百人一首の魅力と思い出

このQ&Aのポイント
  • 百人一首は、競技や遊戯の事に限らず、多くの人が楽しんでいます。私の場合、40~50年前は正月の家族での遊びであり、中学での古語の教材でもありました。
  • 百人一首の中でも特に好きな歌は、「花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に」(小野小町)と「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり」(権中納言敦忠)です。意味も分からないままに最初に覚えて、褒められたり、得意の札となり、思い出がたくさんあります。
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百人一首

最近は、正月でもしませんね・・・(王座決定戦やクイーン戦がニュースになる程度) そこで、競技や遊戯の事に限らず、お聞きします。 (1)百人一首はした事がありますか?(それは、何年前・何歳頃・誰と) (2)好きな歌は?(それは何故、作者・意味・思い出) ※私の場合は、 (1)40~50年前は正月の家族での遊びであったり、中学での古語の私なりの教材でもあった。 (2)好きな歌 「花の色は 移りにけりな いたづらに   わが身世にふる  ながめせし間に」 <小野小町> 意味も分からないままに最初に覚えて、褒められたり、得意の札となり、花の色・・・で、ハイ!と取っていました。 「逢ひ見ての 後の心に くらぶれば   昔は物を   思はざりけり」 <権中納言敦忠> 何となく、初恋に心悩ませてた頃、心に、スッ~と入り込み共感したような思い出が・・・

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

こんにちは。 (1)30年以上前(小学生高学年の頃)に、  友達と『坊主めくり』で遊びました。 (2)これやこの行くも帰るも別れつつ  知るも知らぬもあふさかの関  (蝉丸) 【意味】東国へ旅立つ人も、その人を見送って引き返す人も、     ここで別れを繰り返す一方、知っている同士も、知らぬ同士も、     ここで出逢いを繰り返すという、逢坂の関なのだなあ 蝉丸は百人一首の絵では被り物をしていましたが、 坊主めくりでは【坊主】扱いで、 蝉丸をめくった時は、すごく悔しかったです。 歌の意味に関しましては、 単純明快!  分かりやすく、心にスッと入ってくる歌でしたね。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 そうですね・・・「坊主めくり」私も良くしました。 何だか、姫は皆美しく妙齢に描かれ、男はそれなりに扱われていました記憶があります。 将棋は<はさみ将棋> 囲碁は<五目並べ> 百人一首は<坊主めくり> で慣れ親しみ、それでオシマイが多く、さらにはゲーム機に席巻されているように(トホホって)思います。

その他の回答 (4)

  • poster
  • ベストアンサー率17% (21/120)
回答No.5

中学生です。 (1)学校で、1月くらい?にやりました! 百人一首大会があるので。 (2)好きな歌… 「いにしえの奈良の都の八重桜  今日ここのえににおいぬるかな」 なんとなく、好きです。←漢字違ってたらすいません。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 百人一首大会・・・良い事だと思いますが、小学生には少し意味が難しく、ゲーム感覚or国語の一環なのでしょうか・・・ 「いにしえの奈良の都の八重桜  けふ九重に  においぬるかな」 と、私の記憶、手持ち札には表記されています。

  • yotani0425
  • ベストアンサー率30% (1185/3898)
回答No.4

こんにちは。 (1)もう50年ほど前でしょうか、小学生時代でしたね。結構札を読むのが大変でした。 (2)すみません、すぐには思い浮かびません。古文が苦手だったもので。 *ちょっと面白いことを(場所を拝借してすみません) こちらで使う北海道地域限定かるたです。 http://www.nintendo.co.jp/n09/hyaku/kifuda/index.html 木札の書体はこちらをご参考に http://www.lacrime.net/project.htm うちでは上の句から読み始めていたので、下の句を思い出して、下の句が書かれた木札を探すのですが、小学生では木札の字を覚えるのが大変でした。でも結構大きい木札が飛び交うので豪快ですよ。

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 北海道地域限定かるた・・・初めて知りました、郷土色溢れる“かるた”ですね。 木札の飛び交う豪快で勇壮なシーンを是非機会を作り見てみたいと思います。 百人一首での札取りや源平合戦と同じで、下の句に入る前に上の句での決まり字や暗誦が分かっていれば優位ですね。 そして、その中に得意歌が生まれ、下の句の置き場所&持ち札(手元に近い所に配置し、必ず取るポイントゲッター句)にされ、好きな歌にもなるのでしょうね・・・。

  • mshr1962
  • ベストアンサー率39% (7418/18948)
回答No.3

>最近は、正月でもしませんね・・・(王座決定戦やクイーン戦がニュースになる程度) 少し前に「ちはやふる」という百人一首の対戦を題材にした少女漫画が人気になってます。 http://kc.kodansha.co.jp/content/top.php/1000003555 なんでも10月からアニメ放映が決まったようで... (1)35年ほど前、中学生の時に百人一首部に入ってましたので懐かしいですね。 (2)「ひさかたの 光のどけき春の日に しず心なく 花の散るらむ」<紀友則> 学校の庭に桜の木があって、部室の窓から見えた情景とあっていたから

lions-123
質問者

お礼

ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 百人一首部ですか、今あれば私も入ってみたいですが・・・結構、私よりも年配の人は、野外ではゲートボール、屋内では百人一首や民謡かも・・・ <私は、少し、敬老会(老人・高齢)・ゲートボール等に参加するのは躊躇&抵抗感がある団塊オヤジです> 素直に美しさ・詩情を詠んだ感動が、桜の美しい風景が、ストレートに伝わってくる、そんな歌ですね。 桜の花の美しさと、mshr1962様の思い出・目の前に広がっていた情景が連想され、今も眼に浮かぶようです。 この古今和歌集の少し前の頃からでしょうか・・・日本人の花と言えば桜にと変化したのは『以前は梅』

回答No.2

(1)最初にやったのは、私も弟も平仮名が読める頃でしょうから・・・小学生の時でしょうか・・・20年以上前ですね(笑)   うちでは、毎年お正月には家族でやっておりました。中学生の時には宿題で全部覚えましたし、大学受験の時は古文の暗記用に自分で活用してました。   一番最近やったのは、一昨年のお正月かな? 親戚で集まったときで、従姉の子どもが高校生くらいなので、その子たちを中心にやったような記憶があります。当時私は妊娠中で、読み手を引き受けましたが。親戚のお正月の集まりは毎年あるのですが、昨年からはうちの子(赤ちゃん)がいるせいか、百人一首をやろうという話にならず、ちょっと途絶えてしまっています。 (2)昔、それこそ中学時代は式子内親王の歌「たまのをよ・・・」に、恋の真剣さのようなものを感じて好きでした。 中学からでも、もう15年以上ですからね・・・その時その時で共感する歌があって、時代は違っても、人間の心はそう変わるものではないのだなと思います。 (歌とか意味とかちゃんと書けなくてごめんなさい)

lions-123
質問者

お礼

>ご回答を賜りまして、誠にありがとうございます。 正月の風情・家族の団欒・親戚や近所の子供の集い・・・めっきり減ったように思いますね。 独特な読み方や難解で意味が良く分からなくても、何となく語感・語韻から語意や情感が伝わり味わえた。 そんな日本人のDNA・歴史を意識した→三十一文字の文学、文化伝統が目の前に開けた世界・歌・存在でした。 「玉の緒よ 絶えなば絶えぬ ながらへば    忍ぶることの    弱りもぞする」 <式子内親王> 激しい情熱を内に秘め、忍び耐える哀切な叫びが、伝わってくる歌ですね・・・

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