• 締切済み

本物の愛でリストカットなどは軽減されますか

私は臨床心理士ではないですが、民間の心理 カウンセラーの資格をもってますが、リストカット の多くは愛情欲求や、被害者を装って自己顕示 欲を見せて振りまわすようなものと習いました。 学校では習ってなくて、本で読んだりもしてなくて 分からないのですが、それらの境界線に恋人や 伴侶が出来て、それが自己愛でなく本物の愛情 ならば、そうした行動などは軽減される事はあり ますか? 境界線は子供で自己愛が強いので、伴侶が当面 は少し一方的に愛情を注ぐようになるかと思いま すが。それでも愛情を持って接していれば相手も 変わる事もあるのでしょうか? だとすれば金のかかる数年のカウンセリングも 本物の愛があれば不用という事にもなってしまい ますが。出来れば専門家の意見を聞きたいです。

みんなの回答

  • amaguappa
  • ベストアンサー率36% (140/385)
回答No.5

心理的アプローチにとって 大切なのは一般化しないこと、 個々のケースを検討すること。 精神医学的アプローチにとって 大切なのは、個別背景や理由にかかわらず、 器質的疾患の一般的な治療を試みること。 > そうした行動などは軽減される事はありますか? 愛情によってという証左はないと考えていいと思うなあ。 もちろん恋人や家族が必ず無力だと言いきれるものでもない。 何にもまして彼らは忍耐づよい存在であるから。 この世に愛のエヴィデンスもなければ、愛による行動制限のエヴィデンスも、ないのではないかなあ。 リストカットには、デリケートカッターに限れば、自己承認への深い応答があります。 当事者のもつ違和感の軽減や、不快感の回避を、どのように他の手段に代替させうるか。 基本的にはうつの軽減と同じプロセスを踏みますよね。

  • g_parker
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.4

回答No.3 の続きです。(No.3 を先に読んでください) 次に、私個人の考えを述べます。ところで、junsukeさんが接している方は患者ではなく、もっと身近な、誰か大切な人…でしょうか? なんとなく、そんな気がしたので・・・。まぁ、それはともかく・・・。 結論から言うと、愛で自傷行為は軽減できると思いますよ。ただし、助ける側の、「愛」というものに対する認識がとても重要になってくると思います。 junsukeさん、gldfishさんの回答を読んでそれを不愉快に感じ、怒りのままにそれに対してコメントしましたよね? リストカットをする人はただでさえ神経がピリピリして、否定されることに敏感になっているので、そういう人に対して同じような接し方を万が一してしまうと、(仮に、裏に愛情があったとしても)かえって逆効果となってしまう恐れがあります。 リストカットする人/しない人、心理学の専門家/素人、ネット上の知らない人/実生活で知ってる人・・・。相手が誰であろうと、その人はその人なりのベストを尽くして、よかれと思って発言しているんです。もし失礼な言動、無知な発言をしている人がいるなら、その人にはきっと事情があったんですよ。朝から嫌なことがあったとか、最近辛いことがあったとか、トラブルの多い家庭で育ったとか・・・。どんな人でも、その人なりに、常に最大限の努力をしているものだと私は考えています。ストレスが多い環境だったりすると、そのキャパが小さいことだってあるかもしれません。努力しているように見えないことだってあるかもしれません。 普段からそういうふうに他人を捉えることが出来る人なら、愛情をもってリストカットしてる人に接することで、その行為を軽減してあげられるだろうと思います。 リストカットをする人は、非常に自己否定的になっていて、自分自身が「できたこと」をチェックするのが苦手な割に、「できなかったこと」を過度にチェックし過ぎる傾向があります。だから、身近な人が(例え口にしなくても)その人の「できたこと」「いいところ」を見てくれていて、「できなかったこと」「悪いところ」を無視してくれている、というのを肌で感じられたら、気持ちを楽にしてあげられるだろうと思います。 しょうもないことでもいいので、その人が「できたこと」に着目する練習をするのもいいかもしれません。家事を手伝った、重い荷物を持ってくれた、笑顔で挨拶してくれた・・・ などなど。リストカットしていない、元気な時にしっかり見てあげましょう。 ・・・文章がすっごく長くなってしまいましたね(苦笑) 少しでも参考になれれば、光栄です。では、失礼しますm(_ _)m

junsuke327
質問者

補足

あのですね、皆さん平面的です。 愛とは抱きしめたり、褒めたりする事だけではなく、 真に相手を思えば、そんな事をしたら叱ったりとか 、そうゆうのも含めての愛情です。 ちなみにリストカットは甘えや愛情欲などで起こし ますが、その欲をしかってやる事も愛情なので、医 者やカウンセラーじ叱るにしても表面的というか、 限界があるではありませんか。そうゆう意味でも。

  • g_parker
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.3

gldfishさん、厳しいですね。 私は専門家ではありませんが、自分の過去の経験をもとに書き込みます。 junsukeさんの言うとおり、「リストカットの多くは愛情欲求や、被害者を装って自己顕示欲を見せて振りまわすようなもの」、そういう側面もあると思います。要するに、「誰か助けて。私は今とても苦しいんだよ。お願い、振り向いて!」というSOSのようなものである、という解釈もできるかもしれません。 助けが欲しいけど、自分も他人も、どうすれば(精神的な)痛みを和らげられるか分からない。そんな状況の中、その人はリストカットをすることでかわいそうな自分を、自分の目と、肉体的な痛みによって確認しているんです。そして、「これだけ私は苦しいのに、こうやって耐えてる。良く頑張ってる。偉い!」と自分自身を励ましているんだと思います。 gldfishさんは、「ある人にとって、自分を傷付けて愛を請うことが『自己愛』『自分を守ること』」と表現されていましたが、自分自身を励ますという行為は、要するに自分自身への愛情の示し方、と言いたかったのではないでしょうか? リストカットをする人は、自分を傷つけることできっかけを作らないと、自分を励まし、自分自身を大切にする、ということが出来ずにいるんだと思います。 まとめると、愛を注がれたとしても、その瞬間は気持ちを落ち着けてあげられるかもしれないけど、再び愛情(助け)が欲しいと感じた瞬間、また自傷行為に走ってしまう、とgldfishさんは言っているように私は解釈しました。 長くなるので、私個人の、最初の問いに対する考えは、また別に回答しますね。

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.2

>自己愛は完全な欲です。なので愛が付く呼び方 はおかしいと本にも書いてありました あのですね・・・それは「愛」をどう捉えるかの話であって、臨床心理士だのカウンセラーだのの及ぶ範囲ではないです。自分も「自分の1つの考え方ですが」とちゃんと断っています。筋違いですし、あなたになんて判断されたくありません。 junsuke327さんは本当にカウンセラーの資格をお持ちなんですか? 補足文の限りではちょっと唖然。人の心を助けられるようなタマでは到底ないように感じましたけど。 本の受け売りしか出来なくて、「おかしい」「被害者を装って周囲を振り回してる」等と人を責めるだけ・・・そういう姿勢で、人の心を扱えるんでしょうか。人の心は機械のような単純なものじゃないんですよ。 junsuke327さんは、目の前の助けを請う者に、愛を与えられると自信を持って言えますか? まぁ自分だったからちょっと説教したくらいで済みますけど、対象がその「リストカット」をする方だった場合、取り返しの付かない結末にならなきゃいいですけど。 カウンセラーの資格なんて、人によっては赤子に拳銃を持たせているようなものだと感じましたよ。

junsuke327
質問者

補足

救うとは一言も言ってません。 欲が強くてリストカット、卑下されて急にうつになり 、それを防ぐためにイジメなどをする。 これらが離れれば文句なし、関われば殴って電気けい れん療法の代わりにそれで欲を消して、私から離れ させて、それでもダメなら殺すだけです。殺します。 医者でも電気機器で殴って欲と、それによる内因性 うつ病を消すのですからね?無知の方は知ってくだ さいねーーーーーー!

  • gldfish
  • ベストアンサー率41% (2895/6955)
回答No.1

「自己愛」「本物の愛情」・・・自分にはこの違いがわかりません。 人を愛せない者は、自分を愛せる訳がありません。 これは自分の1つの考え方ですが、人を自分のことのように考えられる、それが「愛」ってことなのではないかと思っています。つまり、自分自身を大事に、尊重出来る者は、それと同じことが他人にも出来るし、自分をないがしろに扱う者は、他人や他人の心の扱いも雑になる。 「人への愛」と「自分への愛」・・・つまり結局のところこの2つは同じなのではないでしょうか。 ある人にとって、自分を傷付けて愛を請うことが「自己愛」「自分を守ること」つまり「愛」であるなら、愛する他者を傷付けることも「他人への愛」「他人を守ること」つまり「愛」そのものであるのでしょう。 これは論理学や哲学なんかではなく、「心理学」的な観点の話です。自傷行為をする者は、おそらく「愛」や「人との関係」に対してそういった認識(思考)なのではないかと思います。(本人が自覚しているかどうかは別として。) ですから、「愛を注がれた」ことにより「自傷行為(気を引く行為)」が無くなったのだとしても、それは「その瞬間は、そうする必要がなくなっている」というだけで、人自体は根本的に変わっていないと思います。 ただし、信頼する人(恋人など)から新しい「愛」の形を学ぶ(自分なりに感じとる)ことは出来ると思います。そうすれば変わる可能性はあるかもしれません。再び孤独を感じた時に「自傷行為」という「愛」を行わない人間になっているかもしれないということです。

junsuke327
質問者

補足

どちらで心理学を学ばれました? 自己愛は完全な欲です。なので愛が付く呼び方 はおかしいと本にも書いてありましたけど?

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