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みんなの日本語第38課の「ハ」と「ガ」について
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日本語におけるハ格とガ格について その成り立ちを問い求めます。 (日本語論であるにもかかわらず 外国語カテに挙げるのは 英語などとの対照をもくろんでいるからです)。 なぜなら ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。 これは まづは (α) 《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文 と捉えますが このハ格とガ格の用法は 一筋縄では解けないと考えられるからです。次のようにまったく違ったふたつの解釈が 文脈を別とし得れば ふつうに・そして互いに自由に対等に できるからです。 ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。 ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: ・ 太郎を好きなのは 花子だ。 言いかえると ハ格もガ格もそれぞれ同じように 主格(主語格)としてのガ格かまたは対格(目的語格)としてのヲ格かを意味しうるからです。 言いかえると 文の意味連絡を確かめ明らかにする前の段階では ハ格もガ格(ガ格一般)もともにその意味は確定しない。こういうことになります。 * そこで このように第二次の解釈作業を必要としてその結果明らかになる意味連絡のかたち――そのような文型――を 英文にならって次のように規定します。 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格). すなわちこの言わば線形としての論理的な意味を示す S-V-O なる文型は 日本文の( a )文例が 解釈例の( a-1 )および( a-2 )として そのみづからの構文の中に含む文型である。言いかえると 次のようになりましょうか。 (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文 ~~~~ 《 A-ハ B-ガ C-ナリ 。》 中心主題‐ハ格 関係主題‐ガ格 論述主題‐述格・法活用(断定法) ○ ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。 ・ 話し手は 《太郎》を中心主題として提出した。 ・ そのあと中心主題にかかわる関係主題を《花子》として引き出した。 ・ そのふたつの主題について 答えを出すとするなら 《好きだ》という内容とかたちで提示した。 ・ この段階では――文脈のことを別とし得れば―― まだ文の意味が明らかではない。あとで分かることとしては ( a-1 )および( a-2 )の可能性をもって両義的である。 ・ すなわち この(α)の構文は 全体として非線形の構造を有していて その中に事後的に相転移して行くべき線形の文型(ω)をも宿している。 ○ (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).~~~~~~~~ ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: Taroh loves Hanako. ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。 ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: Hanako loves Taroh. ・ 太郎を好きなのは 花子だ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起こるのか? ハ格もガ格も もともとは主題をただ主題として提示するために用いられているものだからか? もしそうだとしますと それらハ格がみちびく中心主題(A)やガ格で承ける関係主題(B)のそれぞれと 論述部の主題(C)ないしその論述格(‐ナリ。 / ‐スル。)との意味上の連絡は 二の次だから。と考えられて来ます。 つまり 文の構造は ハ格とガ格の両者ともが二重の用法を持つことによって成り立っている。こう考えられます。 すなわち両者ともそれぞれ 《一次として 〔単なる〕主題の提示 という用法》と《二次として 論理的な意味連絡の確定をみちびく用法》とを担い得て その構造が二層から成っていると考えられます。 あらためて示せば: (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文 ~~~ (α‐1) 一次として 主題提示の層 《 A-ハ B-ガ C-ナリ 。》 中心主題‐ハ格 関係主題‐ガ格 論述主題‐述格・法活用(断定法) (α‐2= ω) 二次として 線形論理の層 《 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).》 ・ A love〔s〕 B. ・ B love〔s〕 A. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * 言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを比較対照するというとき この基礎としての事実を捉えておくなら 何かと便利ではないか。 というよりも 英文に慣れ親しんでいる表現者は なぜ 日本語では彼のように言い表わし此のようには表わさないのかといった問題についてよく分析しうるのではないか。との予測をもって まづはこの基礎の問題を問いたいと考えます。 言いかえると 英文は 単一層の線形論理だけで表現していて 《あそび》が無いと思われる。主題提示をおこなう《あいさつ》が無いと見られる。とき その余裕というのは 表情や果ては人格によっておぎなっているのだろうか?
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- 私ハ お前ガ 好きだ。
日本語におけるハ格とガ格について その成り立ちを問い求めます。 なぜなら ( a ) 私ハ お前ガ 好きだ。 これは まづは (α) 《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文 と捉えますが このハ格とガ格の用法は 一筋縄では解けないと考えられるからです。次のようにまったく違ったふたつの解釈が ふつうに・そして互いに自由に対等に できるからです。 ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: ・ 私が好きな相手は お前だ。 ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: ・ 私を好きなのは お前だ。 言いかえると ハ格もガ格もそれぞれ同じように 主格(主語格)としてのガ格かまたは対格(目的語格)としてのヲ格かを意味しうるからです。 言いかえると 文の意味連絡を確かめ明らかにする前の段階では ハ格もガ格(ガ格一般)もともにその意味は確定しない。こういうことになります。 * そこで このように第二次の解釈作業を必要としてその結果明らかになる意味連絡のかたち――そのような文型――を 英文にならって次のように規定します。 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格). すなわちこの言わば線形としての論理的な意味を示す S-V-O なる文型は 日本文の( a )文例が 解釈例の( a-1 )および( a-2 )として そのみづからの構文の中に含む文型である。言いかえると 次のようになりましょうか。 (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文 ~~~~ 《 A-ハ B-ガ C-ナリ 。》 中心主題‐ハ格 関係主題‐ガ格 論述主題‐述格・法活用(断定法) ○ ( a ) 私ハ お前ガ 好きだ。 ・ 話し手は 《私》を中心主題として提出した。 ・ そのあと中心主題にかかわる関係主題を《お前》として引き出した。 ・ そのふたつの主題について 答えを出すとするなら 《好きだ》という内容とかたちで提示した。 ・ この段階ではまだ文の意味が明らかではない。あとで分かることとしては ( a-1 )および( a-2 )の可能性をもって両義的である。 ・ すなわち この(α)の構文は 全体として非線形の構造を有していて その中に線形の文型(ω)をも宿している。 ○ (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).~~~~~~~~ ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: I love you. ・ 私が好きな相手は お前だ。 ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: You love me. ・ 私を好きなのは お前だ。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起こるのか? ハ格もガ格も もともとは主題をただ主題として提示するために用いられているものだからか? もしそうだとしますと それらハ格がみちびく中心主題(A)やガ格で承ける関係主題(B)のそれぞれと 論述部の主題(C)ないしその論述格(‐ナリ。 / ‐スル。)との意味上の連絡は 二の次だから。と考えられて来ます。 つまり 文の構造は ハ格とガ格の両者ともが二重の用法を持つことによって成り立っている。こう考えられます。 すなわち両者ともそれぞれ 《一次として 〔単なる〕主題の提示 という用法》と《二次として 論理的な意味連絡の確定をみちびく用法》とを担い得て その構造が二層から成っていると考えられます。 あらためて示せば: (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文 ~~~ (α‐1) 一次として 主題提示の層 《 A-ハ B-ガ C-ナリ 。》 中心主題‐ハ格 関係主題‐ガ格 論述主題‐述格・法活用(断定法) (α‐2= ω) 二次として 線形論理の層 《 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).》 ・ A love B. ・ B love A. ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * 言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを比較対照するというとき この基礎としての事実を捉えておくなら 何かと便利ではないか。 というよりも 英文に慣れ親しんでいる表現者は なぜ 彼のように言い表わし此のようには表わさないのかといった問題についてよく分析しうるのではないか。との予測をもって まづはこの基礎の問題を問いたいと考えます。 まづは基礎固めになりますが ちからをお貸しください。吟味し練り上げて行きたいと考えます。
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- ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。
=文例( a ) あるいは ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 これらのハ格およびガ格のはたらきについての探究です。 このほどその種の質問をつまり 【Q:日本人は 論理思考をそなえている。】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6604063.html として設けてやり取りをすることができました。これをもうひとラウンド延ばしたい。 このハ格・ガ格の構文に主題を絞って そこでおこなえた探究の普及版が欲しいとともにもうひと伸び たとえばほかの言語との比較対照などにおいてなおフロンティアがあるのではないか こう思ったところからです。 出発点のたたき台を述べますので 情報交換をよろしくお願いします。 1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。 2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。 3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意志表示が――最小の単位としてひとまとまりとなって――表わされる恰好です。 4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。 5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。 6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。 7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか? ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。 ( b-1-E ): Elephant's nose is long. ( b-2 ): 象‐ガ〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。 ( b-2-E ): An elephant has a long nose. 8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと相転移していることになるのではないか。 7. 和文の論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係――は 超論理の宇宙の中に潜在性として内包されている。 果たしていかに?
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- ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。∽《聖なる甘え》
( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。 あるいは ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 これらのハ格およびガ格のはたらきについての探究です。あるいはさらにこの《A‐ハ B‐ガ C》なる構文の持つ意味について問い求めます。 * 作業仮説です。 (あ) 始原的な自己表出について。 (α) A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま 繰り出すことにおいて ひとは始原的な自己表出をおこなっており これは いわゆる《聖なる甘え》につうじているのではないか? ( a-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ ( b-0 ) 象・・・鼻・・・長い (い) これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につうじており それは 人びとを理性ないし論理の一辺倒に落ち入る罠からすくっている。のではないか? (う) 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるのは あたかも絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。格活用していない《無格》の語のありさまを 絶対格に活用していると見なす。 (え) つまり ハ格やガ格は 取り消しても よい。つまり なくても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。 (お) そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて (ω) 論理的な意味連絡 をも示すことが出来る。そこから 意味として《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸びる。 (か) まとめて次のようです。 ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。 について見れば: ( a‐α) 《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純に推し出された恰好である。 つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。 ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の判断があり意味がある。すなわち 次のような文意を示すことも出来る。 ( a‐ω) 示し得る論理的な意味連絡として: ( a-ω‐1 ) 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。 ( a-ω‐2 ) ぼくの注文は うなぎだ。 ( a-ω‐3 ) ぼくは 注文する。うなぎを。(⇒ いわゆる S-V-O の文型) (き) すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《A‐ハ B‐ガ C》構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を示す仕組みにも成っている。同時にそう成っているというところが ミソである。 (く) 言いかえると 日本語文は 英文などの《S-V-O》文型をも ふくみ持っている。 ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは (ω)の線形による論理を示すような意味連絡のみを示すかたちに成っている。 (け) 欧米の文型では 裸の自己表現がほとんどない。絶対格における語の羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたい。 (こ) これは 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラワシの始めにおいてじんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》を削ぎ落として来たかたちなのではないか? * 参考までに いまの仮説をなるべく理論的にのべます。 1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。 2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。 3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意思表示が――最小の単位としてのひとまとまりとなって――表わされる恰好です。 4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。 5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。 6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。 7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか? ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。 ( b-1-E ): Elephant's nose is long. ( b-2 ): 象‐ガ〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。 ( b-2-E ): An elephant has a long nose. 8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。 9. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。 こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと みづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。(α)のアソビと(ω)の筋道とを同時にふくむ。 10. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係(ω)――は その超論理(α)の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。尺八のひと吹きごとにつくられて行く。 11. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられて行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでつなげた。 * 果たしていかに? 自由なご批判をあおぎます。
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- 《ぼくハ 〔注文ガ〕 うなぎだ。》は 非線形だ。
和文と英文とを 人びとのその内面における発想のあり方にかんして くらべてみたい。 まづ和文の特徴を述べます。 ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。 あるいは ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 これらのハ格およびガ格のはたらきについて捉えようとするなら そこには《非線形》の構造が横たわる。という見方を提出したい。 そうして仮りに英文が ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。 ( b-1-E ): Elephant's nose is long. ( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。 ( b-2-E ): An elephant has a long nose. のごとく表わされるとしたら これらの文型は いわゆる《 S-V-O 》などとしての一本の線形の論理で固められている。と見られます。 ぎゃくに和文は ( b )の文例が ( b-1 )にも( b-2 )にも相転移し得て その元の文が 非線形の構造を有していると推し測られます。 このとき 端的に言うかたちで問うのですが: 【Q‐1】 この線形論理にしたがう英文を母語として用いる場合には その発想(もしくは 自己の思いの表出)のあり方は どんなふうになっているのか? 【Q‐2】 あるいはつまり 英文をも和文をも使いこなす場合には その発想のあり方は 違っていると思われるが それは どのようにか? 【Q‐3】 延いては 日常生活における態度や暮らし方・生き方は 違って来ると言えるか? 思想の次元にまで影響はおよぶか? 《A‐ハ B‐ガ C》なる構文と《 S-V-O 》文型との比較対照になります。 * 作業仮説です。 (あ) 発想ないし始原的な自己表出について。 (α) A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま 繰り出すことにおいて ひとは始原的な自己表出をおこなっているのではないか? ( a-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ ( b-0 ) 象・・・鼻・・・長い (い) これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につうじており それは 人びとを言わば理性ないし論理の一辺倒に落ち入る罠からすくっている。のではないか? これは 言ってみれば《聖なる甘え》という現象ではないか? (う) 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるのは あたかも絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。ハ格やガ格やヲ格といった格活用をしていない《無格》の語のありさまを 絶対格に活用していると見なす。 (え) つまり ハ格やガ格は 取り消しても よい。つまり( a-0 )や( b-0 )の文例のごとく 格活用の標識がなくても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。 (お) そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて (ω) 論理的な意味連絡 をも示すことが出来る。そこから 相転移した意味として《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸びる。 (か) まとめて次のようです。 ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。 について見れば: ( a‐α) 《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純に推し出された恰好である。 つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。 ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の判断があり意味がある。すなわち 次のような文意を示すことも出来る。 ( a‐ω) 示し得る論理的な意味連絡として: ( a-ω‐1 ) 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。 ( a-ω‐2 ) ぼくの注文は うなぎだ。 ( a-ω‐3 ) ぼくは 注文する。うなぎを。(⇒ いわゆる S-V-O の文型) (き) すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《A‐ハ B‐ガ C》構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を示す仕組みにも成っている。構造的に同時にそう成っているというところが ミソである。 (く) 言いかえると 日本語文は 英文などの《S-V-O》文型をも 自己の中にふくみ持っている。 ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは (ω)の線形による論理を示すような意味連絡のみを示すかたちに成っている。 (け) 欧米の文型では 裸の自己表現がほとんどない。絶対格における語の羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたい。 (こ) これは 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラワシの始めにおいてじんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》を削ぎ落として来たかたちなのではないか? * 参考までに いまの仮説をさらになるべく理論的にのべます。 1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。 2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。 3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意思表示が――最小の単位としてのひとまとまりとなって――表わされる恰好です。 4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。 5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。 6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。 7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか? ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。 ( b-1-E ): Elephant's nose is long. ( b-2 ): 象‐ガ 〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。 ( b-2-E ): An elephant has a long nose. 8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。 9. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。 こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと みづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。(α)のアソビと(ω)の筋道とを同時にふくむ。 10. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係(ω)――は その超論理(α)の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。尺八のひと吹きごとにつくられて行く。 11. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられて行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでつなげた。 12. 英文では すでに発想の初めから その論理のきづなは こしらえられているであろうか? 線形のごとき S-V-O文型は 窮屈ではないだろうか?
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- 《ぼくハ 〔注文ガ〕 うなぎだ。》は 非線形だ。
和文と英文とを 人びとのその内面における発想のあり方にかんして くらべてみたい。 まづ和文の特徴を述べます。 ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。 あるいは ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 これらのハ格およびガ格のはたらきについて捉えようとするなら そこには《非線形》の構造が横たわる。という見方を提出したい。 そうして仮りに英文が ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。 ( b-1-E ): Elephant's nose is long. ( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。 ( b-2-E ): An elephant has a long nose. のごとく表わされるとしたら これらの文型は いわゆる《 S-V-O 》などとしての一本の線形の論理で固められている。と見られます。 ぎゃくに和文は ( b )の文例が ( b-1 )にも( b-2 )にも相転移し得て その元の文が 非線形の構造を有していると推し測られます。 このとき 端的に言うかたちで問うのですが: 【Q‐1】 この線形論理にしたがう英文を母語として用いる場合には その発想(もしくは 自己の思いの表出)のあり方は どんなふうになっているのか? 【Q‐2】 あるいはつまり 英文をも和文をも使いこなす場合には その発想のあり方は 違っていると思われるが それは どのようにか? 【Q‐3】 延いては 日常生活における態度や暮らし方・生き方は 違って来ると言えるか? 思想の次元にまで影響はおよぶか? 《A‐ハ B‐ガ C》なる構文と《 S-V-O 》文型との比較対照になります。 * 作業仮説です。 (あ) 発想ないし始原的な自己表出について。 (α) A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま 繰り出すことにおいて ひとは始原的な自己表出をおこなっているのではないか? ( a-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ ( b-0 ) 象・・・鼻・・・長い (い) これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につうじており それは 人びとを言わば理性ないし論理の一辺倒に落ち入る罠からすくっている。のではないか? これは 言ってみれば《聖なる甘え》という現象ではないか? (う) 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるのは あたかも絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。ハ格やガ格やヲ格といった格活用をしていない《無格》の語のありさまを 絶対格に活用していると見なす。 (え) つまり ハ格やガ格は 取り消しても よい。つまり( a-0 )や( b-0 )の文例のごとく 格活用の標識がなくても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。 (お) そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて (ω) 論理的な意味連絡 をも示すことが出来る。そこから 相転移した意味として《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸びる。 (か) まとめて次のようです。 ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。 について見れば: ( a‐α) 《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純に推し出された恰好である。 つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。 ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の判断があり意味がある。すなわち 次のような文意を示すことも出来る。 ( a‐ω) 示し得る論理的な意味連絡として: ( a-ω‐1 ) 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。 ( a-ω‐2 ) ぼくの注文は うなぎだ。 ( a-ω‐3 ) ぼくは 注文する。うなぎを。(⇒ いわゆる S-V-O の文型) (き) すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《A‐ハ B‐ガ C》構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を示す仕組みにも成っている。構造的に同時にそう成っているというところが ミソである。 (く) 言いかえると 日本語文は 英文などの《S-V-O》文型をも 自己の中にふくみ持っている。 ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは (ω)の線形による論理を示すような意味連絡のみを示すかたちに成っている。 (け) 欧米の文型では 裸の自己表現がほとんどない。絶対格における語の羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたい。 (こ) これは 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラワシの始めにおいてじんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》を削ぎ落として来たかたちなのではないか? * 参考までに いまの仮説をさらになるべく理論的にのべます。 1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ。 / C‐スル。 2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。 3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意思表示が――最小の単位としてのひとまとまりとなって――表わされる恰好です。 4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。 5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。 6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。 7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか? ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。 ( b-1-E ): Elephant's nose is long. ( b-2 ): 象‐ガ 〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。 ( b-2-E ): An elephant has a long nose. 8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。 9. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。 こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと みづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。(α)のアソビと(ω)の筋道とを同時にふくむ。 10. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係(ω)――は その超論理(α)の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。尺八のひと吹きごとにつくられて行く。 11. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられて行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでつなげた。 12. 英文では すでに発想の初めから その論理のきづなは こしらえられているであろうか? 線形のごとき S-V-O文型は 窮屈ではないだろうか?
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- 《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文について
次のふたつの文例は 構文として同じと見ていいのでしょうか? (J‐1):ぽーる‐ハ ぽーら‐ガ 好きだ。 (K‐1):ぽーる‐ヌン ぽーら‐ガ チョーワへー。 すなわち 日本語の《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文は 次のように意味が明確にふたつの別の内容に分かれます。 (J‐1)‐a :ぽーるガ ぽーらヲ 好む。: Paul loves Paula. (J‐1)‐b :ぽーるヲ好むのは ぽーらだ。: Paula loves Paul. 言いかえると この( a )( b )ふたつの意味は 文だけからは決まらないのであって 自由にどちらかを意味し得ます。文脈によって 意味がどちらかに決まります。 【問い】 韓国語の《 A‐ヌン B‐ガ C‐イダ/ハダ。》という文の形は 構文として捉えることが出来ますか? そして 捉えられるのならば 日本文と同じように 両義性を持ち得ますか? 言いかえると ハ格≒ヌン(ウン)格が 主格と対格の両義を持ち得ますか? ガ格≒イ格(=ガ格)は だいたい 主格を意味すると思われます。〔行為主格(我ガ行く)だけではなく 様態主格(春ハ曙ガよき)や現象主格(雨ガ降る)になるのだと思われます〕。
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みんなの日本語 44課 こんばんは。東京で日本語教師をしているものです。 ただいま、みんなの日本語44課の5~7文型であるイ形容詞 ナ形容詞の副詞的用法の教案を作っていますが、うまい導入方法が全然思いつかなくなってしまいました。 ・短くします 静かにします 暗くします ・夕食はカレーにします。旅行は京都にします(選択・決定) ・詳しく説明します。早く歩きます。 これらの文をどう導入し、説明したらいいでしょうか。 いつもは、文法書などを精読してから教案を作るのですが、イ形容詞、ナ形容詞の副詞的用法について詳しくかいたものがなくて、困ってしまいました。 宜しくお願いします。
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- 複文の文法で、従属節中の「主格」につく「ハ/ガ」の選択理由
複文の文法で、従属節中の「主格」につく「ハ/ガ」の選択理由 中国の大学で作文の指導をしています。 日本文で主格につく助詞が「ハ」か?「ガ」か?――の選択はとても難しい。しかし、複文の従属節中の「ハ・ガ」の選択だけは、比較的容易に論理的説明が可能です。 野田尚史氏の本『「は」と「が」』(くろしお出版)はこれを論理的に説明しています。 その中で、主節に対する従属度の強い、弱い(独立度が低い、高い)によって、従属節には「ガ」しか使えない場合と「ハ」も使える場合に分けられるとあります。しかし、理由節「~から、~ので、~のに」は従属度の強い・弱い両方あります。私が「日本人だから瞬時に判断できる」なんて偉そうなことを言っても、学生に納得できる説明になっていません(教師失格!)。野田氏は、「理由節がつよい従属節になるのは、その節がその文の焦点になっているとき、いいかえると、主文の内容より従属節の内容のほうを相手に伝えたいときである」とお書きになっていますが、私にはこれだけでは釈然としません。学生が作文するときに、より具体的でわかりやすい説明方法がないものでしょうか? 身のまわりに書籍類が乏しい環境におりますので、インターネット情報などを引用してご説明いただければ嬉しゅうございます。
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- 「何課(なんか)」は通じないのでしょうか
日本語を勉強中の中国人です。 「教科書は一冊で何課(なんか)ありますか」という日本語は通じないのでしょうか。人数を聞く時に、「何人ですか」と、時間を聞く時に、「何時間ですか」と聞きますよね。この言葉は、中国語を勉強中の日本の方にいま使っている教科書の事情についての質問です。一冊の教科書は【どれぐらいの課】があるのか知りたいと思います。「何課」というのは「第一課、第二課、第三課……」の全部で【いくつの課】があるのかという意味です。 ちなみに、質問文中で二箇所【 】で括ったところは自然な日本語になっているのでしょうか。まず、「いくつの」と「どれぐらいの」の使い方が正しいかどうか確認していただきたいと思います。それから、その名詞は「課」でよろしいでしょうか。それとも「テキスト」でしょうか。「課程」でしょうか。 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。
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- MFC-J955DNのFAX複合機の非純正品インクを使用すると印刷が擦れたりうまくいかない問題が発生しています。
- 純正インクに戻しても印刷が擦れる可能性があるのか、擦れない方法があれば教えてほしいです。
- 購入してから5年ほど経っています。
お礼
本当にありがとうございます。 「ハ」「ガ」は厄介な助詞とされている中でこれだけ整理して、簡潔に回答してくださり また参考のURLも示していただきありがとうございます。 (日本語教師初心者ですので、またたくさん解らないに事があります。これからも「懲りずに教えてください」ありがとうございました)