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日中戦争と日米交渉

roksyの回答

  • roksy
  • ベストアンサー率39% (9/23)
回答No.3

歴史の解釈は難しく、現状では答はないのかもしれません という前提で。 >この南部仏印進駐が太平洋戦争への回帰不能点と言われいます 回帰不能点はいくつか論じられていますが、 南部仏印進駐・・そう思われるのはどういったところからでしょう ドイツとの軍事同盟のから、という解釈もありこれも説得力があります。。 #2の方の解釈も日本人は主張する人も多く説得力あるものだと思います。 結論から私が思うに、ヨーロッパは英国ぐらいがかろうじて残り、地図がどんどんドイツの色に変わっていくなかで、米国はどうしてもそれを食い止めるべく参戦したかった。 民主主義国だった米国は、日本を追い詰めて突っつかせる方法をとったのだと考えます。そこだけでなく、新興国日本に対する白人国の感情も様々入り交じっているでしょう。 これもよく言われる解釈のひとつです。 新たにハル・ノートに新資料が出てきて論議をよんでいますが、ハル・ノートを飲んでいたら、戦争は回避できたのだろか いずれにしろ、今に続く歴史は1つ・・答えはないでしょう

hiro706
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 当時の日本国政府・軍部の当事者が実際なにを恐れ、どう考えていたのかは解るよしもありませんが、日本をどこに向かわせるのかを、必死に考えていたのは事実だと思いたいです。 資源の乏しいちっぽけな日本が、世界と対等に渡り合える方策を必死になって模索していたのは歴史を少しかじった私でも解ります。 ただ、roksyさんが言われるとおり、当時は白人至上主義であり、黄禍論、排日移民法に続き、なんといっても帝国主義全盛でしたから、武力による侵略戦争しかない、と日本が考えても当時としては・・・ ー 南部仏印進駐・・そう思われるのはどういったところからでしょう - 日本は長年のロシアの脅威から、朝鮮半島と満州を支配下に置き、一応ロシアの脅威から一定の防波堤はできたと思います。しかもこれは列強の承認も得られていることから、日本としては国際法上問題ないとしています。(日本側見解) 同時に、日本もアメリカによるフィリピン支配権を認めています。  従いまして、なぜこれ以上中国と戦争を始めたのか、元々権益のあるイギリスが警戒するのは当たり前、後から中国を狙ってきたアメリカが妨害する・・・日本も解っていたと思います。 更に仏印を南下すれば、自分の支配下であるフィリピンに近ずきロシアを破った日本はアメリカにとって脅威であったはずです。 日本にとって、ロシアが満州を占領し、朝鮮半島に迫ってくるように。 現在、集団的自衛権でにわかにきな臭い匂いがしますが、当時のような弱肉強食の世界と違い外交の力が国を左右すると思っています。 当時であっても外交の力があれば・・・っと思ってしまいます。 蛇足ですが、少し前の第一次世界大戦末期の「シベリア出兵」での大損害から学んでいない感じがします。 シベリアと同じように泥沼に足を突っ込み、国家総動員法まで作り、政府も国民も後先考えずドイツと同様それいけドンドンだったのでしょうか。 アメリカは失敗を徹底的に分析し次に生かしますが、当時の日本にはその文化が無いように思われます。 近代日本においていくつかの失敗を、現代日本は生かしているのでしょうか。

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