日本語のAハBガCナリ/スル構文とその意味の両義性について

このQ&Aのポイント
  • 日本語のAハBガCナリ/スル構文は、文脈によって異なる意味を持つことがあります。
  • 具体的には、ぽーるガぽーらヲ好む(Paul loves Paula)とぽーるヲ好むのはぽーらだ(Paula loves Paul)の2つの意味が存在します。
  • 韓国語のAヌンBガCイダ/ハダ構文も同様に、両義性を持つ可能性があります。
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《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文について

 次のふたつの文例は 構文として同じと見ていいのでしょうか?  (J‐1):ぽーる‐ハ ぽーら‐ガ 好きだ。  (K‐1):ぽーる‐ヌン ぽーら‐ガ チョーワへー。  すなわち 日本語の《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文は 次のように意味が明確にふたつの別の内容に分かれます。  (J‐1)‐a :ぽーるガ ぽーらヲ 好む。: Paul loves Paula.  (J‐1)‐b :ぽーるヲ好むのは ぽーらだ。: Paula loves Paul.  言いかえると この( a )( b )ふたつの意味は 文だけからは決まらないのであって 自由にどちらかを意味し得ます。文脈によって 意味がどちらかに決まります。  【問い】 韓国語の《 A‐ヌン B‐ガ C‐イダ/ハダ。》という文の形は 構文として捉えることが出来ますか?  そして 捉えられるのならば 日本文と同じように 両義性を持ち得ますか?  言いかえると ハ格≒ヌン(ウン)格が 主格と対格の両義を持ち得ますか?  ガ格≒イ格(=ガ格)は だいたい 主格を意味すると思われます。〔行為主格(我ガ行く)だけではなく 様態主格(春ハ曙ガよき)や現象主格(雨ガ降る)になるのだと思われます〕。

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  • ahkrkr
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回答No.5

No.2 です。回答のお礼の中にあったご質問にお答えします。 その前に日本語に関して、一般に、 「AさんはBさんが好きです」という日本語は "A likes B." の意味ですが、 「Aさんが好きなのは誰ですか(誰がAさんを好みますか)」と言う質問の回答という条件をつければ、同じ「AさんはBさんが好きです」という日本語は "B likes A." という逆のの意味にもなります。 「Aさんは、Bさんが好きです」とコンマをつければよりわかりやすいと思います。 これと同じことが韓国語にもあるのかということですが、確かにあります。 "A는 B가 좋다. " がそうです。これは一般に、 "A likes B." の意味ですが、 「Aさんが好きなのは誰ですか」と言う質問の回答という条件をつければ、同じ"A는 B가 좋다. " が、 "B likes A." という逆の意味にもなります。 ちなみに、"좋아하다" の場合は若干事情が異なります。この動詞を使って "A likes B." を表すと、 "A는 B를 좋아한다. " となります。また、「Aさんが好きなのは誰ですか」と言う質問の回答という条件をつけた "B likes A." は "A는 B가 좋아한다. となり、同じ韓国語にはなりません。 上記の韓国語の部分は知人の韓国人から聞いた話しなので間違いは無いと思います。またNo.3 さんの回答とも矛盾してないと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 お早うございます。ご回答をありがとうございます。  むむむ?  おっしゃっていることは  ☆☆(No.3お礼欄) ~~~~~  (K-10):다나카는 사치코가 좋아한다.    この例文にけっきょく二重の意味があると捉えてよいでしょうか?  すなわち   (K‐10‐a):다나카는 사치코를 좋아한다.   (K‐10‐b):다나카를 사치코가 좋아한다.  と。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ これは成り立たないということですね? 文例(K-10)は 意味として(K-10-b)しか表わさない。言いかえると (K-10-a)の文例は その日本文のヲ格にあたる 를格は決まっている。それを変えてしまうなら 意味も変わる。  ただし 가格を用いたいなら 次のように述語を形容詞にしなければならないと。   (K‐10(その異種)‐a):다나카는 사치코가 좋다.  そうなんですか。どうも そうしますと  ★ ちなみに、"좋아하다" の場合は若干事情が異なります。  ☆ と指摘されているように しめくくりの述語が動詞なり形容詞なりにおいて 日本語と韓国語とでは 用法に違いが見られる。どうも こういうことのようですね。  そうしますと かめぶねさんへのご返答として(No.4) 次のようにまとめたことは 活きている。ということになりましょうか。  ☆☆(No.4お礼欄) ヌン格が――日本語のハ格と同じように――基本として主題を提示する格であって その文中での意味連絡としては――これも日本語のハ格と同じく―― 主格と対格とのふたつの用法がある。  ☆ つまり 가格とガ格とのあいだに違いが見られる。ということのようです。  もっとも――ひとこと多いのですが―― 言語は変化しますから   (K-10):다나카는 사치코가 좋아한다.  この文型が ( a )型と( b )型とのふたつの意味をあらわす用法に将来なるかも知れません。  ahkrkr さん きちんと確認をうながしていただき まことにありがとうございました。  これに懲りずまた何かありましたら よろしくお願いいたしたいと思います。それでは。

その他の回答 (5)

  • ahkrkr
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回答No.6

No.5です。 >  もっとも――ひとこと多いのですが―― 言語は変化しますから   (K-10):다나카는 사치코가 좋아한다.  この文型が ( a )型と( b )型とのふたつの意味をあらわす用法に将来なるかも知れません。 私の教科書的な韓国語の知識から言えば、좋아한다 には ~를 が絶対必要です。もし、~는 ~가 좋아한다. のような ~를 の無い文を聞けば、そこに書かれてない ~를 を補うか、~는 を ~를 に置き換えるか、~가 を ~를 に置き換えて解釈しようとすると思います。私の知人はそのような場合、~는 を ~를 に置き換えるのが一般的だといっていましたが、将来的に、~가 を ~를 に置き換えて解釈するようになっても不思議ではないですね。

bragelonne
質問者

お礼

 ahkrkr さん ていねいにご回答をいただきありがとうございます。  自覚はありませんでしたが 初めてのカテでわたしは 緊張していたみたいです。勘違いが出てしまっています。  今回おそわったことは:  (1) ヌン格が 日本語のハ格と同じように 基本的に主題提示をになうものでありつつ 意味連絡としては 主格あるいは対格のふたつの用法を担当しているということ。  (2) そして すでに述べてもらっていた形容詞を述語とする場合の構文です。この場合が 上の(1)のヌン格にまさに対応しています。  ★★(回答No.5) ~~~    "A는 B가 좋다. " ・・・は一般に、    "A likes B." の意味ですが、「Aさんが好きなのは誰ですか」と言う質問の回答という条件をつければ、同じ    "A는 B가 좋다. "    が、    "B likes A."    という逆の意味にもなります。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ このように形容詞(ないし 好きだという形容動詞)の場合をまづきちんと捉えて 日本文と比較対照すればよかった。こう思います。  この場合は ものの見事に対応しているようですね。    (3) そのあとに今回おぎなってくださった捉え方を持ち出すのが筋であった。こう思います。  ★ ~~~~~~  (K-10):다나카는 사치코가 좋아한다.    私の教科書的な韓国語の知識から言えば、좋아한다 には ~를 が絶対必要です。  もし、~는 ~가 좋아한다. のような ~를 の無い文を聞けば、   ・そこに書かれてない ~를 を補うか、   ・~는 を ~를 に置き換えるか、   ・~가 を ~를 に置き換えて  解釈しようとすると思います。  私の知人はそのような場合、~는 を ~를 に置き換えるのが一般的だといっていましたが、将来的に、~가 を ~를 に置き換えて解釈するようになっても不思議ではないですね。  ~~~~~~~~~  ☆ 好意的に受け留めていただいたのですが――ちょっと勘違いをしていたところの一つですが―― 考えてみれば   太郎ハ 花子ガ 好きだ。  ならいいのですが   太郎ハ 花子ガ 愛する。  というふうに動詞の場合には 日本語のガ格も 対格つまり《花子ヲ愛する》という意味に受け取るには なかなかむつかしいものがあるようです。  変なおまけを添えるなら日本人の場合ですが ガ格を話し言葉では ややもすると じつは対格つまりヲ格の代わりに使っている場合がなきにしもあらずです。  ただちに文例を思い出しませんが たぶんそのあとに来る述語が形容動詞かそれとも動詞かを決めない前に ハ格のあとにガ格を持って来るのではないかとは思います。  でも現在においては    わたしハ 蜜柑ガ 食べたい。  という文型に誘われて    わたしハ 蜜柑ガ 食べ・・・ようかな。  と言わないとも限らない。(言わないかな? でも テレビなどで話を聞いていると たしかに変なガ格が出て来ることは 覚えています)。      *  ふたこと多いわたしですが:  要するに言いたいことは 次のようです。  英文は          Taroh likes Hanako.: S - V - O.  の線形の論理〔一本〕で成り立っているのに対して 和文は          太郎ハ 花子ガ 好きだ。   (主題提示):第一=太郎 第二=花子   (意味連絡)=(a):S - O - V.          =(b):O - S - V. のごとく表層(=主題提示)と深層(=論理的な意味連絡)との二層構造から成っている。  たぶんこの構文は 世界広しと言えども 日本語と韓国語のふたつくらいではないでしょうか?  誇って言えば ふところが深い・・・わけです。よね?  ありがとうございました。また お会いしましょう。

  • kamebune
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回答No.4

例の복희のセリフは、 <아저씨, 혹시 저(를) 좋아하세요?>です。または、<좋다>という形容詞を使って、 <아저씨, 혹시 제가 좋으세요?>とも。 日本語にすれば、 「おじさん、もしかして、アタシのこと、好きですか」となりますかね。 この日本語訳の場合は、「私のこと[が/を]」いずれも可能だという気がします。 まあ、これは、雲をつかむような、言語全盤的な問題ですので、これぐらいに致します。では。(^_-)-☆

bragelonne
質問者

お礼

 たいへんお世話になっております。ご回答をありがとうございます。  ポッキ姉さん:  (K-11α):아저씨, 혹시 저(를) 좋아하세요?  (K-11β):아저씨, 혹시 제가 좋으세요?  (J-11):おじさん、もしかして、アタシのこと、好きですか  ★ この日本語訳の場合は、「私のこと[が/を]」いずれも可能だという気がします。  ☆ おっしゃるとおりだと思います。  あとは試みです。  (K-11γ):아저씨? 아저씨는 혹시 제가 좋아해요?   すなわち夢の中でおぢさんのことが思い浮かんで ポッキが独り言を言う:    (J-11-b):おぢさん? おぢさんかぁ。おぢさんヲ もしかしてわたしハ 好いているのだろうか?  という意味は (K-11γ)でも出ないということと受け取りました。      ヌン格が 基本として主題を提示する格であって その文中での意味連絡としては 主格と対格とのふたつの用法がある。――このことをおそわりました。  まことにありがとうございました。  今後とも何かありましたら チャール プータック トゥリムニダ。

bragelonne
質問者

補足

 お礼欄をおぎないます。まちがえました。  まちがいの箇所:  ☆☆(お礼欄) ~~~~  あとは試みです。  (K-11γ):아저씨? 아저씨는 혹시 제가 좋아해요?   すなわち夢の中でおぢさんのことが思い浮かんで ポッキが独り言を言う:    (J-11-b):おぢさん? おぢさんかぁ。おぢさんヲ もしかしてわたしハ 好いているのだろうか?  という意味は (K-11γ)でも出ないということと受け取りました。  ~~~~~~~~~~~~~  これは 好くの主体が逆でした。  次のように言おうとしていたのでした。  ただしい文章:  ☆☆ ~~~~~  あとは試みです。  (K-11γ):아저씨, 혹시 〔아저씨는〕 제가 좋아하세요?  とポッキが言った場合に     (J-11-b):おぢさん! もしかして おぢさんハ わたしヲ 好いていますか?  という意味が出るとおもしろい。という夢の話です。  〔No.5の ahkrkr さんのご回答を読みご返答を書いたそのあと書いていますが〕 가格が 日本語のヲ格をも表わすとしたら おもしろいという意味になります。  ~~~~~~~~~~~  お騒がせしました。

  • kamebune
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回答No.3

こんばんは。 「私はあなたが好きだ」の韓国語訳は、二通りあります。 나는 너를 좋아해. <좋아하다>という動詞の場合は、을/를という目的格助詞をとります。 나는 니가 좋아. <좋다>という形容詞の場合は、이/가(原則としては主格助詞)が対象格助詞として使われたりもします。 「田中は佐知子が好きだ」という文は、日本人もそうですけど、韓国人は 다나카는 사치코를 좋아한다.と解釈します。でも、 「佐知子が好きなのは田中だ」という意味をもとらえるのなら、 다나카는 사치코가 좋아한다.と訳するしかありません。この場合は逆に、 가が主格助詞、 는は対象格助詞となりました。 「名言は人が作る」명언은 사람이 만든다. 「名言は人を作る」명언은 사람을 만든다. というように、格は、韓国語と日本語とほぼ一致します。 「あなたを愛してる」널 사랑해. 「あなたが好きだ」니가 좋아. のように格を一致させることも出来ます。 ああ、頭痛くなりました。(^_-)-☆では。>゜)))彡

bragelonne
質問者

お礼

 すごい。ですね。  まづは かめぶねさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  ひゃああーーあ。とそのすごいことをおしえていただいたそのことの前に 確認してもらったところを再掲してみておきます。  ★ (ヌン格=ハ格:主格および対格の二種の用法あり)~~~  ○ 対格の用法  (J-6): 「名言は人が作る」  (K-6): 명언은 사람이 만든다.  ○ 主格の用法  (J-7): 「名言は人を作る」  (K-7): 명언은 사람을 만든다.  というように、格は、韓国語と日本語とほぼ一致します。  ★ (ルル格=ヲ格の対格用法) ~~~~~  (J-8): 「あなたを愛してる」  (K-8): 널 사랑해.  ★ (ガ格=ガ格の対格用法(*)) ~~~~~  (J-9): 「あなたが好きだ」  (K-9): 니가 좋아.  のように格を一致させることも出来ます。    *(註):この対格用法は ただし 述格が――動作ではなく――《好きだ》という様態を示すので その様態(状態)に対する意味では 主格のかたちだと言ってもおかしくないと考えられます。でも 英文では どちらも《 I love you.》という文型に対応するのなら 対格用法に当たる。  ~~~~~~~  さて いいことをおそわりました。次のように整理することが出来ましょうか。  ★ ~~~~~~~~  (J-10):「田中は佐知子が好きだ」   ⇒(J-10-a):田中が佐知子を好いている。     ∽(K-10―a):다나카는 사치코를 좋아한다.   ⇒(J-10-b):「佐知子が好きなのは田中だ」      ∽(K-10-b):다나카는 사치코가 좋아한다.(*)    *(註):★《・・・と訳するしかありません。この場合は逆に、가が主格助詞、 는は対象格助詞となりました。》  ~~~~~~~~~~~~  ☆ この(K-10-b)の例文が それほどの無理なく ありえるということですよね? これなら 日本語の《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文とどちらがどうということなく 兄弟みたいなものですよね。  じつは ちょうどきょうTVドラマの《ポッキぬな》を見ていて ポッキ氏が こう言っていました。金貸しのおぢさんに向かって:   (K-11):アジョッシ、 ホクシ チョ チョーワハセヨ?  確かこうだったと思うのですが このとき《チョ》は チョ‐ルルというのが ただしく また しかしながら チョ‐ガ と言っても通じるということでよろしいでしょうか?  そして チョ‐ガと言った場合には 好くという行為の主体は アジョッシでもありうると同時に――仮りに・・・チョーワへーヨ? と独り言を言っているととれば―― チョ‐ガ アジョッシ‐ルル・・・というふうに自分が主体となってアジョッシを好くという意味にもなる。  ということでしたら 《すごい》ですよね。  たいへんありがとうございました。すっきりしました。  もしわたしの上の見方に対して修正などがありましたら お手数ですが おおしえくださいませ。  念には念を入れるとしますと あつかましいかも知れませんが いまいちど問わせてください。   (K-10):다나카는 사치코가 좋아한다.    この例文にけっきょく二重の意味があると捉えてよいでしょうか?  すなわち   (K‐10‐a):다나카는 사치코를 좋아한다.   (K‐10‐b):다나카를 사치코가 좋아한다.  と。もしこれでよいとしますと 和文と韓文とは S-V-O文型の英文とは違って 《構文》というごとく 文は階層を持って構造を成している。と考えられるのではないでしょうか?  意味の確定しない表層とそして意味を確定させる深層との二重構造ではないかと。  お粗末でした。なお ありがとうございましたとお礼を申し述べつつ マチガイなどがありましたら よろしくお願いしたいと思います。

  • ahkrkr
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回答No.2

質問者さんの疑問が完全には理解できていませんが、... > (K‐1):ぽーる‐ヌン ぽーら‐ガ チョーワへー。 のような韓国語は存在せず、 ぽーる‐ヌン ぽーら‐ルル チョーワへー。 と言います。ご存知と思いますが ルル は目的語に付く助詞なので、考えておられるようなあいまい性は少なくともこの文の韓国語には存在しないことになります。

bragelonne
質問者

お礼

 あふくるくるさん こんにちは。韓国語カテは初めてですので みなさんに はじめましてです。ご回答をありがとうございます。  そうなんですか。  ぢゃあ チョーワヘーがいけないのでしょうか?  つまり    (K-1):ぽーる‐ヌン ぽーら‐ガ チョーワ。  とすれば よいでしょうか どうでしょうか?  そして問いは もしよければこの場合に 次のふたつの別の意味が 含まれることになりますかというものです。   (K‐1‐a):ぽーる‐ヌン ぽーら‐ルル チョーワヘー。:Paul loves Paula.   (K‐1‐b):ぽーる‐ルル ぽーら‐ガ チョーワヘー。:Paula loves Paul.  日本語では 《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文として 次のような文型と文意の仕組みが見て取れると思うのです。   (J‐1):ぽーる‐ハ ぽーら‐ガ 好きだ。   ⇒(J‐1)‐a :ぽーるガ ぽーらヲ 好む。: Paul loves Paula.   ⇒(J‐1)‐b :ぽーるヲ ぽーらガ 好む。: Paula loves Paul.    なお 《あいまい性》は はっきりと二つの意味がふくまれ得るという可能性のもんだいだと見ます。積極的な両義性なのだと考えます。両義のほかに何かあいまいなところがあるというわけではないと思いますから。  まだ分からないところが多い状態ですので よろしくご教授ください。

  • kamebune
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回答No.1

こんにちは。 象は鼻がでかい。코끼리는 코가 크다. 鼻がでかいのは象だ。코가 큰 것은 코끼리다. …天狗とかピノキオだってありますから、鼻がでかいからといって、必ずしも象に限らない、といった両義性ですかね。 まあ、質問が難しすぎて、これぽっちしか回答が出来なくてすみませんね。では。>゜)))彡

bragelonne
質問者

お礼

 すみません。趣旨説明が舌足らずと言いますか 説明不足だったようです。    かめぶねさん はじめまして。こんにちは。ご回答をありがとうございます。  ★ (J-2):象は鼻がでかい。    (K-2):코끼리는 코가 크다.  ☆ この場合には 《でかい》という論述に対する主題が《象》で 状態の主格が《鼻》である。ということになると思います。  つまり それとして一義的に意味が決まるのではないかと。和文・韓文ともに同じようであると思われます。  ところが  (J‐1):ぽーる‐ハ ぽーら‐ガ 好きだ。  なる文例では 《好きだ》の論述に対応する主格そして対格は 文の意味が――語句の配置などからはまだ――決まりません。  すなわち次のようにふたつの別の意味が そなわったかたちです。  (J‐1)‐a :ぽーるガ ぽーらヲ 好む。: Paul loves Paula.  (J‐1)‐b :ぽーるヲ好むのは ぽーらだ。: Paula loves Paul.  つまり ( a ) のほうはよいとして ( b )のほうは 表現を代えるなら  (J‐1)‐b :ぽーるヲ ぽーらガ 好む。: Paula loves Paul.  という意味になっているはずです。すなわち 和文のハ格は ( a )として主格(それとしてガ格)になる場合と( b )対格=ヲ格になる場合とがある。おそらく 和文は或る種の仕方で言って 特殊であって ハ格や〔意味決定前の〕ガ格は 主題として提示されているのであって それとしてまだ主―述の意味関係を示していない。    文として何を主題として語ろうかというときに ハ格とガ格で承けるふたつの主題を持ち出して来るのではないかと。《ポールはだな そのお ポーラがだね うんぬん》というふうに主題をふたつ持ち出したという状態が 文を言い終わっても 文だけからは 意味を確定させない。  そのあと 述格の用言の意味内容と文脈(や相手との関係)に従って 主格や対格(また与格=ニ格)が文の意味として決まって来るのだと。つまり 英文の S-V-O 文型のように 主格( S )や対格( O )が文だけでは決まらない場合がある。  これをもし《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文だとすると それは 韓文にもあるでしょうか? という問いです。  ハングルで入力したこともない段階にあるわたしですが 知りたくなりました。  (K-3):な-ヌン いるm-イ ぽーらイダ。  と言えますよね? 《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文つまり ヌン格とイ格とは 初めには(文だけでは)それらが 述語に対して主格(つまり S-V-O 文型の S です)であるか何であるかが分からない状態を保っている構文。であると言えるでしょうか?  ヌン格は このばあいまだ 主格かどうかが決まる前の《主題提示格》であるに過ぎないようには思われます。《わたしハと言えば これからお話しますが・・・》と言って主題を示すかたちであるはずだと。  この場合 イルムが 主格であることはそのまま決まりだと思いますが。  (J-4):文ハ 人ガ 語る。  なる文例では ハ格は――文というひとつの主題を提示したあとは――もう主格は ガ格にゆづってしまって もっぱら対格=ヲ格の意味をになっています。  (J-4-b):文ヲ 人ガ 語る。  のように( b )型に意味は決まります。この場合( a )型の意味はないようです。その場合いくら無理しても  (J-5):文ハ 人ヲ 語る。  =(J-5-a):文ガ(S)人ヲ(O)語る(V)。  のようにガ格ではなく ヲ格を最初から使わねばならないはずですから。  こういう文の用法が韓文に ありましょうか どうでしょうか?   ヌン(ウン)格とイ(ガ)格とは ひじょうに和文の《 A‐ハ B‐ガ C‐ナリ/スル。》構文に似ていると思うのですが 果たしてその実際は どうなのでしょう?  よろしくおおしえいただければさいわいです。

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     日本語におけるハ格とガ格について その成り立ちを問い求めます。  (日本語論であるにもかかわらず 外国語カテに挙げるのは 英語などとの対照をもくろんでいるからです)。  なぜなら  ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。  これは まづは  (α)  《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文  と捉えますが このハ格とガ格の用法は 一筋縄では解けないと考えられるからです。次のようにまったく違ったふたつの解釈が 文脈を別とし得れば ふつうに・そして互いに自由に対等に できるからです。  ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例:    ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。  ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例:   ・ 太郎を好きなのは 花子だ。  言いかえると ハ格もガ格もそれぞれ同じように 主格(主語格)としてのガ格かまたは対格(目的語格)としてのヲ格かを意味しうるからです。  言いかえると 文の意味連絡を確かめ明らかにする前の段階では ハ格もガ格(ガ格一般)もともにその意味は確定しない。こういうことになります。       *  そこで このように第二次の解釈作業を必要としてその結果明らかになる意味連絡のかたち――そのような文型――を 英文にならって次のように規定します。  (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).  すなわちこの言わば線形としての論理的な意味を示す S-V-O なる文型は 日本文の( a )文例が 解釈例の( a-1 )および( a-2 )として そのみづからの構文の中に含む文型である。言いかえると 次のようになりましょうか。  (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文 ~~~~    《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》    中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐述格・法活用(断定法)    ○ ( a ) 太郎ハ 花子ガ 好きだ。    ・ 話し手は 《太郎》を中心主題として提出した。    ・ そのあと中心主題にかかわる関係主題を《花子》として引き出した。    ・ そのふたつの主題について 答えを出すとするなら 《好きだ》という内容とかたちで提示した。    ・ この段階では――文脈のことを別とし得れば―― まだ文の意味が明らかではない。あとで分かることとしては ( a-1 )および( a-2 )の可能性をもって両義的である。    ・ すなわち この(α)の構文は 全体として非線形の構造を有していて その中に事後的に相転移して行くべき線形の文型(ω)をも宿している。   ○ (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).~~~~~~~~   ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: Taroh loves Hanako.    ・ 太郎が好きな相手は 花子だ。   ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: Hanako loves Taroh.    ・ 太郎を好きなのは 花子だ。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~      *  どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起こるのか?  ハ格もガ格も もともとは主題をただ主題として提示するために用いられているものだからか?  もしそうだとしますと それらハ格がみちびく中心主題(A)やガ格で承ける関係主題(B)のそれぞれと 論述部の主題(C)ないしその論述格(‐ナリ。 / ‐スル。)との意味上の連絡は 二の次だから。と考えられて来ます。  つまり 文の構造は ハ格とガ格の両者ともが二重の用法を持つことによって成り立っている。こう考えられます。  すなわち両者ともそれぞれ 《一次として 〔単なる〕主題の提示 という用法》と《二次として 論理的な意味連絡の確定をみちびく用法》とを担い得て その構造が二層から成っていると考えられます。  あらためて示せば:  (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文 ~~~    (α‐1) 一次として 主題提示の層   《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》    中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐述格・法活用(断定法)   (α‐2= ω) 二次として 線形論理の層   《 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).》    ・ A love〔s〕  B.    ・ B  love〔s〕  A.   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~        *  言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを比較対照するというとき この基礎としての事実を捉えておくなら 何かと便利ではないか。  というよりも 英文に慣れ親しんでいる表現者は なぜ 日本語では彼のように言い表わし此のようには表わさないのかといった問題についてよく分析しうるのではないか。との予測をもって まづはこの基礎の問題を問いたいと考えます。  言いかえると 英文は 単一層の線形論理だけで表現していて 《あそび》が無いと思われる。主題提示をおこなう《あいさつ》が無いと見られる。とき その余裕というのは 表情や果ては人格によっておぎなっているのだろうか? 

  • 私ハ お前ガ 好きだ。

     日本語におけるハ格とガ格について その成り立ちを問い求めます。  なぜなら  ( a ) 私ハ お前ガ 好きだ。  これは まづは  (α)  《Aハ Bガ Cナリ。 / Cスル。》の構文  と捉えますが このハ格とガ格の用法は 一筋縄では解けないと考えられるからです。次のようにまったく違ったふたつの解釈が ふつうに・そして互いに自由に対等に できるからです。  ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例:    ・ 私が好きな相手は お前だ。  ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例:   ・ 私を好きなのは お前だ。  言いかえると ハ格もガ格もそれぞれ同じように 主格(主語格)としてのガ格かまたは対格(目的語格)としてのヲ格かを意味しうるからです。  言いかえると 文の意味連絡を確かめ明らかにする前の段階では ハ格もガ格(ガ格一般)もともにその意味は確定しない。こういうことになります。       *  そこで このように第二次の解釈作業を必要としてその結果明らかになる意味連絡のかたち――そのような文型――を 英文にならって次のように規定します。  (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).  すなわちこの言わば線形としての論理的な意味を示す S-V-O なる文型は 日本文の( a )文例が 解釈例の( a-1 )および( a-2 )として そのみづからの構文の中に含む文型である。言いかえると 次のようになりましょうか。  (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる構文 ~~~~    《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》    中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐述格・法活用(断定法)    ○ ( a ) 私ハ お前ガ 好きだ。    ・ 話し手は 《私》を中心主題として提出した。    ・ そのあと中心主題にかかわる関係主題を《お前》として引き出した。    ・ そのふたつの主題について 答えを出すとするなら 《好きだ》という内容とかたちで提示した。    ・ この段階ではまだ文の意味が明らかではない。あとで分かることとしては ( a-1 )および( a-2 )の可能性をもって両義的である。    ・ すなわち この(α)の構文は 全体として非線形の構造を有していて その中に線形の文型(ω)をも宿している。   ○ (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).~~~~~~~~   ( a-1 ) 《 Aガ Bヲ 好く》という解釈例: I love you.    ・ 私が好きな相手は お前だ。   ( a-2 ) 《 Aヲ Bガ 好く》という解釈例: You love me.    ・ 私を好きなのは お前だ。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~      *  どうしてこういうあいまいな(=つまり両義的・多義的な)表現が日本文で起こるのか?  ハ格もガ格も もともとは主題をただ主題として提示するために用いられているものだからか?  もしそうだとしますと それらハ格がみちびく中心主題(A)やガ格で承ける関係主題(B)のそれぞれと 論述部の主題(C)ないしその論述格(‐ナリ。 / ‐スル。)との意味上の連絡は 二の次だから。と考えられて来ます。  つまり 文の構造は ハ格とガ格の両者ともが二重の用法を持つことによって成り立っている。こう考えられます。  すなわち両者ともそれぞれ 《一次として 〔単なる〕主題の提示 という用法》と《二次として 論理的な意味連絡の確定をみちびく用法》とを担い得て その構造が二層から成っていると考えられます。  あらためて示せば:  (α) 《 A‐ハ B-ガ C-ナリ。 / C‐スル。》なる非線形構文 ~~~    (α‐1) 一次として 主題提示の層   《 A-ハ       B-ガ         C-ナリ 。》    中心主題‐ハ格  関係主題‐ガ格  論述主題‐述格・法活用(断定法)   (α‐2= ω) 二次として 線形論理の層   《 (ω) S(主格)‐V(述格)‐O(対格).》    ・ A love B.    ・ B love A.   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~        *  言語表現を扱うにあたって 日本文とたとえば英文とを比較対照するというとき この基礎としての事実を捉えておくなら 何かと便利ではないか。  というよりも 英文に慣れ親しんでいる表現者は なぜ 彼のように言い表わし此のようには表わさないのかといった問題についてよく分析しうるのではないか。との予測をもって まづはこの基礎の問題を問いたいと考えます。  まづは基礎固めになりますが ちからをお貸しください。吟味し練り上げて行きたいと考えます。

  • ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。

     =文例( a ) あるいは   ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。  これらのハ格およびガ格のはたらきについての探究です。  このほどその種の質問をつまり  【Q:日本人は 論理思考をそなえている。】  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6604063.html  として設けてやり取りをすることができました。これをもうひとラウンド延ばしたい。  このハ格・ガ格の構文に主題を絞って そこでおこなえた探究の普及版が欲しいとともにもうひと伸び たとえばほかの言語との比較対照などにおいてなおフロンティアがあるのではないか こう思ったところからです。  出発点のたたき台を述べますので 情報交換をよろしくお願いします。  1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。     A‐ハ  B‐ガ  C‐ナリ。 / C‐スル。  2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。  3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意志表示が――最小の単位としてひとまとまりとなって――表わされる恰好です。  4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。  5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。  6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。  7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか?   ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。   ( b-1-E ): Elephant's nose is long.   ( b-2 ): 象‐ガ〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。   ( b-2-E ): An elephant has a long nose.  8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。  非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと相転移していることになるのではないか。  7. 和文の論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係――は 超論理の宇宙の中に潜在性として内包されている。  果たしていかに?

  • ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。∽《聖なる甘え》

      ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。  あるいは   ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。  これらのハ格およびガ格のはたらきについての探究です。あるいはさらにこの《A‐ハ B‐ガ C》なる構文の持つ意味について問い求めます。      *  作業仮説です。  (あ) 始原的な自己表出について。   (α) A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま 繰り出すことにおいて ひとは始原的な自己表出をおこなっており これは いわゆる《聖なる甘え》につうじているのではないか?    ( a-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ    ( b-0 ) 象・・・鼻・・・長い  (い) これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につうじており それは 人びとを理性ないし論理の一辺倒に落ち入る罠からすくっている。のではないか?    (う) 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるのは あたかも絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。格活用していない《無格》の語のありさまを 絶対格に活用していると見なす。  (え) つまり ハ格やガ格は 取り消しても よい。つまり なくても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。  (お) そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて     (ω) 論理的な意味連絡  をも示すことが出来る。そこから 意味として《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸びる。  (か) まとめて次のようです。    ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。  について見れば:           ( a‐α) 《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純に推し出された恰好である。       つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。       ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の判断があり意味がある。すなわち 次のような文意を示すことも出来る。      ( a‐ω) 示し得る論理的な意味連絡として:        ( a-ω‐1 ) 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。        ( a-ω‐2 ) ぼくの注文は うなぎだ。        ( a-ω‐3 ) ぼくは 注文する。うなぎを。(⇒ いわゆる S-V-O の文型)  (き) すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《A‐ハ B‐ガ C》構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を示す仕組みにも成っている。同時にそう成っているというところが ミソである。  (く) 言いかえると 日本語文は 英文などの《S-V-O》文型をも ふくみ持っている。  ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは (ω)の線形による論理を示すような意味連絡のみを示すかたちに成っている。  (け) 欧米の文型では 裸の自己表現がほとんどない。絶対格における語の羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたい。  (こ) これは 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラワシの始めにおいてじんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》を削ぎ落として来たかたちなのではないか?      *  参考までに いまの仮説をなるべく理論的にのべます。  1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。     A‐ハ  B‐ガ  C‐ナリ。 / C‐スル。  2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。  3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意思表示が――最小の単位としてのひとまとまりとなって――表わされる恰好です。  4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。  5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。  6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。  7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか?   ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。   ( b-1-E ): Elephant's nose is long.   ( b-2 ): 象‐ガ〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。   ( b-2-E ): An elephant has a long nose.  8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。  9. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。  こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと みづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。(α)のアソビと(ω)の筋道とを同時にふくむ。  10. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係(ω)――は その超論理(α)の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。尺八のひと吹きごとにつくられて行く。    11. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられて行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでつなげた。     *  果たしていかに?  自由なご批判をあおぎます。

  • 《ぼくハ 〔注文ガ〕 うなぎだ。》は 非線形だ。

     和文と英文とを 人びとのその内面における発想のあり方にかんして くらべてみたい。  まづ和文の特徴を述べます。   ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。  あるいは   ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。  これらのハ格およびガ格のはたらきについて捉えようとするなら そこには《非線形》の構造が横たわる。という見方を提出したい。  そうして仮りに英文が   ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。   ( b-1-E ): Elephant's nose is long.   ( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。   ( b-2-E ): An elephant has a long nose.  のごとく表わされるとしたら これらの文型は いわゆる《 S-V-O 》などとしての一本の線形の論理で固められている。と見られます。  ぎゃくに和文は ( b )の文例が ( b-1 )にも( b-2 )にも相転移し得て その元の文が 非線形の構造を有していると推し測られます。  このとき 端的に言うかたちで問うのですが:  【Q‐1】  この線形論理にしたがう英文を母語として用いる場合には その発想(もしくは 自己の思いの表出)のあり方は どんなふうになっているのか?  【Q‐2】 あるいはつまり 英文をも和文をも使いこなす場合には その発想のあり方は 違っていると思われるが それは どのようにか?   【Q‐3】 延いては 日常生活における態度や暮らし方・生き方は 違って来ると言えるか? 思想の次元にまで影響はおよぶか?  《A‐ハ B‐ガ C》なる構文と《 S-V-O 》文型との比較対照になります。      *  作業仮説です。  (あ) 発想ないし始原的な自己表出について。   (α) A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま 繰り出すことにおいて ひとは始原的な自己表出をおこなっているのではないか?    ( a-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ    ( b-0 ) 象・・・鼻・・・長い  (い) これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につうじており それは 人びとを言わば理性ないし論理の一辺倒に落ち入る罠からすくっている。のではないか?  これは 言ってみれば《聖なる甘え》という現象ではないか?    (う) 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるのは あたかも絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。ハ格やガ格やヲ格といった格活用をしていない《無格》の語のありさまを 絶対格に活用していると見なす。  (え) つまり ハ格やガ格は 取り消しても よい。つまり( a-0 )や( b-0 )の文例のごとく 格活用の標識がなくても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。  (お) そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて     (ω) 論理的な意味連絡  をも示すことが出来る。そこから 相転移した意味として《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸びる。  (か) まとめて次のようです。    ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。  について見れば:           ( a‐α) 《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純に推し出された恰好である。       つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。       ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の判断があり意味がある。すなわち 次のような文意を示すことも出来る。      ( a‐ω) 示し得る論理的な意味連絡として:        ( a-ω‐1 ) 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。        ( a-ω‐2 ) ぼくの注文は うなぎだ。        ( a-ω‐3 ) ぼくは 注文する。うなぎを。(⇒ いわゆる S-V-O の文型)  (き) すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《A‐ハ B‐ガ C》構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を示す仕組みにも成っている。構造的に同時にそう成っているというところが ミソである。  (く) 言いかえると 日本語文は 英文などの《S-V-O》文型をも 自己の中にふくみ持っている。  ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは (ω)の線形による論理を示すような意味連絡のみを示すかたちに成っている。  (け) 欧米の文型では 裸の自己表現がほとんどない。絶対格における語の羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたい。  (こ) これは 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラワシの始めにおいてじんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》を削ぎ落として来たかたちなのではないか?      *  参考までに いまの仮説をさらになるべく理論的にのべます。  1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。     A‐ハ  B‐ガ  C‐ナリ。 / C‐スル。  2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。  3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意思表示が――最小の単位としてのひとまとまりとなって――表わされる恰好です。  4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。  5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。  6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。  7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか?   ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。   ( b-1-E ): Elephant's nose is long.   ( b-2 ): 象‐ガ 〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。   ( b-2-E ): An elephant has a long nose.  8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。  9. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。  こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと みづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。(α)のアソビと(ω)の筋道とを同時にふくむ。  10. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係(ω)――は その超論理(α)の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。尺八のひと吹きごとにつくられて行く。    11. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられて行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでつなげた。  12. 英文では すでに発想の初めから その論理のきづなは こしらえられているであろうか? 線形のごとき S-V-O文型は 窮屈ではないだろうか?

  • 《ぼくハ 〔注文ガ〕 うなぎだ。》は 非線形だ。

     和文と英文とを 人びとのその内面における発想のあり方にかんして くらべてみたい。  まづ和文の特徴を述べます。   ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。  あるいは   ( b ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。  これらのハ格およびガ格のはたらきについて捉えようとするなら そこには《非線形》の構造が横たわる。という見方を提出したい。  そうして仮りに英文が   ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。   ( b-1-E ): Elephant's nose is long.   ( b-2 ): 象‐ハ 持つ ひとつ・長い・鼻‐ヲ。   ( b-2-E ): An elephant has a long nose.  のごとく表わされるとしたら これらの文型は いわゆる《 S-V-O 》などとしての一本の線形の論理で固められている。と見られます。  ぎゃくに和文は ( b )の文例が ( b-1 )にも( b-2 )にも相転移し得て その元の文が 非線形の構造を有していると推し測られます。  このとき 端的に言うかたちで問うのですが:  【Q‐1】  この線形論理にしたがう英文を母語として用いる場合には その発想(もしくは 自己の思いの表出)のあり方は どんなふうになっているのか?  【Q‐2】 あるいはつまり 英文をも和文をも使いこなす場合には その発想のあり方は 違っていると思われるが それは どのようにか?   【Q‐3】 延いては 日常生活における態度や暮らし方・生き方は 違って来ると言えるか? 思想の次元にまで影響はおよぶか?  《A‐ハ B‐ガ C》なる構文と《 S-V-O 》文型との比較対照になります。      *  作業仮説です。  (あ) 発想ないし始原的な自己表出について。   (α) A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま 繰り出すことにおいて ひとは始原的な自己表出をおこなっているのではないか?    ( a-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ    ( b-0 ) 象・・・鼻・・・長い  (い) これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につうじており それは 人びとを言わば理性ないし論理の一辺倒に落ち入る罠からすくっている。のではないか?  これは 言ってみれば《聖なる甘え》という現象ではないか?    (う) 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるのは あたかも絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。ハ格やガ格やヲ格といった格活用をしていない《無格》の語のありさまを 絶対格に活用していると見なす。  (え) つまり ハ格やガ格は 取り消しても よい。つまり( a-0 )や( b-0 )の文例のごとく 格活用の標識がなくても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。  (お) そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて     (ω) 論理的な意味連絡  をも示すことが出来る。そこから 相転移した意味として《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸びる。  (か) まとめて次のようです。    ( a ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。  について見れば:           ( a‐α) 《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純に推し出された恰好である。       つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。       ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の判断があり意味がある。すなわち 次のような文意を示すことも出来る。      ( a‐ω) 示し得る論理的な意味連絡として:        ( a-ω‐1 ) 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。        ( a-ω‐2 ) ぼくの注文は うなぎだ。        ( a-ω‐3 ) ぼくは 注文する。うなぎを。(⇒ いわゆる S-V-O の文型)  (き) すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《A‐ハ B‐ガ C》構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を示す仕組みにも成っている。構造的に同時にそう成っているというところが ミソである。  (く) 言いかえると 日本語文は 英文などの《S-V-O》文型をも 自己の中にふくみ持っている。  ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは (ω)の線形による論理を示すような意味連絡のみを示すかたちに成っている。  (け) 欧米の文型では 裸の自己表現がほとんどない。絶対格における語の羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたい。  (こ) これは 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラワシの始めにおいてじんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》を削ぎ落として来たかたちなのではないか?      *  参考までに いまの仮説をさらになるべく理論的にのべます。  1. 日本語は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。     A‐ハ  B‐ガ  C‐ナリ。 / C‐スル。  2. A・B・Cは 話し手が話題にしたい主題です。文が問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり Bは そのAに関連することがらとして引き出された主題であり それらの筋道を経てCという《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。  3. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意思表示が――最小の単位としてのひとまとまりとなって――表わされる恰好です。  4. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。  5. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。  6. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。  7. 文例( b ): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を捉えるならば 次のようになりましょうか?   ( b-1 ): 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。   ( b-1-E ): Elephant's nose is long.   ( b-2 ): 象‐ガ 〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。   ( b-2-E ): An elephant has a long nose.  8. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。  9. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。  こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと みづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。(α)のアソビと(ω)の筋道とを同時にふくむ。  10. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係(ω)――は その超論理(α)の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。尺八のひと吹きごとにつくられて行く。    11. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられて行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでつなげた。  12. 英文では すでに発想の初めから その論理のきづなは こしらえられているであろうか? 線形のごとき S-V-O文型は 窮屈ではないだろうか?

  • みんなの日本語第38課の「ハ」と「ガ」について

    『みんなの日本語初級II』第3 8課について教えてください。 (第3 8課の「学習目的は、『動詞+の』で名詞化し、形容詞でいろいろな状況や   自分の好き嫌いなどを表現することができる」このつもりで学習していましたが、   複数の学習者がおり、『質問が出て』自信を持って回答できませんでした。) 問題は;単純でかつ複雑な『ハ』と『ガ』の問題です。 (現在私は、できるだけ簡潔(シンプルに)) ◎ 格助詞 と 副助詞 の違い 「が」 格助詞 が 単に語と語の関係を示すものである [は」副助詞 は語と語の関係を示しつつ 特別な意味を添える働きをする。   「山田さんが良い人。」 の 「が」 は、語と語の関係を示しているだけで、何ら特別な意味を添えるものではありません。   「山田さんは良い人。」 の 「は」 は、語と語の関係を示しつつ、山田さん以外の人も想定しながら 山田さんを取り立てる意味を添えています。    (言外に 山田さんの他の人は良い人でないということを類推させます。 ◎基本的には「は」は主題を表すのに対して「が」は主語を表す。 “ゾウは鼻が長い” “ゾウについていえば(主題)、鼻が(主語)長いです”となる。 ただ大抵の場合は、<<文の主題と文の主語>>は同じなので「は」と「が」の使い分けが難しくなる。 ☆文の種類によって「は」と「が」の使い分けは異なので、それを参考にするとより使い分けが分かりやすくなるの。 「は」は名詞文や形容詞文の時に用い、 「が」は動詞文の主語に用います。 ◎ <「机の上に何がありますか」> <本ガあります> (新しい主題)   <本ハどこにありますか><机の上にあります>  (既知の主題) *おじいさんとおばあさんガ住んでいました。おじいさんハ・・・。おばあさんハ・・・。 ◎はとがの違い 5つの用法 (1)名詞修飾(22課) (名詞を修飾する節内の主語につく ハ→ガ)  ☆これは           時計です   私は東京で買いました  ☆これは私が東京で買った時計です (2)対比(27課) (XとYを比べる際のそれぞれに付く助詞は ハ)  *ひらがなが書けます     漢字が書けますね  *ひらがなはん書けますが、漢字は分書けません。 (3)最低限(42課)  (最低限のことを示す場合 ハ。これは予想以上のモと比較してよくわかる)  ※漢字は2000字は覚えてほしい。え!2000字もですか。 (4)目前・話題(取り立ての ハ )用法 (取り立てのハ 17課) (目の前にあるものを指す  ガ) (話の中のものを指す    ハ)  そこに椅子がある。  あなたの部屋に椅子はある?  あ、雨が降ってきた。  雨は降っている(人に聞いている) (5)強調  (何かに焦点を当てて、話題のものを強調する)  ☆彼が一番力持ちだ。 現在はこの程度の知識しかありません。(ここれもテキスト・ネットなどでの独学で自信ありませんが・・・。) 長くなりすみません。本題質問です みんなの日本語 第38課の文型 1: 絵を描くの ハ 楽しいです。 <このハは                        > 2:わたしは星を見るの ガ 好きです。 <このガは                       > 4:わたし ガ 日本へ来たの ハ 去年の3月です。 <このハは                       > 第38課練習1 1:本を読むの ガ 好きですか。 <このガは                   > 2:お母さんは料理を作るの ガ 好きですか。 <このガは                   > 3:日本で生活するの ハ 大変だと思いますか。 <このハは                   > 5日本語の勉強を始めたの  ハ いつですか。 <このハは                  > ネットをみるとたくさんの指導・指摘・試案などあり混乱するばかりです。 大変勝手なお願いですが、

  • 複文の文法で、従属節中の「主格」につく「ハ/ガ」の選択理由

    複文の文法で、従属節中の「主格」につく「ハ/ガ」の選択理由 中国の大学で作文の指導をしています。 日本文で主格につく助詞が「ハ」か?「ガ」か?――の選択はとても難しい。しかし、複文の従属節中の「ハ・ガ」の選択だけは、比較的容易に論理的説明が可能です。 野田尚史氏の本『「は」と「が」』(くろしお出版)はこれを論理的に説明しています。 その中で、主節に対する従属度の強い、弱い(独立度が低い、高い)によって、従属節には「ガ」しか使えない場合と「ハ」も使える場合に分けられるとあります。しかし、理由節「~から、~ので、~のに」は従属度の強い・弱い両方あります。私が「日本人だから瞬時に判断できる」なんて偉そうなことを言っても、学生に納得できる説明になっていません(教師失格!)。野田氏は、「理由節がつよい従属節になるのは、その節がその文の焦点になっているとき、いいかえると、主文の内容より従属節の内容のほうを相手に伝えたいときである」とお書きになっていますが、私にはこれだけでは釈然としません。学生が作文するときに、より具体的でわかりやすい説明方法がないものでしょうか? 身のまわりに書籍類が乏しい環境におりますので、インターネット情報などを引用してご説明いただければ嬉しゅうございます。

  • 否定生格は必ず施行されますか?

    否定生格は必ず行われますか?たとえば не や неt が文に現れたらかならず生格になりますか?あるいは、それは生格にしてもよいという話であって、対格や主格のままにしてもいいケースもあるのでしょうか?

  • 「AとBとCとが・・・」と言いたいときに・・

    「AとBとCとが利用される。そのうちAはxxxである」ということを1文で言いたいときに、 A is used, which is xxx , B, C. という言い方は許されますでしょうか? このような形の文を見かけた記憶があるのですが、意味が違うとしたら、どういう意味になりますでしょうか。。?