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人間は精神である。精神は人間の存在性である?

人間と言うと体と頭に宿る精神と・・・と考えますが 私は極論ですが、人間とは精神の事だと言いたいです。 精神は人間の存在性であり。従って人間は存在性そのものです 存在しようという性質(のハタラキ)が人間なのです。 え~~~?という方も居られるとは思いますが そう思う貴方 貴方は精神ではありませんか? 精神がなくなったら、貴方ではなくなるのでは? 精神が存在性でなければ 人間は死んでしまうのでは? 存在性とは そのものを存在させる性質の事です つまり精神は性質なのです? おかしいでしょうか? 教えてください よろしくお願いしますm(_ _)m

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

哲学を知らず、哲学書を読まない、だからもう2~3年間、同じ質問を繰り返し、繰り返し、まるで壊れたレコードみたいに質問している。 いったい、それしか質問することが無いのか? 哲学書を読んでいたら、いくらでも疑問に思うことがあり、いくらでも質問することがあるのに、いかんせん、ぜんぜん哲学書を読まないと、一つことをバカの一つ覚えのように質問するしかない、ああ、哲学を知らないとこういうことになるのか、という見本のようなもの。 他にないのかね? もう、その質問は飽き飽きして、あくびが出る。 こんなことを言うとOKウエイブの担当者は、また私の回答を削除するかもしれないが・・・・・・・ それにしても、なんでそんなつまらない質問にわざわざ回答しなければならないのか、空しさを覚えます。 私は自分を人間だと思ったことはあるけど、精神だなんて思ったことは、これまで一度もありません。 「精神というと、体と頭に宿る精神と・・・・・考えますが」と言って、その間に・・・・・・・が入っていますが、たぶん、あなたも、そう言い切るのには「ためらい」があるということなのでしょう。 「ためらう」のも分かります。 なぜって、体を、頭を、解剖したって、精神なんてどこにも無いからです。 人間の体は機械と同じもの、そして頭は肉のカタマリ、神経繊維・ニューロンと化学物質・シナプスのネット・ワークに過ぎない、そんな中にどうして精神なんて存在するでしょうか? 肉のカタマリでしかない、脳が、精神? あなたのいう精神とやらは、どこにあるんですか? きっと、17世紀にデカルトが心が実体、身体が実体と言って心身二元論を唱えてより、人間はただの物質ではなく、精神を持った存在だと、学校で教わったから、それをあなたは今でも信じていて、人間は精神だと信じているのでしょう。 だけど、心が実体だというデカルトの考えは、19世紀初頭にカントによって、心が実体ではないこと、心は物のように実体的に存在するものではないことが明らかにされ、デカルトの心身二元論を論破してより、今では人間を精神などという人は、あなたを除いて、他に誰もいません。 人間が意識を持っていることは明らかですが、その意識が精神だとは誰も思っていない。 あなたのいう精神って、いったい何ですか? そしてその精神はどこにあるんですか? 精神なんて、ただの言葉、言葉でしかありません。 あなたはそれをみずから「極論ですが・・・」と言っているように、「人間は精神である」とは極論を通り越して、妄想のたぐいです。 「精神は人間の存在性であり、したがって人間は存在性そのものです」 ・・・・・と言っているが、「・・・・・・性」という場合の「性」とは、その物の本性・本質を言う。 人間性といったら、人間をして人間たらしめる本性とか本質を言う。 ところがあなたは「存在しようという性質(のハタラキ)が人間なのです」 ・・・・・と言っているが、性質というのは、そのものの本性でも、本質でもなく、属性のこと。 人間が本性とか本質によって人間であるというのなら理解できるが、その属性である性質の「ハタラキ」によって、人間であるとはどういうことか? また、「人間は存在性そのものである」とはどういうことか? 人間の本性とか本質は、その属性である性質と不可分だとしても、「人間が存在性そのものである」とは言えない。 また、その「性質の「ハタラキ」が人間なのです」とも言えない。 そもそも性質の「ハタラキ」とは何を指して言っているのか? 人間がさまざまな性質を持っていることは分かります。 本性や本質以外に性質という属性を持っています。 だけど、その性質の「ハタラキ」とは具体的に何を指して言っているのか? 「ハタラキ」とは機能のこと、人間の機能だとしたら、「走ったり」「食べたり」「ウンチをする」「恋愛する」「旅行する」・・・などのことです。 でも、「走る」のは人間だけではありませんし、「食べる」のも人間だけではありませんし、「ウンチをする」のも人間だけではありません。 ところがあなたは「性質のハタラキが人間なのです」と言っている。 どうして人間が、「走ったり」「食べたり」「ウンチをする」ことが人間なのですか? あなたは人間以外の動物が「走ったり」「食べたり」「ウンチをする」のを見たことが無いのですか? そうしたことは人間だけの特権だとでも思っているんですか? ああ、笑っちゃう! 私は精神なんて無くても、あなたのいうその変な言葉・存在性が無くても、それでも人間です。 「精神が存在性である」なんて考えないし、「精神が存在性でなければ人間が死んでしまう」なんて考えないし、そんなものが無くても、私は自分を人間だと思っています。 意識があれば、それだけで十分。 心だとか精神は、ただの言葉です。 だから言葉としては実在しても、現実には実在しない。 心も、精神も、見えない。 見えるものだけが実在し、見えないものは概念、言葉。 「存在性とは、そのものを存在させる性質のことです」「つまり精神は性質なのです」 ・・・と言っているが、「存在性」という言葉がどの辞書にもない、ウィキペディアにも載っていない、あなたの自分勝手な造語だし、そんな言葉は無いし、デタラメだし、哲学も知らない、哲学書を読んだこともないあなたの妄想に過ぎないし、性質とは本性・本質と違って、そのものに必然的に属する属性ではないし、人間は本性・本質によって人間なので、性質という偶然的なものによって人間なのでもない。 最後に「つまり精神は性質なのです?」と言って、最後にクエッション・マークを自分でつけているように、自分でもそれを正しいと信じていないのではないか? 「おかしいでしょうか?」と言って質問する前に、あなたはそれが「おかしい」ことをあらかじめ知っている。 あらかじめ知っていて「おかしいでしょうか?」と質問するのは人をバカにするのと等しい。 「おかしい」に決まっているだろう? さて、この回答にOKウエイブの担当者は、削除するか、それが楽しみだ。

yuniko99
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます 何か誤解が多いようですが、私の主張は次です 体は所謂猿ですから、大自然の法則、体の進化のための弱肉強食、欲望に遵います。 しかし精神(心)は猿ではないので、それなりの理想を持ちます。弱肉強食ではいけません その 体と精神には従う行動に矛盾が生じるのです。 これが人間を悩ますのです。人に良くして上げたいが、自分の欲が出ます。 牛や豚は食べたいが 人を殺して食べるのには抵抗があります。 思春期の子供たちはその様な悩みを抱えて苦しむのです 人間とは心身両方を持って人間とするには矛盾をはらみ割り切れません それよりも 欲望に関しては動物、心に関しては精神(人間)とした方が分かり易いのです その上人間は人工物を多く作りました。それらは主に精神の成せる技です 動機は美味しいものが食べたい、衣食住に困らないように、移動をスムーズにしたい 雨に濡れない職場を作りたい等々有りましょうが。精神が作ろうとしなければ出来ません その時作る手は人間の手です。意識、精神が支配しています。(欲望が主に支配することもある) そこで私は精神の方を「人間」と呼び。体の方は「動物」と呼びます。 つまり精神が動物を飼ってる様な格好になります。 精神が性質で出来ているというのは、精神のように非常に多くの情報や性質、ハタラキを持ってるものは この世には「性質」しかないからです。他に何があるでしょうか?そのような小宇宙をこさえるものが? つまり前に書いた様に脳を主体とした神経細胞などが持つそれぞれの性質、伝達物質や微弱な電磁波の持つそれぞれの性質、ホルモン、脳漿の成分の持つそれぞれの性質が反応し合って意識、感情、心、精神を成している訳です。 世親が存在性だというのは 簡単に言えば 精神がなかったら人間も生きてはいけない、存在できない と言う事です。 私は心身二元論ではありません。エネルギー(物質)と性質の二元論です。 取り敢えず今日はこのへんで。 どうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (24)

  • weavaest
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回答No.25

No.20です。 回答にコメント頂いたのですが、こちらの文章は理解されていないようですね。 もしくは、私以外にも多くの回答がありますから、色々面倒くさくなっているのかもしれないですね。 また、回答を理解せずにコメント書いているのなら、書かないほうが良いと思います。 前回の回答は、貴方の主張についての話ではなく、説明にの書き方の問題ではないかって話です。 「人間は精神である」ってのが質問者様の考えですよね。それに対しての私の問いは「では精神とはなんですか」です。 この問いに対しての説明を要約すると「精神は人間である」になっていて、説明になっていないって話ですよ。 精神の説明なので、結論の部分は「精神とは~である」で締めるべきですよね。そこの部分で「精神とは人間である」って書いてあるのですよ。なので、前回の回答では、貴方の理論ではなく説明書き方について言及したわけです。 要するに、質問者様の説明が下手なせいで伝わらないって話です。

noname#208724
noname#208724
回答No.24

こないだの回答で、現存在の構成要素の図を入れていなかったので、図を送ります。

yuniko99
質問者

お礼

なかなか面白い図ですねえ。私の考え通りかどうかは分かりませんが 「存在性」と言う言葉使ってあるので 私の考えを汲んで下さったのでしょうか エネルギー・物質の存在性 とありますが エネルギー・物質の性質が存在性として働くとき という意味になると思います。 心の性質、粒子の性質 と書いてある所は共感が持てます。 振動エネルギーと言うのは 波動とか言ってたものでしょうか? 精神(性質)の循環とエネルギー・物質の循環を分けて書くととても面白いのだろうと思いました 僕にはそのスキルはありませんが。 どうも大変ありがとうございます。 

回答No.23

 ★ (No.22お礼欄) 私は 考えるのであります。だから身はホモサピエンス?という猿であり、心は人間だ  ☆ わたしは 身心の二元論などはクソくらえとまで言いますし このような身心二分論をもしりぞける者ですが  《ひとは 身と心とから成る》というときには いかにこの感性(ないし感情)と理性とのあいだに対立するハタラキがあったとしても やはりそれら二つから成るというものです。  そういう定義なのです。  身と心との葛藤でしょうかあるいは逆に《健全な精神は健全な身体にやどれかし》といった両者の調和の希求にしても そのような互いの関係については そのあと(定義のあと)生じる特徴としての側面です。つまり そういう意味での性質についての議論になります。  ホモサピエンスサピエンスたる人間にそなわった身であるからこそ その基礎の上に人間の精神がある。というのが 存在としての――性質ではなく存在としての――定義です。  精神が感覚に対して優位にあるといった内容での《身心二分論》をもしりぞける理由は もし関心があるようでしたら 次の問い求めをごらんになってください。  【Q:感性は 理性よりもえらい。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7437802.html

yuniko99
質問者

お礼

>『七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず』 成る程有名な言葉ではありますが そりゃ年を取れば理性は感性に昇華しますよ しかし理性が勝ってるうちは 理性と感性は食い違います 旧日本軍や洗脳されたオウムの信者、ISISをご覧なさい 理性で奇妙な感性を助長しています。理性が働いてないのかなあ? 洗脳されるという事は 必ずしも昇華されない 何が正しくて何が間違ってるのかが分からなければ 人間はおかしくなるのです。 此処は自然な感性と不自然な理性を分けて考えたほうが得策と思いますよ。 どうもありがとうございます。

yuniko99
質問者

補足

最も僕は理性と感性を分けると言ってるのではなく 理性、感性、知恵等の人間性としての精神と欲望、本能、衝動、闘争本能等の動物としての性質を分けて考えた方が良いと言っているのです。 ハッキリ言って矛盾しますので。 それとも食って食って食いまくってデブデブになりますか??

回答No.22

 論点をひとつだけにしましょう。  1. ひとは 身と心とから成るのではないですか?  2. もしそうだと思うなら  ★ 人間は精神である。  ☆ とだけ言い放つことはあり得ません。ただちに書き直すはずです。

yuniko99
質問者

お礼

今までは、人は身と心からなると我々は考えてきましたし そう考えていると思います。 ただそれでは身と心が調和しなくて起こる問題を、どう捉えていいのか分かりにくい。 犬を可愛がりながら牛を食う。彼女の心に恋しながらシモを考えてしまう。 食べてはいけないと思いながら、ついつい食べて太てしまう。理想を思いながら汚い真似をして仕事をしてしまう。 それらの矛盾を解くにはもう、身と心は別だ!身は動物だから牛を食うのは当たりまえ、心は人間だから犬を可愛がるのは当たり前。同じ人間ではなく 身と心は別物だ と 私は 考えるのであります。だから身はホモサピエンス?という猿であり、心は人間だ だから人間は心 即ち精神である。と考えた方が悩まなくて済む。スッキリする。 もともと従う法則が違う、上半身と下半身は違うのです。 どうもありがとうございます。

noname#210533
noname#210533
回答No.21

お返事をどうもありがとうございました。 この件についてはこれでおしまいにしておきますね。 どうも、他人の文章を読むのが、yuniko99さんは とても苦手のご様子です。 他の回答者さんのコメントを見ていると、全然対話が 成り立たない、と憤慨しておられる向きも多いみたい。 yuniko99さんのご質問の核心は、多分、一種の多動性 なんとかが根底にありそうですね。 一応ざっとは目を通されるのでしょうが、文字を追うだけに なっちゃってる。 だから、対話が成り立たず、あなたは自分の言葉を綺麗に 形作ることが出来ないまま、同じところをグルグル回って いるのでしょう。 僅かな言葉を小さく並べて、そこに意識を集中すれば あたかもそれは「真理」のように感じられるのだと思います。 そういう意味では、幼い頃にいくつかのビー玉をうっとりと 眺めながら、そこに世界も宇宙も見出して夢想したあの頃を そのままお持ちなのかも知れませんね。 最後に私が言いたかったことは、実はこれだけなんです。 -------------------------------------------------------------- それは、「2500文字」もの文章、ではなくて、 「2500文字目辺りから先」に書かれています、と 書いたのですよ。 -------------------------------------------------------------- これだけです。 全然、人の文章をちゃんと読んでいないんだなあ、これじゃ 対話が成り立つわけないわ。 哲学系の話なんて、長くなるに 決まってるじゃない? と、思った。 それだけなんです。 斜め読みで文字は追っていただけたようですが、それ以上何も 書かれていないと言う事は、残念ながら論理を辿って頂けた訳では なかったご様子。 こちらは対話のつもりで書いたんですが、残念。 いつもダラダラと書き捨てているようなだらしない長文ですから 仕方がありません。 ご縁がありませんでしたね。 では、ごきげんよう。

yuniko99
質問者

お礼

全く申し訳ないです。私は一応読んでるのですが、なにせ障害があって腹痛があるものですから、なかなか落ち着いて一気には読めないんです。 ですから前は「端的にどうかお願いします」等と書いていたのですが、内容が内容だけに なかなか端的にとも書けず、苦しみながら読むので読み落としや、把握不足が出てしまい 結局自分の書きたいことを中心に書いてしまうという面が出てしまいます。 昔はそうではなかったので、思想には自信があるのですが、今は読み込み不足、説明不足が出てしまってるという有様です。 長文を見ただけで腹痛がします。端的に書いてくださると有難いです どうも申し訳ございません m(_ _)m。。。

  • weavaest
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回答No.20

No.19です 私に対して精神についての説明です > 精神とは脳内の物質・エネルギーの性質が反応し合って主体化した人間の主体である。 > そして精神は人それぞれであり、もし説明を加えるなら 精神とは今読んでる貴方 その人です。 > としか答え様がないのですが もし精神を定義できるようでしたら誰かお願いします。 要約すると  精神とは人間の主体  精神は貴方(つまり私)その人 つまり精神は人間ですって読めるのですよ。 この説明って、言葉の使い方のせいで、私は違和感を感じてているような気がします。 上の抜粋の一行目ですが、ここでの説明だと、最後の「~主体化した人間の主体である」で文節を閉めたのがまずい気がします。 「精神とは脳内の物質・エネルギーの性質が反応し合ったものと定義する。」あたりが精神のみの説明に成ると思います。 その後ろに「人間の主体である」を付加したことで、文章の意味が「精神が人間の主体である」となります。しかし、これは、質問者様の言いたいことそのものですよね。「精神とは」という部分説明に中に、全体として言いたいことを絡めたことにより部分説明のつもりが全体の説明になってますよね。 一応、私の憶測です。

yuniko99
質問者

お礼

よくは分かりませんが ひょっとして回答者様は 私が人間とは精神のことである 精神とは人間のことである という主張をしてることを 知らないので こう書かれたのでしょうか? もしそうだとしたらご理解ください >つまり精神は人間ですって読めるのですよ。 その通りなんです。 どうもありがとうございます。

  • weavaest
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回答No.19

No.11です 質問者様は精神とは何かを定義でき無いってことですか。 > もし精神を定義できるようでしたら誰かお願いします。 人間とは精神である。でも精神が何なのかは定義できませんって仰るのであれば、ここのでの質問および回答に対するコメント全てがデタラメってことになりますが、そういう理解でよろしいですか。 全く論理的な話ができ無い人だったってことでしたか。

yuniko99
質問者

お礼

よく見てください 私はちゃんと定義しました しかしそれが分からないと言う様なので 誰か分かる様に定義できる人はいないかと 書いたのです。 どうも

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.18

生きてる間にしか出来ないことがある。ユニコさんは性質をイデア的なものとして語っているが、理想だけでは成し得ないことがあります。若い間は理想にかぶれやすかったりすることもありますが、大人になるとそれは一種、極端であったと分かる日がきます。 性質というものがどのようなものによって記述されているのか、例えばDNAは塩基によって記述されているが、性質はどうなのか、観測もせずに性質の実在が明らかになることなどないが、例えそれが明らかになったとしても、今の一日をいきる彼に、何か影響があるのだろうか。 生きてる間に出来ることがあると最初に言ったのは、人として、性質よりも、何某の哲学よりも、大切にされるべきことがある、という意味で言ったのです。 ユニコさんは人間を高尚な存在だと見たいようですが、人間は人間、中には立派な人もいますが、それ以外の何者でもありません。 あなたは頭にくると、すぐに、じゃあ世にある戦争はどうするんだ、責任者出て来い、などという風に言って回答者を困らせます。 口に出してることと、実際のあり方とが違う事を、心身合一していないなどと難しい言葉で言い表しますが、もっと自分にできる事で、自己を実現することが良い道であるように思えます。

yuniko99
質問者

お礼

腹痛で自分に出来ることがあまりないので、まずは唯物論と唯心論の断絶を解消しようとしているのです。 戦争の事になると気が短くなるのは 戦争によって過去、そして今も殺されたり苦しめられたりしている人が数え切れないくらい沢山居るので ついその人たちの気持ちを汲んで言いたくなるのです。どうもすみませんでした。ご迷惑おかけ致しました。 どうもありがとうございます。

noname#210533
noname#210533
回答No.17

んんん? お返事拝読いたしました。 が。 んー、今一つ私の頭の中におっしゃるお話が焦点を結びません。 まだ互いに通じてない気がします。 もう休み時間が無いので夜まで何も書けないのですが、昨晩、 「個性、同調と調和」というご質問があり、興味深く思って 回答させていただたいたのですが、その後半、多分2500字から 後位に、私なりの「精神構造について、こんな考えもありますよ」と いうコメントを載せました。 もしお時間が許されるなら、ご一読頂ければ、私の前回の回答の 背景となっている思考樹について部分的にでも共有して頂けるかな?と 思います。 まあ、あくまで私見ですから適当に「なんか言ってやがんな、ふーん。」と 目を通して頂ければ回答も書きやすいかしらん?とおもっています。 ではよろ。

yuniko99
質問者

お礼

どうもありがとうございます。精神構造について2500字位の文を書かれたとの事で 私には身に余る情報だと思います。何故なら私は精神構造まで考えるに至ってないからで まだ精神は性質で出来ているという 定性分析までしか考えていないのです。 それと私の腹痛のせいで 今2500字の文章を読むのは苦しいので、また今度機会があったら読んでみます。 出来ればコピーしてメモ帳に残しておきたいと思います。 どうも大変ありがとうございます。

yuniko99
質問者

補足

コピーしてメモ帳に入れて、ある程度読んでみました 面白いですねえ。最後は斜めに読んで結論を読もうとしましたが 時間切れと書いてあったので最後の方をよく読みました。 私はまだそのようなことまでは考えてませんし 考え至らないかもしれません。 どうもありがとうございます。

noname#210533
noname#210533
回答No.16

時々この哲学関係のページをめくるのは、稀に星の様にキラキラ光る、 視点や着想、視野の大きさやリアリティを感じさせてくれる回答が読めるからです。 ご質問をしょっちゅう投函されている方のおっしゃることを拝見していると、 「関係性」とか「精神」「神」「存在性」「性質」などの、一見テツガク的で ありながら、とてもぼんやりしたあやふやな意味合いの言葉を、明確な繋がりを 全く説明しないまま、というより多分、説明できないまま、と言った方が正しいの でしょうが、漠然と言葉のイメージをいくつか繋げて賛否様々な論を問うものが とても多い気がします。 また、沢山勉強された知識/哲学者の名前や書籍、理論名などを並べて、で結局 それらが噛み砕かれて平易に判りやすくなっておらず、酷いときには知識を持つ者 同士の議論でも、はたから見て噛み合ってないんじゃないかしらん、と思うことが 少なくありません。 哲学と言うお話は、ついつい批判的で反論したがりで、究極とか永遠とかの 「これ以上考えても無駄」という地平線を指し示したがる側面があるようです。 前置きが長くなりましたが、今回は、「精神」についてだけ、問いかけを書いて みたいと思いました。 簡単なことを、お聞きしたいのです。 「精神」はどんな材料で出来ているのですか? また、「精神」は大まかに言うと どんな形、或は構造(仕組み)を持っているのですか? およそこの世界に存在するもので、成分、もしくは構造を持たないものは在りません。 光であろうと虹であろうと、電気であろうとデータであろうと、全て材料、成分を 持ちますし、真空の闇でさえ、光が届かぬように囲われた領域、という<構造>を 持ちます。 つまり、閉じられた箱状空間、というカタチを持つわけです。 精神だけが、何か捉えることのできない崇高な高次の何かで、と話を端折って しまっては、その考えの検証や反論が出来ないどころか、そもそも解釈が定まらず、 思考の共有化が出来ません。 価値尺度であれ、論理思考であれ、その思考を形成する各々のパーツである 知識や解釈と、その背景となる思考樹が共有化できて初めて、論理を検証し、 疑いを持ち、反論を検討し、元の思考をバージョンアップしていくことが 出来るのだと思うのです。 そのためには、イメージを連ねて物語や風景を想起させるようなポエムとして 語るのか、複数の人々の脳を結集して、一つの思考を共有し、練り上げて 行くのかによって、あやふやなまま言葉を使った方が良い場合と、意味を 絞り込んで共有化が出来る状態にしないとならない場合に分けられると 思います。 今回の場合は、多分後者ではないかと。 「精神」、この観念で後は細かく考えない!と言い切ってしまうと思考を 他人と共有する手がかりがないまま・・・漂流してしまいます。 「精神」の材料、成分。 そしてカタチと構造、そして具体的な仕組み。 それについて「化学」でも「電気的構造」でも、「情報工学的」な見解でも 普遍的に理解しやすい、平易で噛み砕かれた説明をお願いします。 「存在性」とか「性質」という言葉も、ご自身の漠然としたイメージ、観念の キーワードとしてしか語られていません。 明確にしよう、特に高度な学術知識を前提にしなくても、話の全体像が把握 出来るように、思考を整理し、組み立て直し、明快にすることは、質問者 ご自身が理解できていない部分を解明していく作業とも言えるのです。 「精神」について、科学的、或は数学や物理学などのように把握・共有と その検証が可能な論理として、ご説明を求めたいと思います。 明確に、お話しいただけますでしょうか? 少年少女にも、無学な輩にも、判るようにです。 是非、お願いします。

yuniko99
質問者

お礼

「精神」とは何か?何で出来ているか?との事ですが 私もうまく説明できるかどうか まず言えるのは、ご自分の精神を考えて頂くと 非常に多くの知識や思考、考え、感じることなどを持っておられると思います。 ではそれが何で出来ているのですが 脳の働きによって精神が現象してるであろう事は 分かって頂けるものと思っています。もちろん脳以外の体の神経や環境も関わっています。 その精神の情報量や様々な記憶、情報の細かさ、無数の種類の言葉や概念を見たとき それを実現するものを脳内に探すと・・・性質を置いて他にあるでしょうか? 他に我々が感じる自我を持った世界を実現するファクターがあるでしょうか? クオリアと言うい感覚質があると言う人もいますが、その様なものがどうやって発生するのか?物質やエネルギーで出来た脳で、その様なものが発生する要素はないと思います。 そこで考えるに 脳内で身体の感覚神経も交えながら脳内伝達物質など色々な物質や電気信号が反応し合って その反応し合ったものが持っている性質が主体化して自我を形成していると考える他にないと考えるに至ったわけです。 〇早い話は 脳内の物質や電気的信号の持つ性質が精神を織り成している と言う事です。 物質やエネルギーは必ず性質を持ちます。 精神を認識する手段は自分の精神をまず認識しないと分からない と思います。 我思う 故に我在り。と言う事です。 〇精神は性質で出来ている。それはあなたの精神です。 と言う所でしょうか。 どうも大変ありがとうございます。

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