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エホバの証人の方にご質問です

まずこの質問は宗教的な内容を含みます。 嫌悪感を抱く方などはご自身のためにも閲覧をご遠慮下さい。 エホバの証人の方だけではなく、現在進行形で勉強をされている方でもお願いいたします。 私は生まれて直ぐに母からエホバの事を教わり、母とともに勉強をしておりました。 しかし父の猛烈な反対のすえ、母がエホバの一切を切ると約束してしまい、私も小学校に上がる頃にはエホバから離れて行きました。 聖書などは家にあるのですが、もう開くことなく何年も過ぎ、今では姦淫を犯し、喫煙もしてしまっています。 私も母も洗礼を受けてはいません。 中途半端に勉強して離れてしまい、私に至ってたエホバに対し最悪の禁忌を 犯してしまいました。 エホバの道に戻ろうという気持ちと、もうどうせ禁忌も犯し楽園にも行ける希望もないのだからこのままで死ぬのも一つと言う気持ちもあります。 こんなに俗世に染まっているのに、集会にいくのも恥ずかしく、なんてみっともない人間なんだろうと思います。 母にも誰にも相談出来ません。 もし私が悔い改めたら、エホバは手を差し伸べて下さるのでしょうか? 楽園にはもう行けなくても良いんです。でも、エホバを 知ったからには、イエスとエホバを悲しませない生き方を少しの間でも残った時間を生きたいとも思うんです。 これだけ俗世に染まってもエホバの道に戻りたいと思っても良いのでしょうか? 身近にはバプテスマを受けた方も勉強していふ方もいません。 ひとりで勉強していても、続かずに終わるのではと怖いです。 何度もエホバを裏切ってきたので、もうだめならいっそ死んでしまいたいと強く思います。 支離滅裂になってしまいましたが、どうなんでしょうか。 ご回答をお願いいたします。

みんなの回答

  • ykhope
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.5

あなたは相当ご自身を責めていらっしゃるようですね。 ご質問は「自分が悔い改めたらエホバは受け入れてくれるのか」ということでした。 この点について聖書が神について何を明らかにしているかを見ておくのは良いことです。 ぜひご自身で聖書をご覧になってみてください。 詩編51編はイスラエルの王であったダビデが,バテ・シバと姦淫を犯した後に神から遣わされた 預言者から戒めを受けた時に作られたものです。 4節を見ると,神に対して自分は罪を犯したと切実な悔い改めを言い表しています。これは, 単に自分の罪によって生じる結果を恐れてのことではなく,神との良い関係を取り戻したい との誠実な願いの表れだったようです。 というのも10~12節に示されているように,ダビデは神の目に正しいことを喜んで行い, 罪に陥らないようにする決意を支えてくださるように神に祈り求めています。 さらに,17節には「神への犠牲は砕かれた霊なのです。砕かれ,打ちひしがれた心を,神よ あなたはさげすまれません」と述べています。ダビデは悔い改めて立ち直ろうとする取り組み の中でこのことを実感していったことでしょう。 神が,このダビデの言葉を聖書中に記録されるように導かれたのはなぜでしょうか。 それは,今日の私たちが神の許しの深さを学ぶためではないでしょうか。 私の好きな言葉に箴言24章16節の「義なる者はたとえ7度倒れても,かならず 立ち上がるからである」というのがあります。 「7」という数は聖書の中で「十分」とか「完全」とかを表す時に比喩的に用いら れる数だそうです。つまり「7度倒れる」とは,もう立ち上がれないくらいに完全 に挫折してしまったように見える人のことを言い表しているのでしょう。 もしかするとあなたもご自身のことをそのように感じてらっしゃるかもしれません。 しかし,神の見方はそうではないというのです。そんな完膚無きまでの挫折を経験 していても,それでもあきらめることなく,神と共に歩むための取り組みを再開し ようと立ち上がるその人を「義なる者」だとご覧になるというのです。 もう一つ。歴代第一28章9節には「神はすべての心を探り,すべての考えの傾向 をわきまえておられる」ということが述べられています。 神は私たち人間の「考えの傾向」をご覧になるというのです。つまりわたしたちが これから何をしようと考えているのか,とうなっていきたいと願っているのか,と いうことをご覧になるというのです。 であるならば「イエスとエホバを悲しませない生き方を少しの間でも残った時間を 生きたい」,「エホバの道に戻りたいと思っても良いのでしょうか」と考えている あなたのことを,神はきっと「義なる者」とご覧になり,その取り組みを支えよう と導きや助けを与えられることでしょう。 「ひとりで勉強していても、続かずに終わるのではと怖いです」とおっしゃってい ました。ぜひ下記のURLにアクセスしてみてください。 あなたの取り組みの上に神からの恵みが引き続きとどまりますように。

参考URL:
https://www.jw.org/ja/%e7%84%a1%e6%96%99%e3%81%ae%e8%81%96%e6%9b%b8%e3%83%ac%e3%83%83%e3%82%b9%e3%83%b3/
回答No.4

真面目に答えると、どれだけ罪深い人でもエホバの道に戻りたいと思うのならば戻ることは可能です。 一人で勉強する必要はありません。聖書研究を申し込むことが可能です。 ご希望の日時に最寄りのエホバの証人が伺います。 最近ではエホバの証人のWEBサイトが開設されています 参考URLをご覧ください 戻ってきた放とう息子のビデオがあなたの役に立つかもしれません http://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA/%E6%88%BB%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E6%94%BE%E3%81%A8%E3%81%86%E6%81%AF%E5%AD%90/

参考URL:
http://www.jw.org
noname#204004
noname#204004
回答No.3

信仰に変わりはありません どの宗教の最終目的は全人類の幸せ 其処から考えれば 宗教は 一つの真理で一つにならないと 最終目的には到達出来ない これからは どの宗教も一つに繋がり そして 無くなります

noname#205097
noname#205097
回答No.2

神様は見捨てたりはしないと思います。

noname#204004
noname#204004
回答No.1
yukitam1222
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 しかし残念ながらエホバを信じる方、さらに言えばバプテスマを受けた方もしくはそれに向けて今勉強している方のみにご意見を伺いたいのです。 わざわざ回答を下さったのに申し訳ありません。

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