• ベストアンサー

日本には八百万の神がいるそうですが葬式の神様は

日本には八百万の神がいるそうですね。 かまどの神様→カグツチ・オキツヒコ・オキツヒメ(神道) 三方荒神(仏教) トイレの神様→ ハニヤスビコ・ハニヤスビメ(神道) 烏枢沙摩明王(仏教) 葬式の神様っているんでしょうか? 記紀にはアメノワカヒコの葬儀が行われるという記述があったようにおもいますが 他にもいますか?

noname#190665
noname#190665
  • 歴史
  • 回答数8
  • ありがとう数8

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 60818
  • ベストアンサー率26% (11/41)
回答No.3
noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 貼ってくださったサイトは大変参考になりました。 ●神葬祭は故人の御霊をその家にとどめて、家の守護神となってもらうための儀式です。 ●帰幽奉告(きゆうほうこく)といって神棚、祖霊舎(それいしゃ)に故人の死を奉告します。 http://www.e-osoushiki.jp/osoushiki3-4.html より引用 と書いてありますね。 大変参考になりました。

その他の回答 (7)

  • customar
  • ベストアンサー率17% (68/392)
回答No.8

葬式は世界中の土民でもするでしょう。彼らなりの葬式を。 私にとって葬式ほど嫌いな式もないのですが(インチキ糞坊主と偽善者の政治言動で)、現生人類の特徴が死を考える事であり死者を弔う事ですからね。 霊や神と対話するのが神式でしょ。原理じゃないのです。(キリスト教以前の西洋人とか?、)日本人は単に霊魂と対話しておきましょうという事から式を催すのです。対話の専門家が神職でしょ。お見合いとか役人接待とか親孝行の盃とか、そういうつもりにすぎません。 それを○○神道とか理論武装して世界原理に仕立てて式を機関のようにしたのは、儒教!と仏教の伝来のせいですよ。 土民的な日本人にしてみれば、政府が作り出す権力的な神々もまた八百万として受け入れた次第です。別にアマテラスが偉いとかじゃないでしょう。万物に霊を感じ畏れ敬う日本人の思想は。 その神様に対して何かしておきたければ、掃除して身支度してご挨拶という。対人的なマナーです。故人に対してお別れパーティーを開いてるような純粋な代物であり世界原理とかアマテラスとか全然関係しませんよ。近所の親父が持ち回りで神主役してもいいわけです。

noname#190665
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.7

>どこからこのような見解をお持ちになられたのか、説明をお願いします。 他の方も回答されていますが、元々神道には、神様の担当など存在しません。 仏教が入ってきて、仏教の仏に役割があることから、神仏混合により、役割が自然とできただけです。 神社に御参りするときには、色々のお願いをしませんか? それこそ日本の神が担当を持たない証拠です。 また葬式という概念は仏教が伝来するまで存在しませんでした。 生者の国(常世)と死者の国(黄泉の国)が存在していますが、イザナギにより閉ざされて両国は自由に行き来できなくなります。 そのことは、記紀に書かれています。 ですから、常世には、黄泉の国を担当する神は存在しないのです。

noname#190665
質問者

お礼

おお、再回答ありがとうございます。 >仏教が入ってきて、仏教の仏に役割があることから、神仏混合により、役割が自然とできただけです。 ううーーん、これは難しい問題ですよね。 我々の知っている神道が仏教の影響を受けて成立したものなのか それ以前からあるのか。 ただ、私はもともとの神道の形について質問したわけではないんですね。 回答者さまも「神仏混合により、役割が自然とできただけです。」とおっしゃっている。 これは「神仏混合によって、神道にも○○の神というのが生じた」という意味ですよね? そういう後に生じた神格というものについても含めて質問しています。 また、仏教のみほとけに神という言葉を使うのはおかしい、といわれるかもしれませんが たとえば妙見大菩薩は北極星または北辰の神 虚空蔵菩薩は知恵の神、などともいわれており そういうみほとけについても含めて質問しております。 >神社に御参りするときには、色々のお願いをしませんか? 私には信仰心がないので神社の前で手をあわせはしますが 何もお願いはしていません。 まあ、ふつうの人は神様にお願いするでしょうね。 >それこそ日本の神が担当を持たない証拠です。 いや、それでも○○の神と言われている神様はたくさんあります。 それは前回のお礼のところで説明したとおりです。 回答者様は、それらの神格は神仏習合によって生じたものだとおっしゃいます。 それを証明するのはすでに述べたように大変難しいことです。 (ここで証明してくださっても構わないですが) しかし、それは質問の趣旨ではなく 神仏習合によって生じたのちの神格も含めて問うています。 >また葬式という概念は仏教が伝来するまで存在しませんでした。 いえ、3世紀の魏志倭人伝に葬儀のようすが記されていますよ。 死ねば、棺(かんおけ)はあるが槨(かく=墓室)はなく、土で密封して塚を作る。死去から十余日で喪は終わるが、服喪の時は肉を食べず、喪主は哭泣し、他の人々は歌舞や飲酒をする。葬儀が終われば、家人は皆が水中で水浴び(禊だと思うが、原文の入浴に従った)をする。練沐(練り絹を着ての沐浴)のようである。 http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm より引用 >イザナギにより閉ざされて両国は自由に行き来できなくなります。 そのことは、記紀に書かれています。 確かにそれは書かれてありますね。 >ですから、常世には、黄泉の国を担当する神は存在しないのです。 常世には黄泉の国を担当する神が存在しない、の意味がよくわかりません。 常世も黄泉の国もあの世、死後の世界と考えられます。 常世に王がいたかどうかは知りませんが 黄泉の国の王としてはスサノオがでてきますね。

  • customar
  • ベストアンサー率17% (68/392)
回答No.6

だから各故人が神様なんでしょ。それを担当する神様を呼ぶのは式のための式を考えてる人らの要請でしょう。その神様に来てもらってどうするの?八百万は無駄な神様のための思想ではないと思います。式そのものを擬人化(神格化)する例があるのでしょうか。そんな面倒な式ではないと思いますが。

noname#190665
質問者

お礼

何度も回答ありがとうございます。 故人が神だということですね。

  • customar
  • ベストアンサー率17% (68/392)
回答No.5

キキは私に知的欲求を満たさないので読む気がせず読んでませんが考えれば。 葬式が霊(=神)を対象にしても、儀式の神が別途必要になるのでしょうか。 神式は神様との対話ですよね。死者という霊がいますよね。 式に判事としての神がいるのはキリスト教とかの構図ですよ。神式はその各々の神様のための式だから。 神様というより見えない人格を想定するのが日本の八百万であり権力的な神様沢山の多神教とは関係性が別次元なのでは。ヒンズーなどどうなのか知りませんけど。 お客様は神様です。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 別に葬式の神が必要である、という考えから質問をたてたわけではありません。 もしかしたら葬式の神というのがあるのだろうか、と考えたわけです。 それでアメノワカヒコの葬儀が行われたという記述があることを思い出し、 他にも記紀の中で葬儀をされた人とか、葬儀の神とされている神はありますか、というのが質問の趣旨です。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.4

アメノワカヒコは別に葬式の神ではありません。天命を忘れ、天の使いを殺したので罰を受けただけです。 神道に葬式の神はありません。敷いてあるとすればワカヒコが死んだときに集められたガン、サギ、カワセミ、スズメ、キジですね。これらは動物ですけど、コレを神として祭れば神となります。 神道では自然神や先祖神を神として祀ります。そして神として祀れば神であり、神として祀らなければ霊でしかないんです。 祓い戸の神が特定の神でないように、葬儀においても一人ではなく分担して当たるというのが基本姿勢です。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >アメノワカヒコは別に葬式の神ではありません。 まあ、たしかにそういうことは聞いたことがありません。 ただ、鳥たちがアメノワカヒコの葬式をしたという記述があるので 葬式の神とみなしてもいいのかな、と思いました。 一般に、記紀などに記された神の行いをもって、神の神格とするということはよくありますでしょう。 天目一箇神とか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%9B%AE%E4%B8%80%E7%AE%87%E7%A5%9E >天命を忘れ、天の使いを殺したので罰を受けただけです。 だけです、というのがよくわかりませんが? 回答者さまも、鳥たちによって葬儀が行われたと書いておられますよね? >神道に葬式の神はありません。敷いてあるとすればワカヒコが死んだときに集められたガン、サギ、カワセミ、スズメ、キジですね。これらは動物ですけど、コレを神として祭れば神となります。 動物は神使とされていますね。 たとえば春日大社の神使は鹿であるとか、伏見稲荷の神使いは狐であるとか。 サギ、カワセミ、スズメ、キジはアメノワカヒコの神使だと考えられないでしょうか。 おそらく、昔の人は死んだ人の魂は鳥になると考えていたのだと思うのです。 巨大な前方後円墳などは鳥の視点で作られていると思います。 空の高いところからみなければ、その形が確認できないですから。 それとも、歴史の古い神社でどこかに動物を祀った神社はありますか? >祓い戸の神が特定の神でないように、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%93%E6%88%B8%E5%A4%A7%E7%A5%9E 上記には次のように書かれています。 神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。 なお、この時に禍津日神、直毘神、少童三神、住吉三神、三貴子(天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊)も誕生しているが、これらは祓戸大神には含めない。「祓詞」ではこの祓戸大神に対し「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ」と祈っている。 『延喜式』の「六月晦大祓の祝詞」に記されている瀬織津比売・速開都比売・気吹戸主・速佐須良比売の四神を祓戸四神といい、これらを指して祓戸大神と言うこともある。(上記より引用) これをよむと、祓戸大神とは「黄泉から帰還した伊邪那岐が禊をしたときに化成した神々の総称」であると読め、 回答者さまがおっしゃるように特定の神ではない、ということとは違うように思えるのですが? >葬儀においても一人ではなく分担して当たるというのが基本姿勢です。 と書いておられるところをみると、特定の神ではない、というのは複数の神がいる、という意味なのでしょうか?

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.2

八百万の神は神道に基づく神です。 神道には天国も地獄もありません。 黄泉の国があるだけです。 そこに儒教と仏教が入ってきて、天だ 天国だ、地獄だ、という概念が出来、 仏教が葬式担当になったのです。 だから、葬式はあっても、葬式の神と いうのはおりません。

noname#190665
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 神道には天国に対するものとして、常世の国があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E4%B8%96%E3%81%AE%E5%9B%BD また地獄に相当するものとしては黄泉の国のほかに根の国というのもあります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E3%81%AE%E5%9B%BD ですので、もうしわけないですが、 >神道には天国も地獄もありません。 黄泉の国があるだけです。 というのは間違いだということになると思います。 >そこに儒教と仏教が入ってきて、天だ 天国だ、地獄だ、という概念が出来、 これは、神道が儒教や仏教の影響を受けて成立したものなのか、 儒教や仏教以前より神道はあったのか、という大変難しい問題になると思います。 私たちが知っている神道とはおもに記紀神話にもとづくもので 記紀の成立は奈良時代で、すでに仏教が伝来していますから、 記紀が仏教の影響をうけていないとはいえないです。 しかし、これは質問の趣旨でないので、とばしましょう。 >仏教が葬式担当になったのです。 これについてのソース、またはあなたがそうお考えになる理由を教えてください。 うちの田舎は神式で葬式を行っていますが。 >だから、葬式はあっても、葬式の神と いうのはおりません。 記紀の神代の記述にアメノワカヒコの葬儀を行ったとあります。 アメノワカヒコの葬式は仏式で行ったということでしょうか? 今思い出しましたが、昭和天皇の大喪の礼は仏式ではありませんでしたね。 皇室の葬儀は、飛鳥時代・奈良時代~江戸時代まで寺院にての仏式の葬儀が行われていたが、孝明天皇の三年祭の際に神式が復古され、神道式で執り行われるようになった。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%96%AA%E3%81%AE%E7%A4%BC より引用 それでは再回答を心よりお待ちしています。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.1

日本人の葬式のほとんどが仏式で行いますので、葬式の神様はおりません。 そもそも日本の八百万の神は、特定の事象や物の神ではなく、祓い神です。

noname#190665
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >日本人の葬式のほとんどが仏式で行いますので、葬式の神様はおりません。 いや、うちの田舎は神式で葬式していますよ。 >そもそも日本の八百万の神は、特定の事象や物の神ではなく、祓い神です。 どこからこのような見解をお持ちになられたのか、説明をお願いします。 記紀神話にはたとえば「智慧の神」のように神格をあらわした表現はないかもしえませんが、 「神には特定の事象に対する神徳がある」と考えられていたことは確かだと思います。 いくつかその例を挙げておきます。 ●スクナヒコナ 国造りの協力神、常世の神、医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%8A より引用 ●菅原道真 朝廷に祟りをなしたとされ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神として親しまれる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F より引用 それでは、再回答を心よりお待ちしています。

関連するQ&A

  • 仏教・神道にでてくる仏・神について詳しい本

    仏教・神道関係に出てくる仏や神について詳しく書いてある本を教えてください。 お願いします。 あまりにもありすぎて、どれがいいのかわかりません。 ネット書店だとよく中身がわからない半面、近くの本屋はあまり品揃えがよくありません。 所望しているのは、如来や菩薩、閻魔などの仏教に出てくる仏関係、天照大神や猿田彦などの 八百万の神について詳しく書いてある本です。 情報不足で申し訳ありませんが、本屋で探したものがあまりにも情報不足で仏や神の歴史を ただ書いている、というものだけでした。 正直薄ぺらっかったです。 情報お待ちしております。

  • お葬式の様式

    先日母に、 「私が死んだら、お葬式でフォーレのレクイエムを流してもらいたい」 と本気で言ったところ、 「そういうのは、生前からキリスト教徒だったり、洗礼を受けたりしていないと無理でしょ」 と言われました。 たしかに私の家は神棚も仏壇もあり、クリスマスにケーキを食べるような家で、多分お葬式は仏式です。(曾祖母のお葬式は仏式でした) 父は完全に仏教徒ですが、私は強制されない限り神棚・仏壇に手を合わせることはしません。 私は宗教を信じていないので、自分が死んだ後、勝手に仏式でお葬式が行われ、お経が読まれるのかと思うと凄くイヤなんです。 神葬祭ならいいのか、といわれるとそれもイヤです。 どちらも、自分のお葬式で想像すると鳥肌がたちます。 だからといってキリスト教徒なわけではありません。 キリスト教のお葬式は、どんな様式なのか想像もできないくらい知識が乏しいです。 でも、レクイエムをかけてほしいんです。 理由は、(言葉にすると安っぽいですが)この大好きな曲に見送られて死にたいからです。 「お葬式は残された人のために行うもの」とよく聞きますが、故人の意見は無視なのでしょうか? もし葬儀を行うこととなった場合、別にキリスト教徒じゃない人間でもレクイエムをかけてもらうことはできるんでしょうか? というかそもそも、「故人が特定の宗教を信仰していない場合、葬儀を行うことに意味があるのか?」という疑問が先にきそうなので、それも教えてくださるとうれしいです。 私はまだ高校生なので、これから一つの宗教を信じるかもしれませんし、結婚したら強制的に相手の家の様式に従わなくてはならないかもしれません。 というか、順調に生きればあと70年か80年は生きると思うので、「ガキが何心配してんだか・・」と思う方、「キリスト教をよく知りもしないで何がレクイエム?」と思う方もいらっしゃると思います。 (実際、上の会話をした後、母にも呆れられました(笑) でも私にとってはすごく心配なことの一つで、最近これを考えると夜も眠れません・・。 笑わずに怒らずにいてくださる方、ぜひ回答お願いします! 最後に、宗教の話はすごくナイーヴなことだと思うので、仏教徒・神道徒・キリスト教徒の方で失礼だと感じた方がいらしたらすみませんでした。

  • 神の教えは「女性は家庭に」ですか?

    世界で最もメジャーな宗教上の神様は、イスラムもクリスチャンも 同じ神様だそうです。そしてその神様は女性と男性は目的が違う という意見をお持ちであり、女性は家庭で子育てと家のまもりを するべきだとの意見だそうです。 儒教や仏教においても基本的には同じ考えですよね。 神道においては女性は汚れた存在だそうです。 これだけ世界の宗教・道徳の多数派が女性は家から出てくるなって 言っているにもかかわらず世の中の動きは別方向です。 世界中の異常気象・大規模自然災害や、原発事故は全て 神の怒りと考えて、女性から権利を取り上げる動きがありますが、 やめさせるためにはどうするべきでしょうか?

  • 宗教について

    下記のような話がありました。実は私も幼稚園はカトリック、小学校ではプロテスタントの 日曜学校に行き、実家は禅宗で親戚には神道もいます。心情的にはキリスト教にもっと近い (聖書の話はよく知っており、家には新旧聖書もあります。)のですが、ごたぶんにもれず四季 折々は日本の習俗を楽しみ、結婚式は神道+キリスト教、お墓は仏教です。まさに日本教と 呼ぶべきものですが、確たる信仰もなく、神(GODも八百万の神も)も仏も存在を信じている わけではないのです。母は父の位牌を仏壇に飾って大事に拝んでいますが、私にはそもそも 死んだ人間を拝む感覚もわからないし、葬式も無宗教の直葬にするつもりです。(世代の差?) こういう人間というのはいわゆる無神論者なのでしょうか、無宗教者?シンクレティズム? 年を取ってきて、なんか気になるようになったのですが、どれにあたるのでしょうか。 http://chikyuza.net/n/archives/17838

  • 死後の世界はどこにありますか(日本)

    記紀を読みますと「根の国」「黄泉の国」という表現が出てきます。 ウィキを読んでみましたが、「根の国」「黄泉の国」がどこにあるかについては次のように記されていました。(読み落としがあるかもしれません) (1)地下 (2)海の彼方、海の底 (3)島根県安来 (4)紀の国、熊野  その一方で、空も死後の世界と関係があるかな、と思ったのです。 その理由は (1)アメノワカヒコの葬儀を鳥たちがおこなったという話がある。 (2)死んだヤマトタケルが白鳥になって飛びさったという話がある。 日本では死後の世界はどこにあると考えられていましたか。 空は死後の世界ではなかったのでしょうか。 仏教、神道、民間宗教などで死の国はちがっていたのでしょうか。

  • キリスト教・ミトラ教・仏教・日本神道の関係

    こんにちは。よろしくお願いします。 日ユ同祖論というのがありますね、 佐伯好朗氏によれば ●秦氏は中央アジアにあったキリスト教国弓月王国出身である。 ●仏教伝来以前に日本には原始キリスト教が伝わっていた ということです。 また最近次のような説があることもしりました。 ●キリスト教はミトラ教の影響を受けている。 ●仏教における弥勒信仰はミトラ教の影響を受けている。 ここから、 日本に伝わったのは原始キリスト教ではなく ミトラ教の影響を受けた弥勒信仰だという可能性もあるのでは? と思いました。 (1)これについてどうお考えになりますか。 またその理由をお聞かせください。 (2)聖徳太子の誕生の話はきリスト誕生の話にそっくりです。 また、仏陀の誕生の話にも似ています。 ミトラ教には類似した話はあるのでしょうか。 (3)記紀の記述には聖書の記述に似ている点があると指摘されています。 キリスト教・ミトラ教・仏教・日本神道はどのように繋がっていると考えられますか。 それとも全く関係ないのでしょうか。

  • 神道式の葬儀後にライブや川に行ってもいいのですか?

    一昨日、夫方の祖父が亡くなりました。 葬儀が火曜日にあるのですが、神道式だそうです。 葬儀の翌日に、前から行きたかったライブがあります。 仏教式では「忌明けまでは行楽などは控えた方がよい」と いうことを聞いたことがありますが、神道式の場合もやはり 控えた方がいいのでしょうか? 葬儀からしばらく立っているならまだしも、葬儀の翌日に にぎやかなライブに行ってもいいものかどうか悩んでいます。 夫に確認してみましたが「今時あまりそういうこと気にしなくても いいんじゃない?行ってきたら?」という答えでした。 それから、ライブ後の8/4頃に友人たちと川でバーベキューをする 予定です。 やはり仏教式で「喪中の間は山や川に行かない方がいい」というような ことを聞いたことがありますが、神道式でも同じなのでしょうか? もしも同じなら、友人に理由を話して欠席した方がいいのかなと思っています。 神道式の葬儀自体が初めての経験であり、また最近は「葬儀後の行楽は 行かない方がよい」ということや「喪中の間は山や川に行かない方が いい」というのは迷信だという意見もあるようですので、ご意見を 伺いたく、質問させていただきました。 よろしくお願いいたします。

  • フジテレビの「アンビリバボー」にでてきた霊に取り憑かれた人について

    途中でほかの番組にかえてしまったのですが、一見すると、「乖離ヒステリー」(乖離性障害)の患者さんかと思える人が、霊に取り憑かれたということで、京都の霊能者のところへ行くところまで見ました。多重人格のような面も感じられたので、霊能者のところで除霊をする前に、適切な医学的診断とかがなされるべきでないかと疑問も感じたわけです。日本の場合、仏教と神道が混合したり、教派神道のように特定の人を神様とするなどといった宗教的土壌があるので、元祖シバ神である不動明王を祀った部屋を神様の部屋と呼ぶのもありかなとも思えるし、ダラニ(真言)を唱えるのも自由でしょう。現代でも、いわゆるおがみやさんがおられるので、無下に否定するのも、宗教の自由を損なうことになるのかもしれません。 さて、番組的には、除霊をすると、この方は、治られたのでしょうか。

  • 皆さんは自分の葬式に沢山来てもらいたいですか?

    最近、内輪の人だけに限定したジミ婚やジミ葬(というのかな?)を好む人が増えているような気がしますが、私だったら、葬儀に関しては、出来るだけ沢山の人に見送ってもらう方を希望します。 皆さんはどうですか?そしてその理由は? 私は最近、教会で行われたお葬式に参列しました。亡くなったのは思春期の少年で、難病で数年間闘病生活を送り、その間多くの学校や教会の仲間から励ましを受け、逆に彼の存在が仲間たちの結束を促した面がありました。 葬式には仲間たちとその親が多数参列して、広い聖堂が満杯になり、どんな偉い人にも負けないほどの盛大なものでした。 このように多くの人に見守られながら天国に旅立った彼ほど、ある意味幸せな人はいなかったかもしれません。 私は、カトリック信者ながら、仏教や神道も含め全ての宗教を肯定する立場なのですが、少なくても葬式に関しては、キリスト教式で教会で行われる葬儀には、教会員も含め多くの参列者が気兼ねなく出席する環境が整っており、又その祭式の内容も、(仏式のように僧侶による読経などに終始するのでなく)参列者が共に祈り、共に歌う、という参画形式になっているので、より親しみが沸くような気がします。 私も、多くの参列者の祈りと歌に包まれて見送ってもらいたいです。 ・・・・いや、そこのあなたの言いたいこともわかっていますよ。社会人の場合は、色んな取引関係などもあり、義理で冠婚葬祭に参列する場面もありますね。そういうのは嫌だ、本当に近くて親しい人だけに来てほしいという気持ちもわかります。 又、香典をもらうとしたら、後のお返しも大変・・・ですね。 でも、理想はそういったしがらみと関係なく、純粋に多くの人に見送ってもらえたら・・・嬉しくありませんか?

  • 家族との宗教の違い

    学生です。 私の家は代々仏教です。 しかし、私自身は偶像崇拝する事が生理的に無理というか、とても抵抗があります。嫌です。 昔(小学生くらい)から違和感のようなものを感じていました。 中学生のころ神道の存在を知って、これだ!と思いました。 それからは真剣に神道を信仰し始めました。 ちなみに私の兄弟も皆、偶像崇拝を嫌い、神道を信仰しているそうです。 しかし、より信仰心が強めな年代である祖母に、「家は仏教だけど、正直言って神道を信仰している」と打ち明けたら、「家が仏教なんだから、仏教を信仰しなさい!」と、怒鳴られました。 考えたくはないことですが、もし万が一、事故などで自分が死んだとき、仏教式の葬式をやられたりしたら、ほんとにもう嫌ですよ。 学生なのでまだ家には逆らえる立場ではないのはわかりますが、それでも嫌です。 兄弟とは気持ちが分かり合えるのですけれども、根本が解決出来ないと言うかなんというか…。 家に神道を強制させたいわけでは無いのですが、理解してもらいたいのです。 自分が死んだときのためにも。 どうすれば、理解してもらえると思いますか? それと、偶像崇拝そのものが嫌いというのはおかしいのですか? アイドルとかそういったものが本当に苦手です。