漢帝国建国の3傑のその後
- 漢の高祖劉邦が中国を統一し、国内での騒乱が終結すると、将軍たちは謀反の疑いを掛けられ次々に粛清されます。
- 軍師張良は早々に隠退し難を逃れますが、宰相蕭何まで疑われました。張良は意地汚い人間を装い難を逃れた蕭何にアドバイスをしました。
- 韓信はガチンコで立ち向かってハメられてしまい、最後は謀反に踏み切らざるを得ない状況に陥りました。韓信は張良に相談せず、張良も助言しなかったのか疑問です。また、張良は高祖亡き後に呂后の専制政治が起こると考えていたのでしょうか。
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漢帝国建国の3傑のその後
漢の高祖劉邦が中国を統一し、国内での 騒乱が終結すると、将軍たちは謀反の疑いを 掛けられ次々に粛清されます。 軍師張良はそれを見越して早々に隠退し 難を逃れますが、まさかの宰相蕭何まで疑われました。 相談をした張良のアドバイスで、自己中の 意地汚い人間を装い難を逃れた蕭何。 しかし韓信はガチンコで立ち向かってハメられて しまい、最後は謀反に踏み切らざるを得ない状況に 陥りました。 韓信は張良(蕭何)に相談するという知恵がなかったのでしょうか。 はたまた張良はそんなこともあろうと分かっていただろうに なぜ助言してやらなかったのでしょうか。 また張良は高祖亡き後、呂后の専制政治が起こると 考えていたのでしょうか。
- 猫田 にゃん吉(@popps)
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おはようございます。 >漢の高祖劉邦が中国を統一し、国内での >騒乱が終結すると、将軍たちは謀反の疑いを >掛けられ次々に粛清されます。 「 狡兎死して走狗烹らる 」 、・・ 眼前の敵が滅び去る事で功があった臣下の粛清を予見する、司馬遷の『 史記 』 に記された余りに有名な言葉ですが、先の3傑のみならず、幼い頃から劉邦の親友であった盧綰、鴻門の会で彼の窮地を救った股肱の臣・樊噲ですら謀反の疑いを掛けられております。 >韓信は張良(蕭何)に相談するという知恵がなかったのでしょうか。 >はたまた張良はそんなこともあろうと分かっていただろうに なぜ助言してやらなかったのでしょうか。 張良もそうですが韓信もまた元々外様です、その一方で保身感覚に長けた張良に対し、韓信は自己の保身に関して書生程度の危機感しか持たなかった為、その粛清は早晩免れなかったでしょう。 何せ項羽との戦いで劉邦が苦境に立たされていた頃、平定した斉に於いて仮王の位を求め劉邦を激怒させました、帷幕にいた張良が韓信が第3の勢力になる危険性を指摘して、その場を収めましたが・・。 ただ劉邦は元来が無頼の輩ですから、危険に対する予知能力と猜疑心が異常に強い、その時点で張良は韓信の粛清を見越していたのでしょう、依って関わり合いになる事を意図的に避けたと思います。 >軍師張良はそれを見越して早々に隠退し >難を逃れますが、まさかの宰相蕭何まで疑われました。 劉邦はその故郷で一介のゴロツキに過ぎなかった、つまり漢帝国の樹立は蕭何の存在無くして考えられない・・まさに仰る通りでしょう。 そんな蕭何すら疑われた事を思えば、当時の劉邦の猜疑心は精神の病の域に達していた、そう断言して良いのかも知れません。 スケールこそ遥かに劣りますが、豊臣秀吉の晩年に似ていなくもない、私としてはそう考えますが・・。 >また張良は高祖亡き後、呂后の専制政治が起こると >考えていたのでしょうか。 こと呂后に限らず、張良という人物の生涯を貫いた特徴は、内政に関与し表に出る事を極力避けて来た事にある、この点は政変に積極的にコミットする事で我が身の保身を意図した陳平とは誠に対照的、生き方の基本線の違いという事なんでしょうねぇ。
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- jkpawapuro
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呂家が強力に実験を握ることまでは予期していたでしょうが、劉家が代々跡を継ぐことが危うくなるほどの専制を予期していたかどうかはわかりません。 皇帝の外戚が実権を握るのは中国史の常ですが、だからといって姓の違う家がのっとるケースは少ないですし。 なんといっても太子は呂后の実子ですしね。 忠義の道に反することまでよしとしていたかどうかはわかりません。ただ劉邦の子であれば誰が跡を継ぐかは張良の関わり合う話ではないということです。
お礼
再度の回答ありがとうございました。
- jkpawapuro
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なぜって張良はもともと韓の宰相家ですので、張良の目的は韓を滅ぼした秦の打倒、韓王を殺した項羽の打倒です。 もともといい家の出なので目的果たしたら楽隠居です、別に位人臣を極めるとかいった野望もないし、外様でそういった身分が望める立場でもないので項羽を倒し用済みの韓信に用はありません。 呂后の専制政治、当然予定していたでしょう。なんといっても史記には呂后の産んだ太子が無事跡を継げるようアドバイスまでしてましたし、自分の老後が安泰であるよういい関係を保とうと意識してたと思いますよ。 だれが跡を継ぎ誰が実権を握るかは基本的に韓の人間であり客将なので、漢がどうなろうとそれは劉家の問題、張良がかかわる筋合いはないんですよ。これが劉家以外の人間が跡を継ぐとなるといささか忠の道に外れかねませんが、別に呂后が専制したところで跡を継ぐのが劉邦の太子であれば、張良としてはそれはそれでいいじゃないですか。 この点戦功著しい韓信や旗揚げ時から設立メンバーである蕭何となるとだいぶ立場が違うでしょうがね。
お礼
呂后の専制には嵐の過ぎ去るのを待つしか 対処法はありませんが、その片棒を担がされたのが 張良です。呂后は劉邦の遺命を破って自分の身内を 王に任命し呂氏が朝廷を牛耳るようになったが、 呂后亡き後、呂氏の専横を粛清したのは陳平たちでした。 張良はわが身安泰なら劉王朝でも呂王朝でも 良かったのでしょうかね。 回答ありがとうございました。
韓信の股くぐりという逸話があるように、時に応じて恥辱さえ耐え忍ぶという武人 が韓信でした。しかも、股をくぐらせた男を許したり、貧乏でひどく飢えた時、叱っ て食べ物をめぐんだ老女にもお礼をしたというエピソードがあります。 以上は司馬遷の「史記」の記事によるのですが、司馬遷が暗にいっているのは、謀 略と術策で天下をとった劉邦より、おう揚で武人としてのたくましさが身に備わった 韓信のほうが、人気があったということです。 人気者は権力者に憎まれるもので、人気者と相談することなど、頭の切れる軍師や 大臣はしないでしょう。誰と誰が会ったか、その際どんなことを話しあったか、すべ て皇帝に伝わっていたので、謀反を口実にいいがかりをつけるのは、まったく容易だ ったわけです。 呂后については、かばうわけではないのですが、劉邦が貧乏だったころから家を守 り、それだけなら内助の功で称賛に値するものの、無類の女好きで酒色にふける夫に 手を焼き、項羽との戦いでは、敵将の項羽に処刑されそうになったといいます。 これで怒りを爆発させない女性はいないでしょう。 張良は軍師なので、戦争が終われば用済みという自覚があったのだとおもいます。 中国の王朝史は、呂后の専横と、その前の宦官趙高の禍で幕を開け、清の西太后 でとどめをさされました。 その間何度も同じような禍が起こったことをかんがえると、一人二人の賢臣では どうにもならない歴史の力が、常にうごいているということかもしれません。
お礼
韓信は斉を攻略した時、劉邦が困窮しているのを 救援にも来ず、逆に斉の仮王にしてくれと言ってきて 劉邦を激怒させました。「おのれ~こんな時になんちゅうことを」 と怒る劉邦の足を踏んで「no,no.no」と目で咎めた張良。 張良の意を理解した劉邦は「この野郎、なぜ真の王にしてくれと 言わんのか、仮王などと、遠慮しやがって」 この件が張良と韓信の大きな違いでしょうか。もちろん 韓信のブレーンの質が低いのも不運でしょうが。 この話が「主を震わす者その身危うく、功 天下を覆う者褒められず」 の元で、韓信粛清は避けられなかったのでしょうか。 回答ありがとうございました。
- ithi
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popps さん、こんばんは。 韓信は張良(蕭何)に相談するという知恵がなかったのでしょうか。 はたまた張良はそんなこともあろうと分かっていただろうに なぜ助言してやらなかったのでしょうか。 漢帝国が成立した時点で、最大の功臣である張良や蕭何、韓信は早くも危険人物でした。 つまり、いつ反乱を起こすかしれないと考えられていたのです。一番嫌っていたのが、呂后をはじめとする呂氏一族つまり外戚です。 韓信はこの中では保身術について一番ずぼらで劉邦陣営の中で浮いた存在だったのです。だから、張良も蕭何もあまり関わりたくなかったのでしょう。多分自分の保身のために必死でほかの人のことは考慮できなかったのでしょう。 詳細は下記のURLを参照ください。 韓信 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1 張良 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF 蕭何 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%AD%E4%BD%95
お礼
張良や蕭何からすれば韓信がその 身の振り方で、こいつがどの程度の 人物か見定める狙いがあったのかも。 あるいは仰るように「他人のことは 知るかい」と我が身大事とよそに目を向ける 余裕がなかったか。 相談を受けてやっと他人を慮る気になれたのでしょうかね。 回答ありがとうございました。
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