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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:江戸時代の書状。「殿」と「様」の使い分け。)

江戸時代の書状。「殿」と「様」の使い分けについて

dayoneの回答

  • dayone
  • ベストアンサー率79% (360/452)
回答No.7

続きまして 諸事情により分割投稿御容赦下さいm(_"_)m 老中側「奉書(殿)・書状(様)」の書き分けは、例えば下記でも確認出来ます。 ・対馬宗家文書の世界 http://www.kyuhaku-db.jp/souke/database/public/ >通常検索へ http://www.kyuhaku-db.jp/souke/database/public/keyword/ 全体検索(例えばキーワード)「養子」<+表示件数「100件」>で72件ヒット (※デフォルトの表示件数20件のままでは、最初の1頁目は閲覧出来ますが、 次頁に進めない不具合がるようですから、事前に「100件」に変更の必要があります※) 72件中4件ではありますが、「老中書状→宗対馬守様」が裏付けられます。 ・023080401/・032031701/・134040401/・134041701/ また72件中3件ではありますが、「養子願→(宛所)殿」の例もあります。 ・134011401/・134011501/・134011601/ 対馬藩だけでは心許ないので、仙台藩を少し調べてみますと、 ほぼ対馬藩と同様の傾向が伺われます。 ・『大日本古文書.家わけ 三ノ八/東京帝国大学文学部史料編纂所編/1912.3』 「伊達家文書之八」 ○2800/(年未詳)十一月七日/堀田正亮書状 堀田(正亮)相模守→松平陸奥守様 <54/363>(78・79頁) ○2801/(年未詳)十一月十九日/伊達重村書状案 松平陸奥守→堀田相模守様 <54・55/363>(79・80頁) ○2802/寶暦十二(※1762)年四月廿二日/伊達重村假養子願書 松平陸奥守重村→酒井左衛門尉(忠寄)殿・松平右近將監(武元)殿 <55~58/363>(80~81頁) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908889/55 ○2803/(寶暦十三年)五月二十五日/假養子願書ノ返附 酒井左衛門尉→松平陸奥守様 <59/363>(82・83頁) 〇2806/明和元(※1764)年四月廿九日/伊達重村假養子願書控 松平陸奥守→酒井左衛門尉殿・松平右近將監殿・松平右京大夫殿・松平周防守(康福)殿 <60/363>(84・85頁) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908889/60 〇2853/安永三(※1774)年四月廿七日/伊達重村假養子願書控 松平陸奥守→松平右近將監(武元)殿・松平右京大夫(輝高)殿・松平周防守(康福)殿・       板倉佐渡守(勝清)殿・田沼主殿頭(意次)殿 <106/363>(170・171頁) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1908889/106 上記だけで即断は禁物ですが、老中側から大名への広い意味での公用の文書発給において、 「殿」文字の書体、書止文言などによる優劣・重軽の使い分けが出来るにもかかわらず、 「様」文字が導入されたことは、単に敬意の優劣だけでは計れないのは確かなようです。 仮に、奉書の権威をより高めるためと考えても、奉書より軽いはずの事務連絡的な書状に、 より敬意があるはずの「様」の使用では何とも説明し辛いネジレ現象となりますから、 受取人側にその文書の重軽度合が一目で分かる為の配慮と考えるのが素直かと思います。 さて、肝心の大名側から老中などへの文書となりますと、 前記『古事類苑』「文學部六 書簡文」全体を一読した限りでは、 「殿」「様」の書き分け規定・制約等は見当たらず、 また少し的外れではありますが、『徳川禁令考』巻14~巻19等を見渡しても、 精々『徳川禁令考.巻19/司法省/明15.8』 「徳川禁令考 巻十九/法制禁令之部 武家 幕府 法度/ 第二十二章 宰職長官及諸曹勤方條目之六 役人総則之下 第七則 呈書文格」 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/786985/21 <20・21/68>(18ウラ~20オモテ) 寛政二庚戌年正月十一日 越中守書取(引書○憲法類集)の中に 近來應對并書面文通等格別ニ崇敬致候様相成候 右躰者其程々ニ随ひ候儀ニ可有之処處格別ニ而者 却而不敬ニも至候…(以下省略)… などと役人などの老中に対する過剰な文言使用等を戒める程度しか見当たりません。 WEB上の限られた断片情報に過ぎませんから、断定は出来ませんが、 徳川幕府側が奉書・書状などの文書の書き分けを行っていたのに対し、 大名側では幕府からの規定・制約等を受けず、少々のことでは咎められなかった結果、 鎌倉・室町時代以来の武家の書札礼を知る戦国以来の大名家等では、 公用には先例を重んじて「殿」を使い、またそれを知ってか知らずか藩によっては より敬意を込めたかったのか「様」を選択した結果、 (このあたりは平成の「殿→様」現象と同様なのかも)混用が生じたとものかと… そのため、実例が多い方が正で少ない方が誤とか、どちらかが例外とかは言い難く、 ただ例えば文書の本文中に「公方様」の記述を必要とされる場面などを考慮・想定すれば、 私ド素人の私見では、老中への私信で無い限りは組織の一員である老中への宛書きは 「殿」の方が無難であったかと思います。 以上 少しでも疑問解消の糸口に繋がれば幸いです^^

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 すっきりしました。 質問の要点は、江戸時代の公文書、とりわけ大名が老中に出す書状において、宛名(老中)に付ける敬称が「殿」では非礼になるのではないか、というものです。 私は単純に、「様」の方が「殿」より敬意が高いと思っていましたから、老中宛の「養子願い」で老中に「殿」付けを見てびっくりしたわけです。 「対馬宗家文書の世界」は、このようなデータを探していましたので、大変参考になりました。 ある特定の大名が出した手紙をできるだけ多く調べてみないことには、「殿」と「様」をどのように使い分けしていたのか分かりません。 ところが、受け取った手紙は多数残っているでしょうが、出した手紙は相手の方に残るわけですから、調べることは困難です。 しかし、「対馬宗家文書の世界」で調べることができました。 「対馬宗家文書の世界」で「差出・作成」を宗対馬守として検索しますと22件ヒットします。 宛所の敬称は、殿10、様6、宛所記載なし3、記載あるも不明3 です。 様6件は全て書状で、年頭の祝意や暑中見舞いの返礼などの私信です。 殿10件のうち、5件は老中への願書、5件は郷村帳です。 わずか22件にすぎないですが、公文書は「殿」、私信は「様」と使い分けています。 「対馬宗家文書の世界」で宗対馬守が受け取った「書状」で検索しますと、247件ヒットします。 初めの100件だけ見ましたが、発信者が老中、京都所司代、大坂城代、大目付などの役職、また他藩の大名には関わらず、さらに内容が公的・私的に関わらず、全て「様」です。 「書状」ではなく、「老中奉書」で検索すると全て宛所の敬称は「殿」です。 また、「養子願い」について他藩の例をネット検索で調べてみましたが、全て「殿」でした。 さて、老中への願書で“殿”は非礼ではないかという私の質問の答えですが、「非礼ではない」ということが分かりました。 むしろ、幕府への「願書」類は、「殿」で定型化されている、と断言できそうです。 また、断言できませんが、幕府と大名・旗本間、あるいは大名間同士の書状では、宛名の敬称には、「殿」も「様」も使用されているが圧倒的に「様」が多い、と言えそうです。 #8のご回答はまだ読んでいませんが、今のところお陰さまでここまで辿りつけました。

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