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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「です・ます体」と「である体」の説明に誤りが…)

「です・ます体」と「である体」の誤解について

このQ&Aのポイント
  • 「です・ます体」と「である体」の説明に誤りがあるという疑問が浮かびました。
  • 「いますぐ本を書こう!」(ハイブロー武蔵・著)には疑問を感じる記述がありました。
  • 「です・ます体」では名文エッセイを書くことができるとされる一方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマに書く場合は「である体」が無難とされています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.32

#31です。 >正 解 (←「エッセイを書きたいあなたに」) ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されかねないからです。 : ありがとうございます。 なるほどですね。 興味深く拝見いたしました。 結局、木村氏は、 エッセイを書く際の手法として、「である体」が無難であることの直接的な理由を述べたかったのではなく、「です・ます体」を使うことによる危険性のほうを強調したかったのでしょうね。 >「ただでさえ」という文章においては、その後に続く言い回しは限定されます。 「ただでさえ・・・である(肯定)」とくれば、その後は「・・・である(肯定)」と続きます。 「ただでさえ・・・でない(否定)」とくれば、その後は「・・・でない(否定)」と続きます。 : この点に関しては異論があります。 たとえば、 『他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。 なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されることがないからだ』 であれば、特に違和感は生じないでしょう。 または、前回も述べましたが、(「です・ます体」によって)のように()を付けるだけで十分自然な文になると思います。 仮に木村氏が、「である体」が無難であることの理由を直接的に述べたかったとすれば、このような文になったことでしょう。 いずれにせよ、一段落を迎えたようで喜ばしいことです。 muimusakuさんの粘りが功を奏したのでしょう。 こちらは却って勉強させていただきました。 ありがとうございます。        

muimusaku
質問者

お礼

hakobulu さんには全回答数36のうち、15件の回答を頂きました。 お手数をおかけして申し訳ありませんでした。 おかげさまで何とか解決しました。 ありがとうございました。

muimusaku
質問者

補足

>ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが増幅されることがないからだ 違和感を感じるのですが、どうしてでしょうか。 A. 「ただでさえ…になりがち」である ⇒「です・ます体」を用いればさらにそれが強調される(増幅される) と言いたいのであれば、 >ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」により増幅される(されかねない)からだ。(例文A) となるかと思います。また、 B. 「ただでさえ…になりがち」である ⇒「である体」を用いればそれは抑制される(増幅されない) と言いたいのであれば、 >ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「である体」により増幅されないからだ。 となるかと思います。(例文B) しかし、「ただでさえ」を用いた文章としては例文Aの方が私にはしっくりきます。 かつて、「まったく」とか「全然」とかの言葉は、その後に否定形を伴うと言われていました。しかし、現在はそういう約束事はないようです。これと同じように、「ただでさえ」についても決まった用法はないということなのかもしれません。 >いずれにせよ、一段落を迎えたようで喜ばしいことです。 確かに、大きな関門は突破できたかと思います。皆さんのご協力のおかげです。

その他の回答 (35)

  • caf-caf
  • ベストアンサー率64% (1414/2208)
回答No.5

>(補足です) 下記の部分の表現が言葉足らず(不適切)ではないかと、私は思います。「から」が重複している上に、肯定表現と否定表現が混乱しています。 なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 ↑ここまで補足、お礼いただきました。ありがとうございました。 >「である体」が無難ではないかという。 「である体」が無難が前提ですね。 >なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 ただでさえ~~から、←ただでさえ~だからの言い回しは正しいですね。 >ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが、 >「です・ます体」によって増幅されないから(「である体」のほうが良い)。 言葉を換えて考えてみます。 >他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。 なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 「です・ます体」をチョコレートクッキーに、「である体」をノーマルなタイプのクッキーに置き換えてみます。 クッキー(エッセイ)は、ノーマルなタイプ(「である体」)のほうが無難ではないかという。 ただでさえ甘いチョコレートクッキー(ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン)が、「中に入れるチョコレート」によって、増幅されないからという理由だ。 かっこは、元の文の置き換えです。かっこをはずして読んでみても、文章としておかしくはありません。 「から」の重複はおかしいとは思いますが、文章の意味合いとしては正しく感じます。 >エッセイと書くときには、「である体」が無難 1文目に、「である体」が無難だと述べ、 >ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから 2文目に、ただでさえ甘く~~トーンが、「です・ます体」によって増幅されないからと、理由を述べています。 このエッセイストは、評論や論説には「です・ます体」が良いが、エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。 アイスクリームはチョコレート入りのほうが良いが、クッキーはチョコレートの入っていないノーマルなほうが無難だ。 なぜなら、ただでさえ甘いクッキーが、チョコレートで甘さを増幅されない(で済む)からだ。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。問題は解決しました。理解するのに戸惑ったのは、著者の引用に間違いがあったためでした。 >このエッセイストは、評論や論説には「です・ます体」が良いが、エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。 このエッセイスト(木村治美氏)の言いたいことはそういうことだと思います。 しかし、ハイブロー武蔵氏はそのことを自分の著書で紹介するのに間違った言い方をしていました。 つまり、「増幅されない」は間違いで、「増幅される」というのが 正解です。「です・ます体」では「増幅される」恐れがあるために、その恐れのない「である体」を使うことを提唱している訳です。 (誤)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 (正)なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されるからという理由からだ。

muimusaku
質問者

補足

>エッセイは増幅されないほうが良いから、「である体」のほうが無難だと述べています。 このエッセイスト(木村治美氏)がエッセイには「である体」を推奨するのは、「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」が、増幅された方がいいと思うからではないでしょうか。 しかし、こういうふうに解釈しても、疑問は解消しません。それは「ただでさえ・・・」という箇所です。 「ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーン」とは何を言っているのでしょうか。表現がおかしい(言葉が不適切、あるいは言葉足らず)ような気がしますが、どうでしょうかね。

  • beest002
  • ベストアンサー率12% (51/421)
回答No.4

です・ます そうですね。男性が使われると 若干気合いが感じられる気がしますが 丁寧で 好感が持てると思います☆

muimusaku
質問者

お礼

「です・ます体」は主張が弱く感じられるという意見もあります。すなわち、はっきり主張したい場合には「である体」の方がいいということです。 ただし、強く主張すると、「尊大だ、生意気だ」と思われるかもしれません。 回答ありがとうございました。

  • caf-caf
  • ベストアンサー率64% (1414/2208)
回答No.3

>「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村治美氏は、評論や論説に「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこなくて、やわらかく自己表現できるのではないかと述べておられる。 「です・ます体」で名文エッセイを書かれる木村氏は、あくまで名文エッセイストであり、この「いますぐ本を書こう」に載っている文章のイロハを読む必要のある初心者とは違う。 その木村氏は、評論や論説では「です・ます体」を使えば、読者がカチンとこないのではないかと述べている。 >他方、女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイと書くときには、「である体」が無難ではないかという。 他方(その一方で、という意味)、女性がエッセイを書くときには、「である体」が無難ではないかと(木村氏は)いう。 >なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 評論や論説では「です・ます体」を使えば良いのではないか。 一方で、女性がエッセイを書くときは、「である体」が無難ではないか。 なぜなら、「です・ます体」によって増幅されないから(という理由から)だ。 どこが誤植なのでしょう?僕はどこも誤植とは思えず、内容が正しく続いて書かれているように感じました。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 (補足です) 下記の部分の表現が言葉足らず(不適切)ではないかと、私は思います。「から」が重複している上に、肯定表現と否定表現が混乱しています。 なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。

muimusaku
質問者

補足

>「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 この「増幅されないから」というのは「増幅されるから」の間違いではないでしょうか。 「です・ます体」では増幅されるから、「である体」を使った方がいいということではないでしょうか。

  • CC_T
  • ベストアンサー率47% (1038/2202)
回答No.2

良い文章ではないですが、誤植ではないでしょう。 ・「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 ・「である体」では増幅されないからだ どちらも同じ意図を指しています。 女性が書くエッセイは甘く感傷的で自分本位なものになりがちなので、そのトーンが「です・ます体」によって増幅されてしまわないよう、そういう文章では文体として「である体」を使う方が無難である、という意見ですね。 同文章は 「なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが、「である体」を使う事によって弱められるからだ。」 などと書き換えられるでしょう。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 (補足) 正しく理解していないところがありましたので書き直します。 著者が言いたいのは、 女性が日常生活や花鳥風月をテーマにエッセイを書くときには、「である体」が無難 (その理由) ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないから  ↓ 「です・ます体」では増幅されない  ↓ 「である体」では増幅される  ↓ 増幅されたほうがいいので、「である体」が無難 以上です。

muimusaku
質問者

補足

>「である体」を使う事によって弱められるからだ。 著者が言いたいことはそういうことだと思います。しかし、 >「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 この「増幅されないから」というのは「増幅されるから」の間違いではないでしょうか。 「です・ます体」では増幅されるから、「である体」と使った方がいいということではないでしょうか。

  • hanzo2000
  • ベストアンサー率30% (552/1792)
回答No.1

引用していただいた箇所を読んだ限り、 私も誤植ではないかと感じました。 ----- なぜなら、ただでさえ甘く感傷的に自分本位になりがちなトーンが「です・ます体」によって増幅されないからという理由からだ。 ----- この箇所の「増幅されないから」に誤植がありそうに思えます。 本来は、たとえば 「増幅されてしまうから」 「増幅されるから」 「増幅されやすいから」 「増幅されやしないか」 など、増幅に対する肯定の言葉が入るはずだったのではないでしょうか。 「増幅されないから」「理由から」と、 「から」が重なっているのも気になりますね。 何かのミスがあったのかもしれません。 正解は著者のみぞ知る、ですけれど。

muimusaku
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 著者にこの質問をぶつけてみたいと思います。

muimusaku
質問者

補足

>「から」が重なっているのも気になりますね。 確かに、「から」の重複はおかしいと言えます。ここは (誤) 「増幅されないからという理由からだ」 (正) 「増幅されないからだ」 であるべきです。

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