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《押し籠もり》についての批判です。
基本的にもあらためて批判する必要があると捉え さらにはすでに問うたところの続きとしても 喫緊の課題であると考えました。 これは 意外と 《日本教=クウキ教》の批判になるかと考えています。 《押し籠もり》とは 引きこもりに対して 《押しこもり》。 あるいは 《突っ張り籠もり》。 《押し / 突っ張り》というのは ここで 要するに生活において仕事においてあるいはコミュニケーションにおいて 活発であることを意味します。 ただし 《籠もっている》。 どういうことか? ひとに対して送信はするが ひとからの受信はしない。 発信ではなく ただの送信にしかならない。 でも活発である。押している。突っ張っている。 これは おそらく現状における社会力学のあり方――いわゆる情況ぜんたいのクウキ――に棹差している状態だと思われます。 《送信》としては いくらでも既成の社会のあり方とその流れに棹差して コミュニケーションを推し進めている。と自分では思っている。 そしてこれは いわゆる体制の批判をしても そうだと思われるところが ミソです。 体制から落ちこぼれる場合の思想――生活態度――を単純に倫理規範にうったえて批判をする。つまり要するに きみたちは 怠け者ではないかというような批判です。 けれども浮いてしまったというよりは そうではなく みづからは周りから受け取る見方考え方を受けつけない。じつは 受け取らない。むろん自分の送信している内容と同じであるならば 受け留めている。 半ば鎖国状態のようになっている。けれども 社会力学じょう有力な勢力の中に身をおいているかたちであることによって その送信だけの言葉も 或る程度は 人びとによって聞かれている。 また 経済は言わば待ったなしであるから その流れの中に位置するかぎりで 送受信は回って行く。らしい。 ちなみに 《引きこもり》の場合は あくまで 時代の・つまり未来社会の先取りである。 現状の社会力学のあり方に対してすでにそれを乗り越えて 将来のコミュニケーションのあり方を見つめつつ 時代を先取りしている。ただし わづかにそれは 今は陰画としてである。 言いかえると ヒキコモリは 未来社会のネガとして いまは生きている。 KY の場合も同じようである。 現状としての社会力学つまりそれとしてのクウキについては すでにそのような人間的交通のあり方を超えてあたらしいコミュニケーションのあり方を先取りして見つめている。現在のクウキなどは あほらしくて読めない。というところがある。 言ってみれば アマテラス普遍語(科学語および人格語)の問題である。普遍語とは 《あやまち得ない》という看板を掲げているという意味だ。 これが 日本教を――逆立ちにおいて・頭で立つかたちで――成り立たせている。 このアマテラス普遍語を ただしそのきわめて訛ったかたちで 政治(立法)・行政・メディアあるいはその種の企業の世界それぞれにおいて じつは方言として使っている。それぞれの世界の方言をつくって使っている。(もしくは 二重帳簿ならぬ二重言語)。 KY は その人間的交通のあり方をすでに飛び越えている。そのアマテラス語諸方言は 読めない。読み取れない。読み取らなくてもよいとすでに考えた。 つまり 未来の先取りであり いまはわづかにまだ陽画としては成っていないネガの状態にある。 したがって もしこうだとしたら 《押し籠もり》は一般に意識的に自覚をしてか否かを問わずこのクウキに乗っかってすべて押し 押し 押しでその歩をすすめつつ このようなヒキコモリをむしろ生んでいる。ヒキコモリへと人びとを促す作用を専門にしている生き方になる。 果たしてどうでしょうか? 以上すべてが たたき台です。果たしていかがお考えになりましょうか? オシコモリに負けるな! と言えるまでに現状分析として成っていますか。
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補足があつたのですね。気付きませんでした。 レーヴィットについては、いままでのページでも見たやうな気がしますが、わからないのでまつたく読んでゐません。梯子がない、といふのはしばしばなされる指摘ですが、自戒とします。回答するだけのものをもちあはせてをりません。ここで勉強して、自分なりの考へができあがりましたら、そのときお相手してください。
- kurinal
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B様、こんばんは。 >「読み取らなくてもよいとすでに考えた。」 じぇじぇじぇ >「もしこうだとしたら 《押し籠もり》は一般に意識的に自覚をしてか否かを問わずこのクウキに乗っかってすべて押し 押し 押しでその歩をすすめつつ このようなヒキコモリをむしろ生んでいる。ヒキコモリへと人びとを促す作用を専門にしている生き方になる。 果たしてどうでしょうか? 以上すべてが たたき台です。果たしていかがお考えになりましょうか? オシコモリに負けるな! と言えるまでに現状分析として成っていますか。」 はいはい。その上で、「ヒキコモリ」をこそ「異常」だ、と決め付けて疑わない。 罪深いと思いますよ?
お礼
くりなるさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 たますぽーろぎ。 ★ はいはい。その上で、「ヒキコモリ」をこそ「異常」だ、と決め付けて疑わない。 / 罪深いと思いますよ? ☆☆ ニートや引きこもりは 人間の人間による人間のための未来社会構築の過程である。またもし疾患だとしても 明らかに社会源病である。 【Q:ニートや引きこもりは 未来社会への陰画だろうか】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6191141.html
「お礼」、ありがたうございました。 >>子供のように強情でワガママ。物惜しみはするし、虚栄心は人一倍強い。 >>哲学の徒なら たいていはそういった側面を持ちます。 豚は「哲学の徒」ではないのですが、これは絶対にまちがひないとおもひました。自信があります。それはともかく、なにかあるのかな、とは感じました。 いづれにしてもネットのつきあひは、むづかしいものです。とにかく悪意に受け止める。そして対話を拒否する、この姿勢は問題です。私は、疑問に感じたらたづねるやうにはしてゐます。いままでも、それでずいぶん誤解がとけました。実社会でふつうにおこなつてゐることが、なぜできないのか、不思議です。 でも、人は話をしたくないときもあります。気長に待つしかないのかな、とは思つてゐます。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 豚は「哲学の徒」ではないのですが、これは絶対にまちがひないとおもひました。自信があります。それはともかく、なにかあるのかな、とは感じました。 ☆ ぢゃあ ねこさんに訊いてみてください。 ★ いづれにしてもネットのつきあひは、むづかしいものです。 ☆ これは 通りすがりにああぢゃこうぢゃ言っても始まりません。気長に一つひとつの主題を追う過程で 自分としても・また相手とのやり取りのあいだにおいても 何か見つけることができるならば よいでしょう。
補足
K.レーヰットからの引用です。 ▽ (レーヰット:日本の学問) ~~~~~~~~~~ 学生たちはたしかに 献身的に私たちヨーロッパ人の文献を研究し じぶんたちの知性によってそれを理解してもいるけれども じぶんたちの研究のなかから かれら自身の また日本人の自我のために いかなる帰結をもみちびき出さない。 ヨーロッパの概念 たとえば《意志》《自由》《精神》といったものを かれら自身の生活 思考 言語において相応するもの ときにじぶんたちのそれとは相反するものと区別したり 比較してみたりすることはしないのだ。 かれらは それ自体として見知らぬものを じぶん自身のためには学ばない。そうすることが自明であるかのように ヨーロッパの哲学者の原文のなかに歩みいって じぶんの概念に対してその哲学の概念を 根源的に未知なありかたにおいて見ようとはしない。〔中略〕 かれらはふたつの階で暮らしているようなものである。すなわち 日本的に感じたり考えたりする した(下)の 基本的な階と プラトンからハイデガーにいたるヨーロッパの学問がならべられている うえの階である。 かれが一方から他方へとわたってゆく梯子はどこにあるのだろうか。ヨーロッパの教師は そう自問してみる。 (誌《思想》掲載論文 その末尾に置かれた《日本の読者に寄せる後記》より。 熊野純彦・解説 レーヴィット著 熊野純彦訳:『共同存在の現象学』 2008 岩波文庫 p.488 Karl Löwith: Das Individuum in der Rolle des Mitmenschen ―― Ein Beitrag zur anthropologischen Grundlegung der ethischen Probleme―― 1928 ) ▽ (同上・つづき) ~~~~~~~~~~~~~~ ボードレールやフロベールが プルードンやソレルが ワーグナーやニーチェが ヨーロッパに対して向かいあったのとおなじように 仮借のない鋭敏さでじぶん自身とその国民を問いただす日本人が果たして存在するのだろうか。私には疑わしく思える(しかし まちがっていたら教えてほしい)。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
>>子供のように強情でワガママ。物惜しみはするし、虚栄心は人一倍強い。 これは、まつたくそのとほりです。 >>「子供なんですよ」というと、子供さんに失礼なのかもしれないので、 >>未だ人間以前の状態なのではないでしょうか。 このあたりも、さうです。 >>《人豚》ってご存知ですか? これも、自他共に認めることです。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ◇ 《人豚》 ☆ の関係する文章。いくら何でもまさかですよ。 ☆☆ オシコモリ ☆ は 要するに都合のわるい問いかけに対しては いっさい答弁をしないという特徴があります。受信をすらしない。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ >>子供のように強情でワガママ。物惜しみはするし、虚栄心は人一倍強い。 これは、まつたくそのとほりです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ いい加減なことを言ってはいけません。哲学の徒なら たいていはそういった側面を持ちます。 送信はするが受信はしない。半鎖国状態としての心性。これを オシコモリと言います。しゃべる蛸壺です。
私のことが書いてあるやうですが、半分くらゐ、意味がわかりません。なにか他に資料があるのでせうか。 今回書いたことは、今までにも何度か書いてゐますし、特に変化はないのですけれど。
お礼
ん? ちょっとよく意味がどうなっているのか 飲み込めないのですが。 こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 私のことが書いてあるやうですが、半分くらゐ、意味がわかりません。なにか他に資料があるのでせうか。 ☆ ひょっとして 《オシコモリ》が当てはまるというのぢゃないでしょうね? オシコモリは 《資料》はありません。造語ですから。 そうですね。この問いでのひとつの目指すところは ヒキコモリや KY を持ち上げることです。ほめることです。ニートも そうです。 そう言えば ニートについては 質問がしてありました。 【Q:資本主義の中でニート以外に《自律》しうるか?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8519936.html やはり長いのが 玉にきずですが これは あんがい広いかたちで回答者があつまってくれたみたいです。 どこか読み違えていますか?
- NemurinekoNya
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質問の内容からは外れるのですが、 《人豚》ってご存知ですか? 漢の高祖・劉邦の話が少し出てきたので、 もののついでで、 ご紹介しますけれど、 ~~~~~~ そして呂太后は、長安に入朝した如意を毒殺した。その前後、戚夫人も殺害された。『史記』によると呂后は戚夫人の両手両足を切り、目耳声を潰し、厠に投げ落としてそれを人豚と呼ばせ、さらに恵帝を呼んでそれを見せた為、彼は以後激しいショックを受け、酒色に溺れるようになり早世したという。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%9A%E5%A4%AB%E4%BA%BA ~~~~~~ ここまで非人間的なことが、できちゃうんですよね、 (古代)中国の人は。 この話は、呂太后を極悪人に仕立て上げるために作られた話なのかもしれませんが、 それにしても、 こういったことを思いつける中国の人のメンタリティーは、何に由来しているのでしょうか?
お礼
つづきましてのご回答をありがとうございます。 いえいえ。中国人は カニバリズムのうたがいがかけられています(* 1)。いまも うたがわれています。 そして つい最近 日本人の現地体験として伝えられたことは 中国人は――例の一人っ子政策の所為だと これは 思われますが―― 他人の子どもを平気で 隙あらば さらって行くのだそうです(* 2)。または 売買となるとか。 隙があるほうが わるい。という論理だそうです。 ですから 日本で小学生が 町内ごとに集団で登校する姿を見て 中国人は なんと日本人は子どもに対して残酷な心になれるのかと おどろくそうです(* 3)。誘拐は 日常茶飯事なのだとか。 * 1:▽ (ヰキぺ:カニバリズム) ~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 § 3 各地のカニバリズム § 3.5 中国 小室直樹の評するところによれば、中国では古代から近世にかけて食人の習慣が非常に盛んであった。 中国が他文化の食人と比べ異質なのは、食人が精神異常行為・宗教的行為・飢餓時の緊急避難行為などではなく、きわめて日常的な食文化として根づいていたとする。膨大な文献が中国における日常的な食人行為を伝えているが、中国人の道徳規範である儒教と道教は、食人についてまったく触れておらず、これは食人が中国文化において認容されていることを示している(小室直樹『資本主義中国の挑戦』『中国共産党帝国の崩壊』) ・・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * 2:▽ 年間20万人!? 一人っ子政策緩和で誘拐ビジネス増加の危機 http://nikkan-spa.jp/545747 * 3:▽ 中国人観光客、日本の小学生の“常識”に驚愕!「そんな残酷な親がどこにいる!?」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140607-00000003-rcdc-cn
- NemurinekoNya
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屈原の言葉は、官僚(アマテラス人)のものですよ。 彼の説く官僚倫理や官僚心得。 屈原は、王族出身の官僚。 そして、屈原は、決して、二階から一階へ降りてこようとはしません。 自身と自身の考えが無謬であると信じ、疑っていない。 だから、 スサノヲ村の村民である漁師さんとは、話がかみ合わない。 スサノヲ村の論理は、彼には通じない。 彼の心に届かない、響かない。 端からバカにしているんですよ、スサノヲ村の漁師さんと、その話を。 オシコモリがアマテラス語を駆使するとは考えにくいので、 時流に乗り、イケイケで押しに押しまくったつもりであったけれど、 実は時流を読み違えており、最後は四面楚歌の状況になった項羽の方が、 オシコモリに近いのかもしれませんね。 項羽は、漢の高祖・劉邦以上のカリスマ性を有し、人を強く惹きつける魅力は有していたのですけれど、 この人は人情、感情の機微をまったく理解できない人であった。 しかも子供のように強情でワガママ。物惜しみはするし、虚栄心は人一倍強い。 ですから、有能な部下は次々と彼のもとを去っていく。 彼にしたがっていた諸侯たちも次々に反旗を翻します。 そして、ある時、項羽は、自身が四面楚歌の状態になっていたことに気づく。 しかし、 項羽は、自身に過ちがあったとは考えない。 自身が悪かったとは、まったく考えない。 そういう発想ができない。 そして、 悪いのは、すべて他人(ひと)のせいにする。 「天が悪いんだ、時が悪いんだ。オレの力は山を抜き、気は世をおおうんだ。オレは悪くないんだ」 と叫ぶ。 (これは、強がりや負け惜しみではなく、彼の本心だと思います) そして最後は、 「ともに戦場を駆け巡ってきた、愛馬である騅が悪いんだ」 と、 騅にまで責任転嫁をする。 オシコモリの人が、 項羽のような一代の英雄とは考えられませんが、 そのメンタリティーは似ているんじゃないでしょうか。 「子供なんですよ」というと、子供さんに失礼なのかもしれないので、 未だ人間以前の状態なのではないでしょうか。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ちょっとした反応としてだけですが。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~ 時流に乗り、イケイケで押しに押しまくったつもりであったけれど、 実は時流を読み違えており、最後は四面楚歌の状況になった項羽の方が、 オシコモリに近いのかもしれませんね。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ そうかもと思って 次の瞬間に待ったをかけたのは やはり戦争という事態ですね。戦争をそれほど特別の事態と見なしていない場合の《押し》とは 何か? です。 戦争を――受けて立ったにしろ――おしすすめるのは 押しではあっても ふつうの行動であるように思えます。 そして 《一たん時流には乗ったが その流れを読み違えていた》というのは どうですかねぇ 《籠もり》になりますか? ピッタリと言うまでには行かないかも知れませんねぇ。 ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、 項羽は、自身に過ちがあったとは考えない。 自身が悪かったとは、まったく考えない。 そういう発想ができない。 そして、 悪いのは、すべて他人(ひと)のせいにする。 「天が悪いんだ、時が悪いんだ。オレの力は山を抜き、気は世をおおうんだ。オレは悪くないんだ」 と叫ぶ。 (これは、強がりや負け惜しみではなく、彼の本心だと思います) そして最後は、 「ともに戦場を駆け巡ってきた、愛馬である騅が悪いんだ」 と、 騅にまで責任転嫁をする。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《オレは悪くないんだ》が《本心だと》いうところに 共感しますが・したがってつまり オレ流の統治の仕方をつらぬいたのだと見るわけで ◇ 人情、感情の機微をまったく理解できない人 ☆ であってもよいと本人は思っていたのではないかと見るのですが それにしても 最期は むしろいさぎよかったのではないですか? いくさびとであったというその性格は あまりいただけませんが。共同自治にあって 庶民にとって。 愛馬が力尽きたのを惜しんでいますが その負け戦の情況を受け容れているようにも思えますよ。 ◇ オシコモリの人が、・・・「子供なんですよ」というと、子供さんに失礼なのかもしれない ☆ まさにそうだと思います。というのも 子どもは 周りの人の言うことをよく聞くと思います。だいたいふつうは 聞く耳を持つと思われます。つまり 受信をします。――この一点は 明らかに違うと考えます。 ◇ オシコモリの人〔は〕・・・未だ人間以前の状態なのではないでしょうか。 ☆ ここなんですよね。分からないところは。 つまり 送信はしますし その内容は 大人のものでふつうの社会人として特にマが違っているわけではない。ところが 受信はしない。送信内容と同じもののみ 受け容れる。――これが 分からない。 人間以前の状態にある人間は その心性が 論理や倫理の問題として混沌としている。あるいは 他者と未分化である。もっと詳しく言えば 論理も倫理もそれとして ふつうに一応分かっている。しかも その自分の頭の中では(または 心の中では) きちんと整理した論理が ごちゃごちゃになる。混沌とする。あれとこれとが 未分化となる。原始心性が あらわれる。 オシコモリの場合は 送信内容にかんするかぎり 《論理的》です。受信に際しては 混沌としている。というか または 送信内容に賛成する内容のものだけは 受け容れる。受信する。あとは 拒絶する。 そして おそらくなのですが この《自分に都合のわるい情報は 外から入ろうとしても こばむ》というとき たぶん本人は この拒絶という意識を持っていないかも知れない。こばむべくしてこばむだけだと思っているかもしれない。そこは 混沌としている。 外から 何で拒むのだ? と訊いても 答えない。自分に都合のよいと判別して受信した情報については すすんでさらにその情報を 自分からも送信する。そういう一方的な・一面的な内容の情報をのみ送信しつづける。 いやぁ よく分かりません。まだよく分かりません。
- NemurinekoNya
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「纓」は、冠の飾りじゃなくて、冠の紐ですね。 すいません、勘違いしておりました。
お礼
《えい》と読むんですね。 そして 日本は 貴族がこの冠をいろいろにつくって まねをしています。
- NemurinekoNya
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楚辞(魚父の辞) 屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。顔色憔悴、形容枯槁。漁父見而問之曰、「子非三閭大夫与。何故至於斯。」屈原曰、「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放。」 漁父曰、「聖人不凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」 屈原曰、「吾聞之、『新沐者必弾冠、新浴者必振衣。』安能以身之察察、受物之汶汶者乎。寧赴湘流、葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎。」 漁父莞爾而笑、鼓枻而去。乃歌曰、 滄浪之水清兮 可以濯吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足 遂去、不復与言。 屈原、既に、放たれて → 屈原、洟(はな)垂れ → ガキ 世、挙げて皆(みな)濁れり 我ひとり清(す)めり 衆人みな酔ひ 我ひとり醒めたり (これを以って放たれり・(洟垂れり?)) 漁師さんは、屈原に対して、言いますね~ 「みんなが酔っ払っているなら、なんで酒を絞った後に残る、その糟を食べないのですか、薄い酒を飲まないのですか?」 (あんたはKYなんですよ!!) 「聖人は物事にこだわらず、世とともに推移するものなんですよ」 と。 (あんた、全然、世の中のことを分かっていないじぁないですか。聖人(成人?)じゃ~、ありませんよ) 屈原は、この漁師さんに対して、言い返します。 「そんなことをしたら、ひとり清(す)んでいるオレさまが、世俗のアカやチリで汚れちまうだろうが。 たとえ、魚のエサになろうが、そんなことは絶対に嫌だ!!」 漁師さんはにっこりと微笑んで 滄浪之水清兮 川の水が清(す)んでいたなら 可以濯吾纓 大切な冠の飾りを洗おう 滄浪之水濁兮 川の水が濁っていたなら 可以濯吾足 足を洗おう!! と歌いながら、船をこぎ、去っていきます。 屈原は、この後、入水自殺します。 屈原と漁師さんの間では、会話が成立しているように見えますが、 屈原は漁師さんのありがた~いお話を聞く耳を持っていません。 「我ひとり清めり」の人ですからね~。 似ているんじゃないですか、 《押し籠もり》と、この屈原。 書いているうちに思い出したのですけれど、 垓下(がいか)の歌 力は山を抜き 気は世を蓋(おお)う 時、利あらずして 騅(すい・名馬の名)逝(ゆ)かず 騅の逝かざる 奈何(いかに)すべき 虞や虞や 若(なんじ)を奈何(いかに)せん という歌もありましたな~♪ この人もKYだったな。 四面楚歌の人であった。 逃げることを勧める人に対して、「天がオレを滅ぼそうとしているんだ」と言ったっけ・・・。 すると、世間が天ということになるのであろ~か? いやいや、項羽は、そんなことを髪の毛一筋ほども思いはしなかったはずだ。 でなければ、四面楚歌の状態に陥るはずはなかったのだから。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ◇ 項羽 ☆ は どうなんですかねぇ。 ◇ この人も KY だったな。 / 四面楚歌の人であった。 ☆ 戦いは 時の運ではないのですかねぇ。 ▽ (垓下の戦い)~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%93%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84 ここで数千の漢軍に追い付かれた項羽は、配下の者に「ここでわしが滅びるのは天がわしを滅ぼそうとするからで、わしが弱いからではない。これから漢軍の中に入ってこれを破り、それを諸君に知らしめよう」と述べ、二十八騎を七騎ずつに分けて、それぞれ漢軍の中に斬り込んでいった。 項羽は漢の都尉を討ち取り、兵士八、九十人を殺した。配下が再び集結すると脱落したのはわずか二人だけであった。配下の者は項羽の言った通りだと深く感じ入った。 項羽たちは東へ逃れ、烏江という長江の渡し場(現安徽省和県の烏江鎮)に至った。ここを渡れば項羽たちがかつて決起した江東の地である。 烏江の亭長(宿場役人)は項羽に「江東は小さいですが、土地は方千里、人口も数十万おります。この地で王となられよ。この近くで船を持っているのは私だけなので、漢軍が来ても渡ることは出来ません」と告げた。 しかし、項羽は笑ってこれを断り、「昔、江東の若者八千を率いて江を渡ったが、今一人も帰る者がいない。江東の者たちが再びわしを王にすると言ってくれても何の面目があって彼らに会うことが出来るだろうか。」と答えて亭長に騅を与え、部下も全て下馬させて、漢軍の中へ突撃した。 項羽一人で漢兵数百人を殺したが、項羽自身も傷を負った。項羽は漢軍に旧知の呂馬童がいるのを見て、「漢はわしの首に千金と一万邑の領地をかけていると聞く。旧知のお前に徳を施してやろう」と言い、自ら首をはねて死んだ。 項羽の遺体に恩賞が掛けられていたため、周囲にいた漢軍の兵士たちは項羽の遺体を巡って味方同士で殺し合いを起こしたほどであった。結局遺体は5つに分かれ、呂馬童を含む5名それぞれに5等分された領地が渡された後に劉邦は項羽を手厚く葬った。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 反論というほどのことではありませんが。 ◇ ~~~~~~~~~~~~ 「我ひとり清めり」の人ですからね~。 似ているんじゃないですか、 《押し籠もり》と、この屈原。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは ちょっと・・・分からないヤツですね 屈原は。 帰去来の辞の陶淵明なら まだ分かる。 ただし《押し籠もり》は 送信という側面では 非常に活発なのです。尻込みしません。つまり 《押し》なのですから。その点で 別なようにも感じます。
お礼
ご回答をありがとうございます。 レーヰットは 公開質問としました。