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《押し籠もり》よ めざめよ!
《押し籠もり》についての――《押し籠もりよ めざめよ!》という――批判を述べます。 1. 《押し籠もり》とは: 引きこもりに対して 《押しこもり》。 あるいは 《突っ張り籠もり》。 2. 《押し / 突っ張り》というのは ここで 要するに生活において仕事においてあるいはコミュニケーションにおいて 活発であることを意味します。 ただし 《籠もっている》。 3. どういうことか? 4. ひとに対して送信はするが ひとからの受信はしない。 発信ではなく ただの送信にしかならない。 でも活発である。押している。突っ張っている。 5. これは 意外と 《日本教=クウキ教》の批判になるかと考えています。 6. これは おそらく現状における社会力学のあり方――いわゆる情況ぜんたいのクウキ――に棹差して行動している状態だと思われます。 7. 《送信》としては いくらでも既成の社会のあり方とその流れに棹差してコミュニケーションを推し進めている。知ってか知らずか そうなっている。 8. そしてこれは いわゆる体制の批判をしても そうだと思われるところが ミソです。 9. 人権を侵害するな! 弱者・少数者を守れ! と主張するのは 情況全体にみづからの生活をどっぷり浸(つ)かった状態にして 押し籠もりをやっている。甘えているを超えている。 10. けれども浮いてしまったというよりは そうではなく みづからは周りからの声を受けつけない。受け取らない。むろん自分の送信している内容と同じであるならば 受け留めている。 11. 半ば鎖国状態――どしどし出すが 入るは要らない――のようになっている。けれども 社会力学じょう有力な勢力の中に――それに反対しながらじつは陰では――身をおいているかとさえ思われるほど《押して》おり同時に《籠もっている》。 12. 経済は言わば待ったなしであるから その流れの中に位置するかぎりで 送受信は回って行く。らしい。 13. ちなみに 《引きこもり》の場合は あくまで 時代の・つまり未来社会の先取りである。 14. 現状の社会力学のあり方に対してすでにそれを乗り越えて 将来のコミュニケーションのあり方を見つめつつ 時代を先取りしている。ただし わづかにそれは 今は陰画としてである。 15. 言いかえると ヒキコモリは 未来社会のネガとして いまは生きている。 16. KY の場合も同じようである。 17. 現状としての社会力学つまりそれとしてのクウキについては すでにそのような人間的交通のあり方を超えてあたらしいコミュニケーションのあり方を先取りして見つめている。現在のクウキなどは あほらしくて読めない。というところがある。 18. 言ってみれば アマテラス普遍語(科学語および人格語)の問題である。普遍語とは 《あやまち得ない》という看板を掲げているという意味だ。 19. これが 日本教を――逆立ちにおいて・頭で立つかたちで――成り立たせている。 20. しかもこのアマテラス普遍語を ただしそのきわめて訛ったかたちのアマテラス方言として作り替え 政治が運営され社会が回っているといううたがいがある。 21. つまりこれに対する反対勢力としてのメディア等々が 押し籠もり作戦に出ているその全体の情況があり それについて そんなクウキは読めないという声にならざる声を発信している。 22. KY は 現状の人間的交通のあり方をすでに飛び越えている。そのアマテラス語諸方言は 読めない。読み取らなくてもよいとすでに直観として思っている。 23. つまり 未来の先取りであり いまはわづかにまだ陽画としては成っていないネガの状態にある。 24. したがって もしこうだとしたら 《押し籠もり》は――体制側にしろ反対勢力の側にせよ―― 一般に意識的に自覚をしてか否かを問わずこのクウキに乗っかってすべて 押し 押し 押しでその歩をすすめつつ ヒキコモリや KY をむしろ生んでいる。 25. 果たしてどうでしょうか? 以上すべてが たたき台です。果たしていかがお考えになりましょうか? 25. オシコモリに負けるな! と言えるまでに現状分析として成っていますか。今年に入って セクハラ反対とLGBT擁護の声が オシコモリの目立った現われではないでしょうか。
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- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
最後までちゃんと読んで、言いたい研究内容は理解できたよ。 それが精いっぱいだった。 感想だよ。 テーマを諸要素に細分化してからめとってはいかがだね。
- gurennnisomaru
- ベストアンサー率18% (24/129)
行きすぎた個人主義の弊害でしょう。 人間が社会を形成する生き物である以上、人は社会に貢献すべきなのです。
お礼
ふうむ。まづは ご回答をありがとうございます。 まづ直感として思ったのは 《べき》論だけで話はすすむか? です。: ★ 人間が社会を形成する生き物である以上、人は社会に貢献すべきなのです。 ☆ 社会的動物であり政治的動物であるからという理由なんですが 政治的だとすると《共同自治》の問題になるかと思います。 つまり その方向(志向性)で考えるなら 《人は社会に貢献する・ということは互いが互いに対して 協力しあうことが のぞまれる》となります。 極端な議論が――話を進めるためにわたしは好きなのですが――ゆるされるなら: ★ 個人主義 ☆ による思想や行動にしても 《間接的には》互いのためにちからを尽くしているとなるかも知れません。 いやいや: ★ 行きすぎた個人主義の弊害でしょう。 ☆ というふうに《行き過ぎ》を問題にしてるんだということですが ひるがえって考えるなら 《行き過ぎ》は 資本主義・自由市場経済には付き物であるかも知れません。 いや 確かに実際いろんな副産物による《弊害》が指摘されています。たとえば 気象変動になると それへの対策が大きく打たれるようになっていますが 《倫理》の問題にかんしては どうでしょう? おまえの個人主義は 少々行き過ぎているぢゃないか。もう少しおだやかに振る舞ったらどうか? ・・・というような対策は打てますか? もっとも 質問者のわたしにしても 《オシコモリよ めざめよ!》と言うだけで気の利いた実践的対策を考えあぐねているのですが。 ということは――直感だけのコメントをつつしむなら―― お考えに沿うとすれば 《個人主義》とは何か? についてなおよく考え合っていくのがよい。となりましょうか。 ということは かんたんには西欧の思想と日本なら日本の考え方をめぐって どこが違ってどう同じであるかなどなどをさらによく検討しつづけるのが 一法だとなりましょうか。 《個人》とは 日本語では《ひとり》という言葉で表わされると言った人がいました。 ひとまづ出発点のご指摘としてうけたまわりました。
お礼
それは ほかにもいくつかの質問をしていて やっているかと思います。 ここでは 押し籠もりなるテーマ一本にしぼって深く突き詰めて行きたい・・・というような狙いです。 ご回答をありがとうございます。