悩める人々を救う思想の誕生とは?

このQ&Aのポイント
  • 悩みに悩んでいる人々を救うためには、どのような思想が必要なのか?若者たちの心が折れる結果として現れる鬱病や悩みに対し、社会全体で対策を講じるべきだ。
  • 現代社会では、学校教育や宗教活動を通じても思想の必要性を十分に理解することができない。民主主義や資本主義などの既存の思想だけではなく、新たな思想の創造が求められている。
  • 地球温暖化やエネルギー問題など、将来に希望をもたらす思想は、環境問題や社会問題に対する解決策を提案できるものでなければならない。
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どうすれば悩める人々を救う思想が生まれるか?

悩み込んで鬱になってる人もいます 思春期がなくなったのか 若者たちは情報やライン?で時間を使います 技術は高くなっても意思は希薄なのです その結果心折れる若者も多いようです 学校でも哲学を教えません 現代社会でチラッと出てくるだけです 宗教に加わる者も 宗教を否定する者も よく分からないままです 今どのような思想が必要なのでしょうか? 民主主義? 資本主義? 抑止力? イスラーム? 何か世界を繋ぐような思想はあるのでしょうか? エスペラント語 イエスの葡萄の木 釈迦の悟り 国連 オリンピック 多々の宗教活動 それらがあっても今は問題だらけです 人口爆発 地球温暖化 宗教対立 エネルギー問題 内戦や格差社会 過競争・・・ 将来に希望をもたらす思想はどんな思想でしょうか? 簡潔に出来ればお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • jamamono2
  • ベストアンサー率25% (117/463)
回答No.7

こんばんは。1人1人価値観も考え方も全く違い、悩みと迷いも違います。 悩みは目標が明確だが結果が思い通りに成らない。 迷いは目標が明確で無い。 悩める者に与えられる最大の助力は悩みや苦痛を取り去ってやる事では無く逆境に立ち向かう生命力を湯源させる事だと私は思います。その為にどうしたら良いか?… 悩める者が心底信頼するに足る師匠的な存在が不可欠です。宗教指導者でも先生でも親や友達でも誰でも無く悩める者が心底信頼出来る存在です。そうした人が居る人は幸せです。居ないから困るのでは?… これは誰かを呼んで来て頼んで出来る仕事で無く質問者様と悩める方々との人間関係の深さ信頼関係の度合いの問題です。 質問者様が悩める方々を心底大切に思われるから救ってあげたいと本能で感じる…これを母性本能とも菩薩や仏の生命とも言える偉大な境涯です。 方法論や目先の状態に振り回されず1人1人と真っ正面から向き合い相手の話を先ずは受け止め相手の苦しみを理解し抱きかかえる様に暖かく激励してあげて下さい。最初は無意味に思われるかも知れませんが僅かずつ心を開き信頼関係が深まれば光明も見えて来るのでは?…。 信頼、尊敬、感謝、激励…どれも人間には必要不可欠では有りませんか?

yuniko99
質問者

お礼

1人1人と真正面から向き合って 信頼、尊敬の関係を作り 感謝、激励できると良いですねえ そうした中から人間に必要なものとは何か分かって来るかもしれません 確かに良い事です  どうも大変ありがとうございます。

その他の回答 (14)

回答No.15

 こんにちは。  ○ けんかの効用 あるいは けんかの仕方  を知らないので これをおしえること。そういう思想が 必要でしょう。  ただしすでに剣は投げ入れられていますから またふたたび剣を執って突き進む必要はありません。  議論をすればよいのです。  人それぞれに思いや考えも気持ちやクセも好き嫌いもありますから 意見が違うはずです。  時間のゆるすかぎり・信頼関係のもとに どこまでも心の底から納得のゆくまで 対話をすればよろしい。  この《けんか》が いま必要だと考えます。

yuniko99
質問者

お礼

そうですねえ 喧嘩の仕方はでたらめじゃないですよね どんな喧嘩にも暗黙のルールがあります 議論にしても何でも言って相手をこき下ろせばいいというものじゃないでしょうね 自分の考えがあって それを表明して比べるべきでしょう 自分の考えのある人が少ない様に思います。 剣の代わりに 己の考えを持つべしと言いたいですね どうも大変ありがとうございます。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.14

>今にも死にそうな人、麻薬にてを染めそうな少年 自刷しようとする人 >そう言う人の光となるのが哲学の使命ではないでしょうか? 違います。それは宗教なり心療内科なりカウンセリングなどか、あるいは直接それらの方と関わる人の個人的な使命です。 無論、哲学によって人が結果的にすくわれることもあるでしょう。でもそれは結果論です。 自動車や交通網の発達のおかげで重傷の怪我人が素早く病院に運ばれて命が助かった、ということは現代ではよくあることかと思います。でも自動車は怪我人を運ぶために作られたものではなく、移動や輸送方法の1つとして作られたものです。自動車で現代医療では治療できない末期癌患者の命を救うことはできませんし、医療や病院がなければやはり自動車は怪我人に対しては無力です。自動車の使命は怪我人を助けることではなくあくまでも陸上輸送の手段の1つたることなのですから。 >哲学する事によって知的発見があり >それで世界を照らすことが出来るのだと思います 現状に不適切、あるいはより適切な社会のシステムを提示することで教育や経済、政治等の質を向上させ、結果的に不幸でなくなる人が増えるということはありえるかと思います。 また、それをするには言葉だけではなく実学や具体的な社会とのリンクが必要不可欠です。 単に頭の中で考えた思想だけを語ったところで「ごちゃごちゃうるせえ」と言われるだけかと。 ただしこれはあくまでも社会的なものであって個々人の苦しみを救うようなものではないでしょうね。 どんな社会でも鬱病、自殺者、麻薬患者は確実に出ることでしょう。 >人間に優しい環境は他の生物にもよい環境でもあると思います もう少し生物学を勉強しましょう。別に哲学に生物学は必須だとは思いませんし高等生物学まで極める必要はないと思いますが、思考の土台にするのであれば現実的な知識と考え方は必要かと思います。そこから哲学に必須な論理的思考が生まれます。 人を救いたいんですよね。でしたら環境生物学の知識は重要じゃないでしょうか? 人間なんだから人間にとって最大限優しい世界を理想とするという考え方自体は悪くないと思います。 自種族の最大の繁栄を望むことは変ではないですし。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.13

ノブレス・オブリージュというのを聴いたことがあるでしょうか。貴族の義務というものです。質問者さんの仰るところのものに類似しているかと思いました。

yuniko99
質問者

お礼

嫌味じゃないですよね^^ 我々に出来ることをしないというのは無責任と思います 社会は出来る人が出来ることをやって成り立っています 我々にも出来ることがあるのではないでしょうか? どうも大変ありがとうございます。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.12

>私は人間ですから 人間が住み良い様な世界を目指します 人間に優しい環境は他の生物にもよい環境でもあると思います 我々人間は酸素の多い環境で生きています。 嫌気性の生物には棲み難い世の中です。 また、現在は脊椎動物が全盛ですが、石炭紀には濃い酸素濃度の環境で、無脊椎動物が地上を闊歩していました。 生物は環境に依存して生きているのです。 人間の繁栄を望んでいる時点で、限り無い我儘を言っている事も理解出来ないのは困りものなのです。 >人間を救う方法がないとは 人間が嫌いなのでしょうか? 人間は救う必要も、滅する必要も無いというだけの事で、会話の次元が違いますよ。 皆様の幾度にも渡る書き込みにも、貴方は何一つ変わらず、相変わらず同じ内容の質問をオウムの様に繰り返しています。 つまり、貴方に対して、誰も救う事も惑わす事も出来ていないのです。 貴方の迷いは貴方が生み出しています。 何処かの誰かが救ってくれるなどという、ホワイトナイツを信じていても無駄です。

yuniko99
質問者

お礼

そうですか それはどうも。

回答No.11

#9の者です。 >そう言う人の光となるのが哲学の使命ではないでしょうか 低認識のまま、外的権威や先入的価値に頼って生きる というのは、お金(馬車馬の目の前のニンジン)や宗教 (安易な第一原因)による他律的な生と大同小異な、 麻薬の類いだ(オームと大差ない)。 その歪みは、内なる充足量の低減と、外なる軋轢の 不可避に結果する。 自分が宇宙である事から逃げるな。

yuniko99
質問者

お礼

自分が宇宙って・・・小宇宙というならまだわかりますが 私は宇宙などではないですよ 特に今の若者は思想がありません ゲームやスマホに明け暮れているからです 宗教も怪しいのですから 哲学が希望の思想を示すのが使命と思いますが?

回答No.10

簡潔に、と云われなくても簡潔?にしか答えられないアメンボ脳が考えて見ました。 誰もが見聞きしたはずの標語の様なものに「人類は皆兄弟」とか「世界家族」といった言葉が有りますが、こうした思想?を広められる強力なリーダーの出現が望まれます。 草の根運動、の様な事では力不足の様に思うので。 また、日本人の長所とされている“持ちつ持たれつ”のお互い様精神が世界中の人々に浸透すれば、希望も出て来るかも知れません。

yuniko99
質問者

お礼

そうですねえ 強力なリーダーですね。 オバマさんも 阿部さんも、ご自分なりには世界平和につながるメッセージを出してるつもりなのでしょうけど 世界中にはいろんな国があるんでなかなか、かみ合いませんねえ 誰か信念の強い人物が出ませんかねえ 何とかして欲しいと思います。アメリカなどの大国も、もうちょっと国連を尊重したらいいと思いますが・・・ どうも大変ありがとうございます。

回答No.9

人の生きる原理は、淘汰(エントロピー増大)の反力としての 進化(反エントロピー)=生きる事自体である。 救うものとしての思想や哲学など不要だ。 思想も科学も、環境の認識の深まりの一環であり、そこに展開 されるベクトルは「生きる事(反エントロピー)」だけである。 最大の認識の深まりにおける自律的生、それこそが真の生きる 目的たる「人生を通算した精神的充足量の最大化」につながる。

yuniko99
質問者

お礼

先生のような意識の高い人ばかりなら救わなくても良いでしょうけど 今にも死にそうな人、麻薬にてを染めそうな少年 自刷しようとする人 そう言う人の光となるのが哲学の使命ではないでしょうか? 理屈だけでは救われないと言う事が分かります お互いに人に優しい人でありましょう。 どうもありがとうございます。

  • raiden787
  • ベストアンサー率37% (179/473)
回答No.8

人を救うのは個々人の抱える問題の具体的な解決策か、あるいはもっとシンプルに気の持ちようです。 >哲学は無力かあ 哲学を宗教か何かと勘違いしてません? 哲学は人を救済するものではありませんよ。知の方針を指し示すものです。 物差しで暗闇を照らそうとしたあげくに「物差しは役に立たない!存在意義がない!」って言ってるようなもんですよ。

yuniko99
質問者

お礼

手厳しい指摘ですが 哲学する事によって知的発見があり それで世界を照らすことが出来るのだと思います 気の持ちようですか どうもありがとうございます。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.6

自分に必要な栄養を、おいしく取ることによって、健康が保たれます。 人それぞれに、必要な栄養は異なるので、一概に、この思想が全人類を救うというものはないでしょう。 しかしながら、食べ物の中に主食があるように、主なる考えというものがあると思います。 それは、平等とか、自由とか言ったものです。 人を構成している外郭、つまり肩書や評判を剥ぎ取れば、みな一介の人間です。平等とはそういうものではないでしょうか。 また、その立場で行為することを自由というのだと思います。   この世には頭のキレる人もいれば鈍い人もいます。 しかしそれを優劣で見るのではなく特性としてみることで、人々はみな同じではないが対等であると見ることができます。 ある業界で評価されない能力が、別の業界では高く評価されることがあるように、頭の鈍い人にも某の特性があり、それの発揮されるシチュエーションや場所が存在するのではないでしょうか。 また、喩え何をやってもダメというような人がいたとしても、そのことによってその人が劣っていると見なすべきではありません。平等という境地に基づいて、その人を見れば、何も他の人と何ら変わりないのです。 これが、人格を尊重するということにもなるのではないでしょうか。

yuniko99
質問者

お礼

自由と平等 人の人格を尊重する 人権にもつながる考えですねえ しかし現実に食べ過ぎてダイエットをしてる国があるかと思うと 食べ物がなくて道に落ちた物を砂利と一緒にかき込む様な貧困もあります 彼等の為に自由と平等が行き渡るような そんな思想はないでしょうか? それを生み出すのが我々恵まれた国の使命ではないでしょうか? どうも大変ありがとうございます。

  • 2014japan
  • ベストアンサー率22% (35/159)
回答No.5

文面からみると、あなたは哲学者なのでしょう。 悩める人々とは誰でしょうか? 誰が何を悩んで、希望をもたらす思想によって悩みが解決するのでしょうか? それと、エスペラント語、国連、オリンピックは悩める人々とは無関係です。 人口爆発、地球温暖化、宗教対立、エネルギー問題、内戦や格差社会、過競争・・・ これらは社会問題であって行政の範中であり、世界中の専門家、行政で解決に向け対策を考えていますよね。 私は将来に希望を持っていますし、多くの方が希望をもって生活をしているはずです。 どんな思想でも人を救うことはできません。 神の子であるイエスのキリスト教さえ出来ないことが、多少の哲学的思想で全人類を救うなどとは不可能だと思います。

yuniko99
質問者

お礼

出来ないと思ってしまえばそれまでです 可能性は0ではないはずです。 行政では解決できない問題が多いのは明らかです 一人一人の良心に訴えかける必要があるのです どうもありがとうございます。

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  • 私の考えについて意見してほしいのですが。

    特に哲学について大学などで学んだことは全くないのですが(経営学部)、自分の身体操作技術論の発展過程で、東洋武術的身体論に、釈迦の至った「悟り」と最近の国際的なマルクス論の展開とに共通性を感じています。 具体的に 1 物事全般における三次元性 人の物事に対する視点や認識は二次元的であり、平面的である。また、それはスポットを当てたかのような範囲的な狭さも含んでいる。 2 釈迦の「悟り」と身体操作技術的観点から見た身体論 身体操作において身体の分割を考えた場合。それを分割していき中国武術(意拳)の王郷齋が至った細胞レベルまでの意識的身体分割そしてその統合。その延長線上に釈迦の「悟り」、(私の解釈では)宇宙との同化であり、具体的には素粒子レベルでの意識的身体分割によって宇宙という存在と釈迦自身との差異がなくなったのではないか。そして統合=宇宙との同化を「修行」(=おそらくは呼吸法やヨガ的なもの)を進め、「宇宙=自身」というものを「体感」し得た。 3 最近の国際的なマルクス論の展開 身体の分割=分業であること。そして、資本主義(ネグリの帝国)において内部でうごめくグローバルとローカルの二元的対立は、=輪廻。最終的な「共産主義」(でなくても現在の資本主義という枠からパラダイムシフトしたポスト資本主義社会)とは釈迦の至った輪廻から抜け出ること。 (今のところ)以上から 4 我々は宇宙(=自然=神)の一端 その一端である限り現実にそれを超越することはできない。すなわち終局的には、宇宙との同化。「宇宙との同化」をピラミッドの頂点としたとき、人間の行動や思想はそこへいたるプロセスに過ぎない(中でうごめく物事について人間というフィルターを通してみたときの是非はあるが)。 自分でもまだ淀んだイメージなので非常にわかりにくいと思いますが、こういった考えに意見してください。

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