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地方自治体の行政での決定方法
- 地方自治体の行政での決定方法は、会議と稟議が主な方法とされています。
- 国会や内閣でも会議での議決が行われており、市町村の議会も同様です。
- 市町村の行政においては、稟議だけでなく会議での議決も行われている場合があります。
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それは、市町村には、市町村長がいて、彼(もしくは彼女)が全権と全責任を負っているからです。 教育委員会など特殊な委員会(行政委員会と呼ばれます)などは、「一応」行政部門でアリ、「一応」市町村長の支配下にありますが、独自性が尊重されて、市町村長の考え方とは違う行動をすることが許されています。 行政部門であるものの、その分野についての狭い範囲ですが規則を制定する権限(準立法)を持ち、担当分野での採決権(準司法)を持っています。 だから、行動の前提として、会議して、決議することに意味があります。 ほかのものには行動する権限がありません。会議をやって議決しても、意味が無いのです。従って、お尋ねの「会議での議決」というのはしません。 ただ、質問者さんがお尋ねでナイ、名目だけの「会議」なら、時にはやって「議決」もやっていますよ。 例えば、諮問委員会などは、市町村長から諮問されたことについて委員会が会議して、案を審議し、報告案を多数決で議決して、決まった内容を市町村長に答申します。 議決がまとまらなければ、反対意見なども書いた「両論併記」という答申書を市町村長に提出します。 市町村長はその答申に束縛されませんので、会議・議決に決定的な意味はないので、質問者さんの耳目に入ってこないわけです。
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- fujic-1990
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2番回答への補足への回答です。 お書きの通りですね。 特別会計というのがありますが、あれはもちろん、一般会計の支出でも、「団体Aへ100万円補助する」と決めるまではネチネチと調べますが、いったん決めると、毎年前例として問答無用で「100万円補助」で通っているようです。 「A部では、文具代金として100万円毎年かかるから100万円の文具代を予算付けする」といったんなると、あとは前例として稟議などの手続きは省略するようです。 使う方も、予算の消化を考えて、適当に消費しているように感じます。 ですから、毎年3月ころの年度末というか、予算〆日近くになると、まだ真新しい文具やファイル、文書保管箱、ロッカーなど(ほとんど使っていない物やホントに新品)が捨てられていましたよ。そのころ庁内掃除のアルバイトなどをすると、ウハウハでした。 あの購入、新旧入れ替えの速度は、いちいち稟議などを上げていない、一種の独裁政治でなければできないことです。ホントの稟議などをやっていると、その間に4月になってしまいますからね。 部長は、文具担当の部員に委任して、部員が予算消化の様子を見ながら、形だけの稟議書類を回す。 係長、課長、部長と、押印欄はあるでしょうが、稟議書を作った者が正規の担当者なら、内容(何をいくつ買うか、値段はいくらかなどなど)は見ないでポンポンと承認印を押して、即発注、オシマイなのだろうと想像します。 実際、年度末に、マジメに会議や稟議を回している暇はナイと思います。そのころだけは、忙しそうですから(予算編成関係の部署は年末から多忙)。
- fujic-1990
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1番回答者です。 いまでも会議はやっているのですよ、いろんな部署で。 ただ、その会議と決議がなければ何かしてはいけないというような、その会議・条件が欠けていれば出した命令などが無効になるような、絶対に必要とされる条件にされたような重大な会議や決議はない、という意味です。 価値観の違いもあるかと思いますが、「○○部に予算100万円で文具を購入する予算を与えた」というなら、あとは部長が決めれば十分。細かく「鉛筆何本買いましょうか」などと、部長以下が集まって会議を開いて決を採り、その決議ナシで発注した場合は鉛筆購入契約が無効になる、というような制度はムダだと私は思いますし、実際にそんな会議はしていないでしょう。 いまでも「『すぐ』で半年、『良かろ』で2年、『稟議・稟議』で5・6年」という、役人のスピードの鈍さをからかう言葉があります。 役人が「すぐやります」と言ってもヤルまで半年かかる、「やってもよかろ」なら実行されるまで2年かかる、「稟議します」なら稟議の繰り返しでヤルと決まるまで5・6年かかる、という意味です。 また、日本の会議の多さを揶揄する言葉に「和して会せず、会して議せず、議して決せず、決して行わず」というのもあります。日本人は、会うまでもなくなんとなく結論が出て、会ったとしても議論はしない、議論したとしても決定はしない、決定したとしても(決まった通りには)絶対に実行はしない、それが日本だ、というわけです。 「連帯責任は無責任」という言葉もあります。みんなで決めたことは責任の所在が曖昧になって、結局誰も責任を負わない事態になりかねません。というか、そうなっています。 どうでもいい、世間話みたいな会議はなんども行われていることでしょう。 しかし、質問者さんが例に出された「教育委員会」の「委員長」がマスコミの前で応答し、責任を取ったと言う話は聞いたことがありません。テレビで見たこともない(出てくるのは事務担当役人にすぎない教育長)。責任者たる教育委員長が誰なのか、何を話あって何を決めたのか、(当人達以外)誰も知らない。 そういう人が「長」になって会議をやった、決議した、としても意味はないだろうと思います。時間の無駄、労働遅延の口実にされるだけだろうと思います。
補足
ご回答ありがとうございました。 「「○○部に予算100万円で文具を購入する予算を与えた」というなら、あとは部長が決めれば十分。」 部長が決めればいいだけだとすれば、会議は当然に全く必要ないですが、稟議も必要ない、ということでしょうか?
補足
なるほど。かなり納得できました。ありがとうございました。 昔、勉強して最近は忘れてましたが、たしか、地方自治体では、市長だけが「行政機関?」で、他の部長以下の職員は「履行補助者?」でしかないということを、本で読んだことがありますが、そういうことでしょうかね。 つまり、「履行補助者?」なるものが会議を開いて議決しても、法的な意味はない、ということでしょうか? まぁ、しかし、もし市長が、文房具を購入する権限は「○○部長という履行補助者」に委任すると決定した場合は、その後は、「○○部長という履行補助者」が会議を開いて、文房具を購入するかどうか議論して議決することは、法的な意味があるのではないでしょうか?