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なぜ日中戦争は和平交渉に失敗したのですか?

なぜ日本は日中戦争の泥沼化を食い止める事ができなかったのですか?あそこまで泥沼化する前に、なぜ和平を結べなかったのですか?最大の理由を教えて下さい。

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  • ベストアンサー
  • Yelm
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回答No.4

理由は幾つもあります。 まず挙げられるのが「満州事変の成功体験」です。 当時の日本では数年前、満州事変により電撃的に日本本土より遙かに広い満州を制圧し、満州国を建国、長年に渡り日本外交の大きな課題であった「満蒙の特殊権益」問題を一気に解決しました。 その後も満州国は内戦続きであった中国本土とは一線を画した発展を遂げていると認識されており、この成功体験故に当時の大多数の日本人は日中戦争も日本有利で簡単に片付くと甘く見てしまいました。 そして日中戦争においても日本軍は「快進撃」を続け、広大な地域を占領し、表向きは「戦勝続き」であった事から「満州事変の再来」を夢見てしまったのです。 こうなると軍内部はもちろん政府、マスコミ、そしてもちろん国民世論の大多数も「華々しい戦勝」を望み、中途半端な条件では和平を結ぶことは出来ません。 日本陸軍は国民が送った喝采故にこそ、戦争を止められなくなってしまったのです。 また日本陸軍はもともとソ連を仮想敵国としており、対中国戦が長引くことは望んでいませんでした。 しかし陸軍内部でも戦争拡大派と縮小派の意見が入り乱れて意思統一が出来なかった事に加え、日本軍の作戦思想の問題がありました。 実は日本陸軍において「国力に劣る日本は長期戦には不向きであることから、短期決戦で勝利を収めるべきである」という思想が主流であり、これは中国における拡大派・縮小派の双方が共通して持っていた認識でもあるのです。 そして短期決戦での勝利を収めるため「敵軍の主力を決戦により撃破し、首都など敵国の主要部を制圧する」という「決戦主義」とでも言うべき思想に凝り固まってしまったのです。 このため日中戦争のように戦術的勝利は続けるが、中国軍を殲滅することは出来ず、首都南京を攻略しても中国政府が屈服しないという事態は日本陸軍の想定には無かったのです。 その結果、拡大派は「中国軍を殲滅して戦争を終わらせるため」より大兵力を投入せざるを得ず、縮小派はそれに変わる戦略を提示出来ませんでした。 皮肉にも「短期に戦争を終わらせる」事を目的とした決戦主義こそが日中戦争の泥沼を招いてしまったのです。

mkfdh
質問者

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その他の回答 (6)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11130/34641)
回答No.7

分かりやすくいうと、当時の中国というのは今のアフガニスタンやソマリアみたいなものだったのです。 一応名目上の中国政府は蒋介石の国民党政府でした。だけど、この政府の腐敗ぶりが半端ではありませんでした。「馬賊」と呼ばれる人たちがいましてね。つまり山賊です。山賊の親分が各地を実効支配していて、国民党のいうことなんかちっとも聞かずに勝手なことをしていたのです。 中には、独自の通貨や債券(つまり国債)を発行していたところもあったそうで、つまり中国そのものが国家の体をなしていなかったのです。仮に国民党政府と和平条約を結んでも、その馬賊が従わずに勝手に振る舞ったりしたのです。それで形式上はその馬賊は国民党の配下になるのでなんとかしてくれと国民党政府に申し入れても、はいわかりましたという返事しか返ってこなかったので「国民党とは交渉しねえよ」みたいなことになってしまったのです。 後に第二次大戦になったとき、アメリカは国民党軍を支援したんですね。日本の戦争相手でしたからね。それでアメリカは武器やら弾薬やら食料やらを結構大量に供与したのですが、それがちっとも前線にいきわたらない。どこに行っちゃったのかというと、幹部が横流しして私腹を肥やしてたのです。アメリカから派遣されたスティルウェル将軍はそれを目の当たりにして蒋介石に散々ああだこうだといったのですがちっとも効果がなくて、ついに政府に対して「支援するだけ無駄なので、あんな奴ァ見捨ててしまいましょう!」と具申したほどです。 とにかく当時の国民党政府の腐敗ぶりって、今の共産党政権の腐敗ぶりが甘く見えるほどです。アヘン戦争あたりの清朝もそうだけど、中国が本気で腐敗すると、日本人の想像を絶するレベルになりますよ・笑。

mkfdh
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  • Beholders
  • ベストアンサー率21% (77/364)
回答No.6

一応、停戦協定が結ばれたことがありました。(タンクー停戦協定) ですが、「首都を占領しちまえば関係ねぇ。」とばかりに、日本が一方的に協定を破り首都南京を占領しましたがそれが泥沼戦の始まりだったんですなぁ。 対ゲリラ戦の経験がなかったため読み間違えたのが原因でしょう。

mkfdh
質問者

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  • nacci2014
  • ベストアンサー率35% (200/569)
回答No.5

日本軍の補給がうまくいかなかったという点がひとつあります。 ある意味の兵糧攻めに日本が遭遇しました 戦争の場合、兵糧は内地から送るのと、現地調達です。ところが国民党軍は撤退の際に食糧庫や作物を焼き払う清野政策という手段で対抗したので日本軍の兵糧は底をつき内地からの兵糧の到着まで進軍できなくなりました。 また中国は国土が広く、人口も多いので攻めても攻めてもキリがないのです。 あとは他の人が 言うような理由があります。

mkfdh
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  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.3

泥沼と感じていなかったからでしょう。 バブル経済の時に「今はバブルだなんとかしよう」としなかったのといっしょ。 http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/ww2-gdp-sai-axx.htm 満州事変が 1931年 盧溝橋事件が 1937年7月 30年 -7.3% 31年 +0.8% 32年 +8.4% <満州事変による軍事費増強 33年 +9.8% 34年 +0.2% 35年 +2.8%  36年 +7.3%  37年 +4.8% <盧溝橋事件 38年 +6.7% <戦線拡大 39年 +15.8% 40年 +2.9% お財布が苦しくなければ、勝っているんだからもうちょっと取り分増やしたいという判断になる

mkfdh
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回答ありがとうございました。

  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.2

日本政府を完全に軍が握ってしまっており、その軍は2.26事件以降、常軌を逸した陸軍の軍人達がその軍を牛耳っていたからです。

mkfdh
質問者

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回答ありがとうございました。

回答No.1

交渉すべき中国の政府がないから。 一応中華民国(蒋介石)政府があるが全国を掌握しておらず共産党や軍閥が別個に活動しているから交渉のしようがない。

mkfdh
質問者

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回答ありがとうございました。

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