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人身売買は大名が命令したのか
noname#210968の回答
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![noname#210968](https://gazo.okwave.jp/okwave/images/contents/av_nophoto_60_5.gif)
大久保忠敬の「三河物語」に、武士とは他国の領地と領民を「切取り戮(ころ)す」 のを仕事にした、と書いてあります。大久保忠敬(忠教とも)は、通称大久保彦左 衛門で、「天下の御意見番」として芝居に登場しますが、実際は、徳川家康の部下と して働いた三河武士でした。戦さの修羅場を切り抜けた猛者なわけで、天下泰平の世 になっても、そう手記に書いたくらいですから、当時の武士にとって、強奪と拉致誘拐 はあたり前だったわけです。特にどこの大名が情け深いというわけではなかったので、 戦国時代はどこでも誰でも強盗かどわかし(誘拐)をしました。 こう書くと、被害者側の農民庶民は、一方的なやられ損になったとおもわれるかも しれません。しかし、前の領主より年貢が軽くなったり、おもいもかけず玉の輿に乗 った(まず、あったとはおもえませんが)女性もいたらしいです。豊臣秀吉の朝鮮遠征 で、薩摩や毛利氏により、向う側の陶工が拉致されて連行され、それぞれの領地で窯を 開いたという例もあります。こうしたことは、古代ローマや中国、モンゴル帝国でも あたり前のようにありました。すぐれた技術者は優遇され、その他の凡人は労働者とし て国外にさえ売り飛ばされました。そんなひどい、とおもわれるかもしれませんが、 それが古今東西の常識だったのです。現在でも、ゲリラやテロリストが女性たちを誘拐 して、自分たちの子を生ませるという無茶苦茶なことがおこっています。法律で、人身 売買が厳しく禁じられている今日の社会で生きている私達は、やはり幸せです。 なお、先に出た徳川家康も、子供時代に一時さらわれて、売り飛ばされそうになった といいます。大名の子でさえこうですから、油断も隙もあったものではありません。
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回答丁寧にありがとうございました。 人身売買しなかった大名はいなかったのですね残念です。 でも、人身売買されて得する人もいたのですね。