ると言う事で書いています。 しかし物質はエネルギーではない!と言う理系の方のお叱りを受けて エネルギー・物質 と書いているのです 色即是空ですが 空即是色なのです。 実態があると言いたいわけじゃなくて 全て変化しないものはない 実態はない しかしそれでは存在すら定義できない ではどう言う定義が可能か と考え 個性を定義に取り込んだのです。 アインシュタインもホーキングも怪しいものです。 理論物理も含めて仮説だらけです どうもありがとうございます。

  • a_hona
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回答No.16

知能がやや低い事と愚かな事は違うと思いますよ。私はてっきり、存在性思想が理解できない方が愚かなのだと、ユニコさんが言ったのかと思い、正直どうしようかと思いました。杞憂のようで良かったですが。

yuniko99
質問者

お礼

お恥ずかしい 私バカなんです。馬鹿の一つ覚えなんです。 存在性思想が分からないのは 何故分からないのかが分からないからなんです どうもご心配おかけしました どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.15

損な事かどうかはさておき、愚かなこととはどういうことですか?ユニコさんが愚かということでしょうか。

yuniko99
質問者

お礼

私が愚かであることは 小学校2年生の時から築いていました 高校では知能指数があまりに低いので 先生がびくりしていました(^^ゞ どうもありがとうございますです。

  • stmim
  • ベストアンサー率24% (57/236)
回答No.14

私なりに解釈します。yunikoさんはこんな風に考えられたのではないですか? 「精神とか意識とは何だろうか?何で出来ているのだろうか?」と考えた。確かにこれらは物質ではない。そうすると、現在の主流の世界観である唯物論で考えるとうまくないのではないか?だって物質から生成するものは物質しかないでしょうから。物質から物質でないものができるのは何か変だ。しかし、物質だってよくみるとモノそのものでない部分がある。例えばリンゴだったら赤いとか、甘いとか、これらはモノそのものではない。物質に関するもので、モノそのものでないもの一切を「性質」という名前をつけてまとめてしまおう!物質からこうした性質部分を除くとのっぺらぼうなものになるけど、これをエネルギーとしておこう。なぜなら、どのような物質でもエネルギーに変換できるという公式(E=mc^2)があるから。こうして性質とエネルギーの二元要素で考えよう。このように考えるなら、人間の精神とか意識とかは、性質によるものだから、もはや「どうして物質から精神が出来てくるのか?」という問題に悩まなくて済む。もともとこの世は「性質」というモノではない存在が形作っているのだから、人間の精神だって「性質」できているのだ。 ひるがえって質問の最初の2行は、エネルギーの特徴、特性というか働きというか、そうした全てのもの、すなわち「性質」が存在しないのだったら、それはもはやエネルギーとは呼べないという意味において、その通りだと思います。 ただ、私自信はyunikoさんの考えに賛同いたしません。話がややこしくなるし、(精神を説明するために作った)恣意的な感じがします。そのようなことを考えなくても唯物論的にやがて精神の仕組みが解明されると思います(今は科学がその段階まで到達していないのでできませんが)。 コンピューターは、細部をみていくと、ONとOFFのスイッチの集積体にしかすぎません。しかし、全体としては高速度で様々な計算をすることができます。人間の脳も、神経細胞のつながりが回路を作って、それがあたかも精神が存在するように思わせているのだと思います。 また、アナロジーになりますが、映画をみているとスクリーンにあたかも映画の世界があるように見えます。もちろん現実には何もないですが。映写機が象を投影すると、あたかも、そこにあるようにみえます。これと同じように、映写機は人間の脳で、映像は人間の精神や意識なのだと思います。

yuniko99
質問者

お礼

成る程。それにしても随分素朴な喩えですねえ。 私の思想は何も唯物論と唯心論を統一するための思想ではありません。 性質 と言うと辞書でも 特色とか個性とか特性 という連想があると思いますが もう一つ注意して見て貰いたいのが 性質の 質 です。 性質とは一つの質を表しているのです。物質とか本質とか言う 質です。 従って単なる特色ではなく 性 という 質 があるのではと思っています。 私は存在についてとか色々と長いこと考えてきたので 自然とその様に成ってるだろうな 精神は性質で出来てるだろうなと言う事が分かってきたのです。 ご推測はかなり違う感じがします どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.13

うーん。。 鳥には飛ぶと言う特徴がある、ならなんとか分かります。これはスペシャリティです。全ての鳥が空を飛ぶわけではないですが、鳥には飛ぶための翼があり、それは他の動物には無いものです。つまり、それは鳥の特徴です。特質と言っても良いかもしれません。 一方、食べる事は特徴とは言い難いです。ものすごい広い範疇、例えば鉱物や植物も含めるならば、食べる事も動物の特徴とは言えますが。 ユニコ説の適用範囲が森羅万象なのだろうということは分かるつもりですが、その所為で馴染みの薄い言語用法となっているのかもしれません。

yuniko99
質問者

お礼

ユニコ説は言葉が分かりにくいと言う事でしょうね これは損なことです。いや愚かな事ですね。 性質という言葉の語感の問題でもあります。 存在性とは その存在(者)が存在するために必要な性質または有効な性質 です。 この際、存在性とは性質ですが エネルギーに態を与える ハタラキをします。 どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.12

食べるという性質が原文であり、食べる性質と端折ったのは私ですが、食べるという性質というのにしても、やはり分からないですよ。なぞです。食べると言う行為ならわかるのですけど。突っ込むようですが、ここら辺がユニコ説の伝わらないところかとも思います。

yuniko99
質問者

お礼

此処にすき焼きが在ったとします。見ると食べたくなるでしょう? 食べたい そして食べる 美味しい 飲み込む お腹が満たされる 消化吸収する これが食べるという行為であり 人間が食べるという性質を持つ証拠です。 食べるがダメなら飛ぶでもいい 鳥は空を飛ぶという性質を持つ 保護色でもいい カメレオンは周りの色に合わせて自分の体の色を変える性質を持つ 分からないかなあ??? 食べるという性質を持たないとエネルギー補給できないいです。 どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.11

もしエネルギーが、普遍的な(物理)法則に従うという事がなければ、それは無秩序なカオスにさえならない。 と言うのはどうでしょう。私には原文と同じ様な意味ではないかと思えるのですが。

yuniko99
質問者

お礼

そうですね それは言えています。言えているのですが 私としては「性質」と言う言葉を説明しようとして書いたので その意味はなくなって 当たり前の文章になってしまいますねえ 折角考えて下さったのに申し訳ありません どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.10

うーん、性質から個性って連想できるものなんですかね。個性から性質を逆引きで連想されているようですが、個性を固有の性質とするならば、個性からは性質を連想できるのでしょうね。性質を引いても、生まれつき備わった気質などと書いています。しかし、辞書を味方につけたところで、他の人に理解されなければ意味は無いですので、むしろ平易な単語であるのに伝わらないとなると、やはり用法に問題があるのではないかとも思えます。 コトバンクには、https://kotobank.jp/word/%E6%80%A7%E8%B3%AA-85895 性質というものが、量の対立概念としてすでにギリシャ時代にあったとあります。エネルギーを量と捉えれば、分からなくもありません。 しかしやはりですねぇ、食べる性質や見る性質などという用法は辞書にも書いてないんですよね。これらは機能であり、働きであるとしたら分からなくもないのですが。食べるということの何処に個性が見いだされるのでしょうか。食べるということは走るということと違う、だから食べるという行為は個性あるものだ、と言えるでしょうか? 私は言えないと思うんですよね。食べるということは一般であり、個性ではないと思うのです。馬でも猫でも虫でも食べるのです。見ることも同じ、生きることも同じ、存在することも同じ。 人間だけでなく、すべての生物や物に個性を認めることは可能でしょう。その場合は個体と呼びますが。存在すること自体は個性的でも何でもなく、石でも草でも生き物でも存在してるわけです。一般的に。ここに個性を持ち出すと、あなたとわたしは違う、それぞれに個性を持っている存在だ、となるのでしょう。どこまで個性を認めるかの線引が必要なのかなとも思いますね。そうでなければ、地球上に生息する蟻を一匹一匹数えるようなことになりかねません。

yuniko99
質問者

お礼

よく分かりませんが 貴方も私も人間でしょうね。人間という個性だけが一致して 生命体に宿ってると言う事が推測されます。貴方が人工知能でなければですが。 それ以外は同じではないでしょうね。身長も口の大きさも歯の状態も(虫歯が多いです) 走る速さも 知ってる知識も 兎に角人間であるという条件以外は少しづつ違うと思います。それはお互いに個性だと思います。 ところで「食べる性質」と言う言葉を私が使いましたかね? 私なら「食べるという性質」と書くと思いますが。 それに >食べるということの何処に個性が見いだされるのでしょうか。 とありますが 食べない生物は山の様に居ます。まず植物がそうでしょうね 植物が養分を吸収したからといって 養分を食べたとは言わないでしょうね。 よく走らないのですが ヒルとか蚊とか あの血を吸う動物は?地を食べているのでしょうか?セミでもそうですねえ。セミが樹液を食べた とはあまり言わないような気がします。 見るという性質 はあると思います。見ない動植物も多いですからねえ。 個性と言っていいと思います。 すみません 揚げ足取りのようになってしまって。 どうも大変ありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.9

うーん、。性質と言う言葉から、個性が連想できるかというと、それはそれで難しいと思うんですよねえ。正直、食べる働き、とかいう表現もしっくり来ないですからね。言葉探しの旅は続きそうですね。

yuniko99
質問者

お礼

個性という言葉は  Wiki:個性(こせい)とは、個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴。特に個人のそれに関しては、パーソナリティと呼ばれる。 コトバンク:デジタル大辞泉の解説  こ‐せい【個性】 個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。「―の尊重」「仕事に―を生かす」「―が強い打撃フォーム」 私の辞書 日本国語大辞典でも:・・・・・・、他から区別させている固有の性質。・・・・・。とあります。 この意味なわけですので 性質が個性を表していることは不自然ではなく 私の存在の定義も「存在(者)とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・物質である」 と言うのも満更可笑しくもないのではと思っています。性質という言葉の研究が急務です。 どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.8

うーん、、強いて言うなら、はたらき、ですかねえ。性質と言う言葉を与えるドンピシャ感が私には感じられませんので、それに代わる言葉というのは見つけにくいのですが。

yuniko99
質問者

お礼

「はたらき」だけでは様々な個性を表していないんですよね 性質のはたらき とか 何か言葉を添えないとですねえ・・・ どうもありがとうございます。

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    分かり易く言えば 引力によってエントロピーは小さくなり 引力がないとエントロピーは増大する。 さざれ石が巌となるのは 引力でエントロピーが減少した例です。 普通は巌(いわお)がさざれ石になってエントロピーが増大する と考えますが その逆もある。実際地球はその持つ引力で形を維持していると言う訳です。 引力は位置エネルギーを消費し運動エネルギーや引力を増大します。 エントロピー増大は光や熱エネルギーを消費し運動エネルギーを作り出します。 引力の強弱によってエントロピーは増大もし減少もする。と考えます。 つまり引力とエントロピーは釣り合っているのです。均衡はしていませんが 互いに増減する関係なのです。 引力が少なければ エントロピーは増大する訳です。 この考えは間違っているでしょうか?ご意見をお聞かせください。 お願いします。

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    エネルギーの属性と言われる性質ですが エネルギーは様々な性質を持ち その性質は真理の法則に従っています エネルギーはどの様にも変わるのですが、性質は真理に則っているのです そしてその性質が働くことでエネルギーに態を与え存在を実現するのです エネルギーのない性質はないし 性質のないエネルギーもありません そしてなによりも 我々の精神の多様性 これが何から来てるか考えると 性質から来てるとしか考えられません。それ以外にこの様に多様ななものは 宇宙のどこを探しもありません。 我々の精神は性質で出来ているのです。 我々の精神を存在と認めるなら その精神を構成している性質も存在と見るべきでしょう 性質に関する研究がなされてきませんでした 是非研究していただきたいものです。 エネルギーと性質はどのような関係にあるとお思いますか?

  • エントロピーの増大にブラックホールは?複雑系は?

    エントロピーの増大にブラックホールは?複雑系は? 絶対とも言われた熱力学の第二法則 エントロピーの増大則が 此処に来て複雑系はエントロピーを減少させるなどという期待もあり ブラックホールも引力というエントロピーを維持している力を考えると 本当に蒸発してエントロピーは増大するのか疑問です 人間は太陽の質の高いエネルギーを受けてエントロピーを減少させ組織化して来ました 人間の循環は太陽エネルギーによるものです しかし人間は原子のような永久?循環を夢見ます エントロピーを減少させて、エネルギーを取り込みながら宇宙に出て行く宇宙船は 実現するでしょうか?それとも人間は滅びるか?

  • 宇宙も終わる?

    竹内均さんでしたか 「宇宙も終わる」という本が出てました。 宇宙も終わるのでしょうか? 宇宙も終わるならその前に人間の努力の集積 生命の40億年の魂も 終わってしまうのでしょうか? 宇宙が終わるという根拠は矢張り宇宙の物質やエネルギーのエントロピーは増大する という熱力学の第二法則が根拠と思いますが 本当にブラックホールも蒸発して消えてなくなるのでしょうか?(熱死?) 私にはその仮説(ホーキング氏)は信じられません エントロピー増大則を絶対化する為に付けた理屈のように思います どうせ秩序も文化文明も崩壊するのなら何の為に必死に生きているのでしょうか? 引力に拠って循環が生まれ物質が実現しています 引力がなかったら全ては崩壊して、秩序も何もなくなって エントロピーは激増するでしょう それならば引力がエントロピーを減少させてるとも考えられるのではないでしょうか? 未来が絶滅なら 今何をしても結果は同じということではないでしょうか? 道徳も文化・文明も、人生観も世界観も価値観も 未来の永遠か崩壊かによって 大きく違ってくるのではないでしょうか? みなさんはどう考えますか?とても重要なことだと思います 生憎私が病人なので 出来れば端的に分かり易く書いて頂けるとありがたいです よろしくお願いしますm(_ _)m            

  • エントロピーの法則 対 引力(重力など)?

    物理学の世界では 熱力学の第二法則 エントロピーの増大則は例外がないという風に考えられ  ブラックホールでさえ蒸発してエントロピーは増大すると言う仮説があります しかし考えてみて下さい  もしこの宇宙に重力などの引力が無かったとしたら 全ての形ある物質は一瞬で崩壊して エントロピーは、ほぼ無限大になるのではないでしょうか? この引力がエントロピーを押さえ 秩序 組織を可能にしているのです ブラックホールは本当に蒸発するのか? エントロピーは複雑系と言う例外を出すのではないのか 宇宙はビッグバンとビッグクランチを繰り返すサイクリック宇宙ではないのか???