• 締切済み

完全な無神論っておかしいですか?

もちろん今現在の科学が全てを解明してるとは思いません。 しかし、今私たちの意識を支えている脳髄が物理的に消滅した後も何らかの形で意識が継続するとしたら、それは全く私たちが現在の科学知識で知っている、認識できるものとは別の形だと思うのですが。 それを通俗な道徳観念から推し測って、あげくがそれに基づいてあげくが殺しあう、2CH風に言えばアホか馬鹿かと小一時間説教したいところなんですが。 反論を心からお願いします。 死後が完全な無って望む人はいないと思うので

みんなの回答

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.2

rhforever様、こんばんは。 >「死後が完全な無って望む人はいないと思うので 」 E.H.カーの「歴史とは何か」を一読下さい。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

望もうが望むまいが、完全な無です。何らかの何かが残ったりはしません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 人間の死後は科学的に解明されるか?

    10年後、20年後、30年後、40年後、50年後、60年後・・・には人間の死後は科学的に解明されると思いますか? 「死後の世界」はあるのか?「生まれ変わり」はあるのか?もっと違った死後の運命があるのか?全てが無になるのか? もう解明されていると言う人もいるかもしれませんが、まだ解明されていないと思います。

  • 死後の世界・臨死体験・思春期の悩み

    ☆死後の世界(もしくは生まれ変わり)はあると思いますか?無いというのも言いがたい気がします。 ☆臨死体験という現象があります。「脳内現象説」や「死後の世界証明説」などがあります?皆さんはどう思いますか?(どちらでも説明できない点があります) ☆将来、上の2つの質問が数十年のうちに科学的に解明されると思いますか?まtあ、解明されるとしたらどのように? ☆将来(数十年間)、活気的な延命薬などはできると思いますか?また、不老薬は近いうちに出きる可能性はありますか? ☆もし、死後の世界がなければ死ねば全てが無になるのでしょうか?無というのは「闇」も「明るさ」も全てが失くなるのですか?怖いです。 ☆死ぬと「無」になると考えると怖くて仕方がありますん。数日前からそれを考えると食欲が無くなったり体調を崩したりしています。また、泣きたくなったり、今していることが無になるなら意味が無いと思ってしまうぐらいです。でも、人生はとても楽しく、出きるなら永遠に生きていたいぐらいです。天国でも良いので。こういう悩みは良くある話ですか?いつか、無くなりますか?一生涯、これを悩み続けて生きていくのも怖くて仕方がありません。(中2です。8月ごろにもこのような悩みを抱えていました。小3くらいの時にももっと漠然とした不安でしたが感じたことがあります。)

  • 死んだ後の運命

    人間の死後については色々な説があります。でも、どの説にも賛成する人がいます。しかし、反対に完全否定する人もいます。なので、現在は「死後」にどうなるのかは解明されていません。私は死後、全く無になると言う考えは1番現実的で科学的な仮説のような気がしますが、それでは説明のつかない現象が沢山あります。その内の何割かが嘘や迷信だとしても全てがそうとは考えにくいです。そして、偶然だという事も考えにくいです。次に、「死後の世界(天国など)」があると言う説は科学的には信用しにくいですが、「死後の世界」があることによって証明できる現象もあります。「生まれ変わり」という説もありますが、これも同じだと思います。「魂」がある、とよく言われています。たしかに、「魂」=「脳」であるという考えもあります。でも、「脳」だけでは説明ができない物があります。この決定的な答えは死んだ人にしか判らないと思います。 皆さんはどう思いますか?皆さんなりの証明を聞かせてください。できれば、当てずっぽや理想ではなく何らかの根拠を付けて答えてください。 死んだら全てが「無」になるというのは中々考えにくいような気がします。 天国で先に死んだ家族、親戚、友だちには会えるのでしょうか?「ご臨終」となった瞬間に全てが「無」になるのでしょうか?

  • 無神論者の死生観は動物の本能に近いのでしょうか?

     人間は知恵や知識が発達し、家族(~家の存続)村社会(共同体)というもの  が出来、皇族や豪族 武士等の当時国を制する立場の者は個人の墓というものは有 りましたが、元来当時の庶民層は共同体の墓地に納めるという形だったそうです  が、明治期にその様な身分が無く成り、~家としての墓が造られたという話を聞い た事があります。  ともあれ、弥生期頃には現在の様に法律や形式はありませんが、共同体で葬り  (土葬する位だったと思いますが)、死者を偲んだとも云われております。  それ以前 知恵 知識が発達する前は「死んだ認識も無く」「死ねば放置」  という事だったといわれております。  絶対的な神を否定する佛教の教え(無神論に近いと私は思いますが)も  「近しい方との別れ」「私も亡く成って行く」という悩みがあり、そこからの  解放が「ありのままに受け入れていく」という事で それが又死者に対する儀礼  (今日本ではこれが中心になり元来の佛教の思想とは離れたものになっていると   の指摘はありますが)へと繋がったとも云われております。  現代は科学が発達し、迷信や霊魂は否定 死後の世界等無い  だから「葬儀 墓無用」という方が増えていると思いますが、  その様な考えを持つ方で「無神論」と言われる方は人間の知恵が発達する前の  動物の死生観を引用されている方が多いと思います。  つまり知恵や知識が無いと「唯生きている」「死んだだけ」という事なのでしょう か?科学等は信奉されても、死生観は原始的なものへ立ち返るべきであるという事  なのでしょうか?  (私は霊魂や死後の世界は否定しております 佛教でも「ただ白骨のみぞのこれ  り」ということは云われております。唯「無に還る」という言葉が良く使われておりますが、無神論者の方にとって「無」は「無意味」「無価値」の「無」なのでしょうか? 事実死者に話しかけても応えてくれないし、死後の世界に行って帰って来た人はおりませんが、私のいのちも遡れば、「無」というところから始まったのではないかと思いますし、色々な方の「お育て」があり、今日の私があると思うので、 その様な事から自己の戒めという意味では儀礼や墓参りも必要なのではと思います 最終的に「心で思えば良い」という事ですが、形があり時には「ああそうかな」と 云う事もあるかと思います) (偏見で申し訳ないのですが、「何もしてくれるな」という方は個人主義の方が  多い様に思います。 事実本当の原始時代は徹底した弱肉強食だったそうですから、「自分は自分で今の地位生活を築いた」「誰の世話にもなっていない」 だから、「親戚や知人の煩わしい付き合いは嫌 行きたくない」 「墓も仏事のみならず 子の結婚等もめんどくさい」 「だから俺もほおっていてほしい」という理屈なのでしょうか?) 本能でみれば 生きている今だけ 世の中は弱肉強食 煩わしい付き合いは嫌 死ねば終わり その様な生き方が一番そのままに生きているといえるのでしょうか? ご回答お願いいたします。

  • 無神論と云われる方へ質問です

     別に無神論と云われる方を批判非難するつもりはありません?  キリスト教やイスラム教等の様に神が絶対的な存在であり、それに従属する形で  救われていく教えとは違い佛教は釈尊がありのままに物事を見ていけ、私を知る  と云う事であり、本尊等も釈尊の死後真理の象徴として造られたとも聞きます。  故に、佛教の教えは無神論と似ていると思えます。  唯、世間で云われる無神論者と言われる方とは少し違う様な処があると思います。  佛教は「今権勢を極めていても何時までも続かない(無常)」  「生きている現在も絶対ではなく 死も訪れるがこれは私の計らいのないもの(無我)」  と云う事を説いております。  芥川龍之介氏の『蜘蛛の糸』で主人公犍陀多が蜘蛛の糸で救われる時、  「俺一人が助かればよい」という考えで地獄に戻ったと云う話から、その様な事がうかがわれました。  私的には死後の世界や霊魂は否定しますが、その様ないのちの繋がりやわたしのいのちも  多くのつながりにより生まれ、又私も死に至る身でありますが、そのような思いを大切にする  象徴であると、法や極楽は解釈しております。  さて、世間で無神論者と自称される方へ質問させて戴きます。  1 今現在が良ければよい  2 老病死は無価値で無意味なもの  3 死ねば物質と捉える  4 損得 役に立つか立たないないか 科学的に判断する  5 死ねば最終的には諦めていく  6 仏教では0(ゼロ)無もいのちの根本と見ますが、無は無意味無価値なものと捉える 昨今、不景気や地域社会の崩壊で「葬儀無用」が言われております 仏教も元来葬儀とは関係はありませんでしたが、江戸時代の寺壇制度で各集落ごとに寺社が造ら れたことに由来し、戦後もバブル期までは金銭的にもそう贅沢せずに行っていたのが派手になった これは見直していくべきだと思いますが、この様な事を踏まえ無神論と言われる方は どの様に捉えておらるかご回答いただければと思います。

  • 科学的な死後の世界について

    死後、人の体を構成している物質は、土や水など存在するものに還りますが、意識、魂とよばれるものは無の存在に還っていくと仮定しています。無の存在とは、宇宙科学でよくつかわれる暗黒物質にちかいもしくはそれに該当します。存在しない物質です。が、エネルギーをもってます。 人は死後、意識は無になるが無の物質としてなにかしらのエネルギー活動をしている、漂っているのではないか? 「無の存在は個別認識がなく1つの母集団である。」 「無の存在の目的は永久に定着できる入れ物、永久物質(永久に崩壊しない原子)を創りだすことである。」 宇宙は無の存在の意志により創りだされ、永久物質ができるまで、宇宙は拡大し、新たな原子をつくっている。と思われます。

  • 無神論者の方は佛教をどう捉えておられるのでしょうか

     無神論と云われる方は霊魂や死後の世界を否定すると云われております  佛教も釈尊の時代は本尊等無く死後の世界より、私が自己を知る教えを説いておりました。  元来霊魂等は否定するものでした、「いろは歌」にあるように「有無を離れる世界」  を説いております、故にありのままの自己を受け容れよと云う事だと思います。    釈尊も日本の宗祖と云われる方も葬儀無用を説いておりました、が釈尊の教えや  各宗祖の教えを偲び、それを伝えていかんが為に本尊や儀礼が行われる様に成り、  自己を知ると云うよりも儀礼中心となり、江戸時代の寺壇制度の名残が残っているので  すが、それが戦後核家族化や科学技術の進歩で衰退しているのが現状であり、  佛教も本来の教えより、教団の護持の方が優先されている現状です  故に、葬儀も簡素化しても良いと思いますし、時代に合う形に応えていくのが良いと思うのであります。  さて、無神論と云われている方は  (1) 釈尊の自己を知る事や有無を離れる事も無意味無価値と思っているのですか?    「自己」等知る必要は無い、自分の思うがままに生きればよいと云う    思いなんでしょうか?    又「有」に執着されておられるのでしょうか?  (2) 昔、「人は死ねばゴミに成る」と云う癌告知をされた伊藤栄樹氏と云う検事の方が   「霊魂を否定し」「意識は無くなりものとなってしまう」と云う結論を下されましたが、   遺族は「私が貴方を思う気持ちはどうするの」と云うと本人は「死後もこの世の思いを引きずられたら叶わない」と云われました。   科学的に見ればゴミでありますが、遺族の思い過ごして日々と云う処から、墓や儀礼が生まれたのだと思いますが、私の事を決別し、忘れてくれと云う事なんでしょうか?  (3) 唯物論(私も完全に否定しませんが)は金銭が満ち溢れれば、情等の思いと云う処は必要ないのでしょうか?  私も霊魂は否定します が自己を知る 科学的には死ねば物質となる伊藤栄樹氏の指摘には賛同できますが、反面私が今生きているいのちも多くの無数のいのちのより存在し、私も死を迎えますが、宗教儀礼関係無く、その繋がりの中に居ると思います。この辺りの事をご回答戴きたいと思います。

  • 魂と死後のこと

    僕は20歳にもなって死について小学生みたいな心配事をしています。 死にたくない。 自分が死んで無になるなんてどんな感じなんだろう? 今生きている感覚と死んでいるという感覚はどう違うのだろう? 何も感じられなくなるのか? 死後の世界は存在するのか? 色々なことを考えてしまいます。 僕はこうも考えます。 生きものには魂があるのではないかと 科学的に自分と全く同じクローンがいたとしても、そちらのクローンの方で見たり、聞いたり、自分の意識を持つことは出来ないと思います。 脳が意識を作り出しているのかもしれませんが、その意識を認識しているのは何だ? そう考えた時に魂の存在があるのではないかと思いました。 また、こうも考えました。 死後の世界があるとしたらなぜ、今の世界があるのか それは死後の世界は神が生きものを放って置いたら争いしか生まない。 だから今の世界で愛を学ばせて、死んだあとに死後の世界で争いを生まないようにしているのだと 最近このようなことばかり考えてしまいます。 みなさんは死についてどのように思いますか?

  • 意識

    現在の科学では、 人間や他の動物等の意識と物質の関連付けみたいな 研究はなされているのでしょうか? 例えば、量子論で解明できるかもしれないとか、 医学や物理学の立場では考え方が違うとか、 全く解明できる余地はないとか・・・。 よろしくお願いします。

  • 心霊と科学

    心霊と科学 相対性理論によりこの世のすべての概念が解明された中、何ゆえ幽霊は解明されないのでしょうか? おそらく心霊現象を科学的に研究されてる人もいるかと思いますが、私が知りたいのは化学などの物質の数値だけの解明ではなく、宗教学を含むこの世の知(科学)を以っての幽霊の存在はどのような感じなのでしょうか? 成仏、お払い、供養などが良い心霊学者は言いますが、それらから連想されるのは仏教の肯定で、他宗教の存在は否定しているようにさえ感じます。 おまけにこのような日本独特の仏教文化の中での出来事ですので、ひょっとしたら霊自体存在せず、霊感のある人も単なるホラ吹きということもあるかもしれません。 このようにさまざまな謎に包まれている心霊現象なのですが、 現在心霊現象は科学的にどこまで解明されてるのでしょうか? 現在学生の身なのですが、死後のことを考えるとやはりこの心霊現象に恐怖と興味を感じます。 絶対幽霊の概念を突き止めるという夢を抱いてるのですが、アニミズムの精神からきているような、どこか雲をつかむような感じがします。

このQ&Aのポイント
  • ひかりTV録画番組ダビング対応ブルーレイレコーダー HBD-WA20を使用することで、ひかりTVの録画番組をブルーレイにコピーすることが可能です。
  • ブルーレイにコピーするためには、HBD-WA20とブルーレイディスクの両方が必要です。
  • また、コピーする際にはチューナーも必要です。
回答を見る