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欧米植民地が消えていく過程
敗戦後教育では欧米の植民地支配は少ししか習いません。 ww2ご欧米の植民地が世界から消えました。その消えていく過程 を知りたいです。すんなり欧米が撤退したとも思えないし、 独立闘争があったと思いますし、撤退契約とかもあったと思います。 今も半植民地であるという噂も聞きますがいかに? よろしくお願いします。
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失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。 私は、歴史に詳しいという訳ではありません。 必ずしも正確では無いかもしれませんが参考程度の回答で、東南アジア諸国や南北アメリカ大陸、中東、アフリカなど地域的に考えるべきだと思われます。 確かに、東南アジアでの植民地の独立のキーパーソンは日本のWW2の影響は排除しませんがインドの非暴力での独立も植民地の独立への影響があったと考えます。 構造としてはww2以前の植民地独立はアメリカの様に入植者の本国からの独立が主であったように思いますがww2以降は現地人、原住民のその土地の民族の独立に移行していると思います。 南アフリカの様にある意味、入植者の独立ではなく、本当の独立は結構、最近に得ている国もあるかと思います。 オーストラリアなどは確かイギリス連邦に属し、未だに総督がいて国家元首は形式上イギリス国王、女王です。 テーマとしては「あまり習わない」とおっしゃるこの部分は逆に大事な気がします。 端的にいえばww2以降、諸々の理由で徐々に宗主国が撤退していったこと。 想像ですが、労働力をアフリカから植民地へ、生産物をヨーロッパへと言う時代はとうに過ぎ、世界的な人権に対する気運もあり、アヘンを売って最終的に宗主国に茶や絹、陶磁器を購入等と言う時代でもなく、現在となっては必ずしも植民地から宗主国に利益や貴重な生産物がもたらせなくなった。とか?必ずしもその生産物が貴重でもなくなったとか? 利益や経済に影響が大きい石油=主に中東は別に勉強する必要があるかと思いますが… 人種差別や人権的な問題なども複合的に影響した。 ざっくりですがキーワードになりそうなことをピックアップすると 参考程度(ウィキペディア等を参考にした) 1919年(大正8年)人種差別撤廃を大日本帝国が国際連盟に提案。 (白色人種からの有色人種の支配と言う構造に一石は投じているかと思います。) …ww2… フランスが1954年までに東南アジア地域からほぼ撤退。 イギリスは第二次中東戦争で中東における影響力が低下。ペルシア湾岸地域を除いて中東地域から徐々に後退、1968年にスエズ以東地域からの撤退を発表した。 1950年代後半になるとアフリカ諸国の北部から独立がはじまる。 1960年はアフリカで多くの国がヨーロッパ宗主国から独立した。 同年12月14日に国際連合総会において植民地独立付与宣言が可決された。(宗主国は反対票ではなく棄権した)しかし、ポルトガル領など依然、植民地のままの地域もあり独立運動が起こった。 1968年イギリスはスエズ以東地域からの撤退を発表し、ペルシャ湾岸諸国が相次いで独立した。 1974年ポルトガルでカーネーション革命(軍事クーデター)が起こり、アフリカのポルトガル植民地が相次いで独立した。
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- SPS700
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見方によっては、欧米植民地は、地図で見える形ではなくなりましたが、依然として存在すると思います。 1。 ことばは、欧米のことばが優位に扱われていないか。 2。 世界の富は、欧米に偏在していないか。 3。 核兵器をもっている国は、どのように分布しているか。 4。 欧米では、知能職管理職に傾き、それ以外は日本の家電メーカーがアメリカ仕様のコンピュータの下請け工場になっているとか、あるいはアメリカの電気会社のメーター読みはフィリピンでリモートに行なわれている、アメリカの航空会社のマイレージの受け答えはインドで行なわれている、と言った形態の「植民地」が、現在も続いているのではないでしょうか。 5。僕は形が変わっただけで、植民地は今も存在する(どころか以前よりも効果的に、密かに、拡張している)と見ています。
- bankill05
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一番の理由は経済的に儲からないということだと思います。 うまくいったのはインドだけだと言われてもいます。 インフラを整備したり教育をしたり軍隊を常駐させたり経費が掛かります。 スペインがインカなどの金銀財宝をもってくるとかではなく、紅茶を栽培して運んだりゴムの栽培から採集と精製からの運搬とかそれなりの投資がいるということがあります。 そして民族自決という考えが始まったこともあります。 倫理的な理由だけではないですが・・・・
- Ganymede
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大日本帝国が唱えた「大東亜共栄圏」は禍々(まがまが)しいプロパガンダだったが、戦後のアジア各国独立の契機にもなった。とは言え、「日本が独立させてやったのだ」などと恩に着せると、ネトウヨに転落する。 なぜなら、「戦後の世界はアメリカ中心に回っている」という現実認識を欠いて、戦前戦中並みの妄想に耽っているからだ。例えばインドネシア独立を概観しよう。 1945年に日本が降伏して第二次世界大戦が終わると、インドネシアは独立を宣言した。しかし、宗主国のオランダが戻ってきて、インドネシアと戦争になった(独立戦争)。泥沼化するとも思われたが、アメリカがオランダに「戦争を続けるなら援助を止めるぞ」と言い渡した。 第二次大戦で疲弊した西ヨーロッパ諸国は、戦後、アメリカから莫大な援助を受けていたのである。オランダはそれを打ち切られたくなかったので、しぶしぶインドネシアと戦うのをやめた。 これこそ、インドネシア独立の決め手となったのであり、それを知らない日本人が多いらしいのは不思議である。戦後の世界はアメリカが中心だったのだから、「インドネシア独立に関しても、日本よりアメリカの影響力が大きかったのでは」と調べてみる気にならないのは、怠慢ではないか。 そして、戦後の世界は第二に共産勢力中心に回っていた。インドネシア独立に関してもそれが見られる。インドネシアの共産主義勢力が、独立闘争を支えた。 そもそも、共産主義のように非道(ひど)いものが、なぜ第二世界(いわゆる東側諸国)だけでなく第三世界(発展途上国)でも勢力を張ったか。彼らは、独立闘争などになると侮れない強みを発揮するからである。共産党には、「民主集中制」、「政治将校」などの仕組みがあるのだ。 インドネシア独立を果たしたスカルノも、共産党の影響力を認め、気配りせざるを得なかった。のちにスカルノは失脚し、代わってスハルトが政権を取ると、インドネシアは反共国家に転じた。 そもそも、日本がインドネシアを侵略する前から、スカルノらはオランダの植民地支配に抵抗し闘争していたのである。その後、日本が引き起こした太平洋戦争が、「インドネシア独立の妨げにはなっても、助けには全くなっていない」というのは、へりくだり過ぎでもあろう。しかし、「日本のおかげでインドネシアは独立できた」というのはキチガイである。事実はその中間、「一つの契機ではあっただろう」と思われる。 日本が降伏したからこそ、インドネシアは独立できた。大東亜共栄圏も共産主義も、いわば暴風雨であり、独立の地固めには役立った。「雨降って地固まる」である。 1960年、国連総会で「植民地独立付与宣言」が採択された。「外国による人民の征服、支配及び搾取は、基本的人権を否認」するものであり、「国際連合憲章に違反」していると、高らかに宣言された。長年にわたって暴威をふるった植民地主義は、ついに公式に否定されたのである。 私の好きなインドネシア―インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」 http://www.geocities.jp/indo_ka/buku_pelajaran/bahasa_jepang2.html 〔引用開始〕 インドネシアの高等学校で使われている歴史教科書の一部を翻訳し、内容を紹介いたします。 〔中略〕 2006年6月、メダンのGramedia(大手書店チェーン)で購入したもの。記述の対象となる時期は、1942年の日本軍による占領時代開始から現在まで。高校3年生向け。 〔中略〕 日本による占領期間は短かったとはいえ、長期にわたったオランダ時代に受けたよりも遥かに重い苦しみをインドネシア国民は体験することとなった。 〔中略〕 よく見てみれば、日本の方針は反生産的(つまり、目的と結果でお互いに矛盾している)であるように見える。つまり、食料増産のための努力は、次のような原因のため失敗した; 〔中略〕 多くの地域で飢饉が発生した。 〔中略〕 つまり、日本によって占領された他の地域と同様に、インドネシアはその国民が極めて苦しめられた国であったと言えよう。日本民族による残虐行為は西欧民族が犯した残虐行為を超えていた。 〔中略〕 インドネシアでの日本による搾取は天然資源に対してだけではなく、人的資源に対しても行われた。 〔中略〕 労務者の動員はしばしば非人間的なものだった。労働環境は劣悪だった。重労働であり、食料は十分に与えられず、衛生状態も不適切だった。そして厳重な監視下の元、休息時間は短く、ミスは重く罰せられた。多くの労務者たちが、ビルマ、マラヤ、サラワク、ベトナム、ソロモン諸島などの海外へ送られていった。その多くが、送られた先で死亡した。 〔中略〕 また別の側面もあった。 〔中略〕 肯定的な影響としては次のようなものである; 〔中略〕 d. 多くの青年達が軍事知識・技能を習得した。それはやがて独立を守るための土台となった。 〔引用終り〕
- Tacosan
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いや, 基本的に 植民地→日本の侵攻→もとの植民地→独立 という流れだったかと>#4. 少なくとも「戦争の終結とともに独立」はしていません. いちばんドタバタしたのはベトナムだけど, 他の国もだいたいゴタゴタがある.
- oignies
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少なくとも東南アジアにかんしては、ビルマのあたりまで 日本の占領下にはいっていたのですが、戦争の終結とと もに独立したのではなかったかと思います。 欧米領→日本領ーーー(終戦)→独立 なので、直接の独立は実質的には日本からだったりしま す。
- princelilac
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日本の「大東亜共栄圏」というと、軍国主義の象徴のように言われますが、当時アジアでは日本とタイ以外は全て植民地として、欧米列強の手に落ちてしまいました。王朝は断絶され、王国はその歴史を閉てしまった例が、枚挙にいとまがありませんでした。その全てが全て軍隊による一方的な侵略行為だったのです。 東京裁判で日本を断罪しましたが、その矛盾に世界各国が気がついたのです。しかし日本の国内では厳しい言論統制のもと、政治と教育に洗脳されてしまいましたので、「侵略したから原爆を落とされた」と思いこんでいる人が多いのです。1960年代の植民地の独立は、まさに日本が目指したものだったのです。
- 0fool0
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契機は日本の活躍です。 有色人種でも白人に劣っている訳ではない、戦える、と印象付けたのです。 其れまでのロジックでの、白人は神の使いで叶わないという発想であったのが変化したのです。 「科学技術は教育さえ受ければ、人種に限らず使いこなせる」事実を日本人が証明したのです。 そして其れを知った各植民地の人々は立ち上がりました。 統治に手を焼く様(過剰コスト)になった欧米は徐々にその支配権を手放して行きまして、今に至ります。
- lv4u
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欧米の植民地支配が消えていったのは、日本が欧米を相手に大東亜戦争を開始したからです。 大東亜戦争は、デタラメな東京裁判では、日本が悪く言われていますけど、その後、マッカーサは米議会で「あれは日本の自衛戦争だった」と語っているように、自衛の為の戦いでした。 また、同時に「人種差別反対」「欧米植民地の解放」を目的にしていました。 ですので、日本が敗戦したあとも、海外にいた日本兵たちが帰国せず、現地の人々を軍事訓練し、共に欧米の軍隊と戦って、植民地解放を実現したケースもありました。 もちろん、植民地解放のために戦って、そこで死んだ日本兵もいらっしゃいます。さっさと日本に帰国していれば、生きて戻れたんでしょうけどね。 もし、日本がハル・ノートを受け入れて、欧米と戦わなかったとすれば、中国、朝鮮半島は、現在は欧米の植民地支配が続いていたはずです。 また、アジアで植民地になっていなかったのは、日本とタイだけでしたけど、両国とも植民地になって現在に至ったでしょう。 アフリカ諸国も独立できず、植民地が現在まで続いたはずです。 そして、有色人種の人種差別(有色人種は人間ではない)っていう戦前の状態が世界で続いていたはずです。
補足
ななんと!中韓だけでなくインドネシアも反日じゃないですか?まじですか?