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小魚を大量に食べるのは罰当たりですか?

スーパーで売っているしらす干し、や小魚アーモンド、 または白魚(しらうお)の踊り食い、といった、 一度に大量の命を頂く行為は、罰当たりですか? もしそうであれば、オオアリクイなどはまずい立場になります。 しかし小魚も大量のプランクトンを食べて成長していますね。 多人数で一頭の巨大なクジラを頂くのと、どういった違いがありますか? つまり命の単位とは何でしょうか? 生物学的、宗教的、どちらでもかまいません。

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noname#224207
noname#224207
回答No.3

恐ろしく難しい問題にぶち当たりましたね~ これがスラスラ解けたらお釈迦様もキリスト様もいらなくなるでしょう。 「命を頂く行為」と書かれておられますが、この辺がヒントでしょう。 ただ、この考え方は日本人特有の考え方だということをお含みおき願います。 家畜といいますか獣肉を食べてきた、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も天という思想を持つ中国人もこのような考え方はしません。 日本の釣りマニアは昔から 釣った魚は綺麗に食べることが供養である。 食べ残したり、食い散らかすのは魚に失礼である。 ということを言い伝えてきました。 ヨーロッパやアメリカの釣りマニアは釣ったらオシマイです。 命懸けで逃げようとする魚を捕らえることだけが楽しみです。 同じようにハンティングという道楽で動物を撃ち殺します。 命などいうことを考えません。 後は情緒にまかせた可哀想、可哀想だけです。 家畜は屠殺してもイルカやクジラを殺すことを非難して糾弾するのはこの為です。 子羊のなんとやら、子豚のなんとやら、といって平気で子羊や子豚を殺して食べます。 これに対して日本の畜肉処理場すなわち屠殺場には必ず慰霊碑があって供養という儀式をします。 冒頭の「命を頂く」という考え方に基づいています。 人の命であろうと、家畜の命であろうと全く同等のものとして扱います。 家畜の命を頂いて、人の命を永らえさせているという考え方です。 命を引き継ぐと言い換えてもいいかと思います。 供養という儀式は、命を渡してくれた動物に対する感謝の意の表し方の一つです。 こう考えれば、鯨一匹も白魚一匹も同じ命です。 命に数はありません。 この辺は、生物の発祥起源に遡れば分かり易いかと思います。 生物と無生物は化学の考え方だけであれば、どちらも単に連鎖的に化学反応を繰り返しているだけです。 溶鉱炉の中も人の体の中も同じ化学反応であって反応している物質が違うだけだと言えます。 昨今流行りのDNAなるものもdeoxyribonucleic acidなる化合物の名称の頭文字を取っただけのものです。 つまり、この化合物の構造の違いを継承することを遺伝と呼んでいるだけです。 この考え方には「命」という考えは含まれていません。 化学の世界を離れれば、生物と無生物との差は命の有無です。 発生学的には、太古の何時の日にかこの命なるものを獲得したものがいてそれが生物の始祖と考えられています。 つまり初めは一つだった命が、時代を経るに従って、多くの個体へと分散しながら引き継がれていったと考えます。 このように考えれば小魚の群れの命も鯨一匹の命も同じ命であって、宿っている形態が違うだけだということになります。 鯨一匹の命を分け合って受け継ぐのも、一人で小魚の群れの命を引き継ぐのも同じことだということになります。 この辺のことを直感的に言っているのが「人は生きているのではなく、生かされているのだ」という言葉です。 後は宗教人であれば宗教としての補足説明をしているだけです。 以上回答にはなりませんでしたが、ものは考え様ということです。 今一度視点を変えて考えてみて下さい。

OKWaver2013
質問者

お礼

やはり無意識に日本人としての考えが身についているってことですかね。戦後、伝統的な日本人の価値観が徹底的に破壊されましたが根本は変わらないと。しかし今後も日本人の死生観や価値というのは破壊されていくでしょうね。 現在、私はそうした国としての意図に迎合しないということで「危険人物だ」とみなされ、公安部(とその実行宗教組織)に集団ストーカーされています。もちろん戦前に戻れみたいには思いませんし煽動する意志も力も無いのですが。集団ストーカーを通して戦後史や国家情勢を知ることが出来、得られるものは多いです。 他の方も回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

回答No.4

天が地球の生命に与えた食物連鎖ですからね。 白魚ですと700~2500個くらい卵を産むそうですし、いわし(子はシラス)なんかは20000~30000個産みますから、次の世代が卵を産むときに親と同じ数でないとあっという間に海がその魚で溢れかえってしまいます。 白魚も人間と他の魚のどちらが先に捕食するかの競争ですよ。絶滅に至るような必要以上に捕獲することがなければそれもまた生命活動の理です。 ◆卵を産む数というのは、ある意味、無事に親になれる数から逆算されています。 つまり、生まれる数-捕食される数=親と同数(生命の安定維持) クジラやゾウのように何年かに一頭しか生まれなければ、簡単に捕食されては個体数が維持できません。 クジラとの違いは「生まれる数の違い」まさにそこです。 地球の大きさは決まっていますから多く生まれる生物は、それだけ多く捕食される。命の単位は個体数安定維持の単位として、クジラのような生物の1頭あたりの命の重さが白魚より重いのは自然界の理(ことわり)です。

  • Nouble
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回答No.2

多くの宗教では 他殺するべからず、 自殺するべからず、 と、あるように思います。 細胞単体も生きている と、するなら 植物食はおろか、 新陳代謝すら、此に反します。 詰まりは 生きるも罪、自ら死ぬも罪、 仏教では、私感ですが 矛盾を踏まえ受け入れよ 己が罪を悟れ と、解いている 此のように思います。 何時の日か 1細胞すら犠牲にせず 生きれるような日が 来るのでしょうか? 因みに、 日々繰り返す新陳代謝で失われる 細胞の数は、 小魚を鷲掴みで食う、 其の比では、ありません 桁違いに、膨大です

  • hamazo2004
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回答No.1

小魚や魚卵を大量に漁獲することは、罰当たりかどうかはともかく、食物連鎖状効率は非常に悪いとは思います。そのようなデーターもあります。大アリクイはシロアリはアリを食べるわけですが、これはこれで環境のバランスを取っています。小魚がプランクトンを食べることは、プランクトンの成長スピードを考えると、環境上特に問題なく、バランスが取れているような感じがします。逆にプランクトンの異常発生の問題もあります。鯨については思った以上に、大量のオキアミや魚やイカ類を食べており、これはこれで放置すると、問題だと指摘する学者もいます。それぞれ状況が違うので一概には言えませんが、1番目の小魚の大量漁獲、大量消費は問題であることは明確です。

OKWaver2013
質問者

お礼

小魚アーモンド大量食いは控えます。