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祖母の信仰

私の祖母は夜明けとともに起きます。顔を洗い着替えると外へ出て朝日に向かい拝みながら 「おはようごさます。お陰さまで今日も朝を迎えられることが出来ました。お天道様、どうか一日私達を見守り下さい。」と言って深々とお時儀をして家に入り居間の神棚(天照様・八幡様・天神様)に御供え(お米・お塩・お水)をします。そして二礼二拍手一礼をして「おはようございます。皆様方、お陰さまで今日も朝を迎えられました。どうか一日私達を見守り下さい。」 と言ってお時儀をして同じように台所の神棚(木・火・土・金・水の荒神様)にも御供えとお参りをし家の裏にあるお稲荷さんにも同じように油揚げを持ってお参りをします。 それから祖父や御先祖のお位牌が祀ってある仏壇に御供え(お水・お茶御飯)をして蝋燭を灯してお線香をあげて「おはようごさます。阿弥陀様、お大師様、お不動さん、仏様方、御先祖様、お父さん。お陰さまで今日も朝を迎えられることが出来ました。どうか一日私達を見守り下さい。」 と言って長い数珠を擦ってお鈴を鳴らして拝みます(因みに御本尊は中央は大日如来像)。 更に二階に行き箪笥の上に祀ってある昔亡くなった愛犬の御位牌とその御本尊様である観音様に先ほどと同じように御供えをして拝みます。 その次に隣の部屋に行きやはり箪笥の上に祀ってある若いころに亡くしたという水子さんの御位牌とその御本尊様であるお地蔵さんに今までと同様に御供えをして拝みます。 そして最後に玄関にある大黒様にお供えをして拝んで終了です。 一連の時間はなんと約一時間でした。 夕方は日の入りと共に朝同様「御天道様、お陰さまで今日も一日無事に過ごせました。本当にありがとうございました。」と拝み、さらにお稲荷さんを拝んで、家に戻って仏間へ行き「阿弥陀様、お大師様、お不動さん、仏様方、御先祖の皆さん方、お父さん。お陰さまで今日も一日無事過ごす事が出来ました。本当にありがとうございました。」と言って仏様を拝み、その他の部屋の仏様方にも同様に拝みます。 9時頃になると外へ出て今度はお月さまや北斗七星、オリオン座、さそり座(赤星?)に向かって 「こんばんは。明日もよいお天気になるといいですね。お休みなさい。」と話しかけるようにして手を合わせてお辞儀をして家に戻ります。そして間もなく寝床を掃き布団を敷いて居間と台所の神棚を「皆さま、お陰さまで今日も一日無事過ごす事が出来ました。本当にありがとうございました。」とお参りして寝床に就きます。 なお、祖母は郊外の農家で旧家に住んでいます。神社とお寺の両方のお守りを大切にバッグにしまっています。昼間に出かけている時は行く先々の道端のお地蔵さんや道祖神全てと神社・お寺で手を合わせるという強者です(笑)きっと笠地蔵のお話に出てくるお爺さんもビックリする事でしょう。 私はこんな祖母が大好きです。大自然を拝み御先祖や神仏に感謝の気持ちを持って手を合わせているそうです。 現代では祖母みたいな人はもう過去の話になってしまったのでしょうか? まだまだ世間ではこのような信仰心の篤いお年寄りは健在でしょうか?

  • Tallis
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  • michael-m
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回答No.3

感謝とは人間だけが出来る行為なんです。犬や動物が恩を忘れないといいますけどそれはあくまでも代償行為や習慣などで感謝しているわけではありません。 何かをしてくれるから神に感謝する、願いを聞いてくれたら何かを捧げる・・これは取引であって信仰ではありません。今流行のご利益信仰は信仰ではないのです。 願いというものは心に自然に発生するものです。こうありたい、こうなりたいという願望は自分の先に進もうとする意欲でもあります。さらに神仏に願うというのは心の安静を得られます。コレによってゆとりを持って事に当れるわけです。 さて昨年、テレビで島根県山間部や四国山間部の紹介をしていました。その当時、毎朝近所の田畑を巡り、手を合わせている人が居ました。水辺には水神様、田んぼにはたのかんさぁ、辻には辻の神様仏様。山には山の神様が居るとおっしゃっていました。 何教でもない、それが日本の「信仰」だと思います。まだまだこのような人が居る限りは日本は大丈夫、私はそう思います。

回答No.2

人は、他の動物と違って、生殖可能時期が終わっても死なず、 家族が生き残る上で、重要な役目を果たします。 特に女性は。 知識が豊富で、話上手です。 人間の子供は、おばあさんに育てられるべきです。 さて、 Tallis さんの祖母さんは完璧ですね。 日本のマチュピチュの生活を紹介する。 とか アイヌの言葉を残す。 とか、 NHKは、丹念に取材して映像に残そうとしているようです。 という事は、消える運命にあるのでしょう。 残念です。 世界に誇れる文化なんですが。 余談 人は、人の間で生きる種族で、 感謝の気持ちが、心のステージを高めてくれます。 他人はひと されど仲良し。 そんな暮らしの中で余生を送りたいですね。 世界に勝てませんけどね。 道祖神は 夫婦が手を合わせている形があったり、 毎年お化粧をしたり、 田んぼや人々の暮らしを見守ってくれています。 生きてます。 逆に、 多くの仏像は、金箔が剥がされて、ホコリ臭く、無残です。 日本の仏教は、 血を滲ませ働いた庶民から集めた金で、無駄に贅を尽しています。 権力者や山賊の親玉が残した文化は、大嫌いです。 真言密教以外は、悪徳です。 どうしても、愚痴になりますね、ごめんなさい。 私はよく泣く九州男児です。

noname#205281
noname#205281
回答No.1

けっこういますよ。 私自身、少々感受性が強いので、あちらの領域との縁が深いです。 世間には、私のような人がつるむ(そして集団化する)ケースも多いようですが、私はあまり縁がないらしく孤独なままです。 亡き祖母は霊感がなかったですが、信仰心はそこそこありました。 母は霊感あるのに信仰心ないです。だから、私が不思議な話をしてもバカにされるだけで、身内の誰からも信じてもらえずつらいです。 私の友人の親は、毎朝家から出て、家族一同で、敷地内の表鬼門の神様と裏鬼門の神様まで挨拶してました。 余計なおせっかいでしょうが、犬の供養はやめてあげたほうが犬のためです。 また、「若いころに亡くしたという水子さんの御位牌」が別にまつられてるのには訳がありそうですが(例、今が再婚で、昔初婚の時に亡くした水子だったり)、「家」として、今の家系のお子さんであるなら一緒に仏壇へまつってあげたらいいのにとも思いました。けど、この「例」のように他家の子であるなら、同じ仏壇へいれるのは遠慮もあるでしょうね。 言い方悪いけど、おばあさんはそうすることで自己満足してるので、心の平安を得てるわけです。 つまり健康につながるわけで。 しかし、別の言い方すると、おばあさんがこれだけ徳を積んでくれてますから、子孫の方々は幸せです。

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