• ベストアンサー

日中戦争の合理性は?

当時、日本(軍)が何故中国に進出したのか? 何故戦争を始めたのか? 中国をどうしようとしたのか? について合理的な回答が自分でみつかりません。 朝鮮併合・・・理あり 満州国建国・・・それなりに理あるといえる 真珠湾攻撃・・・勝算はともかく理解できる しかし、中国(当時は国家としての体をなしてはいなかったとはいえ)は 広大で民族も多岐にわたり、かの国でどのように戦い何をどう得たかったのか 理解できません。 また当時の日本人のなかには冷静で客観的に先を読む目を持った人が いなかった訳ではなかったろうに・・・とも思います。 陸軍士官学校出身の官僚(職業軍人)の性に引っ張られたとすれば、 あまりにお粗末で残念です。また彼らにしても何がしかの合理的なビジョン があったのではないかとも想像します。 私のように局面ごとに理のあるなしを断片的に考えるのは幼稚な気もしますが 皆さんのご意見を聞かせてください。 「日中戦争の合理性について」

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#49694
noname#49694
回答No.1

 専門家ではないので、正確には他に人に譲りますが、合理性というよりは次のことだと思います。  当時は帝国主義的に各国が乱立する世界であり、また植民地の取り合い合戦のような状況であったということができます。  当時の日本の戦闘的な思想から見ても、中国という国土を獲得して支配し、可能ならば中国人を動員するということは、資源的に脆弱な日本からは極めて重要なことだったのではないでしょうか?

kennedy3
質問者

お礼

ありがとうございます。 部分的にとはいえ中国の豊富な資源をねらった 「中国大陸の植民地化が目的」というご意見ですね。 だったら合理的(当時の列強がどこでもやってたことと同じ)! ことさら今になって中国が日本を非難することのほうが世界レベルでは unusualですね。ま、お国柄なのでしょう。

その他の回答 (4)

回答No.5

日本が起こした戦争ではないので合理性もなにも無いかと思います。 日本政府は不拡大方針でしたし、軍部としても停戦に関して模索していました。ただ、交渉相手がはっきりしないので(当初は国民党と思っていたのですが、どうも違うという事になったのです) 当時、日本(軍)が何故中国に進出したのか?  最初から両国の合意によって駐留していただけです。目的は日本人居留区の保護、大使館及び領事館の警備です。居留区というのは植民地ではなく、いまで言う**株式会社中国工場の日本人スタッフなどが一同に集まって一定区画に住んでいた地域の事です。 何故戦争を始めたのか? 発砲を受けたため、応戦しただけです。その後数回に渡って停戦合意されましたが、その度に日本軍に向けて発砲があり、居留区の日本人も度々襲撃されたため、本州軍が出動する事態になったのです。 中国をどうしようとしたのか?  どうする気もありません。蒋介石の逮捕目的で追っかけていただけです。制圧地域に日本の行政府が置かれた訳ではありませんし、統治は南京の中国人政府が行っていました。(もっとも現在のイラク政府のように対日イエスマン政府ですが…)  それとよく満洲事変と日中戦争を一緒にして15年戦争と呼んだり、同一視する方がおりますが、満洲事変は日中両国間で合意されて、満洲國は承認となり、公式に停戦しています。また、地理学及び民俗学上では満洲(現・中国東北部)は、支那(チャイナと読む)地域とは別である事も付け加えておきます。

kennedy3
質問者

お礼

大変ありがとうございます。当時の正当な経済活動すらも現在では「侵略」と称されていることに憤りを覚えますね。ただN05さんのご意見は現在我が国のメジャーな新聞・出版・報道・教育・政府・皇室のコメントとは微妙にズレがありますね。科学的客観的に歴史を検証して、いつまでも日本が不当に侵略国家と呼ばれることにけりをつけたいです。侵略された国家のプライドも含めて。

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.4

満州に資源を期待していたのですが、期待はずれだったのです。 それで長城の外にも広げることにしました。(熱河作戦) その後、満州での状況を目をそらすために上海事変。 中国共産党だけ相手にしてればいいのに、蒋介石はあいてにせずと近衛が言ってしまって膠着にということもありました。 満鉄と関東軍が、思いつきで軍を進めていった結果です。 グランドデザインは一切ありませんでした。 対米参戦も、ソ連の仲介を期待していたようですが、日露戦争のようにきちんとした計画も無かったので、結局長引いて国力が減退しただけでした。 ソ連が仲介してくれないと悟っていたら、違う結果になっていたと思います。

kennedy3
質問者

お礼

ありがとうございます。 対米戦開始は動機はわかるが勝機が計算できない戦で、それでもある種の合理性を認めて良い部分があると思います。ソ連の仲介を期待してとか、石油をゲットして2年で停戦とか、ドイツの戦況もみながら、とかまだ幼稚だけど幼稚な合理性がある。中国戦の場合、資源を求めて活動した邦人保護にとどめておけなかったのかが残念。でも当時国民も新聞もシナを軽んじて侮蔑的な言動が多く、いけいけになっていたのでしょうね。そのころ今の私の様に「合理性は?」などと言うと教師にぶっ飛ばされるか、特高に付け回されるかだったかもしれません。

  • Sikabu
  • ベストアンサー率20% (24/116)
回答No.3

No.1の回答に同じ考えですが、その当時、日本経済を発展するため、資源が欠かせない要素でした。東北3省(旧満州国)は、エネルギー(煤、石油)がすごく豊富で、中国南部(湖北省)にも、鉄の貯蔵量は、世界トップであった。戦争が拡大しつづ、食料も現地(湖南省、湖北省、江蘇省ー有名な米の産地)で調達するのは、陸軍として、一番な方法でした。軍備資源を手に得れば、海軍の力をあわせて、南(タイ、シンガポール)への勢力の拡大は、簡単であった。

kennedy3
質問者

お礼

ありがとうございます。 No1さんのご意見と同じく「資源目的の植民地化」という合理的理由という訳ですね。同じように経済活動で東アジアに出ていったのに他の国では全面戦争になっていないんですよね。日中戦争の結果として中国は戦勝国として現在も発言力を持っていることが、当時の合理的判断の欠如からきたのかと思うと残念です。

回答No.2

日中戦争というのは、 合理的判断から起こした戦争ではなく、 偶発的な事件が発端となった、 不幸な出来事の総称ですよね。   それにしても、あの時期に、 中国に攻め入る必要性は無かった。 ですから、私は中国共産党の陰謀説を推します(^^;       

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E6%BA%9D%E6%A9%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
kennedy3
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに当時の日本の政府、軍隊、国民、財界、国会など諸々の勢力が十分な計画の もとに計画策動して中国大陸へ進出したというイメージではないですよね。 経済活動の目的で大陸で商売、利権を守るために国軍駐留、というだけでは「侵略」とは言わないですよね。「侵略戦争」という言葉が正しいのかどうか???

関連するQ&A

専門家に質問してみよう