• ベストアンサー

紙が無い時代どうやって先生は生徒に授業してた

馬車のようなので大量の木の板を持ち運んでいたんですか。 それとも巨大な保管倉庫の近くに教室を作ってたんですか。 本がなかった時代どうやって授業や学問ができていたのかだいたいでいいので教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.1

中国では紀元前150年くらいと推定される紙が出土しています。 文献では、紀元前100年前後です。それまで、竹を焼いて青みを消した 竹簡に記録しています下。(それ以後数百年は使われていたようです) 紙はかなり高価なものであり、一般人が簡単に使うようになったのは、 ここ150年くらいのことです。 日本では明治時代に尋常小学校ができましたが、そこでは筆記には 紙ではなく、石版を使っていました。今の黒板のようなもので、 書いては消して使っていました。 江戸時代でも紙はありましたが、個人が筆記するようなものではなかったです。 今の価格の500~5000倍の価格だったと思います。 江戸時代以前の学問は基本的には口伝です。 教えてもらった法はその場でそれを理解し、理解すれば記録をしなくても 忘れないものです。 今の学生はノートをとることは熱心ですが、話を理解するということが どれだけ重要なのかわかっていません。本来、授業には紙などは要らないのです。

noname#199416
質問者

お礼

150年前は口伝が常識で当時はそれができて当たり前。 なんか一般庶民の知能の水準が高くて頭のあまりよくない自分にはとても怖い社会に感じます。 現代に生まれて本当に良かったと思いました。 ていねいなご回答ありがとうございました。

その他の回答 (5)

  • misa-on28
  • ベストアンサー率35% (227/640)
回答No.6

紙のない時代ですから今のような冊子本もないし、ノートもない。 今のような授業もない。 そんな時代の一般的な教育は徒弟制度による技術や知識の伝承中心であったはずです。 特権階級では子弟に対する家庭教師などによる教育もあったでしょう。 エジプトではパピルス、メソポタミアでは粘土板に文字を刻んでいくやり方だったでしょう。 東アジア方面では木簡に筆ですが、これも再利用前提で不要になった記述は小刀で削ってまたあらたにかきこむなどもしています。 今で言う学校に近いと言えるものはメソポタミアやエジプトでの書記の養成学校がありました。 先生が生徒に授業をしていたということです。 これはいろいろな文書を間違いなく書き写す技術中心で、先生は生徒の作文をチェックしていたようです。 まあ、紙の普及前という事でしたら教育を受けるのもある意味特権ですから、現在のような義務教育の学校的なものはなかったと言えると思います。

noname#199416
質問者

お礼

ありがとうございました

回答No.5

 筆記用具はスレート(石盤)を使いました。  添付のURLの画像、5段目の右端に、現在でもフランスの小学校で使われている石盤の画像があります。クリックすると説明が読めます。 https://www.google.co.jp/images?hl=ja&rlz=1T4ADRA_jaJP472JP472&q=%E7%9F%B3%E7%9B%A4&sa=X&oi=image_result_group&ei=doQuVIL8JsuA8QXSlYD4CQ&ved=0CBQQsAQ

noname#199416
質問者

お礼

持ち運べるサイズの石版にチョークだとそこに書ける文字の数は相当限られる気がしますが、当時の人はあれで大量の文章量を記憶したり計算したりできてたんですね。 しかも紙が無いから先生のほうは当然あたまの中だけで全部覚えてる。 回答ありがとうございました。 昔の学者や教師は歴史の記録に残ってなさそうな人でも今生きてたら大天才扱いされそうな人ばっかりですね。

  • Saturn5
  • ベストアンサー率45% (2270/4952)
回答No.4

>150年前は口伝が常識で当時はそれができて当たり前。 ニーズが違うんですよ。 今の世の中は強制的に学校に行かされて強制的に授業を受けさせられます。 覚えられなくて当然です。 江戸時代は先生を探し出して、束脩(教えてもらうお礼)を払って、 教えてもらっていました。覚えられて当然です。 私は定時制高校の教員をしていたことがあります。 中学からあがってきた生徒は、全日制に行けなかった生徒ばかりで、 まったく授業を聴きませんでした。 しかし、60代後半、70代で定時制高校に来た人達は違いました。 高校に行きたくても仕事や家庭の事情で行けなかった人達です。 彼らはスポンジが水を吸うように知識を覚えていきました。

noname#199416
質問者

お礼

ありがとうございました

  • koiprin
  • ベストアンサー率23% (72/306)
回答No.3

教えることは基本暗記していて、教わったことも暗記します。 明治ころまで、一般的にも『枕草子』『徒然草』『伊勢物語』を諳んじる人は多く、落語でもそういった古い話を取り上げていましたので、庶民に至るまで、相当数が話を暗記していました。 平家物語が流行ったのも暗記をしたあん摩が琵琶を弾いて全国を回っていたからですしね。 今と違ってテレビもインターネットもなく、同じような日常が流れるだけですので、暗記もしやすかったと思いますよ。娯楽がありませんから。 寺子屋では四書五経を暗記するのが当たり前でしたね。

noname#199416
質問者

お礼

ありがとうございました。 あんな長い小説を聞いただけで覚えるとか。。。 昔の人って現代人から見れば丸暗記の天才ばっかりなんですね。

回答No.2

え?あの…木簡…要するに尺に文字を書いてました 尺 知ってる?あの聖徳太子が持ってる棒ですね

noname#199416
質問者

お礼

ありがとうございます。 あの棒を大量に保管してる場所は当時は何と呼ばれていたんでしょうか。

関連するQ&A

専門家に質問してみよう