物言ひ心見むの意味とは?

このQ&Aのポイント
  • 「物言ひ心見む」は、「遍照が歌を詠む心」という意味です。
  • 古文では同じことを二回言うことがあるので、二回同じことを言っていることは当たり前です。
  • 石上寺に参拝していた小野小町が、「この寺に遍照がいますよ」と告げられて、遍照の心を確かめるために言った言葉です。
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物言ひ心見む 現代語訳教えてください。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/henjou.html 上記に、遍照と小野小町が贈答した歌について記されています。 石上といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けて、まかり帰らむとて、とどまりて、「この寺に遍昭あり」と人の告げ侍りければ、物言ひ心見むとて、言ひ侍りける    岩のうへに旅寝をすればいとさむし苔の衣を我にかさなむ/小野小町 返し 世をそむく苔の衣はただ一重かさねばうとしいざふたり寝む/遍照 【通釈】法衣はたった一重、寒さをしのげないでしょう。かと言って貸さなければ冷淡だ。さあ、二人で肌を寄せて寝ましょう。 【補記】大和の石上寺に参詣した小町は、そこに遍昭がいることを知り、「心みむ」と歌を言い遣った。 「石上ならぬ岩の上に旅寝をすれば、肌寒くてなりません。あなたの苔の衣を貸してください」。 遍昭がそれに答えたのが上掲の歌である。 小町の「心みむ」は、遍昭の道心を試したというよりも、出家後も風流心を失っていないかを試した、ということだろう。遍昭はみごとに期待に応えたわけである。 歌仙同士、手練の贈答。『大和物語』などに説話化されている。 (上記サイトより引用) 補記の詞書部分の訳は直訳ではありません。 直訳してみました。 石上といふ寺にまうでて、日の暮れにければ、夜明けて、まかり帰らむとて、とどまりて、「この寺に遍昭あり」と人の告げ侍りければ、【物言ひ心見む】とて、言ひ侍りける            ↓ 石上という寺に参拝して日が暮れてしまったので、夜があけてから帰ろうとしてとどまっていると、「この寺に遍照がいますよ」と人が告げたので●●●心を確かめようとして言った。 【物言ひ心見む】がよくわかりません。 「物言ひ、心みむ」でしょうか? しかし、そのあとに「言ひ侍りける」とあって、二回同じことを言っていることになります。 古文ではこういうことは当たり前ですか? それとも「物言い心、みむ」でしょうか? 「物言ひ心」とは「遍照が歌を詠む心」という意味なのかなあ、と思ったりもしました。

noname#190665
noname#190665

質問者が選んだベストアンサー

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  • Postizos
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回答No.1

やはり「物言ひ、心見む」でしょうね。 「ものいい」で一つの語彙で「お話でもして」ぐらいの意味ではないですか。「物言ひ、心見む」までが小町の心の中の独り言でしょう。 http://kobun.weblio.jp/content/%E7%89%A9%E8%A8%80%E3%81%B2 岩波古語辞典の ものいひ【物言ひ】 一、《四段》の2として ことばを交わす、契りを交わす とあり、これの「言葉を交わす」方でしょう。 今ここに遍昭が居るんですよ、と聞いて「それなら言葉を交わして今の気持ちを聞いてみたいわ」と思って話しかけた。 そういうような意味だと思います。

noname#190665
質問者

お礼

>それなら言葉を交わして今の気持ちを聞いてみたいわ」と思って話しかけた。 なるほど~、そういう意味でしたか。 二重に言葉を使ったわけではないんですね。 「もの言い心」っていうのもなんか笑えてしまいますね。 ありがとうございました!

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