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恋愛におけるホンネとタテマエ

makaay5の回答

  • makaay5
  • ベストアンサー率32% (255/790)
回答No.4

就活に例えますが、「貴方が誇れる自分の長所はどこですか?」と就活で聞かれて、「う~ん、特にないですね(笑)」という学生に内定をだす企業はありますか?「我が社は、学生の人間性を重視して採用します!」とほとんどの企業がいいます。でも、学歴に相当なウェイトが置かれている場合もあるでしょう。それを見きわめるのも、就活では重要な戦略の1つではないですか? 恋愛でも同じでしょう。自分の見せ方を知らないと、長所があっても活きません。多くの学生が「御社しかありません!!」とアピ~ルするのと同じように、多くの男性が「私は誠実で正直です!」とアピ~ルします。就活なら学歴。恋愛なら容姿で、飛び抜けた物がないなら、どうアピ~ル出来るかで結果に大きな差が出るでしょう。就活の企業が「人間性を重視して」というように、女性は「誠実で正直な」といいます。それは企業同様に建前の場合も、そうでない場合も含むでしょうね。 就活がうまくいかない学生の多くは「大手なんて学歴だけ!人間性なんてみてない」というでしょう。質問者様は「誠実な人って建前じゃないの?」って聞いてますから、上手く行かない学生と同じです。自分が何を持っているか、自分をどう見せるか?の練り方が甘すぎるから結果が出ない。そして、建前だという論理に落ち着きたがる。恋愛の猛者は<夢>の見せ方よりも、<自分>の見せ方に優れている人の方が圧倒的に多いです。回答者は実戦で傷ついてきているから、それが身に染みています

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  • なんで,あんな人を選ぶの!?

    いわゆるパートナー選びにかんして,ほんとうの意味において,「ぴったりの相手」をパートナーとして選んでいる人々は,いるのでしょうか? 参考までに: 夫婦間のトラブル,カップル間のトラブル,そういったもののなかには,数はとても限られていますが,いわゆる犯罪行為に発展するものがあります。 さらには,いわゆるセクハラ,デートバイオレンス,家庭内暴力など,さまざまな問題をかかえているカップルは,少なくないと,わたしはおもいます。 そういった問題について考えていくうちに, 「なんで,当事者は,“あんな人”(パートナーに暴力をふる人,たとえば)をパートナーとして選んだのか?」 という「疑問」にたどりつきました。 「世の中には,カップル間における人間関係にかんして,犯罪行為をするような人々がいる一方で,まじめで,パートナーとの信頼関係を重んじる人々がいるのだから,なぜ,そのような人々を選ばなかったの? まゆにつばをつけたのか?」 パートナー選びに「失敗」してしまった人々が,すご~く,いっぱいいる,ということになるのでしょうか? そういった「問題」のことを考えるたびに,恋愛とは,いわゆる「テクニック」ありきのようなものであり,いわゆる「実直な人」,「正直な人」,「誠実な人」は,恋愛という面においては,「つまらない人」,あるいは,「損ばかりをしてしまう人」であると,そのように思うときがあります。 わたし自身のことですが,わたしには,恋愛経験はありません。恋愛にかんするテクニックなども,ありません。 「ウソをつかない」,「相手を裏切らない」,「相手を尊重する」,「相手をいたわる」,「パートナーの,のぞみをかなえるために頑張る」 恋愛関係にかんするスキル的なものとしては,こういったものしか,わたしはもっていません。いわゆる「堅物」,「つまらない人」と思われても,仕方がないのかもしれません。

  • 何をすれば彼氏・彼女ができるか?

    パートナーを求めている人々にとって,最も興味を示すことは,「どんなこと」をすれば,パートナーをつくることができるか?,です。 趣味をもちなさい,特技をもちなさい,アウトドア派になりなさい・・・ このような「意見」をする人々が多くいます。しかしながら,趣味をもっているからといって,特技があるからといって,アウトドア派だからといって,パートナーが見つかるわけではありません。 結局のところ,確実にパートナーを見つけるための,たったひとつの「アクション」を,パートナーを求めている人は,必要としています。 パートナーを求めている人々からしてみれば,膨大な数の意見やら提案に振りまわされているだけで,「試しに私と交際してください! どんなことがあっても,私を受けいれてください! 損はさせません!」というのが,ホンネだと思います・・・