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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:われわれは どこへ行くか?)

われわれはどこへ行くか?世界についての展望を問います。

このQ&Aのポイント
  • 知性のあり方の分類から始まります。原始心性、歴史知性、超歴史知性の3つがあります。
  • なぜ最後に超歴史知性が出て来たのかについて考えます。これが宗教の始まりとされています。
  • 歴史知性は共生に重要であり、経験合理性や勤勉などが求められます。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.9

B様、こんばんは。 >「たぶん 両方向があるのかも知れません。  ガリ勉主義とニートとでしょうか。」 なるほど。ニートについては、「自律」と仰っていますね。 でも「ガリ勉」が自律ではない、とも言い切れません? ・・・いや、しかし「徹底した他律」を自ら志向するのが「ガリ勉」とするなら、 そうなのかもしれません。 ということは、「ガリ勉(主義)」とは「徹底した他律(主義)」と言えますか。 (そりゃ、「反動」が来るんじゃ、ないですか)

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ということは、「ガリ勉(主義)」とは「徹底した他律(主義)」と言えますか。  ☆ そうですね。その場における――将来をも見据えたかたちを採ることもあるでしょうが――当面の要請にしたがってその要請を満たしつつ・またそのすべてを完璧に満たしつつ その最先端を行こうとする。または最上位に立って指導者となろうとする。こういう志向性(指向性)において ガリ勉は おのれの主観にあっては 自律しようとしているかも分かりません。  そうして おそらく 資本主義の経済の仕組みから行けば 人びとの過去の仕事の積み重ねによって得られている社会資本の一環としての個別の資本を 増やそうとするし つねに付加価値を得ようとする行動を取るしかない。とすれば そのような資本の自己増殖の運動にしたがっている。のでしょうね。  そこで そのような仕組みの社会の中で  ★ ニートについては、「自律」と仰っていますね。  ☆ という現象が出て来ているわけですが いまは やはりネガとしての《自律》なのでしょうね。  資本主義ないしガリ勉主義に対する反措定は 一般に反体制であったと思いますが そうではなくニートは 自由を求めた資本主義という措定に対する反措定を超えて ふつうの人間の立ち場に立とうとしていると言えるかも知れません。ただし それが ネガのかたちで現われている。そうせざるを得ないのかも分かりませんが。  ★ (そりゃ、「反動」が来るんじゃ、ないですか)  ☆ 《「徹底した他律(主義)」》という個人の行動についてその反動が来るのかどうか。    社会全体の仕組みとしての仕組みが考慮し得なかったところで反動やほころびが出て来るのか。  どうでしょうかねぇ。

その他の回答 (7)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

>「この日本人も いまやガリ勉主義に片向いて来ているのでしょうか?」 いえいえ。 状況はむしろ、その行き過ぎに対する反動の局面、かと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですか。  たぶん 両方向があるのかも知れません。  ガリ勉主義とニートとでしょうか。  ご回答をありがとうございます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.7

B様、こんばんは。 >「理性は 認識あるいは知解をおもなハタラキをしていますが これに漠然とですが 意志ないし判断をつけ加えようとしたのが 知性です。必ずしも定義としてではなく 便宜的な用語ですが。」 >「特には経済基礎において ガリ勉主義としての論理徹底指向なる合理性がグローバリズムとなって世界の隅々をも席巻しつつある。」 「ガリ勉」という用語それ自体が、そういう「(ある種の)態度」への批判を含むわけですが、 「和魂洋裁」ですか、、、私自身、コレに価値を見出すとは、思いませんでした、けれど。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  そうですね。  グローバリズムの原動力を ガリ勉主義とか言いました。  そして あちらの人たちは 《スサノヲ市民=アマテラス公民》なる一体型の人間像であるのではないかと言っています。  論理の単一層になるかと見られます。  感性や情緒やアソビ(ムダを容れた余裕)をももうひとつの層として持ち 二層構造となるのが 《スサノヲ市民-アマテラス公民》なる分離連関構造です。  この日本人も いまやガリ勉主義に片向いて来ているのでしょうか?

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.6

こんばんは。 「知性」って、、、「理性」にとっては難敵だったかもしれないでしょうけど、 人間にとって、それほどまでに、「ありがたい」ものか、 「勤勉て」?・・・B様自身が、鋭いご質問をされているのではないですか?。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 「知性」って、、、「理性」にとっては難敵だったかもしれないでしょうけど、  ☆ 理性は 認識あるいは知解をおもなハタラキをしていますが これに漠然とですが 意志ないし判断をつけ加えようとしたのが 知性です。必ずしも定義としてではなく 便宜的な用語ですが。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.5

>でも 終着点と言っても ひとつのであって そこからふたたび出発することもあるのではないでしょうかねぇ。 到達点であるなら さらにあらたな目標を目指して踏み出すということもありだというようにも見られます。 いや、もう終わって結構なのですが・・・w 私は万象の「存在の終わりの時」の表現として、「我々」には終着点、「私」には到達点と答えたのです。 しかしまぁ、一つの出来事として考えて、転換点と理解する事は問題ありません。 その上で集団の持つ意思とは、最大公約数で反応するので、レミングスの暴走と同様、コントロール下にはありません。 あくまで「反応」を繰り返すのみで、足を止めて判断すると言う性質の物ではなく、終わりの其の時まで続きますから、「終わる時まで」と言う意味で、「終着点」としました。 その為、「我々」においての転換点と言う表現は、あくまでも後世において語られる性質の物であって、選択の結果ではありません。 個人・個体としては、転換点を自ら作る事も選ぶ事も不可能ではありません。 故に目標が設定出来る為、到達点と表現しました。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ ~~~~~~~~~~~~   私は万象の「存在の終わりの時」の表現として、「我々」には終着点、「私」には到達点と答えたのです。  しかしまぁ、一つの出来事として考えて、転換点と理解する事は問題ありません。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ふたつの視点が両立すると見ていいのですね。  ★ その上で集団の持つ意思とは、最大公約数で反応するので、レミングスの暴走と同様、コントロール下にはありません。  ☆ まづ 《レミングスの暴走と同様》は次の情報に従うと別としたほうがよいと考えられます。  ▲ (ヰキぺ:レミング) ~~~~~~~~~~~  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0  § 3-1 伝説と実際  レミングは、かなり長い間「集団自殺をする」と考えられていた。・・・    実際には、集団移住を行っている際に一部の個体が海に落ちて溺れ死ぬことはあるが、これは自殺ではなく事故であり、すべての個体が海で溺れ死ぬことはない。また、レミングは泳ぎがうまく、集団移住の際に川を渡ることは良くある。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  《コントロール下にある》かどうかは 時と場合によるでしょうから  ★ 集団の持つ意思とは、最大公約数で反応するので  ☆ ここが さらに検証しなければならないように考えます。  そのとき同時に  ★ 終わりの其の時まで続きますから  ☆ といった性質のもとにあるのかが 問われるべきでしょうね。  わたしの考えでは 《最大公約数で反応する》のは 結果としてだと考えます。すぐ前までは少数意見であったものが 世論の形成の仕方によれば 多数意見になることがあると見られます。  さらには 仮りに多数決のかたちに従うとしても そのとき個人としてのわたしが どのような《終着点や到達点》に到っているかは これまた個人差があると考えます。つまりそれは 多数決に従っている場合にも わたしの主観は それとは違っていることが出来るし じっさいにあり得るということではないかというものです。  とは言うものの けっきょくのところ 社会のじっさいのウゴキは 現象として個人における主観よりは集団としての流れやウゴキが 大きく歴史に跡を残すと考えられます。  ニートの存在が これからどうなるか? それが こういったマクロのウゴキにどこまで影をおよぼすか 分かりませんし 見ものであるようには思います。  

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.3

いや、そんなに難しく言った訳ではないです。 この場合の私の言う「我々」と言うのが人間なのか、世界そのものか、または別の物かは特に定義の必要はありません。 「自分以外」(自己を含めて)の存在の意思は、皆が皆、定める事が出来ません。 定まらない物は、常に揺らぎ動き回り、変化をしながら終わるその時まで続きます。 なので、終着点としました。 「私」としたのは個人の事で、個人の内なる世界は個人の意思を反映させ得る事が可能なので、到達目標を達成する事も不可能ではありません。 ですので、到達点と表現しました。 ご質問の主旨とは違うかもしれませんが、表題に対しての一つの表れと思っていただければ幸いかと。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 終着点 と 到達点  ☆ とでは 互いに反対の意味にもなるようなのですね。  でも 終着点と言っても ひとつのであって そこからふたたび出発することもあるのではないでしょうかねぇ。  到達点であるなら さらにあらたな目標を目指して踏み出すということもありだというようにも見られます。  そういう意味合いにおいては  ☆☆ 転換点に立ったといった意味なのか?  ☆ と捉えたようです 前回わたしは。  《おしまい》ということではないですよね。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.2

>われわれは どこへ行くか? 我々としては終着点 私としては到達点

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ううーん。禅問答みたいなんですけれど。  ☆☆ (趣旨説明欄) ~~~~~~~~~   われわれは どこへ行くか?  世界についての展望を問います。  これまでの経過のみによって表わそうとした文章ですが それを たたき台とします。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これに対して  ★ ~~~~~~~~~  我々としては終着点  私としては到達点  ~~~~~~~~~~~  ☆ ということですよね。つまり 問いとしては これからの展望を これまでの経過を表わすことのみによって 問うている。それに対する回答が 《終着点 到達点》ということですよね。  分からないのですが ひとつの転換点になる・転換点に立った状態にいるといった意味でしょうか?  いや 分かりません。と正直にお応えするしかないようですが。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.1

映画などでよく描写されるのは、清潔で文明的な天上の国と、不潔で混沌とした地下の国の対比です。 実際にはそうはならないとは思いますが。   アマテラス性に偏った結果の揺り戻しがあるのではないかと思います。その揺り戻しは、不況とか、組織崩壊とかいう形で現れてくるのではないでしょうか。スサノヲ性が、その揺り戻しをどれだけ軟着陸できるかで、その災事の規模や衝撃度が決まってくるものと思います。   我々はどこへ行くのか、ゴギャンの絵のタイトルにもありましたが、温かい、豊かな人間性を擁するスサノヲ文化ではなく、ともすれば冷たい、やや左寄りの、より文明的な、アマテラス性の濃いスタイルへと移行すると思います。 課題は、アマテラス性をどれだけ自然化できるか、だと私は思いました。 本来私は、ガリ勉たちの生み出すSFチックな未来世界が憧れなのですが、そんな世界にも、息づく自然に惹かれいたのかもしれません。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ アマテラス性に偏った結果の揺り戻しがあるのではないかと思います。その揺り戻しは、不況とか、組織崩壊とかいう形で現れてくるのではないでしょうか。  ☆ これはわたしも予想していました。お二階でお二階さんたちは 踊り出すであろうと見ていました。  ただし 次のような対処の仕方には目を向けていませんでした。  ★ スサノヲ性が、その揺り戻しをどれだけ軟着陸できるかで、その災事の規模や衝撃度が決まってくるものと思います。  ☆ ひと言で言えば 楽観していました。踊りが始まったら スサノヲたちは チカラを得て立ち上がるものと思っていました。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ・・・温かい、豊かな人間性を擁するスサノヲ文化ではなく、ともすれば冷たい、やや左寄りの、より文明的な、アマテラス性の濃いスタイルへと移行すると思います。  課題は、アマテラス性をどれだけ自然化できるか、だと私は思いました。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ むむ。まだ やっかいな部分がつづきますか。  アマテラス性は しぶとい。というところでしょうか。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  本来私は、ガリ勉たちの生み出すSFチックな未来世界が憧れなのですが、そんな世界にも、息づく自然に惹かれいたのかもしれません。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ なるほど。わたしは SF になじむことがないまま――本も映画も ないまま――に来てしまっていますが 便利な生活は すごいなと思っていました。自然と人工とのうつくしい調和があれば よいかなと思います。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  映画などでよく描写されるのは、清潔で文明的な天上の国と、不潔で混沌とした地下の国の対比です。  実際にはそうはならないとは思いますが。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ これは 確認しておくほうが よいでしょうね。二項対立の図式は 単純すぎましょう。

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