• 締切済み

インタナショナルなインタムライズム

 インタムライズム。 Inter-mura-ism .  これを 掲げます。  ムラは市町村です。  自由なムラムラのあいだの自由な連携・連合を言います。  お二階さんは お休み願います。  さむらいの世を終わらせたことがあるので その栄誉をたたえつつ。  日本だけでは 機能しないところが出て来るかも知れません。安全保障のもんだいがあります。国際的な村際主義です。  経済的・文化的そして共同自治的に自由なスサノヲ市民らが自由に連帯するきづなであり 社会運営の方式です。  世界のムラどうしで そのムラ議会議員を互選するところまで持って行きます。  企業を巻き込まなくてはならないようです。  ご批判をどうぞ。  賛成票もどうぞ。あるいは何が足りませんか?

みんなの回答

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

B様、こんばんは。 >「経済的・文化的そして共同自治的に自由なスサノヲ市民らが自由に連帯するきづなであり 社会運営の方式です。」 まずは、地方自治なのかな。 そう、お見受けしました。

bragelonne
質問者

お礼

 そうですかね。  ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.2

政教分離が出来てから批判をする オームや幸福実現党を議論する意味は無い

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ オームや幸福実現党を議論する意味は無い  ☆ 後者は 鵺のような存在ですから 分かる気もしますが 前者は やはりその歴史から教訓を得ておかねばならない。ゆえに そのときの批判の仕方や内容については 互いに議論しておくことになるかと考えますが どうでしょう。  ★ 政教分離が出来てから批判をする  ☆ 理論じょうあるいは制度じょうは すでに出来ています。よ。いまご批判をどうぞ。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#195588
noname#195588
回答No.1

saMskAra http://spokensanskrit.de/index.php?tinput=saMskAra&direction=SE&script=HK&link=yes&beginning=0 もともとは儀式のことらしい サンスカーラ。もしくはサンカーラ。 sacramentの意味もあるらしいが、 仏教では形成力とかになっている。 そうなってくると、サンスカーラを意志とかエネルギーと 訳せるのだろうか?と思ってくる。 十二因縁とか、般若心経にも出て来るサンスカーラ。 一個人が生きる死ぬであれば、サンスカーラを抑制するにしろ、 滅するにしろ、肯定するにしろ、たかが知れているけれど、 まあ、輪廻の世界観を前提にしていれば、 再生は苦である以上、仏教はサンスカーラを止滅しようとするだろうし、 扱いの微妙な密教でも、肯定というよりは、利用することで、消費させるという方向性だろう。 この、サンスカーラを現実的な問題にすると おそらく、エネルギー問題になると思う。 この場合、輪廻はリサイクルとか循環社会? で、原発の話になると思う。 サンスカーラを止滅させるなら、脱原発になるだろうし、 どこまでも肯定していくなら、原発推進だろうし、 なにがいいんだろうね、とか 仏教の問題を考えてたら一周して サンスカーラに戻ってきたから、 時流に乗って、 エネルギー問題なのかねえ。と思ったりした。 あまり現実的な話はしないようにしているから、 これ以上はいいけれども。 一応、サンスカーラをエネルギー問題にすれば ただの形而上学を社会問題に出来るかもね。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  やっぱり問題にしなきゃならないと思うのですが:  ★ ~~~~~~~~~~~~  まあ、輪廻の世界観を前提にしていれば、  再生は苦である以上、仏教はサンスカーラを止滅しようとするだろうし、  扱いの微妙な密教でも、肯定というよりは、利用することで、消費させるという方向性だろう。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 仮りに輪廻が 転生ではなく 一生のあいだの六道輪廻を言っていて これを繰り返すのはダメだ その悪循環を断ち切りなさいという意味での《再生は 苦であり この苦からの解脱》をさとりとしてかかげるのだとしても そうだとしても  その解脱は わたしがわたしである自然本性に立ち帰ればよいだけだと考えます。  つまりは 苦や煩悩の繰り返しがどうであろうと もとの我れに還ればよい。というただそれだけのことだと考えます。即身成仏ないし即得往生と。  だってそのために ブッダターを想定しかかげているのですから。  ブッダターは 煩悩≒渇愛≒無明≒苦の連合軍よりつよい。というのが 相場です。  ★ サンスカーラを現実的な問題にすると  ☆ 縁起説に立つなら 直接・間接の原因および人びとの社会行為 これらの錯綜して関係する構造のことを サンスカーラと言うかと思うのですが そうしますと:  ★ ~~~~~~~~~~~~  おそらく、エネルギー問題になると思う。  この場合、輪廻はリサイクルとか循環社会?  で、原発の話になると思う。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ と話をすすめるとき やはりまづは価値中立的に その仕組みをあらわす循環的な構造を言うと思われます。  つまりまづは《原発》をもふくめたエネルギー循環の話になると思われます。サンスカーラは これをひとまづ全体として表わす。  ですから揚げ足取りですが  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~  サンスカーラを止滅させるなら、脱原発になるだろうし、  どこまでも肯定していくなら、原発推進だろうし、  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ というふうにはならないのでは? つまり サンスカーラを《止滅させる》という発想にはならないのではないかと。    だから  ★ なにがいいんだろうね  ☆ ということだから まるで揚げ足取りなのですけれど。エネルギー源の組み合わせの問題であることは共通であって分かりきっているのに 物言いを挟みました。  もしサンスカーラを 形成力や生命力として捉えるのなら それを《止滅する》という発想は やはりおかしいのではないか。ブディズムは とてつもないことを考えている。だから その点では 分かるように説明して欲しいとなると思います。  原発問題は 足場を移して行くかも知れないですね。インタムライズムに立つムラムラの発想と連携とによるという足台。電力会社も何々会社も みなムラムラの次元で行動して行くようになることを目指したいと考えます。競争は別のかたちで残りましょうか。  A 国 a ムラと B 国 b ムラと C 国 c ムラから成るインタムライズム=かつ企業の連合と L 国 l ムラと M 国 m ムラと N 国 n ムラとから成るインタムライズム=かつ企業の連合との互いの競争になるかも分かりません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • アマテラス公民の世は終わらせるがは どうですろうか

     インタムライズム。 Inter-mura-ism .  これを 掲げます。  ムラは市町村です。  自由なムラムラのあいだの自由な連携・連合を言います。  お二階さんは お休み願います。  さむらいの世を終わらせたことがあるぢゃきに その栄誉をたたえつつ。  日本だけでは 機能しないところが出て来るかも知れません。安全保障のもんだいがあります。国際的な村際主義です。  経済的・文化的そして共同自治的に自由なスサノヲ市民らが自由に連帯するきづなであり 社会運営の方式です。  世界のムラどうしで その議会議員を互選するところまで持って行きます。  3.11をきっかけにして どうですろうか? 

  • あたらしい政党 どういうものをつくりたいですか?

     みなさんのお持ちのお考えをのべてください。  質問者としては ちょうどいま別様に質問をもしていますように インタムラ(村)イズムです。インタナショナルなインタムライズムです。  徹底的に 市民社会――ムラ(市町村)としての共同生活および共同自治――をおもんじる理念に立つのが基本です。あとは その時代その局面におけるじっさいの動きとして 政策等を考えて行きます。  ムラムラの共同自治を互いに重んじ これを相互に活かし着実にいとなんで行く成り立ちです。  そんなに地域主権・住民自治が重要なら いわゆるお二階の公民圏にまで足を運ばなくてもよいではないか? という場合には 基本的に現在の情況・現在の現実にはたらきかけるには 《権力を回避せよということではない》という考え方に立ち お二階まで足をはこぶことがあり得ます。  ほんとうは このお上ともいうべきお二階さんたちに さらに一階へと大政奉還しなさいと言いたいところです。  みなさんは どうでしょうか?  いま現在としては コーヒーブレイクのようなものですので 気軽にどうぞ。

  • あたらしい政党 どういうものをつくりたいですか?

     みなさんのお持ちのお考えをのべてください。  質問者としては 志向性の問題として インタムラ(村)イズムです。インタナショナルなインタムライズムです。  徹底的に 市民社会――ムラ(市町村)としての共同生活および共同自治――をおもんじる理念に立つのが基本です。あとは その時代その局面におけるじっさいの動きとして 政策等を考えて行きます。  ムラムラの共同自治を互いに重んじ これを相互に活かし着実にいとなんで行く成り立ちです。  そんなに地域主権・住民自治が重要なら いわゆるお二階の公民圏にまで足を運ばなくてもよいではないか? という場合には 基本的に現在の情況・現在の現実にはたらきかけるには 《権力を回避せよということではない》という考え方に立ち お二階まで足をはこぶことがあり得ます。  ほんとうは このお上ともいうべきお二階さんたちに さらに一階へと大政奉還しなさいと言いたいところです。こればかりは インタナショナルなかたちが必須の条件になるかと考えられます。  みなさんは どうでしょうか?  いま現在としては コーヒーブレイクのようなものですが 気軽にどうぞ。

  • 国際的なインタムラ(村)イズムについて

     思うところを述べてください。  世界のムラ(市町村)どうしが 国家を放っておいて――といっても 妨害されないように必要な段取りをとらなければいけないでしょうが―― いろんな方面であらゆる分野において 交流するという考え方です。  ムラ議会議員を 互いに選出し 務めさせ合う。交流しあう。  経済交流も人間の交流も 芸術文化においても とうぜん あってしかるべきでしょう。自然環境の問題もあるでしょうし ひいては 安全保障の問題にもなるでしょう。  スコットランドの今回のウゴキは ナショナリズムに過ぎないでしょうか。それとも ナショナルな次元が 厄介物でしかないから 何とかしようと思い始めたのか。  現実に立脚した考え方からする議論(批判)と しかも思想は思想として先駆けることがありうるという見地に立って述べるところとがありましたら どちらのご意見をも自由にのべてください。  具体的な施策などなど あなたのアイディアをおしえてください。

  • ヨリ・イリ・ヨセなる知性の区分からインタムライズム

     1. 世界におけるおのれの位置づけによって 仕分ける。      ヨリ(憑り):世界と未分化なる原始心性:アニミズム・シャーマニズム           前(プロト)歴史知性    イリ(入り):時間的存在なるわれを自覚して世界の内に入った:           歴史知性;《世界‐内‐存在》    ヨセ(寄せ):時間を超えたと《さとった》ととなえ世界の経営にあたろうとする:           ヨリ心性もイリ知性をも寄せてたばねる:           《超歴史知性》;《世界‐外‐存在》  2. ひとは みな あやまち得るスサノヲ人間語をしゃべるスサノヲ市民である。ヨリ原始心性もイリ歴史知性もヨセ超歴史知性も 同じくである。  3. ただし このスサノヲ人間語の内に じつは人間の普遍的な特質もやどると見られている。一般に《人間としての互いのカカハリ(関係性・社会性)》である。マジハリは無くても カカハリの絶無な人はいない。  4. スサノヲ市民が暮らす世界にあって 人と社会とその他の世界について誰もが共にそうだと見とめる事柄を人びとは捉えるようになる。これは アマテラス科学語である。ゾーオン・ポリティコン。  5. アマテラス科学語で捉えた人と人との関係についての見方は 理論と成る。人は互いにひとしく自由だ。この自由は互いにまったくひとしい。うんぬん。これは むろんやはり普遍性を表わすものとして アマテラス人格語と呼ぶ。  6. アマテラス科学語およびアマテラス人格語をまとめて アマテラス普遍語と呼ぶ。  7. 一般に――相対的な意味においてだが――あやまち得ざる普遍語として捉えられるアマテラス語は むろんあやまち得るスサノヲ人間語にもとづきそれを練りに練って得たものである。  8. もしくは アマテラス普遍語は スサノヲ市民が用いる言葉である。ぎゃくではない。アマテラス人格語は スサノヲ人間語の内におさまってこそ 活きてはたらく。  9. アマテラス人格語および科学語によって ヨセなるスーパー歴史知性は スサノヲ人間語なる《ヨリ心性およびイリ知性》をおしえたい・みちびきたい・おさめたいと願った。根負けしたスサノヲ市民らは これに《くにゆづり》した。  10. よって 社会は もとは平屋建てであったが 《くにがゆづられた》あとには スサノヲ市民社会なる第一階とそしてアマテラス第二階との二階建て構造と成った。  11. 社会にも神棚をつくって そこに神聖にして侵すべからざるアマテラス公民を住まわせ ときにはこれを祀っていた。    12. 問題は ずばりひと言で言えば こうである。:ひとの用いる言葉は けっきょく誰にとっても《スサノヲ人間語 ‐ アマテラス普遍語》なる総合的にして構造的な言語だということになる。S語だけというわけではないし A語が突出してしまうものでもない。  13. いかに普遍語と言えども 《超・人間語》はない。同じように人間知性に超・歴史知性はない。ヨセなるズーパーメンシュとしてのアマアガリもしくはアマガケリは 非現実的である。社会に 神棚も雲の上もない。  14. 《スサノヲ人間語 ‐ アマテラス普遍語》なる構造言語をしゃべる一人のひと――基本的に言って広義の スサノヲ市民―― この人間が 社会の経営については ムラオサ(市町村長)として当番制において当たるのがよい。学級委員のごとくすべての人が ムラオサの当番になる。  15. また お二階は要らない。それは ムラムラの連携のために事務処理をつかさどる公務員としてはたらくのみ。  16. このムラムラのつながりは 日本だけでやるのもよいが 世界にひろがるなら もっとよい。  このたたき台についてご教授ください。異論については質問者として食い下がりますが ご批判を歓迎します。

  • 《人間を国家(公)的に》から《国家を人間的に》へ

     姉妹質問です。互いが互いにとって分かりやすくなれば さいわいです。  ここの主題は 《人間化》です。  1. われわれのしゃべる日常の言葉は あやまちうるスサノヲ人間語です。(あやまつは人のつね)。    2. そこから普遍的な要素を抽出し 抽象的になったかたちではあるが あやまたない内容を表わそうとするのが アマテラス科学語です。(主観内容を共有しうる普遍概念の抽出)。  3. 抽象した要素としての言葉は 概念となりますが この概念を用いてさらに良し悪しの価値判断をおこなうと 科学語はアマテラス人格語として――ということは 道徳や倫理規範の問題として――捉えられて来ます。  4. スサノヲ市民たる人間が これら科学語および人格語たるアマテラス普遍語を使いこなすようになること。これが 《人間化》だと考えられます。(口先だけではダメでしょうが そこは誰しもおんなじ)。    5. さてこの人間の人間化をめぐっては 社会として・その形態としては 《国家にあってこそ初めて成し遂げられる》といった見解が出されています。  6. それは A (アマテラス)語をもっぱら駆使することが出来るアマテラス公民を 言わば社会の第二階に住まわせてそこから いまの S (スサノヲ)語にアマテラス語を採り入れるようにさせるという人間化を政策的にも実現させようとするいとなみであるようです。  7. それは スサノヲ市民のアマテラス公民化 または 《 S 語 ‐ A 語 》の二層構造のしかるべき有効な使いこなし これを実現しようとする人間の志向性であるように考えられます。  8. 《ひとは国家において―― A 語公民性の幅と深さを持ってこそ――人間である。それが 人間の自由である》のだとか。  9. けれども 現代の課題は――昔からの志向性をさらに伸ばして行くかたちとしての歴史的な課題は―― この国家をこんどは人間化すること ではないでしょうか?  10. お二階のアマテラス公民をして その人間存在としていかに土臭きスサノヲ人間語をも回復せしめるか?  ではないだろうか。  11. なぜなら アマテラス普遍語は いかに社会秩序を保つという統治のためとは言え お二階さんたちが その《我が家》であるアマテラストゥーム( das Amaterasutum )の名誉や面子を重んじるあまり 《あやまちの無さ》だけを強く声高く言い張るようになっていると見られるから。あやまちをまぬかれる人間はいないのに。アマテラス的な あまりにもアマテラス的な姿を呈するようになってしまたのではないか?  12. 人間は しょせん スサノヲシャフト( die Susanowoschaft )なる大地の住民である。なぜここから飛翔し人びとを措いて単独にアマアガリして その抽象性の世界に閉じ籠るのか?  13. 二階建て構造のかたちはのこったとしても実質的な内容としては 国家をして・そして A 圏公民をしてスサノヲ人間語の回復を得さしめること。《国家を人間的に》 ではないか いまの課題は。  13-1. インタムライズム。公(A語)は 私(S語)の内に自然なかたちでおさめられてこそ 生きる。ムラ(市町村=S圏)が 主権をすでに理論的に持つのだからこれを実践して行くこと。  14. それとも 究極のアマアガリとしての《アマテラス公民からさらに抽象化をおこなった象徴たるアマテラシテ( das Amaterasität; amatérasité; amaterasity )をになう人》のすがた これが 《人間化》のあり方であると言えましょうか どうでしょうか?  15. 天皇 安倍晋三 シーチンピン パククネ バラクオバマ ・・・が 究極の《スサノヲ市民 - アマテラス公民》のしかるべき秩序構造化した《にんげん》でしょうか?   17. 人間の人間化の道は まだ終わっていないでしょうか? お考えをお寄せください。

  • ニーチェとカントの出会いって?

     ニーチェとカントの出会い?  ▼ (三島憲一:ハーバーマスとデリダのヨーロッパ) ~~~~~   デリダの〔ハーバーマス七十五歳の誕生日に際しての〕お祝いの手紙が 《我々の誠実さ》というニーチェの引用で始まっていることを忘れてはならない。デリダとハーバーマスにおいて(ひょっとしてハーバーマスは多少ともいやいやながら) ニーチェとカントが出会っているのである。  理性の欺瞞を告発し 個性と差異を情熱と芸術の名によって擁護したニーチェと 人間を目的として扱うことを哲学的社会論・政治論へと翻訳し 世界市民権を説いたカント 理性と力の癒着の告発がともすると力の理不尽な肯定という迷誤に陥ったニーチェと 理性の哲学がときとして謹厳実直な特定のライフスタイルへの固定化を誘引しがちな道徳主義的カント 政治的にはこれまでまったく違った陣営に位置づけられていた両者が デリダとハーバーマスの《翻訳》を通じて二一世紀にもっと激しく出会うならば――そして すでに二〇世紀の最後の一〇年で確実に出会っているのだが―― それぞれの迷誤と誘引をもう知らない世代の希望が出てくるというものである。  そうすれば ヨーロッパ憲法の挫折はエピソードに終わり 国際秩序の立憲化という《ユートピアなき理想主義》への道がひょっとすると見えてくるかもしれない。  これがデリダとハーバーマスのヨーロッパ つまりエアバスと武器輸出のヨーロッパではない ヨーロッパの自己像である。  そして ひょっとすると 日本の思想の世界でも 《なんとか大学なんとか学会》の習慣も 〔* 日本の学者たちがそれぞれ自分たちの奉じる外国の学者や思想家をそれにたてまつったところの〕神様や偶像を引くだけの《神々の戦い》の時代も終わるかもしれない。ヱーバーがこの表現を使った経験は もう過去のものに属するのだから。  (三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 終章 ハーバーマスとデリダのヨーロッパ p.227 )  ~~~~~~~~~~~~~~~  ハーバーマスおよびデリダについて知りません。どなたか解説してくださいませんか。  いい線を行っている内容であると思います。  わたしの言葉では 《あやまちうるスサノヲ人間語 と あやまち得ざる〔とみなされた〕アマテラス普遍語(科学語および人格語)とのえも言えない融合》ではないかと。  質問者に物言いがあるとしたらそれは わづかに《世界市民権》が 市井の一市民にあるというだけではなく そうではなくそのことが 社会制度としても――つまり 必ずしも国家に頼ることなくあるいは国際連合などといったメタ・アマテラス普遍語次元の機関に頼ることなく 地域のムラ(市町村)じたいの共同自治の体制としても――成っているということ このことを必須の条件とすると考えられることにあります。(インタムライズム)。    自由なご見解・ご批判をどうぞ。  

  • アマテラスお二階さんは 一階に大政奉還すべし。

     アマテラスお二階さんは 一階のスサノヲ市民社会に大政奉還すべし。  いわゆる地域主権について問うものです。  ムラ=市町村 の主体性を発揮する時代へと移行しましょうか?  なぜ大政(ムラムラのマツリをつうじての共同自治)をいまの二階にあるマツリゴトから元の一階スサノヲらのくにに奉還すべきか?  それは もともと平屋建ての市民社会が どうして二階建てになったか? を見てみると分かるはずだ。  すっ飛びの仮説によって考えてみます。       *  1. 感性と理性を伴なった或る知性が 或る日或るとき こころのいと高きところに純粋存在なるまぼろしを見た。  2. イリなる歴史知性すなわち 《世界〔内存在〕への入りをおこなう知性人》 この種の人は このまぼろしをそのままなぞとして心にしまっておいた。  3. ヨセなる超歴史知性すなわち 《世界を押しなべてその知性によって束ね寄せるスーパー知性人 この種の人は まぼろしに取り憑いた。  3-1. その輝く光に身も心もつき従うとの誓いを立てた。いよいよその《いと高き者》に似てきたとき――きわめて人間的な人間になったとき―― 周りを見てみれば このまぼろしには誰も 関心がない。それは 程度問題なのだと澄ました顔をしている。  3-2. ヨセ人は ここであきらめなかった。このまぼろしによって人びとを感化し 世の中を束ね寄せる。そうしてみせる。そうすれば《いと高き存在》の光は あまねく行きわたり世はますます常世(とこよ)の国として栄えるであろう。と踏んだ。  4. このアマテラス種族でもあるヨセなる超歴史知性が 世の中のあり方として平屋建てを嫌い その上に第二階を築きたいと言って スサノヲ市民らに冀ったとき――スサノヲらはとうとう根競べに負けて―― 《くにゆづり》をした。  4-1. ふつうのイリ歴史知性のスサノヲ市民らがおこなう《まつり》は ことごとく第二階によって束ねられ おまけに税を取られ 全体としてその統治が《まつりごと》としておこなわれるようになった。  4-2. かくて 《アマテラス‐スサノヲ》連関制の完成である。くにのいえと言う。家というからには 構造があり 二階建てである。    5. 《ひかり あるいは まぼろし》は どうなったか?  5-1. 《ひかり ないし まぼろし》と現実とのあいだに隔たりがあるとすれば 人びとの発言にも・つまりそれぞれの自己表現である誰の発言にも 本音と建前がある。  5-2. あるいはさらに 二枚舌の問題がある。人びとのあいだで利害の一致がむつかしいとすればその限りで 必然的に現われがちである。――そうでなくてもふつうのイリ人においても ウソでない心とウソの心との相克の問題が ごく一般的に ある。  5-3. それは 広くマ(間・間合い)の問題である。人びとのあいだのそういった心的および社会的な《関係ないし連関》のあり方を問題としうる。ここでは 《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマである。  6. 大政奉還のもんだいは 《 A (アマテラス公民)‐ S (スサノヲ市民)》なる連関制としてのマのあり方を問う。  6-1. 第一階とお二階さんとのマの具合いであり 間合いの取り方であり そこに起こるマチガイをめぐる正し方 こういった問題である。  6-2. 端的に言ってこのマの問題は おそらく一階のマツリと二階からとりおこなうマツリゴトとが逆立ちしている ということではないか? そしてそこから マチガイがつねに起こり得るのではないか?  6-3. 細かくは たしかに第一階においてスサノヲ市民どうしの間でも 仲間と仲間のあいだにマチガイが生じるであろうし お二階さんどうしの間でも 同じような問題が起こるものと考えられる。けれども問題は そもそもは 《 S (大政主権)- A (従属)》の連関だったものが A圏主導の《 A - S 》連関として逆立ちしているというところにあるのではないか。  6-4. つまりは すぐれたアマテラス族の初めの人びとにおいて いくら光り輝くイデアを見たと言っても その《いと高きところ》なる理念の扱いにおいてすでに初めに逆立ちしてしまっていたのではないか。  品行方正なるその人格は むしろ理念に合わせたものなのではないか?  6-5. イリ人は このイデアをとおして――《をとおして》――マツリをおこないカミにささげものをした。ヨセ人は このイデアじたいにカミを見た。あるいはさらにみづからがカミとなった。  6-6. こう見る限りで ヨセ人のヨセ知性は イリ人のイリ知性に対する反措定であると捉えられる。超歴史知性として ふつうの歴史知性の上をアマガケル振る舞いに出た。  6-7. つまりそれが アマテラス科学語およびアマテラス人格語であるが これは アマテラス語方言とよぶべき言語類型である。神聖にして侵すべからずという無謬性の神話に包まれている。つまりその神話につつまれなければ チカラを発揮しえないからである。  6-8. つまりはその無謬性の神話から必然的に現われると言っていいところの二枚舌現象である。  6-9. ゆえにアマテラス語方言であるに過ぎないと言いたい。訛っていなくても 舌が二枚 使い分けられている。  6-10. これに対するイリ人=スサノヲ市民の打ち出す反措定は 無謬性を帯びさせようとする反措定に対する反措定であるから 綜合であり人間のふつうの存在(知性)の肯定であると考えてよいのではないか?   6-11. これが 逆立ちする《 A (アマテラス)‐ S (スサノヲ)》連関制としてのマチガイからのマの回復であり つまりは ムラムラの主権の実現としての大政奉還である。  7. これまでの歴史において アマテラス語方言が社会を覆っていたとしても つまりそれが《不当にも》社会において有力であったとしても 人びとはこれを どういうわけか 難なくこなして来ていた。のかも知れない。  7-1. 時代が変わり社会のあり方が変わり もう《こなす》ことがむしろ出来なくなった。こなす・こなさないの問題よりも アマテラス語方言の誤謬が ただ街を歩くだけでそこら中に見えて来てしまった。また 経済的にも立ち行かなくなった。  7-2. アマテラス公務員の無謬性なる神話がくづれた。  7-3. この A - S 連関というマの逆立ちをただすことがいまの課題であるのではないか?  7-4.  A - S 連関は 社会形態として国家のことであるのだから 現代においてこの逆立ちの逆立ちは じつは国家の止揚として世界史的な課題であるのではないか?  7-5. 国家ゆえに領土問題と戦争と経済戦争があるのだ。(かな?)

  • 【FF7 インターナショナル】の『インターナショナル』とは?

    ファイナルファンタジーの公式サイトでFF7を調べていたのですが、 【ファイナルファンタジー7 インターナショナル】と書いてありました。 インターナショナルとは何なのでしょうか?普通にプレステでも使用できますか? 普通版を買ったほうがいいのでしょうか。それともインターナショナル版を買った方がいいのでしょうか??

  • international

    「international」という単語に「外国の」という意味はありますか? 「国際的な」が一般的ですよね。辞書にも「国際的な」とは載っていましたが「外国の」という意味は持っている辞書にはどれにも載っていませんでした。しかし、ある単語帳には「外国の」という意味も掲載されています。勿論「国際的な」と「外国の」では意味が違いますよね。 「international」にそのような意味があるのでしょうか?